【お盆ウィーク毎日更新4日目】


世間はお盆真っ盛りですねにっこり
近所の焼肉屋さんがみんな大盛況で、なんだかその場の雰囲気や空間を味わえるのがちょっとした楽しみです。あーこれから食べに行くんだなって時と、これから帰るんだなって時と顔の表情がわかりやすいので笑
みんなのその笑顔を見ながら家にこもるのが好きという変な嗜好をお持ちですよだれ✨️

お盆は基本的に帰省の混雑を避けるために日にちをずらして帰ったりしますが、今年は名古屋の自宅にこもりますお願い

雪国育ちの私はまだまだ名古屋の気候や体感に慣れてないところがあって、特に夏は毎年試練の季節です🍧🔆。°

名古屋は夏が長いって知ってました?びっくり

10月いっぱいまでは半袖で過ごせるくらい(わたしだけ?笑)気温が高いので、お盆が過ぎたら急に秋が始まる地元とは全然ちがいます驚き

「暑さ寒さも彼岸まで」って…地域限定じゃないか大泣きガーン

どのタイミングで衣替えをすればいいかさえ悩んでしまうことも多々ありますが笑
わたしは名古屋がすきです照れ
いままで住んだ場所でいちばんすきです。
でもまだ愛知県内や三重は詳しくないので、たくさんおでかけしたいのが目標ですお願い
(岐阜も住んでたのでたぶんそっちの方が詳しいかも)

さてさて、まだまだ夏本番の名古屋をいっしょに楽しんでいきましょう歩くスター




お盆ウィーク3日目のブログですひまわり

(まだやる気は継続中ですのでご安心を😌笑)


今日はわたしの「マイルール」を紹介したいなと思います🌿


O型に見られることが多いB型ですが、残念ながら家族全員B型という最強遺伝子の持ち主なので、基本的には超がつくほどのマイペース。

そのため、昔から人にあれこれ言われるのが苦手で、ノルマを課されたり理不尽な言動には人一倍拒絶反応が出ます。(典型的なタイプです😂)


ふと考えたら、私にはおそらく「○○○はしない!」というルールが結構あるんじゃないかと気づき、今回はそれを捻り出してみました笑

仕事の時とプライベートの時ではけっこう印象が違うと思うので、その目線で「かえでってこんな人なんだ」と思ってもらえたら嬉しいです。


  1. お酒は極力飲まない
    健康面というより、体内のアルコール分解が早くて酔っても一瞬で覚めます。酔うからこそ楽しいのがお酒の醍醐味だと思っているので、飲んでも次の日ブスになるくらいなら(笑)、お酒の付き合い以外ではまずプライベートで飲むことはありません
    もぐもぐ
  2. 陰口は言わない
    性質的にさっぱりしているので、悪口や陰口を他人に話すことはありません。むしろ本人と直接話し合いたいタイプなので、少しでも疑問を感じたり、信頼関係の不足を察したら、まずは時間を取って話すことを優先します
    照れ
  3. 大口を叩かない
    「日本一稼ぐ講師になる!」といった野望を持つのは好きですが、自分のエゴを主張することはありません。特に金銭にまつわるワードはなんだか嘘くさく感じるので、誰かのために必要な役割を担えたらそれで十分です。
    ただし、お金は好きです(笑)。でも相手によっては講習を断ることもあるので、「すべてお金で解決」というやり方はしません
    ウインク
  4. ズボンは履かない
    スカートとワンピースが大好き。長年スポーツをしてきた反動で、引退後は好きな格好を思いきり楽しんでいます。おかんになった今もピンクのかわいいワンピースを着続けるのが夢。ズボンは冬のパジャマくらいでしか履かず、私服では1着もありませんびっくり
  5. 「何年経っても挑戦したい」と思えないなら選ばない
    極端かもしれませんが、三日坊主と無縁なのは、そもそも「できない」と思うことは最初から選ばないから。趣味も浅く広く続けられるものを選び、アクセサリー作り、フラワーアレンジメント、植物の手入れ、インテリア…と五感を刺激してくれるものばかり。
    生花は滅多に買わず(家を空けることが多いので)、ドライフラワーや小さめの植物、フェイクグリーンを集めています。インテリアは季節ごとに衣替えしながら楽しみ、整理整頓スキルも資格を取って勉強もしてきましたウインク40代以降も「自分にとって最適な空間」を完成させるのが目標です。
  6. 直感とひらめきを疑わない
    「思い込み」にはプラスもマイナスもあり、白黒つけがたいもの。私はふっとした瞬間にアイディアが降りてくることが多く、それが新しい事業やメニューになることもしばしば。降りてきたらすぐ、自筆のノートにメモ。パソコンではなく手書きなのは、勢いのままペンが進む感覚を大事にしているからです照れ
    「これだ!」と決まったら、そこから仕組みを作るのは早い方です。
  7. 昼寝はしない
    …というか、できない笑  
    昼寝が得意な人、どこでもすぐ眠れる人は憧れですお願い
  8. 人前で泣かない、けど
    好きな人の前でも、友達や家族の前でも泣けないタイプでした。でも娘の存在がそれを変えてくれました。
    育児はいつも不安と喜びの連続で、娘の前では仮面をかぶれません。悲しい時や悔しい時に我慢せず泣くのも、親としての大事な一面。父が亡くなった日は、人生で一番泣き続けた1週間でしたが、その間ずっと労いの言葉をかけてくれた娘のおかげで「素直になろう」と決めました。
  9. 見知らぬ場所に行っても怖がらない
    海外生活を経験してきたので、日本国内であれば突然の引っ越しや異動でもまったく困りません。これまで10か所以上の都道県に住みましたが、「ここは日本だから、言葉が通じるから大丈夫」と思っています。海外は文化も習慣も言葉もすべて違いますが、日本は安全。関西方面にはまだ住んだことがないので、遊びに行く機会が増えたら嬉しいです
    グラサン
  10. 干渉しない
    私が自由だからこそ、一緒にいたいと思う人や大切にしたい人には干渉しません。娘にも家族にも、これまでの彼氏や夫にも、必要以上に詮索したことはありません。相手が話せるタイミングや、その瞬間が来たときに本人の口から想いを聞きたいし、知りたいと思っています
    照れ



