こんにちは。
湯上り♡ともりーなです。
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♡マークは、気分ですw
さて、
FaOI宮城旅、続きます。
今日も、ほぼほぼ羽生成分はないかもですが、
よろしかったら、お付き合いくださいまし。
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6月3日(日)
開館を待って、
校舎は、4階建て。
南面して東西に長い、よくある構造です。
校庭は南側、
体育館は西側にありました。
観光バスも2,3台停まってて、
団体の見学者もいました。
案内予約はしてませんでしたが、
ガイドさんの声に誘われて、
5~6人のグループで自然と固まって、
案内されました。
ガイドが、ありがたかったです。
ただ茫漠と見て回るだけでは、
気が付かない、
わからない、
知ることができない、
思いもしないことが、ありました。
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校舎の正面にも、
津波の到達した高さの表示が。
入り口は、海に近い東側です。
2階ベランダの手すりが、
津波の直撃で、ぐにゃりと曲がっています。
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震災当時、
荒浜小学校の生徒は91人と聞いて、
一気に身近に感じました。
若が入学したころの奥地小(仮)と、
同じくらいの規模なんです。
開校も、明治6年と、同じ年。
その前日、
奥地小(仮)時代のママ友と、
おしゃべりしたばっかりですよ。
入学式、
授業参観、
清掃奉仕、
個人懇談、
プール当番、
PTA活動、
運動会、
文化祭、
生活発表会、
卒業式。
同じ生活が、
くだらない日常が、
同じようにあったのだ。
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1階廊下の当時の様子。
職員駐車場から、3台、
車が流れ込んできた様子が、リアルに。
2階の廊下。
スチール棚の錆びてる位置まで、
波が来たのがわかります。
ガイドさんの説明によると。
2010年チリ地震津波後に、
避難場所を体育館から屋上に変更したそうです。
緊急物資も、3階に保管していたのが幸いした、と。
校舎西側にあったはずの体育館は、
まともに波を喰らっていて、
もし、
避難場所になったままだったとしたら・・・・・
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帰りのバスの時間も配慮してもらって、
映像コーナーへ、移動。
その場所は、音楽室。
「助けることができたかもしれない」
五線譜黒板に、残された想い。
救助を待つ間の状況の再現も、ありました。
2畳あるかないかのスペースに、
毛布やらカーテンやらかき集めて。
ここで、
眼が吸い寄せられたのが、わかめご飯。
2017年の日テレ特番の羽生さんを思い出して。
屋上に上がって、東の、海の方角を見ます。
時間が、足りません。
滞在1時間弱では、とても、足りません。
ジオラマ展示も、じっくり見たい。
近くに、
もうひとつの震災遺構・住宅基礎があります。
ここだけじゃない、
あちこちに震災遺構があります。
また、来ます。
きっと、行きます。
そう思いながら、
帰りのバスに乗り込みました。
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続きます。
では。