鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい
(「私と小鳥と鈴と」より)
将来を期待された童謡詩人、金子みすゞは、昭和5年、自らの命を絶ちました。26歳でした。
西條八十に見出され、生きていたら日本の童謡史が変わっていたかもしれないとまで言われた金子みすゞ。しかし彼女の生きた道は平坦ではありませんでした。
明治36年、山口県長門市仙崎に生まれたみすゞ(本名テル)は、3歳のときに父を亡くします。16歳のとき母が再婚。嫁ぎ先の書店(上山文英堂書店)には、幼少のころに養子に出されていた弟、雅輔(本名正祐)がいました。芸術的な感性の近いみすゞと正祐は親しくなります。それが恋愛に近いものに発展していったことは自然のなりゆきだったろうと思います。同時にまた、それを避けようとする周囲の態度も仕方のないこと。23歳のときみすゞは、周囲の勧めにより、店に勤めていた男と結婚をします。
ところが先日のこと。庭でぼんやりと木々ながめていた私は、あるものを見つけ、アッと声をあげました。ロウバイの枝から、小さな芽が、ツンツンと頭をだしていたのです。それもたくさん。
もしかしたら。にわかに希望がふくらみました。病気が治ったのだとしたら。この芽が成長して、枝いっぱいの葉っぱになるのだとしたら。
ツツジの陰のクリスマスローズは、今年やっと咲いたばかり。なにごとも時間がかかるもの。ロウバイだって、これからかもしれません。
待ってみよう、と思いました。いつか咲く時が来るかもしれない。それは来年か、さ来年か……あるいはもっと何年も先になるかもしれません。でも私は心に描きます。このロウバイの木に花が咲いているところを。その日、庭には甘い香りが漂うでしょう。母は喜び、私たち家族はあの木がよくここまでねぇと感心するでしょう。
いつかきっと、咲くでしょう。
翌年もロウバイは元に戻りませんでした。春になっても花も葉もつけず、貧相な姿のままでした。
梅雨をすぎたあたりから、葉を申し訳程度に出してきましたが、それでおしまいでした。
今年。近所のロウバイが鈴なりに花をつけ、あたり一面に芳香をふりまいていても、我が家のロウバイはしんとしたままでした。母は悔しがっていました。
冬が去り、日に日に新緑が濃くなっていく庭で、ロウバイだけがうす茶けた幹だけをさらし、異彩をはなっていました。
「もう枯れちゃったんじゃない?」
私が愛情も薄く言うと、母はうらめしそうに私と木を交互に見やるのでした。
クリスマスローズを植えたおととしは、家の庭を大改造した年でもありました。植木屋さんが入り、庭はツツジの大部分が抜かれ、梅が移され、サルスベリやマンサク、ロウバイが引っ越してきました。
特にロウバイは、母が強く希望していた木でした。「蝋梅」というその名のとおり、これはロウのように半透明な黄色い花を枝いっぱいにつける梅です。その独特の姿と、香りのよさで、珍重されている種でした。
最初は良かったんです、ロウバイ。が、しだいに葉っぱがシワシワになっていきました。どうやら病気にかかってしまったようでした。あれよあれよと見てるまに、葉はどんどんぬけ落ち、最後はハゲチャビンになってしまいました。
庭から、母の呼ぶ声がきこえます。
「ちょっと来てごらん」
「何?」
起きたばかりの私はあまり動く気がしません。また何かが芽を出したのかな? しかし次に返ってきた言葉で、私はぱっと部屋からとび出ました。
「クリスマスローズが花をつけたの」
ツツジの陰にクリスマスローズを2株植えたのは、おととしのことです。期待していたのに咲かず、去年もツボミすらつけませんでした。がっかりした母はぬいてしまおうと言ったのですが、私が止め、もう少し様子を見てみようということになりました。しかし実のところ私もほとんど諦めていました。
我が家の庭の土にやっとなじんだのか。それとも年月をかけてから花をつけるものなのか。この花に詳しくないので分かりませんが。
ともあれ、いま母と私の前で、クリスマスローズは可憐にうつむきながら、ピンクと白の花を咲かせています。
「咲いたね」
「かわいいね」
ニコニコと、飽きずにながめていました。