これらのマイルールは、私自身の軸であり、自由を守るためのものです。干渉しないけれど、決して放っておくわけではなく、必要なときにはそっと寄り添い、見守り続ける、そんな関わり方を大切にしています。これからも自分のペースを尊重しつつ、心地よい距離感を保ちながら、人とのつながりを育んでいけたらいいなと思います🌿


今日はお盆ウィーク2日目。

街の空気ものんびりしていて、ふと昔のことを思い出す時間が増えます。

そんな中で、今日は小学生の頃の私の話をひとつ。


小学校5年生の体育の授業中、ハードル徒競走で思いがけずいい成績を残したことがきっかけで、先生が勝手に県の陸上大会へ私をエントリーしました凝視

勢いのまま地区大会でもトップの成績をとり、あれよあれよという間に県大会出場が決定。


けれど、そこから先生は「もっと上を目指そう!」と練習を強化。

当時の私にとっては、そのスピード感も期待の重さも、キャパを超えていました。


そして県大会前日。

極度のプレッシャーと緊張でついに嘔吐し、ドクターストップ。

結果として、県大会は棄権することになりました。


あの時の私は「逃げちゃった」と思っていたけれど、今振り返ると、あれは自分の限界と向き合った大切な経験だったのかもしれません。

人にはそれぞれ、その時の体力や心の器があります。

無理に「上」を目指さなくても、自分のペースで走っていいんだ、という感覚をあの時の私は教えてくれました。


この時の経験を通して感じたのは、「自分で決めること」と「相手が決めること」の間には大きな差があるということです。

自分で選んだ道なら、たとえうまくいかなくても納得できるし、後悔も小さい。

でも、相手が決めた道をただ歩いているだけだと、その結果に自分の気持ちが追いつけないことがある。


あの時、私は棄権という選択を自分で下したことで、結果はどうであれ「これは私が決めたこと」と胸を張れるようになりました。

それは、今の私が大切にしている生き方の軸のひとつになっていますひまわり



行動力なら誰にも負けないけれど、そんな私にも、人並みにどう足掻いてもやりたくてもできないことがあります。


実はわたし、泳げませんでした(笑)


プールの授業も昔からずっと苦手で、何度も挑戦しても泳げない🥹

でも、プールで歩くのは好き。

海で浮き輪にぷかぷか浮かびながら波を感じるのも好き。

川育ちだから、ゴーグル片手に川魚を見つけるのも好き。


それでも泳げない🥹


そんな私は、「泳げる人」におそらく人一倍の憧れがあります。

なぜなら、私が知らない「楽しさ」や「大変さ」を知っているから。


でも、なぜか諦めきれなかった私は、20歳の時にとんでもない行動に出ました。


1年間、大学を自主休学して海外に住んだときのこと。

現地のオーストラリアで、PADIの「アドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバー」のコースに挑戦しながら、語学学校に通ったのです。

(そこはなぜかこういった専門スキルも学べるアート系の学校で、他にも当時は珍しかったチョークデザインコースなんかもありました。そっちに進んでた方が開花してたかも…笑)


まずはオープン・ウォーター・ダイバーに挑戦。なんとかクリア!

でも、待っていたのは想像以上に厳しいプールレッスン。

泳げないのに、水深があって足がつかないところで泳ぎの練習が必須。これはもう地獄でした。

それでもなんとか踏ん張って、「人並みに泳ぐスキル」を手に入れました。


(オープン・ウォーター・ダイバーの概要はこちら😉

https://www.padi.co.jp/scuba-diving/padi-courses/course-catalog/open-water-diver/)


ここで私のやる気スイッチは燃え尽きてもよかったのですが(笑)、本命の「アドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバー」は、これまでと比べものにならない未知の世界でした。


(コース概要はこちら⬇️

https://www.padi.co.jp/scuba-diving/padi-courses/course-catalog/advanced-open-water-diver/)


なぜか私は、ディープダイバー・スペシャルティコースを選択。つまり、深海まで潜らなければなりません。


(ディープダイバーコース概要

https://www.padi.co.jp/scuba-diving/padi-courses/course-catalog/deep-diver-course/)


完全にリサーチ不足で、自分には向いていない内容ばかりを選んでしまいました😭


最初の1回目、正直、楽しいより怖いが勝っていました。

どんどん深く潜るほど、あたりは暗くなり、昼か夜かもわからないくらい太陽の光が消えていく。

大きな亀が目の前を横切ったり、お魚たちがすぐ側を泳ぎ回ったりと癒される場面もあったけれど、「怖い」という感覚はなかなか消えませんでした。


そして、深海ダイブに欠かせないのが船での移動。

私は乗り物酔い知らずだったので余裕だと思っていたら…まさかの大波感覚の船移動🌊

これは想像以上にハードで、目的地に着くまでが至難の業。

海から上がってみんなで休憩していても、船の揺れを感じると何度も嘔吐😂


この時、初めて心の底から思いました。

「あぁ…私、向いてなかったんだなぁ」

そして、ようやく諦めがついた瞬間でした(笑)


