僕の鎖骨の左側には、大きなホクロがある。

 それは、普通に生活をしている時には襟にぎりぎり隠れてしまうような場所にあり、自分で襟を直したりしないとそれは見える位置には来ない。ただの点のようなホクロではなく、触ると少しだけふくらみがある事に気付けるようなサイズのものである。やわらかくなったカサブタのような触感だと想像して頂けると正しい。このホクロ、僕の男友達には『スイッチ』と称され、ある女友達には『エロい』と言われた事がある。鎖骨のホクロ以外にも、アヒル口、二重の目など、女の子が欲しがりそうなパーツはいくつか持っているが、結局僕のチャームポイントを上げろと言われたらこの『鎖骨のホクロ』になるのだと思う。

 さあ、ここまで読んだ女性諸君はどう思っただろう。僕の鎖骨のホクロを見た事が無い人は『そんなに言うんだったら見てやるか』、見た事がある人は『やわらかくなったカサブタって何だよ』と思って頂けただろうか。そんなあなたはこの瞬間、知らず知らずのうちに『鎖骨フェチ』への第一歩を踏み出している。

 

 フェチズムとは、簡単に言うと物に対する性的嗜好の事である。現在の日本で言われる『フェチ』は厳密にいえば本当の意味とはズレているのだが、ここでは便宜上日本で認知されている『フェチ』の意味を用いたいと思う。ざっと検索しただけでも、フェチズムの対象はとにかく多岐にわたる。服装や状態に対してなど、ざっと見ただけでも自分には到底手が届きそうもない性的嗜好があるのだと驚くばかりだ。しかし、何故か全て、『こんなのが好きな人もいるんだなー』という僕の想像の域を超える事は無い。『このフェチズム絶対にあり得ない!』と思うものは、驚くほど少ない。



 そこでみんな、この画像 を見てほしい。こいつをどう思う?

 一応画像の内容を文章で説明すると、冬場マフラーを巻いた事によって、持ち上げられて膨らんだ髪に『えんぺら』と名前を付けよう、というものだ。漫画家の刻田門大さんがツイッターで画像を上げた所、思いのほか反響があったようだ。

 僕はここで、『えんぺら』の良さを声を大にして伝えたいのではない。重要なのはこの髪のふくらみに名前がついて、認識されるようになったという事だ。つまり、この瞬間にえんぺらにもフェチズムの可能性が芽生えたのである。この画像を見た我々は、街中の女性が作っている例の髪のふくらみを何の気なしに見る事になる。しかしその認識がそのうち習慣になり、ミニスカの女子を見る感覚でえんぺら女子を見る時が来るかもしれない。あの髪のふくらみを指で触りたいと思うかもしれない。そうなったら、あなたはもうえんぺらというフェチズムに取り込まれているのだ。



 フェチズムが個人で発生する時、その根元にあるのは恐らく『気にする事』なのだと思う。女性の脚などは、一般的に認知されているものであるから、『脚の良さ』を主張する人間は多い。まだ脚に対するフェチズムに目覚めていない人間は、そんな人もいるんだなあと思いながら、街行く女子高生のミニスカートから伸びる脚を見ている。これを繰り返す事によって、いつか『気が付いたら目に入る』ようになるのだ。これが、『フェチズム』が起こる正体なのではないかと僕は考えている。フェチズム以外にも、嫌いな人の嫌いな部分や、テスト中に隣の人が立てる物音などは、全て『気にする事』が発端になり、いつの間にか意識に刷り込まれてしまうものだ。フェチズムも同じで、気にするようになった時には既に刷り込みが始まっているのだ。



 つまり僕が声を大にして伝えたい事は、僕の鎖骨の左側には大きいホクロがある、と言う事だ。

答えになってないけど1番正解に近い




女王「鏡よ鏡よ鏡さん、この世で1番美しいのはだあれ?」
魔法の鏡「女王様、あなたはとても美しい。けれども、森に住む白雪姫はその千倍も美しい。」

アシタカ「ヒイ様、あのタタリ神はどこからやってきたのでしょう?」
ヒイ様「占いによれば、かのシシは遥か西の土地からやって来た。深傷の毒に気ふれ身体は腐り走り来るうちに呪いを集めタタリ神になってしまったのだ。西の土地で何か不吉なことが起こっている。」

