俺はネタバレされることが大嫌いです。
というか、「ネタバレ」はしちゃいけないっていうのは暗黙のルールとしてどこにでもありますよね。
暗黙の了解というよりは、常識というかマナーです。
誰だって推理小説の犯人を先に知ってしまうのは嫌です。
なぜ「ネタバレ」は起こってしまうのか。ネタバレをしてしまう人の心理とは。
実際のところ、ネタバレをしてしまう人の大半は「無自覚なネタバレ」が多いと思います。
あえて「あの映画の結末は~~だよ」「この先アイツ死ぬよ」なんて直球なことを言ってしまう人は
もはやただの嫌がらせか非常識すぎる人なので論外ですし。
俺が以前、とあるRPGをプレイしてるとき、一番ひどいネタバレをされたことがあります。
一番ひどいというのは、それが物語の核心をつくネタバレだったからです。
俺は「ネタバレ絶対やめてね」って周りにお願いしてました。
これはほぼ無駄なんだとこの時に悟りました。
ネタバレをやめろと注意を促せば、確かに直球ネタバレをしてくる非常識な方は減るかもしれない。
でも、「無自覚なネタバレ」は減らないのです。
俺がやられたひどいネタバレというのが、俺がそのRPGである行動を起こした時
「これって実際もう何も意味ないし今後使う必要ないよな」ということをポツリとつぶやいたのです。
こういうのは、言っちゃいけないんだなと思いました。
「いや…」みたいな、遠回しにネタバレになる反応をする人が出ちゃうんです。
で、そのこれもう使う必要ないよなって言った時に
「ムカデさん、今言ったことを決して忘れないようにして下さい」と言ってきた人がいました。
その時にもう、完全に萎えました。
そんなこと言われたらもう、今後の展開がある程度予想できちゃうじゃねえか。
それがもうとても重要なことだって、ほとんど言っちゃってるだろ。
この遠回しなネタバレのせいで、本来悩むべきだったシーンを
一度も失敗することなく、切り抜けることができてしまいました。
ここで、そのことについて怒ったらそのネタバレした人が色んな人に責められることになって
ヘタしたらその人がずっと気にするハメになってしまうかもしれない。それは流石にかわいそうなので
あまり言及はしませんでした。
しかし、内心でははらわた煮えくり返る思いでした。
圧倒的にネタバレするやつが悪いっていう気持ちでいっぱいだったから
本当はガマンするのは辛かった。
この時、俺はすごく考えました。
この人はどんな気持ちで「今言ったことを決して忘れないように」と言ったのか。
きっと悪気は無かったのだと思います。
当人もそれがネタバレになるとは思ってなかった、または「ネタバレ」の基準が
よくわかっていなかったんじゃないか、と思います。
俺が「ネタバレをやめてください」と言ったのを聞いた上での、その人なりの発言だったのかな、と。
どこからどこまでがネタバレになるかわからないから直接的じゃなければ大丈夫だろう、と。
そういう感じで「つい」言ってしまったのかなと分析していました。
これが「無自覚なネタバレ」です。
実は本来、人って「ネタバレしたがり」が多いと思うのです。
誰かが、何かをわからないと言って悩んでいる、なかなかパズルを解けなくて困っている、
そういう人を見て「アドバイスしたくなってしまう」「答えを言いたくなってしまう」人が多い。
嫌な言い方をすると、「知識を披露したい人」が多いのだと思う。
正直言うと、この気持ちは俺もよくわかります。
人には「無知」を馬鹿にする悪い風潮(というか習性?)があります。
「そんなことも知らないの?」「今の世代にはわからんだろ」と
やたら「知っていること」を優位としたがり、知らない人間を愚弄する。
それどころか知らないことを「罪」とさえ。
以前、ビートルズについて今の若い人たちに聞いても「知らない」と答える人が多かった
みたいなプチニュースがあったことを覚えている人はいるでしょうか。
これに対するネットの反応が
「ビートルズ知らないとか終わってる」「これだからゆとりは」みたいな。
なんか過剰にキレてる人もいました。
でもよく考えたらおかしいです。
ビートルズを知らないことが何か悪いことなの?それ誰かに迷惑かけてんの?っていう。
なんだか話が反れていってる気もしますが、まとめると
ネタバレをする人の心理っていうものの最たるものが
「自分は、知っている人間であることを示したいから」であると思うのです。
本人にそのつもりがなくても、無意識にそれをやってしまっている。
「知っている、知らない」に優劣をつけてしまうのは人間の潜在意識のようなもの。
ついつい人に色々教えたくなってしまう人はそれが無自覚なネタバレになってる可能性もあるので
気をつけたほうがいいです。
「ニヤニヤ」「2828」とかっていうニコニコとかのコメント、
あれはまさに無自覚なネタバレの代表的なもので、これが俺はすごく嫌いなのでNGにしてます。
「ニヤニヤ」はその先の展開を示唆したり、人が間違った選択をしてしまったことをバラしたり
とにかく色々バラされてしまいます。すごい鬱陶しいです。
俺はいつからか、ゲームをあまりやらなくなりました。
中学ぐらいまでは、部屋にいる時はほぼゲーム、休日は一日中ゲーム、
外で遊ぶよりゲームが大好き、そんなゲームで育ったというかゲームに育てられた人間なのですが
高校ぐらいからゲームよりも音楽にハマるようになり、大学に入ってからは
ついにゲーム離れを起こしました。
これは大人になったせいなのか。それはそんなに関係ありません。
一人でゲームをやることに虚しさを感じるようになってしまったのです。
子供の頃はそんなの関係なかった。
ただ純粋にそのゲームが面白ければ、一人でなんでもやり続けていた。
年齢を重ねて人との交流が広がるにつれて、自分の寂しがりやな性格が露呈してきて
ただ部屋で一人でゲームをやっててもなんだかしょうもないな、ゲームやるぐらいなら
誰かと遊びたいな、っていうかゲームやるなら誰かと一緒にやりたいな。
そう思うようになったのでした。
「一人でゲームをやること」自体が寂しいわけではないのです。
「独り」でゲームをやることが寂しい。この違いですね。
たとえば、部屋で一人で何かのゲームをやっていたとして、周りの人もそれと同じゲームを
やっていれば、そのゲームの話題に花を咲かせることができる。
昔からゲームにおけるコミュニケーションってそういうものだと思ってます。
そのゲームのネタを話して盛り上がったり、「どこまでやった?」って進行具合を報告しあったり。
だから本当に「独り」でゲームをやっているなあって感じてしまうのは
周りで誰もそのゲームをやっていない、自分しかやってないゲームをやっている時なんかがそうです。
大学1年の時、ブックオフに名作と聞いていたスーファミのRPG『エストポリス伝記Ⅱ』が
500円で売っていたので、暇つぶしにとでも思って買いました。
が、どうもやっぱりガッツリやろうという気にはならず、30分やっては止め、1時間やっては止め
みたいな感じ。
そこそこ面白かったので一応クリアはしたけど、ちょっと惰性でやってた感はあったし
クリアしてからは一切やらなくなりました。
このゲームは昔のゲームだしそもそもそんなに有名な作品でもないから
周りに話題を共有できる人がいなかったのです。
こうなると、いくらそのゲームが面白くてもあまりやる気が起きない。
この状態は、この頃から今までずっと続いています。
ゲームをやるにも、「交流」を求めるようになった。
ゲームで人とつながりたい、一人でゲームをやるにしても、後でそのゲームの話題を共有したい。
だからネットゲームは人と交流できたから楽しかったし
mixiアプリなんかもマイミクとスコアを競い合ったりできたからよかった。
最近流行ってるブラウザゲームのクッキークリッカーは、俺は1日で飽きてしまいました。
これはたしかにハマるのだけど
たとえばフレンド機能とかランキング機能のようなものが無いので
誰かと競い合ったりとかができない。
ただ独りで黙々と記録を伸ばしていくだけ。
ただ架空のババアとコミュニケーションをとるだけ。
話題性がある内はこのゲームのネタで盛り上がれるかもしれないけど
風化するのも早そうだし
それに気付いた時に虚しくなって、すぐやめてしまいました。
今まで自分が時間を奪われたブラウザゲームは
ズーキーパー、サンシャイン牧場、ブラウザ三国志など
ランキング機能があったり何かしら交流できたりするものでした。
しかしこれらもゲーム自体に飽きるより、大体周りがやらなくなったら自分も飽きてやめる
といった場合がほとんどでした。
今はモンハン4が一番楽しいんじゃないでしょうか。
この記事を書いている現在、モンハン4が発売された直後で
さすが今や国民的ゲームといえる超人気ゲーム、周りのほとんどの人がモンハンをやっています。
ここまでくると、休日を一日中モンハンに費やしてしまっても、それは「充実した一日」になるのでしょう。
モンハンをずっと一人でやっていたとしても、日本全国みんながモンハンをやっているのだから
ツイッターなどでも多くの人と話題を共有できるし
「一人」で遊んでいても「独り」にはならない。
さらにはモンハンはオンラインでも遊べる(よく知らないけど、できますよね?)のだから
世間は「モンハン充」でいっぱいでしょう。
とてもうらやましい。ならお前もモンハンやればいいじゃねえか、と思う人もいるかもしれませんが
そんなにいきなり環境を揃えられるほど自分には余裕が無いのです。色々と。
あと3Dゲームはド下手なのでゲーム自体を楽しめなかったら、という懸念もあります。
自分の今の生命線は、ポップンです。
ポップンはオンライン対応のアーケードゲームだからポップンを通じて人とコミュケーションができるし
断続的に色んなアップデートがなされているから話題にも事欠かない。
だけど怖いのが、自分の周りのポップンやってる方々がポップン離れしてしまうことです。
実際、周りではちょっとポップン離れ気味な人が増えているように見えなくもない。
もちろん、ポップンから離れるのはその人の勝手だし事情もあるし仕方の無いことです。