それでも私は、「もしかしたらどこかに楽しさを感じられる一瞬があるかもしれない」と思って、最後まで頑張りました。

あの時の私はきっと、「二十歳であることの楽しさ」を全力で体験したかったのだと思います。


結果、コース途中で頓挫し、辞退することになりました。

でも、その時コーチが言ってくれた言葉は今でも忘れられません。


「よくここまで頑張ったね!まさか、あんなに泳げなかったのに、ここまで来られるなんて思わなかったよ。途中で辞退するのも、これは途中じゃない。あなたがここまで積み重ねてきた道のりなんだよ。この思い出を悲しみとして残すんじゃなく、努力できた場所だったって受け止めてほしい。こんな経験をさせてくれてありがとう。」


その言葉に、張り詰めていた気持ちがふっとほどけました。

「辞めること」じゃなく、「ここまで頑張れたこと」が私にとってのゴールだったんだ、そう思えたのです。


それ以降、私は友達の誘いや彼氏とのデートで、何度かスキューバダイビングを経験しました。

あの時の苦さを知っているからこそ、今はなぜか心が軽くなり、ただシンプルに海中での時間を楽しめるようになりました。

たくさんの距離を泳ぐことは今でもできないけれど、泳げない自分を責めることはなくなりました。


そして今思うのは、できないことややらないことをそのまま貫くよりも、もしかしたら何か自分のためになることがあるかもしれない。


例えば、それがわたしのように「苦手な泳ぎ」に少しだけ足を踏み入れてみるようなこと。

それが思いがけず新しい発見や、心地よい時間をもたらしてくれることだってある。


遠くの大海原を泳げなくても、足元の波に触れたり、砂浜を歩いたりするだけで十分だったりする。

そういう小さな挑戦の先に、きっと自分らしい楽しみが見つかるのだと思います。


だから、これからも「できない」を理由に諦めるより、

ちょっとだけでも挑戦してみる自分を大切にしていきたいです。


次の挑戦は娘が中学生になったら一緒にフィンランド留学へ行くこと!もしくはカナダ笑

1ヶ月でも2ヶ月でもいいから、親子留学をしたいのが私のお母さんになってからの夢です。

でもここも向いてる向いてないがあると思うので笑

まずは何度も住んだカナダを選んで、英語圏の環境を娘にも体験させてあげたいです。





「女風セラピストを育てるということ、男性用風俗とは違う講習の真実」

 

(導入)

 

「女風(女性向け風俗)」と聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのは、どこか華やかでキラキラした世界です。夜職ならではの雰囲気がそのイメージを植え付けているかもしれません。SNSには魅力的な告知文、整ったビジュアルの写真、笑顔での接客シーン、切り取られた断片だけを見れば、まるで舞台の上で輝く役者のように映ります。講師の中には、「性感もやってもらえるし、お金ももらえるし、イケメンにも会えるから講師やってます」という理由で始める人もいます。実際、そういう動機を持つ講師は決して少なくありません。ただそういった方はあくまでもこの講師という職業で長く現場で働けることができるかと問うと、正直厳しいこともあります。

女性用風俗の「女風セラピスト」は男性用風俗の「女性キャスト」と違い、講習目的において似通った部分と、まったくそうではない部分があります。似ている部分としては、どちらも「お客様に心地よい時間を提供する」という点です。外見や身だしなみへの配慮、会話力、距離感の作り方、雰囲気づくりといったスキルは、業種を問わず求められます。講習でも、笑顔の出し方や立ち居振る舞いといった基本動作から指導を行います。一方で、まったく異なる部分も多く存在します。
男性用風俗の女性キャストの場合は、性的魅力やビジュアルの訴求力が重視される場面が多いのに対し、女風セラピストの場合は、お客様の心身を安全かつ安心な状態で導くための専門知識と技術が必要不可欠です。
特に、女性特有の身体的・心理的デリケートな部分に配慮する必要があり、性感技術以上にカウンセリング力や観察力が問われます。

 

さらに、講習の目的も異なります。女性キャストの講習では主に「技術演出」や「接客の雰囲気づくり」に比重が置かれることが多いですが、女風セラピストの講習では「安全管理」「身体的負担の軽減方法」「トラブル防止のための対応」など、実務的かつリスク回避を前提とした内容が中心です。

つまり、表面上は似た接客業のように見えても、講習の中身や目的は大きく異なり、女風講師の育成にはより総合的な指導力が求められるのです。
要は「求められる技術と知識の幅が広すぎる」ということです。表面的には「華やかで自由」に見えるかもしれませんが、実際にこの仕事をしてみると、その裏側は驚くほど地道で、責任感と忍耐力が試される日々です。講師養成とは、単なる技術指導ではなく「人を育てる」ことだけでなく「お客様の安全」と「セラピスト本人の成長」という、二つの大きな責任を同時に背負う立場です。現場での一つの判断が、その人の今後のキャリアや店舗の信用を左右することもあります。

 

今回は、私が実際に講師を育てる立場として経験してきた中から、「女風講師を育てる仕事で大変なこと」を5つの視点からお話しします。

 

 


大変さ①:教える内容があまりにも多い

女風講師が教えることは、性感やマッサージ技術だけではありません。
ざっと挙げるだけでも

  • SNSでの集客ノウハウ(文章・写真・動画の作り方、発信タイミング)

  • お客様とのメールやDMでの文章の作法、ラリーのスムーズな運び方

  • 未経験の男性へのゼロからの接客・技術指導

  • 初対面のお客様の緊張をほぐすカウンセリング力

  • 第一印象を良くする姿勢、表情、立ち振る舞い

  • 触れる前に安心感を与える距離感の作り方

  • 衛生管理やリスク回避の知識

  • 接客後のアフターフォロー方法…などなど

現場では、これらを自然に、しかも同時並行でこなすことが求められます。
そして、これらを「教える」というのは、自分ができるのとは別の難しさがあります。

私も講師になったばかりの頃、長年の経験で無意識にやっていた動作を説明しようとしたら、セラピストに「それってどうやるんですか?」と聞かれ、思わず固まったことがあります。無意識にできることほど、言語化して伝えるのは難しいのです。

