不動産取引編 第5回 地方のタワマンが負のレガシーになる日 | 「不動産リテラシーの向上で老後の安心生活を」シリーズ投稿始めます

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中小企業診断士 桑岡伸治のブログです。このたび、「老後の安心生活」実現を目的に、不動産に関する様々な情報を提供するシリーズ投稿をはじめます。
はじめにプロローグをお読み下さい。
ひとりでも多くの方が、Happyになりますように!

 下図は、「国立社会保障・人口問題研究所」が公表している2035年と2050年の総人口指数(2020年=100)である。(末尾に47都道府県版を掲載する。)

 2050年には東京都以外の道府県すべてが5%以上、37道県が20%以上の人口減少と予想されている。さらに、同研究所は、2070年の日本の総人口を8,700万人と推計しており、これは30%以上の減少である。

 

 タワマン(タワーマンション)の統一的な定義はないが、一般的には20階以上の超高層マンションを指す。これは、60mを超える高さの建物を指して「超高層建築物」という言葉が使われ、この定義をタワマンに当てはめると、「ちょうど20階で高さ60mを超えてくるから」ということらしい。

 

 超高層マンションは世界中にあるが、50階を超えるような大規模なものは、通常はニューヨークやドバイ、香港といった大都市に存在する。日本でも、40階、50階といった規模のものは、東京や大阪もしくはそれに次ぐような都市に立地するが、20階建て  規模のものは、地方都市でも建設、もしくは計画されている。

 先ごろ、東京、国立市の10階建てマンションが、「富士山をさえぎる」という理由(それだけが理由かどうかは不明)から、事業主の積水ハウスが、「完成間近になって建物を解体する」と発表、ちょっとしたニュースになったが、これ以外でも高層マンションは「景観を損ねる」として、各地で問題になっている。

 

 鉄筋コンクリート造建築物の法定耐用年数は、税務上47年、構造躯体の寿命という面では、60年とも100年とも言われており、「今」建築されたタワマンは、22世紀にも存続している可能性が高い。60年、100年といえば自分とは関係ない「遠い遠い未来」に思えるが、香港は99年の租借期間を終えてイギリスから中国に返還されたし、高度成長期に建てられた分譲マンションは、半世紀以上が過ぎ、次々と「寿命」の問題が現実になっている。

 

 ほとんどの地方(県)で、10年後には1割、25年後には2割も人口が減少する中で、そのすべてが高層マンション以外の居住者であると考えるのは現実的ではない。今は新築のマンションも、交通不便な戸建住宅ほどではないにしても、「相続人がいない」、あるいは「相続人が不明」なために空きとなる住戸が、四半世紀も経たないうちに出始めるということだ。その時、(人口が2割も減った中で)入れ替わりに入ってくる新たな居住者はいるのだろうか。移民政策に消極的な日本政府の姿勢を踏まえれば、外国人の購入者は考えづらい。

 外国人の購入者がいるとすれば、「投資目的の富裕層」なのだろうか。その時「地方」のタワマンが、東京のように投資対象になるのだろうか。日本の富裕層は、「相続税対策」でタワマンを購入しているが、相続人が住まないときに、そこを借りる人はいるのだろうか。

 

 そんなことを考えていくと、よほどの「楽観主義者」でなければ、地方のタワマンに明るい未来は描けないのだ。

 

 もう一つ、「都市計画」という点で、タワマンが「まちや地域の魅力」を削いでいることに思いを巡らせて欲しい。

 

 はじめてラスベガスに行った時のことを思い出す。空港のゲートを出たとたん、そこにはスロットマシーンが並んでいた。そして、それは「お飾り」ではなく、実際に億単位の「配当」可能性がある「本物」だった。街なかに入れば、そこは「カジノ」を楽しむための別世界。視界に入るものすべてが、「カジノ・ワールド」に徹していたのだった。

 日本でも、東京ディズニーランドやUSJは、同じ発想の「夢の国」、夢を見るからには現実に引き戻すような建物は視界には入らないように、計算し尽されている。

 それに引き換え…京都駅に降り立った時の悲しい景観は何だろう。「そこにしかないもの」を「どこにでもあるもの」でぶち壊す感覚は、どこから来るのだろう。

 

 こんなことを愚痴ったのには訳がある。これからの日本経済のけん引役は紛れもなく「観光ビジネス」、しかもいま進行しつつあるような騒々しい観光ではなく、景観と同時に人との交流を通じて育まれる「体験型、滞在型の旅行」が主流になっていくからだ。

 

 大都市は大都市の、地方のまちは「地方のまち」の良さがある。

 ヨーロッパの田舎町に行けば、中世から続く教会を中心に、広場を囲む土産物屋やレストラン、カフェがあり、住民は同じ建物の上階に住む。レストランもカフェも、観光用でもあり住民の生活のためでもある。

 観光客と住民のちょっとした触れ合いは、歴史と文化を守りながらそこに生きる人々の暮らしぶりを、感じさせる。この人たちは、絶対に自分都合で高い建物を建てようとは思わない。景観は、住民の共有財産であり、意識せずともその価値を大切に守っている。自分だけが景観を独占しようなどという発想は、そもそもあり得ないのだ。

 

 タワマン居住の価値には「景観」が占める割合も大きいという。それが証拠に、上階に行くほど価格が高い。「階層カースト」なる言葉さえあるという。タワマンから見える景観が「大きな価値」だとして、一部のタワマン住民のために他の住民の「景観」を奪う権利がどこにあるのだろうか。

 高層建築物が林立する都市ならそれもよし、それ自体が景観を形成する一部であり「摩天楼の夜景」という新たな価値を創造しているのだから。だが、地方都市においては、駅前だけの「ポツンと一棟マンション」だ。「馬籠宿」や「白川郷」の背景に高層 建築物がそびえ立つことを想像すれば、その異様さが分かろうというものだ。

 そして、数十年後、某地のリゾートマンションや観光ホテルのように廃墟化してしまったとしたら、その取り壊しは誰がおこなうのであろうか。

 

 日本という国は、つくづく「箱モノ」が好きな国だと思う。しかし、世の中は変遷する。その時「歴史遺産」となるものもあれば、壊してしまわなければならない「負の遺産」もあるだろう。建物を建てるということは、不要になった時には「元に戻す」ということまで含めての責任があるはずだ。

 

 繰り返すが「景観」は共有財産であり、その価値を毀損する権利は誰にもない。そのうえ、22世紀を生きる人々に「尻ぬぐい」をさせるようなことは、絶対にあってはならない。行政は、そのことをもっともっと問題提起し、議論し、都市計画を決めて行かなければならないはずだ。タワマン再開発で、街が活性化するという幻想(しばらくは活性化するかもしれないが)と、土地所有者とデベロッパーが手にする、「目先の利益」のために、本来の町や村の魅力を消し去ってしまうことが無いように願うばかりだ。