このピアノのオルゴールをしまってしまったのは、子供心に、気に入らなかったからでした。プラスチックの回転盤を安っぽいと感じたのです。「ぜんぶ木ならよかったのに」、そう不機嫌に思った記憶があります。
でも、当時はピカピカだったオルゴール。使ってあげればよかったと思います。長いこと暗闇にいたため、もう木のつやはうせ、ところどころカビっぽくなっていました。布で作られた花は色あせています。全体に古臭いかんじになってしまっていました。
しかし現在の私はそれを見て、「それでも、けっこうかわいいオルゴールじゃない」と思いました。「回転盤はプラスチックだけど、まぁいいわ」
「乙女の祈り」を聞いても、何も感じません。私の生活の中にいなかったからです。それなら……これからいっしょに思い出を作ればいいじゃないか? そう、思いました。
だから今、このオルゴールは、我が家の南の部屋の、本物のピアノの上に置かれています。
そのオルゴールを戻すと、となりに箱がありました。開けてみると、これもオルゴールでした。
いつ買ってもらったっけ? どこで? どうやら、買ってすぐに押し入れにしまわれてしまったもののようです。これを部屋で見たという記憶がありません。
木でできた、小さなグランドピアノのオルゴールでした。ピアノの上にはプラスチックの回転盤がついていて、そこに女の子が3人(指揮者、バイオリン、ビオラ)乗っていました。小鳥たちが観客です。すみっこに花があります。
ネジを巻いてみましたが、鳴りません。もう錆びて動かないのかもしれません。腹立ちまぎれに何度か叩いてみたら、苦しそうにチリ、チリと音を出ししはじめました。
オルゴールにはちょっと気の毒なことをしましたが (^^;)、ようやくスムーズになった「乙女の祈り」の曲。愛らしいメロディといっしょに、3人の女の子たちが回転盤の上をクルクル回っていきました。
暮れにやり残していた押し入れの掃除をしました(^^;)。いくつものダンボール箱を開けてみたら、昔使ったものがいっぱい出てきました。
その中に、木箱がありました。
赤茶色にぬられた、竹が彫ってある箱。子供のころ宝物入れとしてよく使っていたオルゴールでした。なつかしい。これを部屋に出していたころ、私はまだ小学生でした。童話をよく読んでいた自分。家族はみんな若かった。世界は家と学校のまわりだけ。あれから何年たったのだろう。蓋を開けると、裏についた鏡には大人になった自分の顔が映っていました。
底のネジを回しました。可憐な金属音が流れだします。曲は「禁じられた遊び」。
ああ、この曲だ。聞いていると悲しくなってくるので、いつもすぐに閉めてしまった。好きになろうとして、とうとう好きになれなかったメロディ。
蓋を閉じると、曲もやみました。私はそっとオルゴールを元の場所に戻しました。
昔は1月なんてどうでもいい月でした。いや、お年玉をもらえたし、冬休みもあったから、とても好きでしたが(^^)。でも学生だった頃は、4月に進級するので、そちらの月ほうが新鮮な気持ちでした。
まあ、社会人になっても4月に人事異動などがあるから、4月は今でも区切りとして重要ではありますが。
でもなんとなく今日はちがう気分。1月は新年のはじめの月。21世紀のはじまりの月。背中をぴんと伸ばして、深呼吸してみたりして。
さて今年は何をしよう? 「今年の抱負」なんて一度もしたことはないけど、今日は特別。なにをしようかな? ワクワクしてきました。
考えました。
① 10時前には職場に着く。② さぼっているピアノを真面目にやる。③ 間 食をしない。
……え? すべて当たり前のこと? そ、そうですね、やっぱり(^^;;;
(後日談:すべて挫折しました。(1/11現在)
大掃除、大掃除。なまけていたら今日になってしまいました。なんとか窓だけでもきれいにしなきゃ。指を水でふやかしながらも、がんばってしまう年末です。
クリスマスやハロウィンなどでどんなに西洋化しても、日本人はやっぱりお正月なのかなぁと思います。だって「クリスマスまでに障子を張り替えよう」とは思わないものね。(逆に外国ではクリスマス前に大掃除をするのかしらん)
なぜ窓拭きを? だって明日はお正月でしょ。なぜお飾りを買うの? お正月だからさ。
明日は1月1日。家族が朝から集まり、新年のあいさつをし、おせちを食べます。郵便屋さんが年賀状を持ってきてくれるでしょう。いつも渋滞をしている道路も 、その日だけは静かなはずです。きれいになった家。新しい年のスタートの日。
でも今は掃除、洗濯、部屋の整理。ああ目が回りそう。あともう少し時間があれば……(悔)