さらに、吸収スピードは人によって大きく違います。
同じ説明で1回でできる人もいれば、10回繰り返してやっと形になる人もいる。しかも男性は一般的に「察する」ことが苦手な場合が多く、言外のニュアンスはなかなか汲み取ってもらえません。だからこそ、何ごとも具体的に、かつ言語化して伝える必要があります。

 


大変さ②:人間関係とコミュニケーションの調整

講師養成は、単なる技術の指導ではありません。
相手が人間である以上、コミュニケーションの調整は避けて通れません。

  • 学びへの熱量や意欲が大きく違う

  • プライドが高く、素直に聞けない人

  • 自信がなく、手が止まる人

  • 表面上は平気そうに見えても、実は不安を抱えている人

たとえば、新人講習で「僕は大丈夫です」と口では言いながら、実技になると頭が真っ白になってしまう人が少なくありません。そういうときは、技術練習を中断してでも、まず緊張をほぐす雑談をしたり、呼吸を整える時間を取ることが必要になります。

距離感も難しいポイントです。
仲良くなりすぎれば甘えが出るし、厳しすぎれば心が離れます。私は「仕事中は講師とセラピスト」「休憩中は先輩と後輩」と明確に切り替えるようにしています。

 


大変さ③:安全管理とリスク対策

女性向けサービスは、他業種以上に安全への配慮が必要です。
衛生管理は当然ですが、メンタル面での安全も欠かせません。お客様は「安心して身を委ねられる空間」を求めています。

しかし、新人の多くは「やってはいけないこと」の線引きが曖昧です。軽い冗談がセクハラに取られたり、SNSの何気ない発言が炎上したりすることもあります。講師の役目は、そうした危険の芽を見つけたら、即座に摘み取ること。
講習中も候補生の発言や仕草を常に観察し、危うさを感じたらその場でフィードバックします。
この作業を怠ると、本人だけでなく、店舗全体の信用が一瞬で失われかねません。

 


大変さ④:講師自身の感情コントロール

人に教える仕事をしていると、「教えてもできない状態」が続く場面に必ず出くわします。
何度説明しても同じミスをされると、「大丈夫かな?」という不安と、「教えられない自分」という無力感が入り混じります。

私も最初の頃、この感情に何度も苦しみました。解決策は、感情と仕事を切り離すこと。深呼吸を1分だけでも挟むだけで頭がリセットされます。

そして「成長のスピードは人それぞれ」という前提を常に心に置いておくこと。この考え方を持てるかどうかで、講師を長く続けられるかどうかが決まります。

 


大変さ⑤:成果が見えるまで時間がかかる

技術や接客力の成長は、一朝一夕では身につきません。
特に女風業界では、セラピストにお客様から「初めての打診」が入るまでに数ヶ月かかることもあります。

以前、数ヶ月成果が出ずに落ち込んでいたセラピストがいました。
私は「〇〇くんの武器はここだから、今のうちに少しずつ磨こう」と励まし、改善点と良かった点をセットで伝え続けました。
数ヶ月後、そのセラピストが初めてリピート指名をもらった瞬間、一緒に喜びを分かち合ったあの感覚は、今でも忘れられません。

 


まとめ

女風講師を育てる仕事は、見えない部分に膨大なエネルギーを使います。
教える内容の多さ、人間関係の調整、安全管理、感情のコントロール、成果が出るまでの忍耐。

それでも続けられるのは、「教えた人が活躍する瞬間」に立ち会えるからです。感謝の言葉をもらえたその一瞬で、すべての苦労が報われます。

講師養成は、人を育てるだけでなく、自分も育てられる仕事。
大変さの中にある喜びを知ってしまったら、きっとこの仕事はやめられなくなります(笑)


自慢ではありませんが、私自身これまでのプレイヤー時代からエイズと淋菌以外のほぼすべての性病を経験し、全て完治してきました。

これまで多くの方から、こんな質問をいただいてきました。
「日常生活に支障はないんですか?」
「性病って、かかったときに自分で気づけるものなんですか?」

今回は、その中でも特に私が長い時間をかけて向き合ってきた
「梅毒の後遺症」について、少しお話ししたいと思います。


■ 梅毒の進行と後遺症の可能性


【第1期〜第2期(初期段階)】
•この段階で治療すれば、基本的に後遺症は残りません。
•皮膚や粘膜に、しこり・潰瘍・発疹などが出るのが特徴です。

【第3期】
•潜伏期を経て数年後、皮膚・骨・内臓に腫瘍のような病変(ゴム腫)が現れることがあります。
•変形や機能障害につながることもありますが、現代では稀です。

【第4期(晩期梅毒・神経梅毒)】
•発症から10〜30年後に起こり得るもの。
•主な後遺症には以下が含まれます:
•心血管梅毒(大動脈瘤・心臓疾患)
•脊髄癆(排尿障害・歩行困難など)
•進行麻痺(認知障害・性格変化・記憶力低下)
•視力障害や難聴(視神経・聴神経の障害)

【治療時の一時的反応】
•ヤーリッシュ・ヘルクスハイマー反応という一過性の発熱や筋肉痛もありますが、後遺症ではありません。


■ 私のケース:視力障害という後遺症

私自身は、第2期まで進行してしまったことで、実は症状がかなり悪化しました。約2年間にわたる通院と薬物治療を経て完治しました。

ただ、完治した今も、一つだけ残ってしまったものがあります。それが「左目の視力障害」です。第一期で完治していれば現代の医療でそこまで後遺症が残ることは珍しいです。しかし、私の場合、第二期でもかなり厳しい状態でした。完治まで時間もかかりましたし、歩行困難で約半年間は車椅子生活も送っていました。結論、人によって完治はしても尚、後遺症に苦しむ人がいるという結果です。

