私の依存症に隠れた病とはなんだろう | アルコール依存症回復への道のり〜豊かな感情を求めて〜

アルコール依存症回復への道のり〜豊かな感情を求めて〜

私のアルコール依存症の回復とは幼少期からの生きづらさの克服です。
感謝の気持ち、素直な気持ち、謙虚な姿勢を忘れずに一日断酒を積み重ねていきます。

私の依存症に隠れた病とはなんだろう

断酒会に繋がったのは2か月ほど前です。

今まで8回入退院を繰り返してきましたが断酒会に繋がることは無かったです。

「断酒会に入ったら酒を一生やめなければならない」と思っていたのが正直なところです。

26歳でアルコール依存症と診断され現在は36歳。

アルコール依存症だった父は37で死にました。

私は離脱症状で幻覚も酷くなってきたし、このままだと父のように37で死んでしまうのは嫌だと思い病院へ行きました。
 

病院へ行ったらその日に入院することになって8回目の入院生活を送りました。

今まで断酒会に行こうともしなかったけど自分から積極的に参加するようになりました。

36歳で入院したこと、離脱症状が酷くなったこと、たまたま入院していた病院で家の近くの断酒会に通っている人がいたこと。

自分でも何故だかわからないですが今までの自分とは全く違い断酒会に繋がることができました。
 

3か月のプログラムの途中で自主退院してしまったため退院後は神奈川のK病院へ通院しています。

K病院での初診で先生に

「私にはあなたの病気は治せない」

「紹介状に私の紹介状付けて返すから他の病院へ行ってくれ」

「全国には200か所くらいアルコールの病院はあるから全箇所渡ったら一生暮らしていける」

「あなたの人生は逃げてばかり」

「あなたの生き方は100点満点中3点だ」

「あなたはホームレスになるか、ダルクに入るか、ゾンビになるかの3択しかない」

と散々言われました。

最終的には

「反社会性パーソナリティ障害」とも診断されました。
 

結局私は精神薬を今までの5倍くらいに増やされて帰ってきました。

しかし、薬の相性が悪く次の週に病院へ行ったら先生は初診とは全く違う対応で私に接してくれました。

「こどものころはどんな子でしたか?」

先生はアルコール依存症になった根本的な病を治そうとしてくれているのかと感じました。

「今後の診察でADHDと診断するかもしれない」と言われました。
 

先生に言われ子どもの時の自分を振り返ることが出来ました。

私は学校では喋らない子で、家では厳しいアルコール依存症の父がいました。

そんなことを思い出すうちに根本的な病気、性格を直さなければいけないと思いました。

そのためには断酒を続けなければ治せません。

私にとっての依存症の回復とは断酒しながら自分の性格を見つめ直して変えていくことだと思います。

まだまだ先は長いですが例会出席して「1日断酒」を継続しながら自分を改革する努力をしていきます。