全面否定をしないこと: 評価の危うさ | Maki Murakami Official Blog
2月7日(金)太陽☀



底冷えのする寒さ 

東京でも雪雪の結晶の日からさらに3日連続の

極寒日(東京にしては)。

明日は各地で雪 ゆきだるま の予報です。

体調管理、身体をあたためてニーハイ♪

ゆっくり肉球休養をとりたいですね黒猫




今週、企業の早朝レッスンが終了いたしました。

寒い中

また真っ暗なうちに出発

ということで

生徒さんも講師陣も大変でした。




雪だるま




思いがけず

最後の授業で

素敵な花束をいただきましたアオキラ



雪だるま



朝の時間帯でしたので

前日からご準備くださったのでしょう。

そのお気づかい

お心配りが大変嬉しく

生徒さんと記念撮影音符




雪だるま




以前にも少し触れましたが

猛烈に授業の準備をしたから

あるいは

授業がものすごくうまくいった

(と自分がおもっている)から

ということが必ずしも

生徒さんのご満足につながらならないこともあり

生徒さんたち、クラス全体との

相性

が重要な影響を与えることが

多々ある

ということを他の講師の先生とも

話しておりました。



雪だるま



もちろん、定期的なトレーニング受講や

講師同士でのコミュニケーションを通じながら

生徒さんのレベルや

要求にあうように

テキストやシラバスを

アレンジしながら

復習のタイミングや

興味の引き出し方など

できるだけ工夫をしております。



アオキラ


今回の早朝レッスンでは
生徒さん、クラスとの相性が

とても良かったと思っております。

みなさんの

お仕事のなかで際立っている
顧客、子どもたちに喜んでもらいたいという

お気持ちが

英語の授業でも

会話を少しでも面白く

というチャレンジとして

随所に感じられました。



雪だるま




ものごとの評価というのは

意外にもろく

曖昧で

周りの雰囲気に流されたり

大きな声の人につられたり

ということも

多いように思います。




雪だるま



佐村河内氏のゴーストライター「事件」が

世間で話題になっております。



聴覚障がいをもつ作曲家

ベートーベンの再来ともいわれ

その作品には高い評価が与えられていましたが

障がいも作曲も

虚偽の可能性が

伝えられております。



雪だるま



時代の変遷も影響しているでしょう。

現代では、ゴーストライターは
ひとつの職業になっており
自分は○○などのゴーストライターです
と自己紹介する方も、いらっしゃいます。
ゲーム音楽など
コンピューターでの作曲など