完治目の前で、ある日突然、左目だけが白くぼやけた視界に変わりました。人の顔もはっきり見えず、文字は滲んで読めない。慌てて眼科へ行った結果、こう診断されました。

「梅毒の後遺症による視神経炎」
と診断を受けました。


■ 梅毒によって起こりうる視力障害

以下は、梅毒に関連する主な視力障害です:
1.視神経炎
 ・視神経の炎症により、視力が急激に低下
 ・視野の一部が暗くなることも

        2.ぶどう膜炎(虹彩炎・脈絡膜炎)
 ・目の中の組織の炎症
 ・視力低下、充血、痛み、まぶしさなど

3.網膜炎・脈絡網膜炎
 ・光のちらつき、飛蚊症、視野のぼやけなど

4.視野欠損
 ・一部の視界が見えなくなる
 ・中心が暗くなる「中心暗点」など

私はこのうち、「視神経炎」に該当する症状です。いまも左目の視界が一部見えづらいままです。疲労困憊が続いた時は白く月のようなものが出て視界を阻めたりします。疲労やストレスが重なると症状が悪化し、身体の左側の感覚もズレるため、歩行のバランスも崩れ、左の靴だけ極端にすり減っています。
ただ、働き方や生活の負荷を見直したことで、
徐々に視界のもやは軽減し、文字も少しずつ読めるようになりました。ただ、いつどのタイミングで視力の悪化に繋がるか分からないこともあります。この10年で自分の身体の向き合い方がわかるようになったのも、この経験があってこそです。そんな事もあってか、家族内でコロナやインフルエンザが起きても私だけ陰性を貫いています、すごい👏笑


■ 性病と「無知」であることの怖さ

私はこの梅毒を、当時の彼氏から感染しました。風俗嬢を引退していたプライベートのタイミングでの出来事です。

当時は性病への知識や自己管理にも自信があり、慎重なタイプでした。だからこそ、まさか自分がと、強くショックを受けました。

あの時、もしもっと知識があったなら。
もしもっと敏感にリスクを想定していれば。
いまだにそう思うこともあります。


■ 性病を語ることは「不名誉」か?

プレイヤーを経験し、病気を経験し、後遺症と向き合いながらもいま、完治した健康な身体で、日々を大切に過ごしています。もちろん、他者に感染させたことも、この10年間一度もありません。娘も健康に育っています。

だけど、「後遺症」という言葉の裏側には、
「最大のコンプレックス」が残っています。

性病の話は、誰かに打ち明けるのも、相談するのも、いまだに難しい空気があります。だからこそ私は、この仕事を通じて、「無知であることの怖さ」を伝えていきたいと思っています。

私は医者でも性教育の専門家でもありません。
けれど、経験者として、「性病に対して偏見や誤解のない社会」に少しでも近づくよう、これからも自分の言葉で発信し続けていきます。


✅ 最後に伝えたいこと

•違和感を感じたら、すぐに受診すること
•自分の身体を守れるのは、自分だけだということ
•「性病」は恥じゃない。無知のまま放置することが、最大のリスクです。

そして、プレイヤーやセラピストという立場であれば、「責任を持って自己管理をする」ことは、絶対に外してはいけないルールです。

もしそれができないなら、仕事を続けるべきではない。
私はそう考えています。

何かひとつでも、誰かのためになれたら嬉しいです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


今回はご質問をいただいたのをきっかけに、自分の想いを綴らせていただきました☺️
(懐かしすぎる写真を添えておきます、ちなみにこのお花、合成って知ってました?笑)






「講師って本業なんですか?」
とよく聞かれることがあります。
今日は「もうひとりの私」として働く理由についてお話してみようと思います。




講師業は4年前に始めた当初からずっと本業として携わっております。

ただ、この仕事は月ごとの変動が大きいため、常時3〜5つの副業も並行して行っています。
関わるお仕事はすべて、自分の裁量で動ける内容と働き方にこだわって厳選しており、ほとんどがリモートワークです。そのため、外出する機会はかなり減りました🥹

もともと事務作業が好きなので、週1〜2日のペースでゆるやかに働いています。その他にも執筆関連などのお仕事もしてたり。

ただし、副業には一つだけ「マイルール」があります。それは 「電話応対の仕事は絶対にしないこと」 です(笑)

これは、本業以外で精神的・時間的な負荷をできる限りかけないようにするため。
というのも、私は自分に無意識に負荷をかけてしまうクセがあるので、接客や対人ストレスの多い副業はあえて避けています。

副業では「講師としての私」とは少し違う、もうひとりの自分として関わっています。
平気で上司に歯向かうし(笑)、基本的に群れない「一匹狼」タイプ。自分から染まりに行かず、でも来る者拒まず(笑)
これは全部、「かえで」という講師としての顔や、クオリティを守るためのバランスの取り方なんです。

とはいえ、仕事のルールはきちんと守るし、やるべきことは抜かりなくこなします。
やることをやったら、ささっと帰る。
時間管理には人一倍厳しくて、遅刻や残業は基本的に一切しないタイプです。
これは、講師業で培ってきた習慣そのままですね。
スキルアップの一環として「接客もいんじゃない?」と言われたこともありましたが、私にとっての接客スキルの向上は、本業(講師業)の中で十分に磨かれていると感じています。

だからこそ、副業ではあえて「対人関係のスキルアップ」とは切り離し、「裏方としてのスキルをどう活かせるか」「それがちゃんと対価として受け取れるか」という視点を重視しています。

具体的には、データ整理や事務処理、マニュアル作成、マーケティング補助など、縁の下の力持ちのようなポジションで働けることが、自分にとって一番心地よく、長く続けられると実感しています。なので講師を始めてから事務職のお仕事も実は同じ年数だけ関わっています。