箱根・仙石原にある“星の王子さまミュージアム”に行ってきました。入り口はフランスの田舎町のよう(外壁しかないのはご愛嬌)。展示ホールの入り口は作者サン=テグジュペリの生家を模したもの。職場やニューヨークの部屋を模したものもあって、見る人を飽きさせません。
ホールは彼が書いた手紙、出版された本、飛行機で移動した場所の地図など、さまざまな資料で人となりを教えてくれます。奥方と2人して浪費家だったとか、愛人が数人いたとか、アララと苦笑してしまう面もありました(^^;)
面白かったのは、『星の王子さま』のさし絵のラフスケッチ。最初は王子さまに眉毛があったのね。なんか怒ってるみたい。うぬぼれ男は帽子が違っているし、実業家なんかまるきり別人でとてもリアル。もしかして知人の誰かにこういう人がいたの?と思ってしまうほどでした(笑)
まだ雪がちらつく休日に、ミュージアムめぐりなどはいかがでしょうか。
ふんわりした少女たち。光の中にたたずむ婦人や紳士。ルノワールといえば、そんな絵が浮かんできます。しかしそれは独自の世界を確立した後のこと。
『ルノワール展~異端児から巨匠への道 1870-1892~』。この展覧会では、副題にもあるように、試行錯誤をくり返した中期の作品がメインになっています。
驚きました。「これがルノワール?」。まったく別人です。意図的に輪郭をはっきりさせたり、あざやかな色彩を試みたり。ゴーギャンそっくりの絵もありました。水彩画のようなものもありました。特に80年代の彼は、印象派を脱し、自分のスタイルを求め、暗中模索していたようです。
その後90年代にはいって、初期の印象派に回帰するかのような、しかし明らかにルノワール・タッチとでも言うべき、やわらかな世界が始まります。ああ、これがルノワールだ。でも、さっき私が見てきたのも、ルノワールなんだ。不思議な感慨 にひたりました。
春の風は、そのおだやかな名からイメージするより、はるかに激しい。ここ数日、関東では強い風が吹きつづけている。
わたしは、駅までの道を、自転車のバランスをくずしながら走った。天気予報では晴れるはずだが、今のところ空は雲に覆われている。太陽はそのむこうからうすぼんやりと光っているだけ。ただ風が、わがもの顔でうねっている。なまあたたかい。湿気を感じる。雨になるのだろうか。いや、かすかに潮の香りがする。海を通ってきた風なのだろう。
耳元で風が低くうなる。目を細めないと前が見えない。髪が、水の中のようにゆらゆらと逆立つ。鳥が飛びたち、あおられて地面すれすれになり、近くの梅の木にとまった。その花は散りはじめている。剪定したらしい松の枝がいくつも、道路をせかせかと横切っていく。
ペダルをこぐ足に力をこめた。風を全身に受けとめる。
もっと吹け。もっと吹け。吹いて冬を押し流せ。変化の季節だ。
たあいもない話。村の女の子が、小学校に赴任してきた青年教師に恋をする、ただそれだけのこと。なのに、なぜ涙が出るのでしょう?
それはたぶん、彼女が恋する姿がとてもいとおしいから。純朴で、ひたむきで。私たちが大人になっていく途中でどこかに忘れていったピュアな気持ちを、彼女はここに持っています。あふれるほどに。
教えている彼の声を聞こうと、学校のまわりを歩く彼女。恥じらって背をむけると、三つ編みにしたお下げがピョコンと揺れて。にぎりこぶしすらかわいらしい。金色に色づいた木々の間から見え隠れする彼女と……彼。
やさしい、やさしい恋物語。映画は現在の彼女も映しながら、なつかしい過去を色彩豊かに描きだします。
チャン・イーモウ監督の最新作。2000年ベルリン国際映画祭 銀熊賞受賞
私はめんどくさがり屋で、部屋の雨戸もろくに閉めたことがない。夏は窓を開けて網戸にしたまま寝たりしている。ま、2階だし、泥棒だってよじ登るのは大変だろうから来ないだろう、なんて考えている。
最近、鳥の声で目が覚めるようになった。そりゃ、目覚まし時計の無粋な機械音より、鳥のかわいらしい声で目覚めるほうがずっといい。けど、いやに声が近い。窓から鳥のシッポが見え隠れしている。ゴソゴソいう音まで聞こえてくる。うん……?
やられたーっ! 窓を開けて、頭をかかえた。上の戸袋からワラが数本たれ下がっていた。目の前を、ぬけた羽がフワフワと落ちていった。私のけんまくに、鳥はすでに飛び立った後だったけど。あーあ……(^^;)