だけどやはり寂しい。
ポップンのスコアを競ったり、ポップンの話をしたりする相手がいなくなってしまうと
きっとポップンのモチベは下がってしまう。それが今少し不安です。
まだポップン自体がすごく面白いので急に冷めることはないだろうけど。。
あと、実況プレイ動画におけるゲームは特殊です。
ゲームのプレイは一人でやるけど、決して一人だけでやっているわけではない。
実況プレイはそんな感覚です。
たまに一人でゲームをやってて「これ実況動画でやろうかなあ」と思ったりしてしまうのは
寂しいからなのかもしれません。
ゲームは自分にとって、大事なコミュニケーションツールなのです。
中学ぐらいまでは、部屋にいる時はほぼゲーム、休日は一日中ゲーム、
外で遊ぶよりゲームが大好き、そんなゲームで育ったというかゲームに育てられた人間なのですが
高校ぐらいからゲームよりも音楽にハマるようになり、大学に入ってからは
ついにゲーム離れを起こしました。
これは大人になったせいなのか。それはそんなに関係ありません。
一人でゲームをやることに虚しさを感じるようになってしまったのです。
子供の頃はそんなの関係なかった。
ただ純粋にそのゲームが面白ければ、一人でなんでもやり続けていた。
年齢を重ねて人との交流が広がるにつれて、自分の寂しがりやな性格が露呈してきて
ただ部屋で一人でゲームをやっててもなんだかしょうもないな、ゲームやるぐらいなら
誰かと遊びたいな、っていうかゲームやるなら誰かと一緒にやりたいな。
そう思うようになったのでした。
「一人でゲームをやること」自体が寂しいわけではないのです。
「独り」でゲームをやることが寂しい。この違いですね。
たとえば、部屋で一人で何かのゲームをやっていたとして、周りの人もそれと同じゲームを
やっていれば、そのゲームの話題に花を咲かせることができる。
昔からゲームにおけるコミュニケーションってそういうものだと思ってます。
そのゲームのネタを話して盛り上がったり、「どこまでやった?」って進行具合を報告しあったり。
だから本当に「独り」でゲームをやっているなあって感じてしまうのは
周りで誰もそのゲームをやっていない、自分しかやってないゲームをやっている時なんかがそうです。
大学1年の時、ブックオフに名作と聞いていたスーファミのRPG『エストポリス伝記Ⅱ』が
500円で売っていたので、暇つぶしにとでも思って買いました。
が、どうもやっぱりガッツリやろうという気にはならず、30分やっては止め、1時間やっては止め
みたいな感じ。
そこそこ面白かったので一応クリアはしたけど、ちょっと惰性でやってた感はあったし
クリアしてからは一切やらなくなりました。
このゲームは昔のゲームだしそもそもそんなに有名な作品でもないから
周りに話題を共有できる人がいなかったのです。
こうなると、いくらそのゲームが面白くてもあまりやる気が起きない。
この状態は、この頃から今までずっと続いています。
ゲームをやるにも、「交流」を求めるようになった。
ゲームで人とつながりたい、一人でゲームをやるにしても、後でそのゲームの話題を共有したい。
だからネットゲームは人と交流できたから楽しかったし
mixiアプリなんかもマイミクとスコアを競い合ったりできたからよかった。
最近流行ってるブラウザゲームのクッキークリッカーは、俺は1日で飽きてしまいました。
これはたしかにハマるのだけど
たとえばフレンド機能とかランキング機能のようなものが無いので
誰かと競い合ったりとかができない。
ただ独りで黙々と記録を伸ばしていくだけ。
ただ架空のババアとコミュニケーションをとるだけ。
話題性がある内はこのゲームのネタで盛り上がれるかもしれないけど
風化するのも早そうだし
それに気付いた時に虚しくなって、すぐやめてしまいました。
今まで自分が時間を奪われたブラウザゲームは
ズーキーパー、サンシャイン牧場、ブラウザ三国志など
ランキング機能があったり何かしら交流できたりするものでした。
しかしこれらもゲーム自体に飽きるより、大体周りがやらなくなったら自分も飽きてやめる
といった場合がほとんどでした。
今はモンハン4が一番楽しいんじゃないでしょうか。
この記事を書いている現在、モンハン4が発売された直後で
さすが今や国民的ゲームといえる超人気ゲーム、周りのほとんどの人がモンハンをやっています。
ここまでくると、休日を一日中モンハンに費やしてしまっても、それは「充実した一日」になるのでしょう。
モンハンをずっと一人でやっていたとしても、日本全国みんながモンハンをやっているのだから
ツイッターなどでも多くの人と話題を共有できるし
「一人」で遊んでいても「独り」にはならない。
さらにはモンハンはオンラインでも遊べる(よく知らないけど、できますよね?)のだから
世間は「モンハン充」でいっぱいでしょう。
とてもうらやましい。ならお前もモンハンやればいいじゃねえか、と思う人もいるかもしれませんが
そんなにいきなり環境を揃えられるほど自分には余裕が無いのです。色々と。
あと3Dゲームはド下手なのでゲーム自体を楽しめなかったら、という懸念もあります。
自分の今の生命線は、ポップンです。
ポップンはオンライン対応のアーケードゲームだからポップンを通じて人とコミュケーションができるし
断続的に色んなアップデートがなされているから話題にも事欠かない。
だけど怖いのが、自分の周りのポップンやってる方々がポップン離れしてしまうことです。
実際、周りではちょっとポップン離れ気味な人が増えているように見えなくもない。
もちろん、ポップンから離れるのはその人の勝手だし事情もあるし仕方の無いことです。
だけどやはり寂しい。
ポップンのスコアを競ったり、ポップンの話をしたりする相手がいなくなってしまうと
きっとポップンのモチベは下がってしまう。それが今少し不安です。
まだポップン自体がすごく面白いので急に冷めることはないだろうけど。。
あと、実況プレイ動画におけるゲームは特殊です。
ゲームのプレイは一人でやるけど、決して一人だけでやっているわけではない。
実況プレイはそんな感覚です。
たまに一人でゲームをやってて「これ実況動画でやろうかなあ」と思ったりしてしまうのは
寂しいからなのかもしれません。
ゲームは自分にとって、大事なコミュニケーションツールなのです。
人の話を聞かない人にはなっちゃいけないな、と常々思っております。
自分でも、過去を振り返るとあの時は自分のことしか考えてなかったなーとか
相手に不快感与えてたんだなーと反省したりします。
そして今でも反省することは多い。
自分がちゃんとそういったことを気をつけようと肝に銘じるようになったのは
人の振りを見たのがきっかけで我が振りを直そうと思ったからです。
「ああこれ、自分がされると不快なもんだなあ、俺も無意識のうちにこれやってたんだろうなあ」
と反面教師に教えられて気付き、反省できるようになったのです。
人の話を聞かない人の特徴は
「他の人の話に対してとくに何もレスポンスを返さず、そのまま自分の話をしてしまう」ところだと思います。
たとえば、昔俺が人に何かの体験を話して、それも結構具体的な内容で
ちゃんとオチまでつけたんですが、そのオチまで話した直後に相手が
「そういえば俺もあの時あんなことがあって~」と
俺の話に何の感想も反応も無いまま、何事も無かったかのように
自分の話に持っていってしまったのです。
これはもう、話して損したなと思いました。
でもこれってかなりよくあることですよね。
実は無意識のうちにやっちゃってる人、すごく多いと思うのです。
mixiとかSNSでも、誰かが書いた日記とかに対してのコメントで
「私もこんなことがあって~」ってなぜか自分のエピソードを語り出す人いますよね。
いちおう、その話題に関連付けてはいるので全く人の話を聞いていないわけではないという。
関連付けて、といってもその話題から連想して全く別の話に持っていくパターンの方が多いので
実際に関連が無い場合も多いですが。
しかし、こういった人間が多くなってしまうのは必然なのです。
なぜなら人はみんな自分のことが好きだから。
決して他の人に全く興味がないというわけでない。
だからさっきの例でも、人の話の内容を一切頭に入れていないというわけではないのです
(本当に自分にしか興味がなくて、本当に人の話を完全に上の空で聞いてる人も極稀にいますが)
ついつい、自分を優先してしまっているところがある。
自分の話をするのはいいとして、相手の話にまったく何の反応も示さないというのはよくない。
もし自分もそういう時あるなと日常会話の中で思った人は、気をつけたほうがいいかも。
もちろん、自分の話ばかりになってしまうのもよくないです。
ただ、相手があまり自分の話をしない人だとこっちも自分の話になってしまうこともあります。
そういった場合、自分の話を多くする人は勝手に話題を提供してくれるので助かったりもしますが。
なんかちょっと話がズレていってる気がするな。
俺なんかは別に自分の話をするのはイヤじゃないけど
自分の話ばかりはしたくないし、ちょくちょく人に話は振るようにしていて
面白い話を聞くのはもちろん好きだし
また、人の話に対して自分の意見を述べることが好きなので
そういう意味で、人の話を聞くのは好きです。
その状況によって人の話に対するレスポンスが無意識に薄くなっていることもあるので
そのへんは「ああ今、俺この人の話ちゃんと聞けてなかったな」と反省することもありますが。
前に松岡修造氏がはなまるマーケットか何かにゲストで出た時に仰っていたのですが
修造はたとえば人に何か質問されたり意見を求められた時などに
自分の話をする前にまず「あなたはどうですか?」と相手に振るようにしているそうで
実際その日のトークでもたしかに修造はなにか質問されたときに毎回
「僕はこうしてます、あなたはしてますか?」「あなたもしますか?」と相手に対しての
気配りを欠かさないようにしていましたのです。
