量子場調整師のむかえです
人間が、何かに「洞察を得る瞬間」って色んなきっかけがあると思うんですけど、
私にとってのその内の大きな一つをご紹介します~。
そのきっかけは、これでした。
男女ともこんな感じだと思うんですが、和式トイレです。
今は洋式も大分増えましたが、
昔は、というか今でも公立学校は和式の方が主流じゃないかと思います。
これ流す時どうします?
・・・・そうですよね、
聞くまでもなく足でこのペダル踏んでジャーっといきますよね。
でもですね。
小学校の時、なんか知らんけどいわれてたんですよ。(私の記憶では)
「手で押せ」と。
・・・・なんなんでしょうね。
まあ、物事を丁寧に扱えという思想なんでしょうね&わからなくはないんですが、
でもそれは本題じゃないんでとりあえずさておいて。
でまあ、一応言われたことは守る方だった向江少女としては、途中までちゃんと手で押して流してたんですけど、やっぱ気持ち悪いじゃないですか。
だって多分他の人の何人かは絶対足で流してるでしょう。
トイレの便座周りを踏みしめてるその足で。
明らかに足跡ついてるのとかあったし。
で段々、明らかに低い位置のペダルとか、「・・・・いいんじゃね?」って感じで足で流すようになったんですけど、「大真面目に手で流してる人とかいたら悪いなあ」とかちょっと思ってたんですよね。
あ、今はそんなこと欠片も思い至りませんけど。
で、高校の時にですね。
放課後の雑談中に、なんでだったかこの和式便器のペダルについての会話になって、
こんなことをいう同級生女子がいたんです。
「和式トイレのペダルあるじゃん、
私あれどんなに高い位置にあっても必ず足で押してる。」(ジェスチャー付き)
「だって足で流してるやつ絶対いるしと思って。嫌じゃん」
・・・・・それを聞いたわたしは、はっ∑(゚Д゚)となりましてね。
その瞬間、私の中で
「因果応報」という言葉で言われている事柄についての、自分なりの納得がいったのです。
和式トイレのペダルの高い位置のやつって、
それこそ女性の腰下くらいの高さのやつもあるんですよね。
実際彼女も、胸くらいまで膝を引き上げる動作でジェスチャーしてました。
わたしとしては、こんな高い位置にあるペダルなんて、
当然みんな手を使ってるものと思ってましたので、ある意味安心して手で押し流してたんですよ。
無理な体勢取ってまで足で押そうor押す人がいるなんて発想ありませんでした。
でも彼女はそうじゃない。
――なぜなら自分自身がそうしてるからです。
だから、他人のこともそうしてるんじゃないかと、考えるわけです。
例えばよくある話ですが、
誰かがしたことがあること、というのは目標にしやすいし実現しやすかったりするじゃないですか。
なぜなら「それができた誰か」がいるから。
「できることである」という証明が既になされているから。後に人が続くわけです。
だから私はなんであれ「最初の一人」になった人を本当に尊敬してるんですけど、
・・・・えーとだからつまりですね。
この彼女の場合、世界に向かって既に証明がなされているわけですよ。
「それをする(少なくとも)一人」の確実な存在が。
そう、自分ですね。
そして一人がすることは、千人がするんです。
あるいは万人がすることなんです。その人にとっては。
私は当時、
「人にしたことが自分に返ってくる」・・・・つまり「因果応報」という概念について、心のどこかでペンディング中だったんです。
そうかもしれないけど、そんな文字通りの単純な話なのかなと。
でも、この時なるほど、と思いました。
「因果応報」というのは、ただの道徳的な戒めの言葉じゃなくて、事実だと。
悪い方に極端な例を思考実験として例えば考えてみます。
(※当時想定してたのが、ニュースレベルの話や、物語や歴史の舞台だったので)
