今年に入ってから、Muniの講師の皆さんにも講習の仕事をお願いするようになり、いよいよ本格的に「講習派遣会社」としての業務が確立しはじめています。

ずっと開けることのなかった「講師のポスト」。
この1年は何度も窮地に立たされながら、何度もその壁を越えてきました。
だからこそ、長い間ひとりで講習を担当しながら、少しずつ「第二のかえで」を育てる準備を進めてきました。

今日は、そんな今だからこそ話せる「私の胸の内」を綴らせてください。






私はもともと4年前、大手の女性向け風俗店で専属講師として1年間在籍していました。その経験を活かして、フリーの講師として独立することはある程度想定していた未来で、あの1年間があったからこそ、次のステップに踏み出せたのだと思います。

そこから1年、「女風講師かえで」として全国を回り、セラピストだけでなく「一般の男性」に向けても性教育の指導を始め、私の中の“講師としての未来予想図”はどんどん膨らんでいきました。自分にとっても、とても充実した1年でした。

でも、講師3年目にして、大きな壁にぶつかりました。それが「家族との別れ」でした。

私を取り巻く環境がどんどん変化し、この仕事を続けていくには「いずれ何かを選ばなければならない」ことを悟りました。

そこから法人化の準備を始め、ようやく1年が経ったいま、Muniとして講師を派遣する体制が整いました。
もちろん、家族との別れもその大きな理由のひとつでしたが、実はもうひとつ、きっかけとなった出来事がありました。

それは、離婚後ずっとお世話になっていた託児所の突然の閉業です。

その託児所は、私にとって単なる保育施設ではありませんでした。当時、離婚と同時に独立した私はまだ小さい娘をなんとか養うために無我夢中でした。実家も離れて家族に頼ることができない環境で、講師という仕事柄、急な依頼や出張、深夜まで続く実技講習などもある中で、あの場所は「どんなときも子どもを安心して預けられる、たったひとつの居場所」でした。連泊にも対応してくれるその環境があったからこそ、私は母として、そして講師としての仕事を両立できていたのです。

だから、閉業の知らせを聞いたとき、心の支えを突然失ったような大きな喪失感に包まれました。何かが崩れた、というよりも、「支えがなくなった現実」に直面した感覚でした。

どうしても理由が知りたくて、園長先生に失礼を承知でお尋ねしました。
先生はこうおっしゃいました。

「このサービスは私がひとりで運営してきたの。手伝ってくれる先生はたくさんいるけど、経営や運営は私にしかできないやり方で30年間やってきた。来月から家族の介護が必要になってしまって、本当にママたちには申し訳なく思ってる。力及ばずで、本当にごめんなさい」

その言葉に、私ははっとしました。

「……まるで、自分の未来を見ているようだ」と。

私がこれまで築き上げてきたものも、誰にも継がせないまま終えてしまったら、いつか自分で“締める”日が来るのかもしれない。それは、うまくいっている今だからこそ見落としてしまう落とし穴でした。

世の中は人手不足。私のような働き方にも、そう遠くない未来に“限界”がくるかもしれない。そう思ったとき、私は決めました。

「私ひとりに頼らない仕組みを作ろう」と。

私が動けないとき、別の誰かが講習に出られる体制。そして、セラピストや一般男性の学びが途切れないよう、継続できる“新たな性産業であり、性教育の形”。さらにもう一つ。この仕事を辞めたあと、たとえばセカンドキャリアとして「講師」という選択肢があったら救われる女性がいるかもしれない。そう初めて思いました。   






託児所が閉園した翌月、父が急逝しました。
その翌月、人生と向き合うために「法人設立」に踏み切りました。
そして半年後、私は子どもと別居し、この仕事に本気で向き合うために家族から3年間の猶予をもらいました。

すべての出来事は、決して簡単な選択ではありませんでした。でも、あのときの痛みも揺らぎも、今こうして誰かにバトンを渡せる体制を作るための、必要なプロセスだったと今なら思えます。

Muniの講師派遣が、誰かにとっての新しい選択肢になりますように。
そして、講師という生き方が「未来をつくる仕事」だと知ってもらえますように。