これは自分の話ばかりせず人のことをちゃんと考えなくてはいけないという気持ちの顕れで
また常に自分の信念を曲げない修造の人間性が垣間見ることができます。
こういう姿勢は見習わなくては。コミュニケーションは自己反省の連続です。
自分でも、過去を振り返るとあの時は自分のことしか考えてなかったなーとか
相手に不快感与えてたんだなーと反省したりします。
そして今でも反省することは多い。
自分がちゃんとそういったことを気をつけようと肝に銘じるようになったのは
人の振りを見たのがきっかけで我が振りを直そうと思ったからです。
「ああこれ、自分がされると不快なもんだなあ、俺も無意識のうちにこれやってたんだろうなあ」
と反面教師に教えられて気付き、反省できるようになったのです。
人の話を聞かない人の特徴は
「他の人の話に対してとくに何もレスポンスを返さず、そのまま自分の話をしてしまう」ところだと思います。
たとえば、昔俺が人に何かの体験を話して、それも結構具体的な内容で
ちゃんとオチまでつけたんですが、そのオチまで話した直後に相手が
「そういえば俺もあの時あんなことがあって~」と
俺の話に何の感想も反応も無いまま、何事も無かったかのように
自分の話に持っていってしまったのです。
これはもう、話して損したなと思いました。
でもこれってかなりよくあることですよね。
実は無意識のうちにやっちゃってる人、すごく多いと思うのです。
mixiとかSNSでも、誰かが書いた日記とかに対してのコメントで
「私もこんなことがあって~」ってなぜか自分のエピソードを語り出す人いますよね。
いちおう、その話題に関連付けてはいるので全く人の話を聞いていないわけではないという。
関連付けて、といってもその話題から連想して全く別の話に持っていくパターンの方が多いので
実際に関連が無い場合も多いですが。
しかし、こういった人間が多くなってしまうのは必然なのです。
なぜなら人はみんな自分のことが好きだから。
決して他の人に全く興味がないというわけでない。
だからさっきの例でも、人の話の内容を一切頭に入れていないというわけではないのです
(本当に自分にしか興味がなくて、本当に人の話を完全に上の空で聞いてる人も極稀にいますが)
ついつい、自分を優先してしまっているところがある。
自分の話をするのはいいとして、相手の話にまったく何の反応も示さないというのはよくない。
もし自分もそういう時あるなと日常会話の中で思った人は、気をつけたほうがいいかも。
もちろん、自分の話ばかりになってしまうのもよくないです。
ただ、相手があまり自分の話をしない人だとこっちも自分の話になってしまうこともあります。
そういった場合、自分の話を多くする人は勝手に話題を提供してくれるので助かったりもしますが。
なんかちょっと話がズレていってる気がするな。
俺なんかは別に自分の話をするのはイヤじゃないけど
自分の話ばかりはしたくないし、ちょくちょく人に話は振るようにしていて
面白い話を聞くのはもちろん好きだし
また、人の話に対して自分の意見を述べることが好きなので
そういう意味で、人の話を聞くのは好きです。
その状況によって人の話に対するレスポンスが無意識に薄くなっていることもあるので
そのへんは「ああ今、俺この人の話ちゃんと聞けてなかったな」と反省することもありますが。
前に松岡修造氏がはなまるマーケットか何かにゲストで出た時に仰っていたのですが
修造はたとえば人に何か質問されたり意見を求められた時などに
自分の話をする前にまず「あなたはどうですか?」と相手に振るようにしているそうで
実際その日のトークでもたしかに修造はなにか質問されたときに毎回
「僕はこうしてます、あなたはしてますか?」「あなたもしますか?」と相手に対しての
気配りを欠かさないようにしていましたのです。
これは自分の話ばかりせず人のことをちゃんと考えなくてはいけないという気持ちの顕れで
また常に自分の信念を曲げない修造の人間性が垣間見ることができます。
こういう姿勢は見習わなくては。コミュニケーションは自己反省の連続です。
最近、久々にフジファブリックを聴いた。
フジファブリックは初めて聴いた時にこのバンドに出会えてよかったと心から思えたバンドのひとつ。
初めてフジファブを聴いたのは、音楽雑誌(たぶんロッキンオンジャパン)で
レビューの内容に興味を惹かれて、メジャー1枚目のアルバム『フジファブリック』を
ゲオでレンタルしてきたのが最初。
書いてる途中で思い出したけど、ロッキオンジャパンより
2chでのアルバムレビューで興味を惹かれたのだった気がする。
なんだか異様な雰囲気のバンド、というイメージを持ったのだろう。
たしかに、曲を聴く前に歌詞カードを見たら、異様だった。
なんだ『追ってけ追ってけ』ってタイトル。歌詞がパジャマでパヤパヤ~とか。なんだこいつらは。
で、初めて聴いた曲が『桜の季節<Album ver.>』になるわけだけど
その時に「美しいバンドだ」と思った。まずその第一声にうちのめされた。
なんて異質な声。なんと表現すればいいのか。「怪しい」というべきか。
アルバムの第一印象とあいまってとても「怪しい」ボーカル。
そして2曲目の『TAIFU』。なんじゃこりゃ、である。
1曲目で予想外にとっても美しい曲がきたと思ったら2曲目でネジでも外れたかのようにガラリと変わって
「虹色赤色黒色白」「飛び出せレディーゴーで踊ろうぜだまらっしゃい」と
またよく意味がわからない怪しさ全開の変化球がぶっ飛んでくる。
んで3曲目の『陽炎』である。たしか、この曲を聴いた時に「このバンド、絶対好きだ」と思った気がする。
歌詞の内容は少年時代のレトロな風景を描いたもので、
これがとにかく物語性と情緒性に溢れてて、サビもとてもメロディアスで
またユーモアに溢れたボーカルと随所に出てくるフレーズとマッチして
フジファブリックにしか出せない味を出してくる。
切ない曲調なのに「隣のノッポに~借りたバットと~」というフレーズでなんか笑えてしまう。
「ノッポ」って。そのへんの笑いの要素が素敵に曲に溶け込んでくるのである。
さらにたたみかけるようにやってきた4曲目の『追ってけ 追ってけ』。
俺は完全にやられてしまった。1→2曲目の「桜の季節→TAIFU」と同じパターンである。
陽炎でノスタルジックな気分にされたと思ったら、また変な曲である。
この「追ってけ 追ってけ」はインディーズ時代の曲のリテイク版なのだが
これが初期フジファブリックというバンドをもっとも印象付けている曲だと思う。
最初、この曲は正直ちょっと怖かった。とにかく変なメロディー、不気味なキーボード。
しかし癖になってしまう。
おそらくフジファブリックファンなら、いやそうでもなくとも誰もが名曲と認めるであろう
『赤黄色の金木犀』はまさにこのアルバムのハイライトといえよう。
「歩くスピードを上げた」というフレーズからテンポアップして入るサビは圧巻、
その感動的なメロディーに胸が熱くなる。
とにかく異色なアルバムだった。この「フジファブリック」というアルバムを聴いた後の余韻はすごかった。
とんでもないバンドがいたもんだ。
Vo.志村正彦、おそるべき才能の持ち主である。
志村は本当の意味で天才だったと思う。
桜の季節、陽炎、赤黄色の金木犀の3曲がシングル曲で、それ以外の7曲はアルバム曲
このメジャー1stアルバムはシングル曲だけかなり浮いている。
アルバム曲が変な曲ばかりだからだ。
しかしだからこその「味」である。
そして独特でユーモラスなのにメロディアスで、どこか正統派な部分もある。
これは俺が好きなバンドにかなり多い傾向だ。
フジファブリックは、ユーモアはあるけどそれが「ふざけてる感」が無いのが好きだ。
シュールな笑いに近いものがある。
このアルバム1枚だけフジファブリックの虜になった俺はすぐにインディーズ時代のミニアルバム
『アラカルト』『アラモード』を聴いた。
インディーズ時代からやはり素晴らしいメロディーセンスを持っていた。
『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』『花屋の娘』など
メジャーで出しても全く遜色ない名曲ばかり。
そして満を持して2stアルバム『FAB FOX』の登場。
期待感はかなりのものだった。そして聴いた。
垢抜けた。一言で言えばそういった印象。
ものすごく色んなものを吸収してすごく自信をつけたんだろうな、って思った。
とにかくポップなアルバムになった。1stとはだいぶ印象が違う。
初期の「怪しさ」の面影を残しながら、志村の洗練されたポップさが全面に押し出された感じ。
垢抜けたというよりは、色々やりたいことが増えてこうなったのかな?という風にも見える。
「Birthday」あたりが顕著かな。
で、なんだかんだで、やはり名盤であった。そしてフジファブリックの味は残っていた。
っていうかすごい。大袈裟だけどこのバンドどこまですごいんだ、これ音楽界に革命起こしてるぞって
当時本気で思った。
『銀河』を聴いた時のインパクトは今でもこびりついて離れない。
この1曲が収録されてるだけでもこのFAB FOXには多大なる価値がある。
カッコいいとかじゃない、どこか気の抜けたような、しかし計り知れない中毒性を持った
ギターフレーズ、ふざけてるのかまじめなのかわからないクセになる歌詞、独特だが妙にキャッチーなサビ。
俺はなんやかんや1stアルバム「フジファブリック」がフジファブ最強の名盤だと思っている。
個人的な思い入れもあるけど、やっぱりこのアルバムこそがフジファブリックを象徴していると思う。
フジファブリックはどんどん変わっていってしまったバンドで
そしてボーカルの志村が病で亡くなってしまって
それからそのショックもあって、やはり志村がいなくなってからのフジファブはどこか受け入れられなくて
フジファブリックの音楽は聴けなくなってしまったりしたのだけど
『TEENAGER』も『CHRONICLE』も時間が経ってから聴くといいアルバムだった。
以前、現フジファブメンバーがネットで配信やってたのを見たけど