現代人「グーグルさんグーグルさん、この世で1番美しいのはだあれ?」
グーグル「えーー??そんなこと訊かれてもマジ困るんスけど。それって結局人の好みの問題でしょ?世界3大美女はクレオパトラと楊貴妃と黒木メイサだっけ?あ、美しすぎるスパイならロシアにいるよ。あとAKBならやっぱあっちゃんでしょー。君そもそも美人派?可愛い派?年上年下どっちが好き?その辺ハッキリしてくんないとさ。そうそう、見た目じゃなくて、性格がいいのが1番って意見もあるよ。ほら、植村花菜のトイレの神様?家事と料理がきちんと出来る子っていいよね!ていうか案外女装した男の方が綺麗だから見てごらんよ!ホラ画像!…まぁなんだかんだ美人は3日で飽きるけど、ブスは慣れるって言うし…あれ?なんか話ずれた?ていうか質問なんだっけ?」
現代人「……もういい、質問変える。今年の俺の運勢ってどうなんですか?」
グーグル「うーーーん君それどれで占いたい?誕生日?星座?細木数子だと今年は大殺界でいいこと無しだねー残念!でも新宿の母は今年から仕事がどんどん良くなるって!よかったね。それとあと…え?沢山ありすぎてわからない?どれが本当か?どれも本当だよ失礼だな。後は君がどれを信じたいか、でしょ。納得できないならもっと検索してごらんよ、ホラホラ!」
現代人「……それじゃあ…」

エンドレス。


(魔法の鏡に話かけるのと、ケータイで検索する姿ってなんか通じるものがあるよね。)


僕は君をどんなふうに処理すればいいのだろう

昨日はあんなに幸せだったのに

変わらないものなんて無いんだ

味覚を失っていくこの舌の根が乾かぬうちに

僕はなんてことを口走ってしまったのだろう

今度はちゃんといい子で居られる気がしたけど

総てをぶちまけてしまいたい衝動を抑えるのに必死で

結局僕は何も変わらない


僕はどうしたら元のかたちに戻れるのだろう

誰かの優しさを食べても吐きだすだけで

結局何も呑み込んでいやしないんだ

今更消えていく記憶を掻き集めても

抱きしめる余裕もないくせに どうして

まだ僕は君からの合図を待っているのだろう

淡い期待を振り切るように走り出す

本当は明日も君に会いたい





(むらまつに無感の主人公の独白みたいって言っていただけたので、

折角なのでこの詩は大竹監督にささげたいと思います^^)


どうも、やまきです。

久しぶりに詩(みたいなもの)を書いてみました。

うん。なんかもう意味わかんないよねーていう。

なんか私が文章を書くとどうしても暗い感じになってしまいますが

普段はそんなことないですよ!断じて!^^

今後ともよろしくお願いします。ではー

はじめまして。WSは不参加の村松です。

「批評・エッセイを書く」といっときながらいきなり映画レビューです。

ごめーん(´□`。)


June 12 1998ーカオスの縁ー

1998年/65分/DV/カラー
監督:青山真治
音楽:長嶌寛幸
出演:クリス・カトラー
ヘンリー・カウのドラマーとして活動を開始し、以後アヴァンギャルドの最前線をひた走る音楽家にして、レーベル主宰者、また音楽批評家(『ファイル・アンダー・ポピュラー~ポピュラー音楽を巡る文化研究』)でもあるイギリスのミュージシャン、クリス・カトラーのライヴ・ドキュメンタリー。1998年6月の来日の際の、カトラー初のソロ・ライヴの模様、リハーサル、およびインタビューで構成されている。




北仲スクールのイベント「ボックスオフィスの彼方に」  にて見てきました。

青山真治監督の映画をみたのは「こおろぎ」以来1年ぶり2作目。あのときは (  ゚ ▽ ゚ ;) しかなかったけど今回はドキュメンタリーだったのでそこまで?とはいかず。

台詞はクリス氏のインタビューと彼の紹介ナレーションのみ。リハの映像もあるけどスタッフと会話せず、ずっとクリフが調整しているだけ。ただ雑音として誰かがしゃべってるのは聞こえる。日本語英語まじり。

最後は彼の本番なんだけど、ずっと演奏しているだけ。喋らず。

この上映の後、作品制作にあたった方のお話があったんだけど、その方いわく

「聞くだけじゃ伝わらない、見せないといけないと強く感じた」から作った作品とのこと。

それを聞いてちょっと意外だった。

ぶっちゃけていうと、「わかりにくい」映像でした。台詞が徹底的に削られているのもそう。台詞もクリスの主張で合って彼の演奏方法ではない。

本番の撮影も遠目からとか、バックからとかいまいち「どんな演奏をしているか」が見えない。たまに手元をちゃんとうつしはするんだけど、いいかんじにおかれたミネラルウォーターのペットボトルが邪魔をして肝心のところが見えない。

私は音楽については無知だから、見せられたとしてもわからないけど。つまるところ、彼の技術がいかにすごいかを伝えるものではないな、て思った。

ただ、なんかすごいなーってのは分かる。音楽は前衛的だし、どうやってあんな音が出るのかもさっぱりわからない。よくわからん、がすごい。

今までWSの映画製作で「どうせ伝わらないんだからまずわかりやすく作れ」てさんざん言われてきたもんだから、「わかんないけどなんとなく伝わる」というのは相当すごいことなんだろうなぁ。

