2024.6.25.ディボーションです。 | 武庫川純福音キリスト教会ブログ

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アッセンブリーズオブゴッド教団武庫川純福音キリスト教会のディボーションブログです。

おはよ!「御言葉に望みを置き続けた人」…牧師として、今まで多くの葬儀に関わる中で、Mさんが天に召された時のことは、今でも鮮明に残っています。Mさんは第二次世界大戦後、世の中が混乱する中、キリストと出会いクリスチャンになりました。その後、結婚し、子どもにも恵まれましたが、ご主人を癌で亡くし、女手一つで子ども2人を育て上げました。生活が大変な時期もありましたが、主日礼拝を守り続け教会を支えていました。 
 子ども2人が成人した後も、仕事をしながら教会生活を続けました。ある時、Mさんが礼拝の中で「正直に言うと、女手一つで子どもを2人育てるのは本当に苦しかったですが、そんな時に自分を支えてくれてのは聖書の御言葉でした」と証しされ、いくつかの聖書の御言葉を語ってくださいました。その後、90代になられたMさんは体調を崩し、ホスピスに入院されました。私がお見舞いに行った時、Mさんは「自分の人生を生き切ったので後悔は全くない。むしろ感謝で一杯の人生でした」と語ってくださいました。その顔は輝いていました。
 その翌日、Mさんは朝食後、ベッドで聖書を読んでいる最中に急に心拍数が下がり、眠るように召されていきました。私は急いで病院へ駆けつけましたが、その顔は穏やかで、Mさんはイエス様と共におられるのだと確信しました。私は牧師としてMさんの葬儀をする中、「そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである」(Ⅱコリント5:9)を引用しました。Mさんはこのみ言葉に支えられ、また同時にこのみ言葉を体験された方だったのです。

聖書:Ⅱコリント5:1~10
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。6 だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。8 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。9 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

タイトル:新生した者の生き方

内容観察:パウロは、地上での体は幕屋であると語り、後に過ごす永遠の神の国での生活を慕い求めています。しかし、地上にいても天にいても、どちらにせよ主の喜ばれることを願うこと、そのために必要なことは信仰だと教えています。

静聴:私たちを神に神殿として、ふさわしく整えてくださいます。神様は罪人だった私たちを、十字架の血潮によってきよめ、聖霊様を一人ひとりに与えてくださいました。私たちはこの聖霊様によって、神の子としてきよめられ、整えられる保証をいただいています。永遠の住まいである天国と、朽ちない復活のからだを備えてくださいます。パウロはこの地上で苦しむ時、やがて訪れる苦しみも悲しみもない永遠の天国に目を向け、慰めを受けました。私たちは永遠を神様の御許で過ごす希望を持って、地上の人生を生きる者たちなのです。

※  祈りと適用は、読まれたそれぞれが応答してください。
※ 今日の優先順位:火曜日  託された使命に励みましょう。三田の家庭祈り会で祈っていますね。

※  祈祷課題:①家族の救い, ②初心者の救いと成長, ③SSとユース, ④2024年のビジョン, ⑤6月の歩み, ⑥能登震災の回復。 ⑦ウクライナ紛争早期解決。 ⑧トルコとシリヤの地震被災者のため。⑨ハマスとイスラエルの紛争解決。今日もイエス様と一緒にGo! 祝福を祈ります。