面白かったし志村がいなくなってからの曲も良かった。
俺は音楽関連のレビューを書くといつにも増して表現が稚拙で
かなり至らない文章になってしまうのだけど
フジファブリックというバンドが如何に愛されていて、多くの人に影響を与えてきたバンドかというのを
今回の記事で少しでもフジファブに興味を持ってくれた人が知ってくれると嬉しいです。
フジファブリックは初めて聴いた時にこのバンドに出会えてよかったと心から思えたバンドのひとつ。
初めてフジファブを聴いたのは、音楽雑誌(たぶんロッキンオンジャパン)で
レビューの内容に興味を惹かれて、メジャー1枚目のアルバム『フジファブリック』を
ゲオでレンタルしてきたのが最初。
書いてる途中で思い出したけど、ロッキオンジャパンより
2chでのアルバムレビューで興味を惹かれたのだった気がする。
なんだか異様な雰囲気のバンド、というイメージを持ったのだろう。
たしかに、曲を聴く前に歌詞カードを見たら、異様だった。
なんだ『追ってけ追ってけ』ってタイトル。歌詞がパジャマでパヤパヤ~とか。なんだこいつらは。
で、初めて聴いた曲が『桜の季節<Album ver.>』になるわけだけど
その時に「美しいバンドだ」と思った。まずその第一声にうちのめされた。
なんて異質な声。なんと表現すればいいのか。「怪しい」というべきか。
アルバムの第一印象とあいまってとても「怪しい」ボーカル。
そして2曲目の『TAIFU』。なんじゃこりゃ、である。
1曲目で予想外にとっても美しい曲がきたと思ったら2曲目でネジでも外れたかのようにガラリと変わって
「虹色赤色黒色白」「飛び出せレディーゴーで踊ろうぜだまらっしゃい」と
またよく意味がわからない怪しさ全開の変化球がぶっ飛んでくる。
んで3曲目の『陽炎』である。たしか、この曲を聴いた時に「このバンド、絶対好きだ」と思った気がする。
歌詞の内容は少年時代のレトロな風景を描いたもので、
これがとにかく物語性と情緒性に溢れてて、サビもとてもメロディアスで
またユーモアに溢れたボーカルと随所に出てくるフレーズとマッチして
フジファブリックにしか出せない味を出してくる。
切ない曲調なのに「隣のノッポに~借りたバットと~」というフレーズでなんか笑えてしまう。
「ノッポ」って。そのへんの笑いの要素が素敵に曲に溶け込んでくるのである。
さらにたたみかけるようにやってきた4曲目の『追ってけ 追ってけ』。
俺は完全にやられてしまった。1→2曲目の「桜の季節→TAIFU」と同じパターンである。
陽炎でノスタルジックな気分にされたと思ったら、また変な曲である。
この「追ってけ 追ってけ」はインディーズ時代の曲のリテイク版なのだが
これが初期フジファブリックというバンドをもっとも印象付けている曲だと思う。
最初、この曲は正直ちょっと怖かった。とにかく変なメロディー、不気味なキーボード。
しかし癖になってしまう。
おそらくフジファブリックファンなら、いやそうでもなくとも誰もが名曲と認めるであろう
『赤黄色の金木犀』はまさにこのアルバムのハイライトといえよう。
「歩くスピードを上げた」というフレーズからテンポアップして入るサビは圧巻、
その感動的なメロディーに胸が熱くなる。
とにかく異色なアルバムだった。この「フジファブリック」というアルバムを聴いた後の余韻はすごかった。
とんでもないバンドがいたもんだ。
Vo.志村正彦、おそるべき才能の持ち主である。
志村は本当の意味で天才だったと思う。
桜の季節、陽炎、赤黄色の金木犀の3曲がシングル曲で、それ以外の7曲はアルバム曲
このメジャー1stアルバムはシングル曲だけかなり浮いている。
アルバム曲が変な曲ばかりだからだ。
しかしだからこその「味」である。
そして独特でユーモラスなのにメロディアスで、どこか正統派な部分もある。
これは俺が好きなバンドにかなり多い傾向だ。
フジファブリックは、ユーモアはあるけどそれが「ふざけてる感」が無いのが好きだ。
シュールな笑いに近いものがある。
このアルバム1枚だけフジファブリックの虜になった俺はすぐにインディーズ時代のミニアルバム
『アラカルト』『アラモード』を聴いた。
インディーズ時代からやはり素晴らしいメロディーセンスを持っていた。
『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』『花屋の娘』など
メジャーで出しても全く遜色ない名曲ばかり。
そして満を持して2stアルバム『FAB FOX』の登場。
期待感はかなりのものだった。そして聴いた。
垢抜けた。一言で言えばそういった印象。
ものすごく色んなものを吸収してすごく自信をつけたんだろうな、って思った。
とにかくポップなアルバムになった。1stとはだいぶ印象が違う。
初期の「怪しさ」の面影を残しながら、志村の洗練されたポップさが全面に押し出された感じ。
垢抜けたというよりは、色々やりたいことが増えてこうなったのかな?という風にも見える。
「Birthday」あたりが顕著かな。
で、なんだかんだで、やはり名盤であった。そしてフジファブリックの味は残っていた。
っていうかすごい。大袈裟だけどこのバンドどこまですごいんだ、これ音楽界に革命起こしてるぞって
当時本気で思った。
『銀河』を聴いた時のインパクトは今でもこびりついて離れない。
この1曲が収録されてるだけでもこのFAB FOXには多大なる価値がある。
カッコいいとかじゃない、どこか気の抜けたような、しかし計り知れない中毒性を持った
ギターフレーズ、ふざけてるのかまじめなのかわからないクセになる歌詞、独特だが妙にキャッチーなサビ。
俺はなんやかんや1stアルバム「フジファブリック」がフジファブ最強の名盤だと思っている。
個人的な思い入れもあるけど、やっぱりこのアルバムこそがフジファブリックを象徴していると思う。
フジファブリックはどんどん変わっていってしまったバンドで
そしてボーカルの志村が病で亡くなってしまって
それからそのショックもあって、やはり志村がいなくなってからのフジファブはどこか受け入れられなくて
フジファブリックの音楽は聴けなくなってしまったりしたのだけど
『TEENAGER』も『CHRONICLE』も時間が経ってから聴くといいアルバムだった。
以前、現フジファブメンバーがネットで配信やってたのを見たけど
面白かったし志村がいなくなってからの曲も良かった。
俺は音楽関連のレビューを書くといつにも増して表現が稚拙で
かなり至らない文章になってしまうのだけど
フジファブリックというバンドが如何に愛されていて、多くの人に影響を与えてきたバンドかというのを
今回の記事で少しでもフジファブに興味を持ってくれた人が知ってくれると嬉しいです。
今回の記事は、このブログではよくしている話です。
もしかしたら前にも書いた記事なんじゃないかとさえ思います。
そしてまた結構ガツーンと言ってる記事なのですが
これを読んだ後、妙に自分にも当てはまるかもと気にする人が出るんじゃないかとちょっと不安です。
あまり深く考えないで読んでいただければ幸い。
俺は「ネットスラングを多用する人」がこの世でトップ5に入るぐらい面白くない人だと思ってます。
口調がすべてネット用語っていう人、いますよね。
別にネットスラングを使うことが悪いことと言っているわけではないです。
流行りモノと同じですから、それを使いたくなるのは必然だと思います。
俺だってたまに使うしね。
ただ、ネットスラングばかり使う人は面白くないなあと俺が個人的に思っているだけです。
自分の言葉が無いのだろうか?って思ってしまいます。
ネットスラングを使うってことはそれはつまり自分の考えた言葉では無いわけですし
その人の独自性というものはどんどん薄れていきます。
これは俺が前から思っていることなのですが
「自分」を持っていない人っていうのは、面白くないなと思います。
人のマネばかりして、自分からは何も生み出せない人。
「マネしたり吸収したり影響を受けたりして、それを自分流にアレンジしたりしてモノにできる人」
は面白いのです。マネをするということ自体が悪いわけではない。
だから、面白い人はネットスラングの使い方もうまいです。
絶妙なタイミングで使ってきたり、その人なりの味を加えてきたり。
要は只々「ネットスラングを言いたいだけ」「無意識にネットスラングばかり言っている」人が
つまらないのです。
無限ループな場面が出てくるたびに「無限ループって怖くね?」って言ったり
忍者が出てくるたびに「さすが忍者きたない」って言ったり
それもう今言っても誰も笑わないし得しないし何なんだ?言わなきゃだめなの?条件反射?って思います。
ネットスラング自体が面白くない、というわけでもないんですよね。
その元ネタ自体は面白かったりするし。
みんながそこかしこで使って何度も目にするので
物凄い早さでそのネタの面白さが風化していってしまうのです。
汎用性が高いネットスラングはより厄介。
みんなが同じようなタイミングで何度も使うし、どれも面白くないのでうんざりします。
ネットスラング使ってる人は周りに多いし別に悪いことじゃないから
やめろと言うわけにはいかないのですが。
最近は淫夢ネタがすごく流行ってますが((震え声)とか(提案)とかいうやつ)
このブームほんと早く終わって欲しいなと切に願っています。
あと、そのネットスラング自体が既にうっとうしい場合もあります。
というか最近のネットスラングは人を馬鹿にするようなものも多いので本気で嫌いです。
俺が死ぬほど嫌いなのが「お、おう」とか「あのさぁ…」ってやつ。
面白くないしただ人を愚弄するだけのものなので気分悪いです。
とくに、「ただネットスラング言いたいだけ」の人が多いから
的外れな場面で使う人が多いのもイヤになる要因です。
別に引くところでもなかったのに「お、おう」とか「・・・だと!?」とか言いたいだけのやつ。
もはや意味わかってないのに便乗してるだけの人もいらっしゃったりしますね。
たまにいますねツイッターとか見てて「~は草不可避」「~ですしおすし」「~だと!?」って