で、なんで「伝わる」のか私のはまだ感覚的にしかわからない。これから勉強ですね、と逃げて終了(;´▽`A``


印象に残ったのは、クリスの紹介ナレーション。

彼の映像を流すのではなく、誰もいない部屋に机といすをたくさん敷き詰めて、その上にばらまかれた写真を映す、という間接的な紹介だった。

すみっこに灰皿と煙草があって、消えかけの煙草がまだ煙を登らせているのがなんとなく綺麗。

だがこの演出の意味はさっぱりでした・・・


わかりやすかったのは海に一本のロープを掛けてあって、鴨が泳いでいるショット

しばらくしてもう一度流れるんだけど、そのとき鴨はロープの向こう側に移動している。

「境界を超えるんだ」的な何かをインタビューでクリス氏が言っていたので、その象徴と捉えればわかりやすい。海というのも彼が米から英へ渡ったエピソードを踏まえればピンとくるし。

でも次の瞬間、鴨が海に潜るんだよねーあれの意味は一体…


以上、ぐだぐだな感想でした。

レビューとか書かないのに、はじめて書くのがドキュメンタリーというのはハードル高かったかも

あと口調がくだけててごめんなさい・・・m(_ _ )m



蛇足。

思い出したんだけど、青山真治作品の「こおろぎ」

あれ、山崎努が目も耳も聞こえない男役なんだよね・・・

くちゃくちゃとチキンをかじるシーンがあって、まるで味覚すらおぼろげに見える役・・・

・・・O君の「無感」だよあれ!! ばっちりかぶってたよ!!

プロのつくった無感はすごいよー一度見るといいよO君。

山崎努がすごい。言葉になる台詞なんてないのに、表情や動きで執念みたいのがすごい出てる。

んでやっぱりO君と同じように付き添う女性(こおろぎでは鈴木京香)がいるんだけど、関係性も今考えればうまいなぁとしみじみ。付き合っているわけじゃないんだけど、おかしな関係なんだけど、だからと言って違和感はない。

・・・書くと延々と続くのでこの辺で。みたのも1年以上前ですし。

また見てみようかな・・・でもその辺のTUTAYAには絶対ない作品だからなぁ( ̄_ ̄ i)




こんにちは、某しといいます。

某Y嬢に声をかけて頂いて、ここで文章を書くことになりました。以後、お見知りおきを。
テーマでは空気を読んで名字を出しておりますが、恐らくそのうちテーマの名前は変更する事になるでしょう。


オンラインでは、基本的にスペースインベーダーのアイコンと『某し』が合わさったら、僕だと思ってください。



続・批評 コラムを書く

これが僕だと思ってください。


ちなみにこのアイコンには、


『一撃で死ぬような弱弱しい存在』

『未だ人間にすらなれていない謎の存在』

『あなたの脳を侵略する存在』


等の意味を込めています。 侵略! 侵略!




こちらでも文章を書かせて頂く事になりましたが、実は僕、自分のブログも持っていたりします。

まあ、そこまで頻繁に書いている訳でもないのですが。

現在は、以前に履修していた文章を書く授業の反省会の会場になっている訳ですが。


と言う事で、こちらで文章を書く際に向こうのブログと同じ事をやっていても仕方が無いので、いくつかの『ルール』を自分に設けたいと思います。

何かを楽しむためにはルールが必要です。例えそれの対象が自分ひとりだとしても、です。



・文章は1500字以内。


僕の個人ブログを見てくださっている方はご存じだと思うのですが、終着点を決めずに書きだしたら延々と書きつづけてしまうのです。

mixiで日記を書いていた時代も、僕の日記は長すぎると評判でした。
で、結局僕が書き疲れて、結論が宙ぶらりんのまま終わってしまうという悪循環。

とりあえずこの場は誘って頂いて文章を書く訳ですから、きちんとした完成形を皆さんにお見せできるようにしたいと思います。

おそらく、ワード等で下書きをしてからの投稿になると思っています。

例の文章を書く授業でも、1800字が普通だった僕はこの縛りで文章が書けるのでしょうか?


・小説・詩の禁止


小説を書くのは好きなのですが、それを以前の授業でやっていたらお題から逃げているようにしか見えなかったのも事実でした。
回りくどい方法を使っているつもりで、完全に迂回して逃げていた、みたいな。
そして『詩』は『感情を感情のまま出す手段』だと思っているのですが、 これは俺が苦手であるのと、現在の自分のテーマは感情を感情のままでは無く、理論化された感情、つまり、感情を死ぬ気で説明する努力だと感じているので、一応封じておきます。



とりあえず、以上の縛りで開始したいと思います。
事あるごとに縛りは追加するかもしれませんが、特別な場合を除いて無くなる事は無いと思っています。


ここで、僕のブログとツイッターアカウントを紹介いたします。


ブログ→『そして妄想は続く』(http://blog.livedoor.jp/boshi_os/ )

ツイッター→Boshi_OS(https://twitter.com/#!/Boshi_OS


自分のブログは『思考』、ここのブログは『お喋り』、ツイッターは『ひとり言』の場として、これから展開できればな、と。



以後、宜しくお願いいたします。