どうも、僕です。
例えばあなたの、
「お金が欲しい」というのは、『欲望』か、『渇望』か。
『欲望』が純粋に欲するものなら、
『渇望』というのは、いわゆる「無い物ねだり」みたいなこと。
かもしれない。
お金に固執している自分に気づいた時、
その内側にある、『渇望』に目を向けてみるといい。
あなたは、本当は何に『渇望』してたんだろう。
例えばそれは、
お金を通して、
「私はたっぷりと愛情を注がれ無かった」という『無い』を感じたから?
お金を通して、
「この世界の人間は私に優しくしてくれ無かった」という『無い』を感じたから?
実はあなたは、
「お金が無いから欲しい」よりももっと奥にある、
お金が無いと感じた経験から、
あなたが一番悲しみを感じた、
『無い』
を渇望しているのです。
僕は比較的お金に対する執着は少ないと自覚しているけど、
それはたくさんのお金が手に入ることよりも、
お金が安定的に入ることを求めているから、
そう見えるだけ。
僕のお金に対する『渇望』は、
「安定」につながっているんです。
「安定している自分」=「いい子でいることの証明」であり、
「安定していない自分」=「いい子で『無い』」に、
つながっている。
それが怖いから、『渇望』している。
だから、
人に見せびらかすためにたくさん稼ぐことよりも、
失敗せず、路頭に迷わないことの方が
自分の中で優先されていることに、気づく。
あなたが今欲しいものの裏にも、
あなたが一番悲しみを感じた
『無い』への『渇望』が、
しっかりと隠れているのかもしれないね。
合わせて読むと、腑に落ちます。