関東では、本格的な冬はまだのようです。今朝も空は青く、日差しは暖かく、吐く息は白くない(笑)。
でも電車に乗る人が長いコートを着こんだり、木々の葉がほとんど落ちたのを見ると、少しずつではありますが、確実に冬が近づいているのを感じます。
職場のイチョウ並木も、色づいていた葉は落ち、もの寂しい風情です。枝を広げたその幹はなんとなく人の姿を連想させ、奇妙な気分にさせられます。宮沢賢治の小説の中に、夜中に行進する電信柱の話があったけど、この木たちももしかして……? いやいや、それは想像のしすぎ。
掃除のおじさん達が、最後の落ち葉を集め ています。「年末はどうするよ?」「そうだなぁ」なんて会話を背中で聞きながら歩きます。
下りの階段のところでは、両脇の雑草にうもれるようにして、鳩がなにかをつついていました。おっと、足をすべらせた。
頭上で、鳥が声を交わしています。どこか遠いところで犬が鳴いています。
最近、友人というのは大切だなと考えるようになりました。お金は使えばなくなる。物はいずれ壊れる。仕事もいつか辞めるでしょう。家族だってずっと同じ状態ではいられないはず。変化する周囲の中で、友人というのはいつも自分と共にあり、変わらぬ友情を示してくれる大事な存在です。
ま、そこまで大袈裟な話にしなくてもいいんですけどね(笑)。あっさり喧嘩別れする友人だっているだろうし(^^;)。そのうち私も気が変わって「友情なんてなんぼのもんだ、家族こそ一番!」などと叫びだすかもし れませんが(^^;;;
今年もいろいろな事があり、さまざまな出会いや別れがありました。その中で新しく親しくなった人々は、私にとって宝物です。クリスマス・イブに「これが私にとっての最高のX’mas プレゼントだ」としみじみ思いました。ありがとう。どうぞ皆さんにすてきなクリスマスが訪れますように……。
職場でも、親しくさせていただいている人がいますが、それはほんの数名。ほとんどの人とは仕事の粋を越えることができません。まぁ、仕事のグチを話したら職場中に広がる危険性もあるわけで(^^;)、仕方ないのかもしれません。上司と部下がおしゃべりに花を咲かせてたらマズいですしね (そういう会社はつぶれる)。
職場では友情は育ちにくいのだろうと思います。
そういう意味において、インターネットというのは、学生時代の「個人対個人」を再び甦らせてくれるものでし た。しかもこんどは年齢や社会的立場、地理的距離の壁すら越えている。最高です(笑)
インターネットで知り合った人と、電話で話すこともあり、オフ会などで実際に会うこともあります。10代や40代の人と、同じ映画について話したりしている時、つくづくいい時代になったなぁと思います(^^)
お金がなかった学生時代。でも時間だけはありました。無駄に過ごしたなぁ、と後悔もしてるけど、その無駄は「いい無駄」だったと思います。本(冒険小説ばかり)をたくさん読み、音楽(クラシック以外)をたくさん聴き、映画(昔のモノクロ)をたくさん観ました。今も親しい友人たち(悪いことばかりすすめる)に会えたのも、この時代です。
大人になると、給料が出るから、欲しいものは買えます。おいしものも食べられる。でも、時間がなくなりましたね。本や音楽に接する時間が激減しました。映画は 今もガンガン観ているけど(笑)。職場には仕事上の知人はいますが、深いつきあいのある友人はなかなかできません。
学生時代に親友たちができたのは、何もない時代だったからではないでしょうか。肩書きがなかったからこそ、純粋に個人対個人として相対し、友情がはぐくまれたのではないでしょうか。
……と、いろいろ集めてきまして(笑)。今は収集熱がさめて小市民化しているため、ほとんどなにも集めてません(^^;)。続いているのは前述したマグネットと、あと電車のカードくらいでしょうか。実用的ですしね。
JR東日本の自動改札用のイオカード、地下鉄のメトロカード、最近始まった私鉄のパスネット。特にメトロカードはデザインが良く、けっこう買ってます。東京の下町のデッサンとか、展覧会のとか。特に展覧会のは小さなポスターのようでかわいいですね。(パスネットは ロゴがダサいぞ!)
う~ん、こんなこと書いてたら、またなにか集めたくなっちゃった。こんどは図書カードでもしようかな? ピーターラビットとか正倉院宝物とか、きれいな柄が多いし。「今月のおこづかいの中で、書籍に使っていいのは2000円まで」ってして、カードを買っておけば、余計な衝動買いをしなくなるかしらん。←収集のための理由をいろいろ考えている