例えば。
人を殺したことのある人間は、殺されることに――他人の殺意が行動となることに怯えるでしょう。
盗んだことのある人間は、盗まれることに、
陥れたものは陥れられることに。
人を裏切った人間は、裏切られることを想像し続けなくてはならないでしょう。
己の恐怖や猜疑心と、きっとずっと戦い続けなくてはならないでしょう。
だって、人がそうものだということを誰よりもよく知っているのですから。
まさに自分のしたことが自分に返ってくる。
・・・そしてその恐怖や猜疑心に負けていく自分の心が、疑心を現実に変え、あるいは近づけていくのだろうと思います。
(寿命とどっちが先になるかはわかりませんが)
※
言うまでもないですが、
「そうに違いない!」と猜疑心を他人に向け続けたら、その人の行動をそちら側に誘導することになります。
他人を信じてない人は他人から信じられることも当然少なくなりますし、信じられてない人を裏切る方が簡単です。
常に疑い深く裏を考えてたら、人好きのする表情にも人相にもなりません。
疑い出すと怖いもんだから、判断が狂って現実より先に自分が先制行動しちゃったり。
始まったスパイラルは、全てがそういう風に回りかねませんからね。
ちなみに、
もしこの自分の猜疑心を抑え込んで、あるいはどんな結果になることにも腹をくくって世界と他人を公正に見続けることができるなら、
少なくとも今生での因果応報は食らわないんじゃないかという気がします。
ただ、それは想像するによほどの人間でも難しいと思うので、
やっぱりするもんじゃないな、というのが当時の結論です。
だからこんなセリフにも納得しましてね。
そして、逆も然りで。
自分のベースに善意がある人間は、他人がそうであることを信じられる。
世界をそういう風に見ることができるのです。
肌身で感じる世界の前提が変わるので、
相手に接する際の行動や表情や発言も変わりますから、
現実に起こることの確率や可能性も実際に変わります。
そして自分が何を信じているか、相手をどう思っているかは、
相手を変える・・相手のある側面を引き出す力になります。
その究極系に、ガンジーのような人とその運動が人類史に生まれたんだろうなと、思ったものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
これを、もうちょっと発展させたり、ポイントを抽出すると
・ 自分が世界をどう見ているか(「前提」)が、具体的な力として現実に反映される
・ その「前提」は、自分が世界に対してどうある(あった)かに大きく左右される。
(※上書き可能)
・自分がすること(したこと/思うこと/信じてること)、というのは、
自分自身にとっての、「世界の前提」の強力な証明になる。
・腹をくくるか、自分と他人が違うことを公正に見渡すことができれば、
その因果は弱まる。(あと忘れるという手も有効)
そしてもっといえば、
現実の作用として何かが返ってくるとかこないとかではなく、
自分自身によって、自分が放りこまれる(生きる)ことになる世界観こそが、
因果応報そのもの、といえるのかもしれません。
・・・・もちろん、
この世のことわり、というのは色んな側面や色んな「層」があって、
同じようなことでも、一つ語ればそれで全てじゃないんですが、
私の中では、これも一つの確実な真実だと思っとります。
人間が、何かに「洞察を得る瞬間」って色んなきっかけがあると思うんですけど、
私にとってのその内の大きな一つをご紹介します~。
そのきっかけは、これでした。
男女ともこんな感じだと思うんですが、和式トイレです。
今は洋式も大分増えましたが、
昔は、というか今でも公立学校は和式の方が主流じゃないかと思います。
これ流す時どうします?