ほぼすべてのつぶやきにネットで聞いたことのあるフレーズがついてる人。
僕は耐えられないのでそういった人はフォローしないため、自分がフォローしてる人の中にはいませんが。
なんかそれで「ちょっと面白いと思ってる感」があったりするのがまた。
しかしこんなことを意識しすぎてネットなんかやってたら発狂してしまいますね。
過剰な状況に遭遇しない限りは大丈夫です。
もしかしたら前にも書いた記事なんじゃないかとさえ思います。
そしてまた結構ガツーンと言ってる記事なのですが
これを読んだ後、妙に自分にも当てはまるかもと気にする人が出るんじゃないかとちょっと不安です。
あまり深く考えないで読んでいただければ幸い。
俺は「ネットスラングを多用する人」がこの世でトップ5に入るぐらい面白くない人だと思ってます。
口調がすべてネット用語っていう人、いますよね。
別にネットスラングを使うことが悪いことと言っているわけではないです。
流行りモノと同じですから、それを使いたくなるのは必然だと思います。
俺だってたまに使うしね。
ただ、ネットスラングばかり使う人は面白くないなあと俺が個人的に思っているだけです。
自分の言葉が無いのだろうか?って思ってしまいます。
ネットスラングを使うってことはそれはつまり自分の考えた言葉では無いわけですし
その人の独自性というものはどんどん薄れていきます。
これは俺が前から思っていることなのですが
「自分」を持っていない人っていうのは、面白くないなと思います。
人のマネばかりして、自分からは何も生み出せない人。
「マネしたり吸収したり影響を受けたりして、それを自分流にアレンジしたりしてモノにできる人」
は面白いのです。マネをするということ自体が悪いわけではない。
だから、面白い人はネットスラングの使い方もうまいです。
絶妙なタイミングで使ってきたり、その人なりの味を加えてきたり。
要は只々「ネットスラングを言いたいだけ」「無意識にネットスラングばかり言っている」人が
つまらないのです。
無限ループな場面が出てくるたびに「無限ループって怖くね?」って言ったり
忍者が出てくるたびに「さすが忍者きたない」って言ったり
それもう今言っても誰も笑わないし得しないし何なんだ?言わなきゃだめなの?条件反射?って思います。
ネットスラング自体が面白くない、というわけでもないんですよね。
その元ネタ自体は面白かったりするし。
みんながそこかしこで使って何度も目にするので
物凄い早さでそのネタの面白さが風化していってしまうのです。
汎用性が高いネットスラングはより厄介。
みんなが同じようなタイミングで何度も使うし、どれも面白くないのでうんざりします。
ネットスラング使ってる人は周りに多いし別に悪いことじゃないから
やめろと言うわけにはいかないのですが。
最近は淫夢ネタがすごく流行ってますが((震え声)とか(提案)とかいうやつ)
このブームほんと早く終わって欲しいなと切に願っています。
あと、そのネットスラング自体が既にうっとうしい場合もあります。
というか最近のネットスラングは人を馬鹿にするようなものも多いので本気で嫌いです。
俺が死ぬほど嫌いなのが「お、おう」とか「あのさぁ…」ってやつ。
面白くないしただ人を愚弄するだけのものなので気分悪いです。
とくに、「ただネットスラング言いたいだけ」の人が多いから
的外れな場面で使う人が多いのもイヤになる要因です。
別に引くところでもなかったのに「お、おう」とか「・・・だと!?」とか言いたいだけのやつ。
もはや意味わかってないのに便乗してるだけの人もいらっしゃったりしますね。
たまにいますねツイッターとか見てて「~は草不可避」「~ですしおすし」「~だと!?」って
ほぼすべてのつぶやきにネットで聞いたことのあるフレーズがついてる人。
僕は耐えられないのでそういった人はフォローしないため、自分がフォローしてる人の中にはいませんが。
なんかそれで「ちょっと面白いと思ってる感」があったりするのがまた。
しかしこんなことを意識しすぎてネットなんかやってたら発狂してしまいますね。
過剰な状況に遭遇しない限りは大丈夫です。
昔、極楽とんぼの吠え魂(山さんがいなくなる前の極楽とんぼのラジオ)で
加藤さんが「フィーチャーする」という言葉を「フューチャーする」と誤って発言していた。
本当にそのつもりで言っていたかはわからないが、何かをピックアップする場面で
はっきりと「フューチャーする」と言っていたので素で間違っていたんだと思う。
この時俺はどっちだかわからなくなった。
今まで「スポットを当てる」みたいな意味で「フィーチャーする」という言葉を使っていたんだけど
(本来は「特集する」という意味らしい)
まさか公式のラジオで言葉を間違えるとかないだろう、とか
ちゃんと間違ってたら誰かがツッコミ入れないとまずいものだよな?とか思ってたので
「フューチャーする」でも正しいのかな?と混乱してしまった。
それからどっちが正しいのかわからなくなってたまに「フューチャーする」と言ってしまうようになった。
それを動画の中で言ってしまって
「フューチャーじゃなくてフィーチャーだろww」「ムカデって英語苦手だよなwww」
と愚弄されてしまった。ものすごく悔しかった。
これはどうでもいいことなのに悔しすぎて今でもたまに思い出してああ、あの時ちゃんと調べてれば・・・
と後悔するレベル。
別に加藤さんを責めるつもりはない。俺のツメが甘かった。
というどうでもいい話。どうでもいいことを根に持ってしまったり引っかかったりしてしまう自分の卑小さよ
加藤さんが「フィーチャーする」という言葉を「フューチャーする」と誤って発言していた。
本当にそのつもりで言っていたかはわからないが、何かをピックアップする場面で
はっきりと「フューチャーする」と言っていたので素で間違っていたんだと思う。
この時俺はどっちだかわからなくなった。
今まで「スポットを当てる」みたいな意味で「フィーチャーする」という言葉を使っていたんだけど
(本来は「特集する」という意味らしい)
まさか公式のラジオで言葉を間違えるとかないだろう、とか
ちゃんと間違ってたら誰かがツッコミ入れないとまずいものだよな?とか思ってたので
「フューチャーする」でも正しいのかな?と混乱してしまった。
それからどっちが正しいのかわからなくなってたまに「フューチャーする」と言ってしまうようになった。
それを動画の中で言ってしまって
「フューチャーじゃなくてフィーチャーだろww」「ムカデって英語苦手だよなwww」
と愚弄されてしまった。ものすごく悔しかった。
これはどうでもいいことなのに悔しすぎて今でもたまに思い出してああ、あの時ちゃんと調べてれば・・・
と後悔するレベル。
別に加藤さんを責めるつもりはない。俺のツメが甘かった。
というどうでもいい話。どうでもいいことを根に持ってしまったり引っかかったりしてしまう自分の卑小さよ
びっくり。東京へ行ったあの日からもう2ヶ月が経っているのですね。
↓俺の東京旅行の話については、こちらをご覧下さい
東京旅行の記事
2ヶ月経っても、あの日から俺は本当に毎日のように東京で過ごした6日間のことを思い出すのです。
5泊6日で出費は約27,000円。飛行機代を入れても37,000円。
こんなに安上がりな旅行があろうか。
東京行った時の話を人にすると、ほぼ100%の確率で「もったいない」と言われます。
なにせ観光も、おいしい料理も、ほとんど触れてないのですから。
自分でももったいねえなと思います。
だけどもし観光目的だけで行ってたなら、こんなに余韻は残らなかったでしょう。
会いたかった人達と素敵な時間を過ごせたからずっとそれが記憶のすぐ取り出せる位置に残ってるし
元気が無くなった時はあの時の感覚を思い出せば、胸が熱くなります。
電車に揺られている時間すら思い出になってます。
あの時にあそこで乗り換えた、とか地下鉄の中はあんなんだった、とか
びっくりするぐらい全部思い出せるんですね。
電車の中で読んでいた小説「探偵ガリレオ」と「プリンセス・トヨトミ」は思い出の作品になりました。
やっぱり行ってよかったなあ。
あらゆる面で今の自分の糧とか、生きる気力になってると思う。
↓俺の東京旅行の話については、こちらをご覧下さい
東京旅行の記事
2ヶ月経っても、あの日から俺は本当に毎日のように東京で過ごした6日間のことを思い出すのです。
5泊6日で出費は約27,000円。飛行機代を入れても37,000円。
こんなに安上がりな旅行があろうか。
東京行った時の話を人にすると、ほぼ100%の確率で「もったいない」と言われます。
なにせ観光も、おいしい料理も、ほとんど触れてないのですから。
自分でももったいねえなと思います。
だけどもし観光目的だけで行ってたなら、こんなに余韻は残らなかったでしょう。
会いたかった人達と素敵な時間を過ごせたからずっとそれが記憶のすぐ取り出せる位置に残ってるし
元気が無くなった時はあの時の感覚を思い出せば、胸が熱くなります。
電車に揺られている時間すら思い出になってます。
あの時にあそこで乗り換えた、とか地下鉄の中はあんなんだった、とか
びっくりするぐらい全部思い出せるんですね。
電車の中で読んでいた小説「探偵ガリレオ」と「プリンセス・トヨトミ」は思い出の作品になりました。
やっぱり行ってよかったなあ。
あらゆる面で今の自分の糧とか、生きる気力になってると思う。
自分は、人に必要とされてないと感じると過剰なまでに落ち込んでしまうことがわかった。
俺は人間関係がうまくいかないことが多い。
それは俺自身に問題があるせいなんだと思う。
誰が悪いかなんてわからなくても、やっぱり最終的に行き着く先は自分自身である。
最近はまたひとつ失ってしまいました。
何度か仲直りしたけれど、どうしても俺が相手の色んな部分を許すことができなくて
もう断ち切ってしまおう、と決めてしまったのです。
これは俺がつもりつもって相手のことを信用できなくなってしまったのが一番の原因です。
