どうも、僕です。

 

 

 

これは読んで。

 

今よくわかんなくても、

 

いつか、

「ああ、あの事だったのか。」

って、気づくと思うから。

 

 

 

 

 

 

○‥・・・・・・・・・・‥○

”在る”の否定

○‥・・・・・・・・・・‥○

 

 

全ての悩みは、

”在る”の否定から始まる。

 

 

 

いろんな”在る”の否定。

 

 

 

 

 

そしてその根底に、

 

 

私という”存在”の否定。

が、あるのだ。

 

 

 


 

 

 

人に認められたい

 

 

人の目が気になる

 

 

人になんか言われるのが恥ずかしい

 

 

仕事がやめられない

 

 

好きでもない彼と別れられない

 

 

私に合う仕事なんてない

 

 

いつも私は怒られる

 

 

いつも私はうまくできない

 

 

私は頑張らないと生きていけない

 

 

 

「悩み」というのは、根っこにある

”私という存在の否定”

から生えた木々の枝葉。

 

 

”存在の否定”という根っこから、

すくすく育った「悩み」の枝葉を

いくら切り取っても、

また次の枝葉が生えてくるだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○‥・・・・・・・・・・‥○

『依存』について

○‥・・・・・・・・・・‥○

 

 

私が私の”存在”を、

否定しているとどうなるか。

 

 

 

 

 

 

 

「私は存在してはいけない。」が、前提である。

 

 

私が存在するためには存在許可が必要である。

 

 

存在許可を得るための行動。

・我慢する

・子供を演じる

・自分の本音を言わない

・服従する、従順でいる

などなど。

 

 

一瞬、存在許可を得られた感覚になる。

 

 

でも、私の前提は、

「私は存在してはいけない」だから、

存在許可の有効期間はすぐ切れる。

 

 

次に存在許可を出してくれる人、物を探す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを、『依存』という。

 

 

 

『依存』とは、

私の”存在”そのものを、

何かや誰かに依る(よる)こと。

 

 

 

何かや誰かに『依存』するのは、

私が私の”存在”を、否定しているから。

それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

○‥・・・・・・・・・・‥○

私に必要なもの

○‥・・・・・・・・・・‥○

 

 

必要な『依存』というのはあるのだろうか。

答えは、”無い”だ。

 

 

 

 

必要な『依存』というのは無い。

 

それが必要と思っていることが、『依存』なのであって、

必要な『依存』というのは、無い。

 

 

 

「それでも私は私の存在を否定してしまいたくなります。」

 

 

 

うん。それは、わかる。

 

 

必要と思っていることが、『依存』なのであって、

 

でもそれは、これに気づくのに、時間が必要ってだけの話だ。

 

 

 

 


 

過去の体験、

過去歩んできた時間が、

私の”存在”は、否定されてしかるべきという

《前提》を作ったのなら。

 

 

その《前提》はもう必要ないと”気づく”ために、

時間は必要かもしれないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○‥・・・・・・・・・・‥○

『受容』について

○‥・・・・・・・・・・‥○

 

 

私の”存在”とは、

ただ”在る”のであって、

 

何かや誰かに許可されたり

何かをクリアしたら承認されたり

そういう、条件付きの類のものじゃない。

 

 

 

 

 

ただ、”在る”のだ。

 

 

 

ただ、”在る”を、

ただ、”在る”がままに、受け入れることを、

『受容』という。

 

 

 

 

『受容』とは、

この世で一番の優しさである。

 

 

 

この世で一番の優しさに近いものを、

『愛』と呼ぶのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○‥・・・・・・・・・・‥○

『否定』や『肯定』

○‥・・・・・・・・・・‥○


 

 

『否定』『肯定』は、

ときに”存在”そのものを薄くする。

 

 

 

『否定』『肯定』をするとき、

大概、”その物事そのもの”を受け入れるよりもまず、

 

・それが良い悪いか、

 

・それが合ってる間違ってるのか、

 

・それが正解不正解か、

 

そういう二元論の話をしているからだ。

 

 

 

 

それが、その物事、

その”存在”そのものを、薄くしていく。

 

 

 

 

それが私に関する物事なら、

それはつまり、

 

 

私の”存在”そのもの、を薄くしていく、

 

薄れさせていく、

 

忘れさせていく。


 

 

 

 

 

 

 

 

○‥・・・・・・・・・・‥○

忘れたら思い出す

○‥・・・・・・・・・・‥○

 

 

忘れたら、また思い出せばいいのだ。

 

 

私という存在は、ただ”在る”のだ、と。

 

 

あの人という存在も、ただ”在る”のだ、と。

 

 

目の前の物事も、ただ”在る”のだ、と。

 

 

 

 

 

それを『否定』したり『肯定』したりする生活の中で、

その存在そのものが、

ちょっとだけ薄れただけだ、と。

 

 

 

それでも私は、ただ”在る”のだ、と。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の”悩み”の話は、

それを思い出してからでも遅くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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