もちろん、その働き方が講師というメインの仕事にも還元されるよう、全体のバランスを常に意識しています。

副業では「もうひとりの私」でいられることが、むしろ本業のパフォーマンスを保つ上でも欠かせないバランスだと感じています。

講師として人前に立つときの私は、いつでも真摯に、誠実に、その場を仕切る立場としての責任を全うしています。ただ、その一方で、常に人前に出続けたり、人の感情に触れ続けることは、決して軽いことではありません。お仕事が終わったらいつだって「母としての一面」にも戻らないといけないので、実は想像以上に振り幅が大きかったりします。

だからこそ、裏方として静かに取り組める仕事が、自分にとっては「呼吸を整える時間」でもあり、講師という立場を長く続けるために必要なリズムなんです。

「かえで」という講師名を掲げてから、もう4年。おかげさまで様々なご縁に恵まれて、たくさんの方に講習を届けることができました。

そしてこれからも、変化していく環境や価値観に合わせて、自分の働き方も柔軟に調整しながら、より良い講習・より良い関わり方を探していけたらと思っています。



誰にも言えないセックスレス…夫婦で向き合う一歩って?

 

(女性用風俗講師が語る、夫婦生活と心の距離の整え方)


「私たち、もうどれくらい触れ合ってないんだろう…」
ふとカレンダーを見ながら、心がズキッとすることはありませんか?

結婚して何年も一緒に過ごしてきたのに、気づけばレスになっていた。
旦那さんを嫌いになったわけじゃない。むしろ愛情はある。
でも、夜の時間だけはなぜか避けてしまう…。

実は、これは珍しいことではありません。
厚生労働省や調査機関のデータでは、結婚10年以上の夫婦の半数以上がセックスレスと言われています。
でも、どこかで「うちだけかもしれない…」「誰にも相談できない」と孤独に抱え込んでしまう女性が、とても多いんです。


💡 セックスレスは「心が離れている」わけじゃない

まず最初にお伝えしたいのは、セックスレス=愛情がないわけではない、ということ。

私自身、女性用風俗で講師として多くの女性の話を聞いてきました。
そこで見えてきたのは、レスになる理由が「冷めたから」ではなく、むしろふたりが頑張ってきた証拠というケースも多いということです。

  • 出産後、育児に追われて夜の余裕がなくなった

  • 共働きで疲れ切って、スキンシップまで気が回らない

  • 子ども中心の生活で、夫婦だけの時間が消えてしまった

  • 二人きりの環境を作るだけでもすぐに実践できないこともある

  • 体型や加齢による変化で、女として見られるのが怖くなった

これらはどれも、愛情が消えたからではありません。
むしろ、家庭や子育て、仕事を守るために必死で頑張ってきた結果です。


💌 「触れたいけど触れられない」女性たちの本音

女性のお客様が口を揃えて言うのは、
「本当は旦那さんともっと仲良くしたい」
「触れられたら嬉しいのに、タイミングが分からない」
という声。

でも、夫婦の間に「気まずい空気」ができてしまうと、ますます話しづらくなります。

  • いつからこうなったんだろう?

  • どう切り出せばいいか分からない

  • 「また拒まれたらどうしよう」と思うと余計に動けない

こうして、会話のないまま時間だけが過ぎていく…。
このサイクルが続くことで、愛情があるのに「女として見られてない気がする」と孤独になってしまうのです。

あぁ、、なんだか私自身の過去まで思い出させてしまいます😢


👩‍🏫 女性用風俗講師だからこそ見える「夫婦のズレ」

私が講師としてセラピストに指導する中で、たくさんの女性のお客様のリアルな声を聞きます。

「旦那は優しいけど、女として扱ってくれない」
「スキンシップが減って、たまに触れられても全くドキッとしない」
「誘い方が下手で、気持ちが萎えてしまう」

これらは、単なるテクニックの問題ではありません。
実は、【夫婦間の「認識のズレ」から生まれるもの】がほとんどです。

夫婦のズレ例

  1. 男性は「しているつもり」でも、女性は受け取れていない

    • 「ハグしてるし、スキンシップある」と思っていても、女性からすると雑で愛情を感じない

  2. 女性の不安や恥じらいに、男性が気づけていない

    • 体型変化や年齢の悩みを理解せず、突然求められても受け入れられない

  3. 会話が減って、セックスが「イベント化」している

    • 普段のスキンシップが少ないから、急にベッドに誘われても気持ちが追いつかない


✨ じゃあ、どうすれば夫婦で距離を縮められる?

ここで必要なのは、「夜をうまくやる技術」ではありません。

  • 普段から気持ちを話せる空気

  • 触れ合うことに安心できる雰囲気

  • 子育てや家事を頑張ってきた自分を「女」として見てくれる目線

これらを取り戻すだけで、夫婦の夜の距離感は大きく変わります。

でも、問題は…
それを夫婦だけでやろうとすると、すごく難しいということ。

男性自身、察するのは生物的にも苦手なタイプがとても多く、

反対に女性は「察してほしい」「言わなくてもわかってほしい」

という気持ちが強く、
結果的に夫婦ですれ違いが起きやすくなります。


🛋️ 夫婦で受ける「性のカウンセリング」という選択肢

私は今、女性用風俗講師としての経験を活かし、
夫婦が一緒に受けられる性のカウンセリングを準備しています。

これは、テクニックを学ぶ場ではありません。

  • 夫婦で「どうしたらお互いに心地よく触れ合えるか」を話し合う時間

  • 子育てや生活の変化でできた「距離」を、安全な場所で埋めていくサポート

  • 女性目線で、旦那さんに分かりやすく「こうすると安心できるよ」と伝える役割

たとえば、こんな悩みの方に向いています:

