倉・蔵・庫 | Maki Murakami Official Blog
10月21日(火)かさくもり





高齢者福祉施設での書道ボランティア。

前回は、みなさん

難しい・・・を連発でしたので

前回のお手本に加えて

少し食べ物を増やしましたら

予想通り、みなさん好調な書きぶりでした笑顔




「くり蒸ようかん」は

お歳暮ののし紙のようで ドット

落款はまるで

老舗和菓子屋名のよう ドット




御歳暮は栗蒸羊羹ですねと

皆で笑いました。





kuri






そして「小倉あん」も人気。

特に、

「倉」の字形、筆の開き、

バランス、落ち着き

すべて秀逸でした。

それが多くの方に共通していて

びっくり。






kuri






たしかにもともと

格好のよい

颯爽とした文字でもあります。






kuri







さらに

地名の「小倉」も

「小倉山」も「大倉山」も

みな素敵な響きがあります。






kuri





ちなみに

「小倉あん」の「小倉」は

小豆の粒が鹿の斑点のようで

小倉山の小倉の餡となったようです。

実際には、粒あんやこしあんに

大納言のはいったものをいうそうです。




さて

字源はどうなのでしょうか。






ぶどう





わかりやすい

偕成社の「小学漢字学習辞典」から。

米や麦などの穀物を

しまっておく建物の形から

うまれた漢字だそうです。





kuri





これに対して「蔵」

こちらは

「茂」と「臣」から成り立っています。

草がぼうぼうと茂っているところに

宝物などを隠している様子だそうです。

そして

「臣」はまんなかの「口」が

見張っている「目」をあらわしているそうです。

そんな場所をあらわす

「蔵」となったとか。

大切なものを人目につかないように

しまっておくという意味は

「埋蔵金」

「無尽蔵」

「酒蔵」もそうでしょうか。

「蔵書」にも

含まれるのでしょう。




kuri






そして「倉庫」としても用いられる

「庫」

こちらは家の形のなかに車。

戦のための車をいれておく

建物

あるいは、武器を入れておく倉庫

をあらわしたそうです。





kuri





今はそこまでの区別はなく

用いられていますが

「正倉院」は

宝物をしまっておくのに

穀物を大切にしまう

「倉」が使われているのも

興味深いですね。





kuri





私たち人間の

「しまう」という営みの進化が

稲を蓄えたり

神への捧げものをしまうことにはじまり、

大切なものをしまい、

さらには

武器をしまうようになった

という変遷を表しています。





kuri







今週の高齢者施設での書道では

用意しておりました10月のお手本ではなく

それより以前のものが

いろいろ混ざっており

結果的には、思いがけず

この1年を振り返るような書道になりました。






kuri






「今でしょ」

「じぇじぇじぇ」

「倍返し」

ああそんなのもあったわね。。。


流行語大賞の選考委員になったような

年末を思わせるようなひととき。

「水仙・フリージア」

こちらは

まるで新年を迎えるような

心持でした。







kuri




10月も終わりに近づきますと

もう

あっという間に今年を

見送るような思いです。

ドット

今年1年


自分は何をたくわえたのでしょうか。






kuri






悩み

考えに考え

行動しては立ち止まり

前に進んでは

振り返り

振り返らないように

また進み。





kuri





最近、

多くの自動配信メールに混ざって

目にとまったイベントには

60年代生まれ集まれ。。。

というような文言。

他の世代ではなく

この60年代生まれ世代が

何を感じているのか。

自分のなかにあるものを

掘り起こしながら

化学変化を起こしながら

語りあう場のようです。





kuri






自分の世代の感じ方

と問いかけ、

「受容れる」

という言葉が浮かびました。







kuri






まだまだ

未熟で

「受容れる」ことのできないことが

たくさんあります。






kuri





それでも、

葛藤する自分と向き合い

自分に素直になりながら

心のどこかにいつも

受容れづらいことを

「受容れる」ことを

意識して


そう


草でおおって

目で見張っていたり

自分のなかに余裕がもてるときには

そのこころを

神さまに

あるいは大地、宇宙、大自然に捧げるように


また時には

大袈裟ながら

「闘う」ための力を

蓄えてきたのかもしれません。





kuri





去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの

まだまだ早いのですが

おそらく今年も

師走には虚子の句を準備するでしょう。


今年の気持ちをかかえて

跳び箱のロイター板を

踏み切るような


ちょっと

そんな気にもなっています。





年末になる前に


ふと


みつめてみたいですね。


自分がたくわえてきたもの。


これから蓄積していくもの。


クロネコちゃん