・・・・そうですよね、
聞くまでもなく足でこのペダル踏んでジャーっといきますよね。
でもですね。
小学校の時、なんか知らんけどいわれてたんですよ。(私の記憶では)
「手で押せ」と。
・・・・なんなんでしょうね。
まあ、物事を丁寧に扱えという思想なんでしょうね&わからなくはないんですが、
でもそれは本題じゃないんでとりあえずさておいて。
でまあ、一応言われたことは守る方だった向江少女としては、途中までちゃんと手で押して流してたんですけど、やっぱ気持ち悪いじゃないですか。
だって多分他の人の何人かは絶対足で流してるでしょう。
トイレの便座周りを踏みしめてるその足で。
明らかに足跡ついてるのとかあったし。
で段々、明らかに低い位置のペダルとか、「・・・・いいんじゃね?」って感じで足で流すようになったんですけど、「大真面目に手で流してる人とかいたら悪いなあ」とかちょっと思ってたんですよね。
あ、今はそんなこと欠片も思い至りませんけど。
で、高校の時にですね。
放課後の雑談中に、なんでだったかこの和式便器のペダルについての会話になって、
こんなことをいう同級生女子がいたんです。
「和式トイレのペダルあるじゃん、
私あれどんなに高い位置にあっても必ず足で押してる。」(ジェスチャー付き)
「だって足で流してるやつ絶対いるしと思って。嫌じゃん」
・・・・・それを聞いたわたしは、はっ∑(゚Д゚)となりましてね。
その瞬間、私の中で
「因果応報」という言葉で言われている事柄についての、自分なりの納得がいったのです。
和式トイレのペダルの高い位置のやつって、
それこそ女性の腰下くらいの高さのやつもあるんですよね。
実際彼女も、胸くらいまで膝を引き上げる動作でジェスチャーしてました。
わたしとしては、こんな高い位置にあるペダルなんて、
当然みんな手を使ってるものと思ってましたので、ある意味安心して手で押し流してたんですよ。
無理な体勢取ってまで足で押そうor押す人がいるなんて発想ありませんでした。
でも彼女はそうじゃない。
――なぜなら自分自身がそうしてるからです。
だから、他人のこともそうしてるんじゃないかと、考えるわけです。
例えばよくある話ですが、
誰かがしたことがあること、というのは目標にしやすいし実現しやすかったりするじゃないですか。
なぜなら「それができた誰か」がいるから。
「できることである」という証明が既になされているから。後に人が続くわけです。
だから私はなんであれ「最初の一人」になった人を本当に尊敬してるんですけど、
・・・・えーとだからつまりですね。
この彼女の場合、世界に向かって既に証明がなされているわけですよ。
「それをする(少なくとも)一人」の確実な存在が。
そう、自分ですね。
そして一人がすることは、千人がするんです。
あるいは万人がすることなんです。その人にとっては。
私は当時、
「人にしたことが自分に返ってくる」・・・・つまり「因果応報」という概念について、心のどこかでペンディング中だったんです。
そうかもしれないけど、そんな文字通りの単純な話なのかなと。
でも、この時なるほど、と思いました。
「因果応報」というのは、ただの道徳的な戒めの言葉じゃなくて、事実だと。
悪い方に極端な例を思考実験として例えば考えてみます。
(※当時想定してたのが、ニュースレベルの話や、物語や歴史の舞台だったので)
例えば。
人を殺したことのある人間は、殺されることに――他人の殺意が行動となることに怯えるでしょう。
盗んだことのある人間は、盗まれることに、
陥れたものは陥れられることに。
人を裏切った人間は、裏切られることを想像し続けなくてはならないでしょう。
己の恐怖や猜疑心と、きっとずっと戦い続けなくてはならないでしょう。
だって、人がそうものだということを誰よりもよく知っているのですから。
まさに自分のしたことが自分に返ってくる。
・・・そしてその恐怖や猜疑心に負けていく自分の心が、疑心を現実に変え、あるいは近づけていくのだろうと思います。
(寿命とどっちが先になるかはわかりませんが)
※
言うまでもないですが、
「そうに違いない!」と猜疑心を他人に向け続けたら、その人の行動をそちら側に誘導することになります。
他人を信じてない人は他人から信じられることも当然少なくなりますし、信じられてない人を裏切る方が簡単です。
常に疑い深く裏を考えてたら、人好きのする表情にも人相にもなりません。
疑い出すと怖いもんだから、判断が狂って現実より先に自分が先制行動しちゃったり。
始まったスパイラルは、全てがそういう風に回りかねませんからね。
ちなみに、
もしこの自分の猜疑心を抑え込んで、あるいはどんな結果になることにも腹をくくって世界と他人を公正に見続けることができるなら、
少なくとも今生での因果応報は食らわないんじゃないかという気がします。
ただ、それは想像するによほどの人間でも難しいと思うので、
やっぱりするもんじゃないな、というのが当時の結論です。
だからこんなセリフにも納得しましてね。
そして、逆も然りで。
自分のベースに善意がある人間は、他人がそうであることを信じられる。
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相手に接する際の行動や表情や発言も変わりますから、
現実に起こることの確率や可能性も実際に変わります。
そして自分が何を信じているか、相手をどう思っているかは、
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・ その「前提」は、自分が世界に対してどうある(あった)かに大きく左右される。
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自分自身にとっての、「世界の前提」の強力な証明になる。
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