  • 「セックスレスを解消したいけど、何から話していいか分からない」

  • 「子育てが落ち着いて、もう一度夫婦で恋人みたいに仲良くしたい」

  • 「同じベッドにいても、気づけばスマホばかり。どうやって触れ合えばいい?」

  • 「夫が悪いわけじゃないけど、女として見てもらえてない気がする」


💡 実際に多い夫婦の変化

過去に女性側だけが相談に来られたケースでは、
「家に帰ったら旦那が以前より優しくなった」
「私が(触れられても大丈夫だよ)って空気を作れるようになった」
といった変化がありました。

これを夫婦で一緒に受けることで、さらにスムーズに心が通いやすくなると感じています。


🌱 マンネリや子育てを乗り越えて、もう一度恋人みたいに

セックスレスやマンネリは、誰のせいでもありません。
むしろ、長く一緒にいるからこそ起きる自然な流れです。

でも、それを「仕方ない」と諦めてしまうのは、あまりにももったいない。

  • 10年前に感じたドキドキを、もう一度思い出す

  • 「女」として見られている安心感を取り戻す

  • 子育てが落ち着いたあと、また恋人のようにデートできる

そんな未来をつくるために、
夫婦で向き合う一歩を踏み出すサポートが、これからできればと思っています。


もしこの記事を読んで、
「うちも夫婦でカウンセリングを受けてみたい」
「一度話を聞いてみたい」
そう思ってくださった方がいたら、
ぜひこのブログをフォローして、続報をお待ちください夫婦の悩みを「恥ずかしいこと」にしないで、
ふたりの未来を一緒に育て直す時間を作りましょう✨

なんと!

前回の更新から、もう2か月近く経ってしまいました…(笑)

アメブロの投稿にはまだ慣れていませんが、こちらも少しずつ更新できるよう、意識的に頑張っていこうと思います。というのも、noteの方はわりと頻繁に更新できているぶん、アメブロの存在をつい忘れがちで…(言い訳です笑)

せっかくなので、noteには投稿していないネタを、こちらに初めて載せてみますね。

今回は、「わたしが女風ユーザーになった出来事」についてお話ししたいと思います。

 

 

 

 

かれこれ4年前にさかのぼります。

まだ娘は小さく、名古屋は私にとって地元ではなかったため、家族に頼れる環境もありませんでした。そんな中、初めての子育てとフルタイム勤務。朝7時には家を出て、19時に帰宅する毎日…。心身ともに限界を感じる日々でした。

それでもなんとか頑張っていたのですが、パートナーはというと、育児や家事を避けるように仕事に没頭し、やがて休日すら家族と過ごさなくなっていきました。完全なワンオペ育児に疲弊しながら、「もう旦那がいない方が、子どもと自分だけで割り切って生活したほうが楽なんじゃないか」と感じるようになっていました。

 

 

 

日々、感情の吐き口が見つからず、慣れない土地での生活は本当にしんどかったです。夫婦の距離はますます開き、会話も性生活も自然に減っていきました。「たまには子どもを預けて、2人で出かけない?」と勇気を出して誘っても、毎回きっぱり断られました。私は、どんどん旦那に「無視されているような感覚」に陥っていったんです。

そんな中で、私は「妻」や「母」ではない、「ただの私」としての存在を誰かに認めてほしいと思うようになりました。浮気や不倫に興味はなかったので、単純に「添い寝彼氏」や「レンタル彼氏」のようなサービスに惹かれるようになっていきました。

 

 

もともと風俗嬢だったので、男性版サービスの存在は知っていました。でも、合コンやホストにも行ったことのない私には、やっぱり少し不安や心配も当然ありました。そんな時に目にしたのが「女性用風俗」でした。正直、お茶だけでも十分だったのですが、いろんなコースや口コミを見て、「この人にしよう!」と決めたあとはとても早かったです(笑)

行動力だけは人一倍あるので、悩むより体験してみて、合うかどうかを判断しようと考えました。実はそこまで期待していなかったのも、逆によかったのかもしれません。もちろん、写メ日記は過去分まで遡って読み、口コミもすべて確認しました。「この人がどんな人か?」をかなり分析して選んだので、「もし違ったら、それは私に見る目がなかったということ」と、ある種の覚悟もしていました。初めてセラピストさんに会った日のことは、今でも鮮明に覚えています。なぜなら、その人が私の人生を変えてくれたからです。

 

 

大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそう思っています。

その人の考え方や哲学が私の心に深く刺さったのはもちろん、「風俗の仕事への理念」が自分と重なったことも大きかったのだと思います。「彼のようなセラピストが増えたら、私のように救われる人もきっといるはず」
そう強く感じるようになっていきました。そして、セラピストの役割を知るうちに、「この仕事を教えてあげる人がいたら」「本質を言語化できたら」…と考えるようになり、自然と「女性用風俗の講師」という道を意識するようになっていきました。

そう思い始めたとき、私自身の在り方も変わっていきました。

「教える立場になるなら、今のままではダメだ」
そう明確に感じて、思い切ってフルタイム勤務をやめ、パート勤務に変更しました。

そこから期間限定で「メンズエステ」の仕事を始めました。
「講師になるなら、接客だけでなくオイルマッサージも教えられないと」と思い、風俗の仕事も久しぶりに再開しました。

 

 

女風を利用して1か月も経たないうちに、私はいくつもの「賭け」に出ました。

まず、夫に伝えたのが「離婚したい」という気持ちでした。娘のために夫婦でいることを選んできたけれど、解決の見込みがないと判断し、自分の意思で伝えました。そこからは生活費も分け、頼らずに生きる道を選択。託児所に娘を預け、夜はメンズエステ、朝は娘を保育園に送り届け、そのままパートへ出勤。睡眠時間なんてほとんどない日々でしたが、「絶対に講師になって、子どもを養っていく」その思いだけを胸に、静かに情熱を育てていました。