やっと仲直りできたと思ったら、相手の無意識の言葉に傷つけられた。
でもそれは俺が勝手に傷付いていただけで、相手は悪びれることも傷つけたつもりも全く無かった。
それが辛かった。
結局は俺のことなど全く気にしていないのだ。
俺はいっぱい傷つけられたし、騙されたし、弄ばれていたんだと思った。
今までのことで怒りが溜まってきて、沢山汚い言葉を吐いてしまった。
最終的に、今までのことをいっぱい謝られた。
俺はいつも甘い、やっぱり言い過ぎたかなとか、自分が悪かったかなと思って許してしまう。
優しいわけじゃない、ただ甘いだけ。嫌われるのが怖いから楽なほうへと進んでしまうんだと思います。
でも俺はもう本当に信用できなくなってしまっていたのです。
相手の言葉の裏をどうしても探ってしまう。
いくら優しい言葉を返されても、そんな事微塵も思っても無いくせに、と思うようになった。
そんな風になってしまったのは、相手には心の支えとなる人がいつも側にいるからだ。
だから疑ってしまった。
どうせ俺が何しようがその人がいるからへこむことなんて無いくせに、慰めてもらってるくせに
もう俺のことなんて完全にどうでもいいと思ってるくせに。
そんな嫌な考えが頭の中で渦を巻くようになってしまいました。
俺の人間不信は、もはや性格ではなく体質とか病気のようなものになっているのです。
本当にちょっとしたことで「嫌われてるのかな、どうしよう」と卑屈になって
それで気分も悪くなり、体調も崩す。
体にはっきりと表れてしまうのだから、治すのが本当に難しい。
前にこのブログで同じようなことを書いたのだけど、人が好きで、人に嫌われたくないからこそ
人を信じられなくなってしまうのです。
すごく寂しがり屋だから、自分が人に必要とされてないと感じるとすごく辛い。
俺が関係を断ち切ってしまったのは、もうその人に必要とされてないことがわかったからです。
もし時間が経てばお互いをまた認め合うことができるのでしょうか。
関わったらまた、嫌な思いをするかもしれない。そう考えている限りは無理なのでしょう。
完全に、誰のためでも無い自分のための日記でした。
前々回の記事で書いたように、このブログはほぼ自分のためにやっているようなもので
記事を書いたらちょっとだけスッキリした気がします。
最近はだいぶ、回復に向かっています。
たまにふと思い出した時に萎えることがあって、心に闇が差して来るようなことがありますが
基本的には楽しく生きています。
自分を必要としてくれる人がいると実感できることが最近多かったからかもしれません。
これから自分は、よりいっそう創作活動に力を入れていきたいと思っています。
何かを作ったり生み出したりすることで得られるものは大きいと信じているからです。
たまにへこむとそういったことをいつも忘れてしまうけど、また何度も思い出せるようにしたい。
俺は人間関係がうまくいかないことが多い。
それは俺自身に問題があるせいなんだと思う。
誰が悪いかなんてわからなくても、やっぱり最終的に行き着く先は自分自身である。
最近はまたひとつ失ってしまいました。
何度か仲直りしたけれど、どうしても俺が相手の色んな部分を許すことができなくて
もう断ち切ってしまおう、と決めてしまったのです。
これは俺がつもりつもって相手のことを信用できなくなってしまったのが一番の原因です。
やっと仲直りできたと思ったら、相手の無意識の言葉に傷つけられた。
でもそれは俺が勝手に傷付いていただけで、相手は悪びれることも傷つけたつもりも全く無かった。
それが辛かった。
結局は俺のことなど全く気にしていないのだ。
俺はいっぱい傷つけられたし、騙されたし、弄ばれていたんだと思った。
今までのことで怒りが溜まってきて、沢山汚い言葉を吐いてしまった。
最終的に、今までのことをいっぱい謝られた。
俺はいつも甘い、やっぱり言い過ぎたかなとか、自分が悪かったかなと思って許してしまう。
優しいわけじゃない、ただ甘いだけ。嫌われるのが怖いから楽なほうへと進んでしまうんだと思います。
でも俺はもう本当に信用できなくなってしまっていたのです。
相手の言葉の裏をどうしても探ってしまう。
いくら優しい言葉を返されても、そんな事微塵も思っても無いくせに、と思うようになった。
そんな風になってしまったのは、相手には心の支えとなる人がいつも側にいるからだ。
だから疑ってしまった。
どうせ俺が何しようがその人がいるからへこむことなんて無いくせに、慰めてもらってるくせに
もう俺のことなんて完全にどうでもいいと思ってるくせに。
そんな嫌な考えが頭の中で渦を巻くようになってしまいました。
俺の人間不信は、もはや性格ではなく体質とか病気のようなものになっているのです。
本当にちょっとしたことで「嫌われてるのかな、どうしよう」と卑屈になって
それで気分も悪くなり、体調も崩す。
体にはっきりと表れてしまうのだから、治すのが本当に難しい。
前にこのブログで同じようなことを書いたのだけど、人が好きで、人に嫌われたくないからこそ
人を信じられなくなってしまうのです。
すごく寂しがり屋だから、自分が人に必要とされてないと感じるとすごく辛い。
俺が関係を断ち切ってしまったのは、もうその人に必要とされてないことがわかったからです。
もし時間が経てばお互いをまた認め合うことができるのでしょうか。
関わったらまた、嫌な思いをするかもしれない。そう考えている限りは無理なのでしょう。
完全に、誰のためでも無い自分のための日記でした。
前々回の記事で書いたように、このブログはほぼ自分のためにやっているようなもので
記事を書いたらちょっとだけスッキリした気がします。
最近はだいぶ、回復に向かっています。
たまにふと思い出した時に萎えることがあって、心に闇が差して来るようなことがありますが
基本的には楽しく生きています。
自分を必要としてくれる人がいると実感できることが最近多かったからかもしれません。
これから自分は、よりいっそう創作活動に力を入れていきたいと思っています。
何かを作ったり生み出したりすることで得られるものは大きいと信じているからです。
たまにへこむとそういったことをいつも忘れてしまうけど、また何度も思い出せるようにしたい。
最近、巷で話題のハイスコアガールという漫画
このハイスコアガールに俺はどっぷりとハマってしまい、現時点で発売されている
コミックス4巻を一気に集めて一気読みしてしまったのですが、思わずその後すぐに
1巻から読み直してしまいました。
それほどまでの魅力が、この漫画にはあったのです。
(ハイスコアガールについては、最近色んなところで熱く語っているのですが
そのうちブログにも記事を書くかもしれません)
俺がこんなに何度も読み返したくなる漫画に出会ったのは本当に久しぶりなのです。
近年マンガ自体をあまり読まなくなっていたというのもありますが。
過去に俺がすごくハマって何百回も読み直している漫画は
『今日から俺は!』『魔法陣グルグル』などです。これら2つは抜きん出ていますが
ドラゴンボールなんかもけっこう読み返してると思います。
何故一度読んだ事のある漫画なのに繰り返し読みたくなるのか。
そして、それらとは逆に一度読んだらもうまったく読み返さなくなる漫画もあるのです。
これは単に、その漫画が面白くないから、というわけではないのです。
むしろ、面白いからこそ読んでいたはずなのです。面白くなかったら途中で読むのやめてるしね。
この読み返したくなる漫画と読み返したくならない漫画の違いはなんなのか
ということについて結構前から自分なりに分析していて、ある程度答えが出たので
今回の記事はそのことについてまとめていきます。
俺の中で「読み返す気にならなかった漫画」として最も記憶に新しいのが『バクマン。』です。
バクマンは結構前に週刊少年ジャンプで連載されていた、「マンガ家」を題材にした珍しいマンガで、
アニメ化されるほどのなかなかの人気作品でした。
俺はアニメきっかけで面白そうだなと思ってバクマンのコミックスを集め始めました。
マンガ家の裏事情を敢えて表面に出すという斬新な試み、個性的なキャラクター、テンポの良い展開。
この漫画は面白い!と、俺も一時期は人にオススメするほどかなりハマっていたのです。
が、途中で思ったのです。これコミックス集めることにメリットがあるのか?と。
続きが気になるし面白いと思っているから集めていたわけですが
実は一度読んだらほとんど読み返そうとしていないことに気付いたのです。
1回しか読まないなら借りたり漫画喫茶で済ませたりすれば充分だしな。。
というわけで途中で俺はバクマンのコミックスを全巻売ってしまいました。
1回ぐらい読み返したっけな、レベル。
俺がバクマンを読み返さなかった大きな理由のひとつが
「絵が好きじゃなかったから」であることに、後で気付きました。
漫画は絵と文字(台詞)を両方見て楽しむものだから、絵は最も重要な要素といえます。
自分の好きな絵って何度も見返したりしますよね。
それと同じで、漫画は「絵」も見ているわけだから、その絵柄が好きで、絵を見るために読み返すというわけです。
また、漫画には幾多の「シーン」があります。
さっきの「絵」を見るのと同じようなことですが、マンガの絵と一枚絵の違いは
動きやストーリーがあること。そしてそこに台詞などの文字媒体が加わること。
それによって、シーンが生まれます。
そして、マンガにはさらにそこに「表情」が加わります。
俺は表情が良い絵が好きなのです。
それらが見事に調和して生まれた「シーン」はとても印象的なものとなり
「あのシーンがまた見たい」という想いを読者に抱かせます。
「名ゼリフ」とかもそうです。胸にグッときた言葉は、また聞きたくなる。
あとは、ユーモアもかなり重要だと個人的に思います。
それもそのはず、漫画のストーリーは一度読むと2回目以降は物語が既に解っているから鮮度は落ちます。
比べて、ギャグというものは面白ければわかっていてもまた笑えますからね。
ちょっと話が逸れるけど、ではシリアス一辺倒の漫画はもうその時点で不利なのでは?