どこまでが作曲かも

なかなか難しい線引きともいえます。

ただ、

ふたりでユニットを組んで

共同作品にしていれば

よかったように思えますが。。。

ベートーベンの再来を

意識したからでしょうか。


雪だるま



虚偽については

確かに問題がありますが

このような話題でにぎわうたびに

疑問に思うことがあります。




雪だるま


どうして

私たちは

非難すべき対象をみつけてしまうと

スケープゴートのように

一斉に右向け右状態で

ほぼ批判一色になってしまうのでしょうか。



雪だるま



みのもんた氏、猪瀬元都知事の時にも

同様に感じました。

不祥事自体は問題ですし、

それ以前の

あまりの注目度の高さも

手伝ってのことと思われます。



雪だるま


法的な正義が問われる場合もあるでしょう。

倫理的な謝罪が求められることもあるでしょう。

活動停止、自制なども

求められるでしょう。

ただ、

その人の足跡、功績

社会に与えた影響

すべてが

負となってしまうわけでは

ないはずです。

もう少し

問題を分解した

冷静な捉え方が必要であると

いつも感じておりました。




雪だるま



そこへ

今朝のTBSのニュース番組「朝ズバ」では

作曲家の千住明氏の解説があり

非常に冷静で

しかも

ご自身の作曲家、音楽に携わる者として

という明確な立場からのご発言を

お聴きし

非常に納得がゆきました。




雪だるま


千住氏の論点は、

現代の風潮による

作曲という概念の曖昧性、

しかし

音符を書かなければ作曲にはならないという

線引きのあること

それでも

結果として作曲された曲は

きちんと音楽史、作曲について

きちんと学んだ人によるもので

作品は後世にきちんと残るような

非常に素晴らしいものである。

特に、最後の点については

音楽家として強調されておいででした。





雪だるま



娯楽的なニュース番組や

マスコミであっても

どこかに

千住氏のような

専門家で、かつ、責任ある立場の方の

冷静で客観的な視点が

必要であると感じました。




雪だるま




これがニュースやマスコミの

あり方だけにとどまるのなら

時には

井戸端会議的に

ただの批評家的に

ああでもない、こうでもないと

「とやかく」言うことも

あっていいことかもしれません。




雪だるま



しかし

このスケープゴート的な

一斉非難

全面否定が

学校や子どもたちの日常で起こったら

どうなるでしょう。

その温床を

私たちが日常的に

社会でつくっているとしたら

どうなるでしょうか。




雪だるま




そう考えさせられたきっかけが

「日本人のためのアフリカ入門」

(白戸 圭一氏 ちくま新書 2011年)

のなかの

コンゴの学校生活についての

記述にあります。




雪だるま


アフリカでのこどもたちの

いじめ自殺の取材をするつもりが

逆取材をうけてしまうというように

日本でのいじめによる自殺など

考えられないというのが

アフリカでの実情のようでした。


雪だるま

コンゴでは

学校が嫌であれば行かなければいいだけのこと。

昼過ぎに学校が終わって帰宅すれば

親戚、近所の子どもたち、

他の学校に行っている子どもたちと

遊べばいい。

また、家庭の事情で

進級が遅れることも多々あり

1学年の生徒の年齢も異なっている。

年長者が年下の生徒を叱ることもある。

南アフリカの学校でも

家族の旅行を優先させ

授業を休ませることもあったとか。




雪だるま


白戸氏は、日本にとっての

アフリカを知ることの意味は何か

という問いかけのなかで

このような例を列挙されました。

つまり

アフリカにあって

日本にないもの。


それは

多様性。



雪だるま


日本人が勤勉でまじめだから

あるいは

真面目なこどもが

真剣に物事を考えすぎるから

自殺に至る

のではなく

学校でうまくいかなかったら

それは


学校の比重の高すぎる

横並びの

学び、生活、評価のなかで

「全面否定」になってしまうから。

ほかの社会、地域、つながりで

おぎなえるような

時間、ぬくもり、転換が

できないから。



雪だるま



声の大きい人が

あるいは

放送や活字など

信憑性が高そうなメディアが

「全面否定」の文化を

育んでしまったら

その「全面否定の文化」が

大人も子どもも

教育の場においても

蔓延してしまい

「窒息状態」に

陥ってしまうことになるわけです。




雪だるま




もしかしたら

明日、雪により

多くの公共交通機関が麻痺してしまうかもしれません。


よく、起こりうる

遅れを非難する全面否定

のかわりに

安全面を優先させてくれたことへの

感謝、評価を伝えられるように

交通に関わるすべての立場の人たちが

利用者も含めて

連携できるといいです。

もちろん

よい評価の全面肯定も危険であり

将来につなげる

冷静な提言も必要になるでしょう。




雪だるま


「全面否定」をしないために


できること。



おそらく

右脳をつかってリラックスすること


さらに

一般市民

ふつうの生活者であったとしても

自分の発言の立場

その責任のありかたを

常に意識し

日常から思考を繰り返す




自分のなかに
多様性を感じる習慣をつけること



読書。DVD観賞

自分の趣味

忘れていた、置き去りにしていた

好きなことに

少し気持ちを傾けることからでも

始められると思います。

今週も

さまざまな取り組みを試してみようと思います

クロネコちゃん