 

 

そして、初めて女風を利用してから半年後、無事に講師としてデビューできました。

その頃には、すでにメンズエステで生活できる収入も確保できていたので、講師業を始めたと同時に夫と離婚し、娘と2人で暮らすために引っ越しました。そこからはあっという間に、メンズエステではなく講師として生計を立てられるようになりました。

私の人生は、あの日出会ったセラピストさんとの出会いをきっかけに、大きく動き出しました。

あの一歩がなければ、今の私はきっと存在していなかったと思います。もちろん、そこに至るまでのすべての選択は、自分で決めてきたことです。

だからこそ、今後どんなに悲しいことやつらいことがあっても、あのセラピストさんや、「女風」というサービスを恨むことは絶対にありません。この職種は、すべての人から理解や賛同を得られるものではないかもしれません。でも、たしかにこのサービスのおかげで、一人の人生が大きく変わったという事実があるのです。そのことだけは、どうか知ってもらえたら嬉しいです。

 

 

 

もし私が、あのとき夫との生活に何の不満も感じていなかったら…
もし私が、あのセラピストさんと出会っていなかったら…
もし私が、あの日「女風」という言葉に出会わなかったら…
そして、もし「女風」というサービス自体が存在していなかったら…

 

 

そのどれか一つが欠けていても、今の私はいません。

すべての出来事が、絶妙なタイミングで重なってくれたからこそ、私の【生き方】も【考え方】も、大きく変わるきっかけになったのです。

 

 

これから女風を利用する誰かにとっても、それが「自分にとっての目覚め」や「前向きなきっかけ」となるような、そんなタイミングが訪れることを、心から願っています。


今年に入ってから、Muniの講師の皆さんにも講習の仕事をお願いするようになり、いよいよ本格的に「講習派遣会社」としての業務が確立しはじめています。

ずっと開けることのなかった「講師のポスト」。
この1年は何度も窮地に立たされながら、何度もその壁を越えてきました。
だからこそ、長い間ひとりで講習を担当しながら、少しずつ「第二のかえで」を育てる準備を進めてきました。

今日は、そんな今だからこそ話せる「私の胸の内」を綴らせてください。






私はもともと4年前、大手の女性向け風俗店で専属講師として1年間在籍していました。その経験を活かして、フリーの講師として独立することはある程度想定していた未来で、あの1年間があったからこそ、次のステップに踏み出せたのだと思います。

そこから1年、「女風講師かえで」として全国を回り、セラピストだけでなく「一般の男性」に向けても性教育の指導を始め、私の中の“講師としての未来予想図”はどんどん膨らんでいきました。自分にとっても、とても充実した1年でした。

でも、講師3年目にして、大きな壁にぶつかりました。それが「家族との別れ」でした。

私を取り巻く環境がどんどん変化し、この仕事を続けていくには「いずれ何かを選ばなければならない」ことを悟りました。

そこから法人化の準備を始め、ようやく1年が経ったいま、Muniとして講師を派遣する体制が整いました。
もちろん、家族との別れもその大きな理由のひとつでしたが、実はもうひとつ、きっかけとなった出来事がありました。

それは、離婚後ずっとお世話になっていた託児所の突然の閉業です。

その託児所は、私にとって単なる保育施設ではありませんでした。当時、離婚と同時に独立した私はまだ小さい娘をなんとか養うために無我夢中でした。実家も離れて家族に頼ることができない環境で、講師という仕事柄、急な依頼や出張、深夜まで続く実技講習などもある中で、あの場所は「どんなときも子どもを安心して預けられる、たったひとつの居場所」でした。連泊にも対応してくれるその環境があったからこそ、私は母として、そして講師としての仕事を両立できていたのです。

だから、閉業の知らせを聞いたとき、心の支えを突然失ったような大きな喪失感に包まれました。何かが崩れた、というよりも、「支えがなくなった現実」に直面した感覚でした。

どうしても理由が知りたくて、園長先生に失礼を承知でお尋ねしました。
先生はこうおっしゃいました。

「このサービスは私がひとりで運営してきたの。手伝ってくれる先生はたくさんいるけど、経営や運営は私にしかできないやり方で30年間やってきた。来月から家族の介護が必要になってしまって、本当にママたちには申し訳なく思ってる。力及ばずで、本当にごめんなさい」

その言葉に、私ははっとしました。

「……まるで、自分の未来を見ているようだ」と。

私がこれまで築き上げてきたものも、誰にも継がせないまま終えてしまったら、いつか自分で“締める”日が来るのかもしれない。それは、うまくいっている今だからこそ見落としてしまう落とし穴でした。

世の中は人手不足。私のような働き方にも、そう遠くない未来に“限界”がくるかもしれない。そう思ったとき、私は決めました。

「私ひとりに頼らない仕組みを作ろう」と。

私が動けないとき、別の誰かが講習に出られる体制。そして、セラピストや一般男性の学びが途切れないよう、継続できる“新たな性産業であり、性教育の形”。さらにもう一つ。この仕事を辞めたあと、たとえばセカンドキャリアとして「講師」という選択肢があったら救われる女性がいるかもしれない。そう初めて思いました。   






託児所が閉園した翌月、父が急逝しました。
その翌月、人生と向き合うために「法人設立」に踏み切りました。
そして半年後、私は子どもと別居し、この仕事に本気で向き合うために家族から3年間の猶予をもらいました。

すべての出来事は、決して簡単な選択ではありませんでした。でも、あのときの痛みも揺らぎも、今こうして誰かにバトンを渡せる体制を作るための、必要なプロセスだったと今なら思えます。

Muniの講師派遣が、誰かにとっての新しい選択肢になりますように。
そして、講師という生き方が「未来をつくる仕事」だと知ってもらえますように。