というと、そういうことではないと思います。このブログでもよく言っていることですが
ユーモアがある人=面白いことが思いつく、頭の回転が速い人=面白い漫画が描ける人
だと思っているので。
話を元に戻して、ここまでの分析をもとにして考えると
ハイスコアガールには、俺が「読み返したくなる要素」すべてが詰まっているのです。
俺はこの押切先生の絵がすごく好きです。
決して漫画家としては上手なわけではない、でも独特のセンスを持っていて
押切蓮介という人にしか出せない味がある。
何より、押切先生の描くキャラクターは表情が素晴らしいのです。この人は表情の描き方が本当に上手い。
上手いというか、なんだか見る人の感情にも訴えてくるような表情を描くのです。
そしてさらに、ギャグも面白い。名ゼリフや名シーンも多い。
押切先生の描いた大好きな絵を、キャラを、シーンを、また見たい!
そう思わせる魅力が沢山詰め込まれているのです。
対して、バクマン。
俺がバクマンの小畑先生の絵柄を好きになれないのは、「上手すぎる」からだと思います。
思えば自分の好きな作家さんはお世辞にも漫画家としては絵が上手でない方の人が多いです。
でも、なんだか味があって魅力的なのです。
上手すぎると、どうしてもどこかで味が薄くなってしまうことがある。
もちろん、上手さと味を兼ね備えた作家さんも沢山いますが。
たまにバクマンはキャラの顔をデフォルメさせたりするのですが
やはりもともとの上手さのせいか、デフォルメしきれていない感があるのです。
必死に味を出そうとしている、というか。
そのせいで絵や表情がかたく見えてしまうのです。
だからキャラクターの魅力も半減してしまう。
実際、バクマンのキャラは結構好きだったのですが。他の人の絵だったらもっと好きになってたと思います。
そして、バクマンは正直言って名ゼリフとか名シーンが、あまり思い浮かばないのです。
いいなあとか面白いなあとか思ったところはあるけど、特別印象に残ってる場面はぶっちゃけ無いです。
なんだかものすごくバクマンを貶してしまいました。
おいおい全然好きじゃないじゃん、と思われそうですが
その通り、バクマンは俺は好きにはなれませんでした。
確かに面白かったけど、漫画自体が好きにはなれなかった。
そういえばゲームでも同じようなことが言えます。
たとえばスターオーシャンというRPGがあるのですが
このゲームは面白くて一時期かなりハマってました。
が、ストーリーが投げやりで、キャラにもほとんど愛着を持てなかったので
2周目とかあまりやる気になれませんでした。
システム自体は面白かったけど、ゲーム自体に思い入れがなかったということです。
つまり結論としては
その漫画を読み返したくなるかどうかは、その漫画が面白いかどうかではなく
その漫画を愛しているかどうか、だと思います。
愛を注げない漫画は、自分にとっては使い捨ても同然になってしまうのです。
このハイスコアガールに俺はどっぷりとハマってしまい、現時点で発売されている
コミックス4巻を一気に集めて一気読みしてしまったのですが、思わずその後すぐに
1巻から読み直してしまいました。
それほどまでの魅力が、この漫画にはあったのです。
(ハイスコアガールについては、最近色んなところで熱く語っているのですが
そのうちブログにも記事を書くかもしれません)
俺がこんなに何度も読み返したくなる漫画に出会ったのは本当に久しぶりなのです。
近年マンガ自体をあまり読まなくなっていたというのもありますが。
過去に俺がすごくハマって何百回も読み直している漫画は
『今日から俺は!』『魔法陣グルグル』などです。これら2つは抜きん出ていますが
ドラゴンボールなんかもけっこう読み返してると思います。
何故一度読んだ事のある漫画なのに繰り返し読みたくなるのか。
そして、それらとは逆に一度読んだらもうまったく読み返さなくなる漫画もあるのです。
これは単に、その漫画が面白くないから、というわけではないのです。
むしろ、面白いからこそ読んでいたはずなのです。面白くなかったら途中で読むのやめてるしね。
この読み返したくなる漫画と読み返したくならない漫画の違いはなんなのか
ということについて結構前から自分なりに分析していて、ある程度答えが出たので
今回の記事はそのことについてまとめていきます。
俺の中で「読み返す気にならなかった漫画」として最も記憶に新しいのが『バクマン。』です。
バクマンは結構前に週刊少年ジャンプで連載されていた、「マンガ家」を題材にした珍しいマンガで、
アニメ化されるほどのなかなかの人気作品でした。
俺はアニメきっかけで面白そうだなと思ってバクマンのコミックスを集め始めました。
マンガ家の裏事情を敢えて表面に出すという斬新な試み、個性的なキャラクター、テンポの良い展開。
この漫画は面白い!と、俺も一時期は人にオススメするほどかなりハマっていたのです。
が、途中で思ったのです。これコミックス集めることにメリットがあるのか?と。
続きが気になるし面白いと思っているから集めていたわけですが
実は一度読んだらほとんど読み返そうとしていないことに気付いたのです。
1回しか読まないなら借りたり漫画喫茶で済ませたりすれば充分だしな。。
というわけで途中で俺はバクマンのコミックスを全巻売ってしまいました。
1回ぐらい読み返したっけな、レベル。
俺がバクマンを読み返さなかった大きな理由のひとつが
「絵が好きじゃなかったから」であることに、後で気付きました。
漫画は絵と文字(台詞)を両方見て楽しむものだから、絵は最も重要な要素といえます。
自分の好きな絵って何度も見返したりしますよね。
それと同じで、漫画は「絵」も見ているわけだから、その絵柄が好きで、絵を見るために読み返すというわけです。
また、漫画には幾多の「シーン」があります。
さっきの「絵」を見るのと同じようなことですが、マンガの絵と一枚絵の違いは
動きやストーリーがあること。そしてそこに台詞などの文字媒体が加わること。
それによって、シーンが生まれます。
そして、マンガにはさらにそこに「表情」が加わります。
俺は表情が良い絵が好きなのです。
それらが見事に調和して生まれた「シーン」はとても印象的なものとなり
「あのシーンがまた見たい」という想いを読者に抱かせます。
「名ゼリフ」とかもそうです。胸にグッときた言葉は、また聞きたくなる。
あとは、ユーモアもかなり重要だと個人的に思います。
それもそのはず、漫画のストーリーは一度読むと2回目以降は物語が既に解っているから鮮度は落ちます。
比べて、ギャグというものは面白ければわかっていてもまた笑えますからね。
ちょっと話が逸れるけど、ではシリアス一辺倒の漫画はもうその時点で不利なのでは?
というと、そういうことではないと思います。このブログでもよく言っていることですが
ユーモアがある人=面白いことが思いつく、頭の回転が速い人=面白い漫画が描ける人
だと思っているので。
話を元に戻して、ここまでの分析をもとにして考えると
ハイスコアガールには、俺が「読み返したくなる要素」すべてが詰まっているのです。
俺はこの押切先生の絵がすごく好きです。
決して漫画家としては上手なわけではない、でも独特のセンスを持っていて
押切蓮介という人にしか出せない味がある。
何より、押切先生の描くキャラクターは表情が素晴らしいのです。この人は表情の描き方が本当に上手い。
上手いというか、なんだか見る人の感情にも訴えてくるような表情を描くのです。
そしてさらに、ギャグも面白い。名ゼリフや名シーンも多い。
押切先生の描いた大好きな絵を、キャラを、シーンを、また見たい!
そう思わせる魅力が沢山詰め込まれているのです。
対して、バクマン。
俺がバクマンの小畑先生の絵柄を好きになれないのは、「上手すぎる」からだと思います。
思えば自分の好きな作家さんはお世辞にも漫画家としては絵が上手でない方の人が多いです。
でも、なんだか味があって魅力的なのです。
上手すぎると、どうしてもどこかで味が薄くなってしまうことがある。
もちろん、上手さと味を兼ね備えた作家さんも沢山いますが。
たまにバクマンはキャラの顔をデフォルメさせたりするのですが
やはりもともとの上手さのせいか、デフォルメしきれていない感があるのです。
必死に味を出そうとしている、というか。
そのせいで絵や表情がかたく見えてしまうのです。
だからキャラクターの魅力も半減してしまう。
実際、バクマンのキャラは結構好きだったのですが。他の人の絵だったらもっと好きになってたと思います。
そして、バクマンは正直言って名ゼリフとか名シーンが、あまり思い浮かばないのです。
いいなあとか面白いなあとか思ったところはあるけど、特別印象に残ってる場面はぶっちゃけ無いです。
なんだかものすごくバクマンを貶してしまいました。
おいおい全然好きじゃないじゃん、と思われそうですが
その通り、バクマンは俺は好きにはなれませんでした。
確かに面白かったけど、漫画自体が好きにはなれなかった。
そういえばゲームでも同じようなことが言えます。
たとえばスターオーシャンというRPGがあるのですが
このゲームは面白くて一時期かなりハマってました。
が、ストーリーが投げやりで、キャラにもほとんど愛着を持てなかったので
2周目とかあまりやる気になれませんでした。
システム自体は面白かったけど、ゲーム自体に思い入れがなかったということです。
つまり結論としては
その漫画を読み返したくなるかどうかは、その漫画が面白いかどうかではなく
その漫画を愛しているかどうか、だと思います。
愛を注げない漫画は、自分にとっては使い捨ても同然になってしまうのです。
この前、ツイッターでフォロワーさんが文章を書くことの重要性について呟いていらっしゃったので
俺もほぼ同じようなことを前から考えていてとっても共感したので
「ああもっとブログを更新しなきゃな」と思った。
そもそも俺は文系の人間で、もともと文章を書くのが好きなのです。
だからこういうブログもやっているし、昔テキストサイトも運営していました。
が、どうしても持ち前の怠惰な性格が勝ってしまってどれもサボりがちになっていきました。
そうやって、文章を書いていない期間が続くとあとで後悔するハメになるのです。
本当にもったいない。
文章を書くことがなぜそんなに重要なのか?
ときに、日記を毎日つけている人に「日記ってなんのために書くの?」「なんの意味があるの?」
と疑問を持つ人もいると思います。
日記を書く理由は、たとえばそれがソーシャルネットやブログであれば
人からの反応がもらえるのが嬉しくてやる、という人が多いと思います。
ですが、公の目に触れる日記も、誰かに読ませるつもりは無い日記帳に書いた日記も
根本としては同じだと思うのです。
結局はどちらも「自分のため」に書いているのです。
まず、文章を書くことで気持ちの整理をすることができます。
文章を書くということは頭の中で考えているものを文字に起こすということで
これは思っていることを口に出すのと同じことです。
人に悩みを打ち明けるとそれだけで気持ちがスッキリしたりしますが
それと同じで、文章を書くのも自分の思いを外に出しているのでこれがまたスッキリするのです。
何でも頭の中で抱えていて表に出さずにいるとストレスになってしまうということですね。
何より文字のいいところは、口に出した言葉と違って形として残るということ。
口に出した言葉は記憶には残るけどそのままでは記録には残せない。
対して、文字は消えない限りそのままなのでいつでも取り出すことができる。
文章や日記は、読み返すことができるというのが非常に重要なポイントなのです。
ブログなどを書いてるけっこう多くの人は、自分の書いた文章を読み返していると思うんです。
自分の書いた過去の文章なんて恥ずかしくて読めないという人もいるかと思いますが
俺はよく自分のブログなどは読み返したりしています。
単純に暇つぶしになるからというのが大前提にあるのですが
そもそも、こういう長い文章のブログを始めたのは
「後で自分で読み返すため」という目的が一番にあったりするのです。
もちろん自分のブログを人に見てもらって、色々反応や評価を頂けるのは嬉しいですが
それ以上にこのブログは、自分のために書いているのです。
過去の自分の文章を読むと
「当時はこんなことを考えていたのか」と過去の自分に教えられたりとか
「今でもこれはこうだ、と信じていることは昔も変わっていない」と信念を曲げていないことに安心したりとか
「この頃のこの考え方は幼かった」と自分の成長を認められることもあります。
昔の自分の文章はたとえ稚拙だとしても、思いのほか楽しめたり得られることもあったりするものなのです。
そしてもちろん、文章を多く書けば書くほど読み返す量も比例して溜まっていきます。
冒頭の、文章を書いていないと後悔するというのはこういうところにあります。
ツイッターをやってからブログを更新する気力は大幅に減りましたが
やはりツイッターとブログに書く文章では色々と勝手が違う。
俺はブログを更新するモチベーションを上げるために最近たまにやるようにしているのが
電車の中など何もやることが無い時間にメモ帳にブログで書くネタをまとめる、ということです。
こうやってると通勤時間なども無駄にならないし、ブログにはメモ帳に書いた文章を
そのまま起こせばいいだけなので効率が良いです。
こんな感じでまた更新頻度を増やしていって、未来の自分になんかへこんだりしたらまあ読めよと
薦めてやりたいですね。いやがられるかも。
俺もほぼ同じようなことを前から考えていてとっても共感したので
「ああもっとブログを更新しなきゃな」と思った。
そもそも俺は文系の人間で、もともと文章を書くのが好きなのです。
だからこういうブログもやっているし、昔テキストサイトも運営していました。
が、どうしても持ち前の怠惰な性格が勝ってしまってどれもサボりがちになっていきました。
そうやって、文章を書いていない期間が続くとあとで後悔するハメになるのです。
本当にもったいない。
文章を書くことがなぜそんなに重要なのか?
ときに、日記を毎日つけている人に「日記ってなんのために書くの?」「なんの意味があるの?」
と疑問を持つ人もいると思います。
日記を書く理由は、たとえばそれがソーシャルネットやブログであれば
人からの反応がもらえるのが嬉しくてやる、という人が多いと思います。
ですが、公の目に触れる日記も、誰かに読ませるつもりは無い日記帳に書いた日記も
根本としては同じだと思うのです。
結局はどちらも「自分のため」に書いているのです。
まず、文章を書くことで気持ちの整理をすることができます。
文章を書くということは頭の中で考えているものを文字に起こすということで
これは思っていることを口に出すのと同じことです。
人に悩みを打ち明けるとそれだけで気持ちがスッキリしたりしますが
それと同じで、文章を書くのも自分の思いを外に出しているのでこれがまたスッキリするのです。
何でも頭の中で抱えていて表に出さずにいるとストレスになってしまうということですね。
何より文字のいいところは、口に出した言葉と違って形として残るということ。
口に出した言葉は記憶には残るけどそのままでは記録には残せない。
対して、文字は消えない限りそのままなのでいつでも取り出すことができる。
文章や日記は、読み返すことができるというのが非常に重要なポイントなのです。
ブログなどを書いてるけっこう多くの人は、自分の書いた文章を読み返していると思うんです。
自分の書いた過去の文章なんて恥ずかしくて読めないという人もいるかと思いますが
俺はよく自分のブログなどは読み返したりしています。
単純に暇つぶしになるからというのが大前提にあるのですが
そもそも、こういう長い文章のブログを始めたのは
「後で自分で読み返すため」という目的が一番にあったりするのです。
もちろん自分のブログを人に見てもらって、色々反応や評価を頂けるのは嬉しいですが
それ以上にこのブログは、自分のために書いているのです。
過去の自分の文章を読むと
「当時はこんなことを考えていたのか」と過去の自分に教えられたりとか
「今でもこれはこうだ、と信じていることは昔も変わっていない」と信念を曲げていないことに安心したりとか
「この頃のこの考え方は幼かった」と自分の成長を認められることもあります。
昔の自分の文章はたとえ稚拙だとしても、思いのほか楽しめたり得られることもあったりするものなのです。
そしてもちろん、文章を多く書けば書くほど読み返す量も比例して溜まっていきます。
冒頭の、文章を書いていないと後悔するというのはこういうところにあります。
ツイッターをやってからブログを更新する気力は大幅に減りましたが
やはりツイッターとブログに書く文章では色々と勝手が違う。
俺はブログを更新するモチベーションを上げるために最近たまにやるようにしているのが
電車の中など何もやることが無い時間にメモ帳にブログで書くネタをまとめる、ということです。
こうやってると通勤時間なども無駄にならないし、ブログにはメモ帳に書いた文章を
そのまま起こせばいいだけなので効率が良いです。
こんな感じでまた更新頻度を増やしていって、未来の自分になんかへこんだりしたらまあ読めよと
薦めてやりたいですね。いやがられるかも。