mugla日記 -26ページ目

電波バトル-2、反原発運動

チェルノブイリ原子力発電所の事故の後、80年代後半から90年代半ば頃まで、反原発運動と呼ばれる市民運動が盛んだった時期がありました。

当時は神戸でも数百人規模の集会が年に何度も開かれ、数十人規模の学習会やイベントは、ほとんど毎週くらいのペースで、どこかでやってました。

ところが、90年代半ば頃から、電力会社が有名タレントを使って原子力発電の必要性や安全性をアピールする広告を盛んにしたり、原子力発電に批判的な記事を書いていた新聞記者が、記事を書けない部署に回されたり、というような事があり、さらには地球温暖化対策とやらで化石燃料を使わない原子力発電は環境に優しいエネルギーです、みたいな事が喧伝されるようになって、反原発運動はすっかり下火になってしまいました。

私も集会に参加したり、署名集めやビラ配りをしたり、イベントで歌ったりしていたのですが、そういうことも、なくなってしまいました。

もちろん反原発運動が下火になったからといって原子力発電の危険性が無くなったわけではなく、その後もJCOの臨界事故があったり、中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が壊れて耐震性の弱さを露呈したりと、原子力発電の危険性はより明白なものとなりながらも、原子力発電を何が何でも続けようとする狂信的な人達と、電力会社と、原発の製造や建設で儲けている人達によって、原子力発電への批判は、社会的に大きな力を持つことが無いように押さえ込まれて来ました。

原子力発電に批判的な勢力が大きくなって来ると、電力会社や原子力産業や狂信的に原子力発電を信奉している人達が潰しにくるので、原子力発電に反対する市民運動が昔のように多くの人の参加を得て大きな力へと育ってゆくことは無いと思いますが、場や機会があれば、これから自分の出来る範囲で発言してゆこうと思います。

電波バトル-3、石油と原子力

石油がいつ枯渇するか?という話は無意味だ、と昨日書きましたが、石油の輸入が途絶える日というのは、そんなに遠くない将来、必ずやってくると思います。

なので、こちらは考えておかねばならない重要な問題ですが、どうしても不確実な将来の予測になってしまうので、この問題について書くのは大変難しいです。

しかし、いつ石油の輸入が途絶えるか?を予測するのは困難でも、輸入が途絶えた時に日本がどうなるかは容易に想像がつきます。

ほぼ全ての物の輸送が止まります。全ての会社やお店は仕入れも出荷も出来なくなり、つぶれます。農村から都市へ、海外から日本への食糧の輸送が止まり、多くの人が飢えます。治安も乱れ、多くの人が死んでしまうのではないでしょうか。

日本社会がこのような大混乱になった時、原子力発電所を安全に稼働させ続けることや、放射性物質をきちんと管理することなど、まず不可能でしょう。

将来、石油はなくなってしまうので原子力発電を推進しなければならない、という意見を目にしますが、逆です。石油の輸入が途絶えた時に原子力発電所は極めて危険な存在となるので、今のうちに原子力発電をやめなければならないのです。

電波バトル-4、石油はいつ枯渇するのか?

エネルギー問題について論ずる時に良く出てくる話題に、石油はいつ枯渇するのか?という話題があります。これは重要な問題に見えますが、実はほとんど論ずる意味の無い問題なのです。

油田には、穴を掘っただけで勝手に大量の石油が湧き出てくるような好条件の油田もあれば、非常に深い穴を掘って、大袈裟な設備を使わなければ生産できない悪条件の油田もあり、生産コストの高い悪条件の油田は、石油価格が値上がりしている時は石油を生産できますが、石油価格が安い時は採算が取れないので生産できません。

石油価格が高い時は石油の代わりに石炭や天然ガスが利用されたりするので、悪条件の油田で生産される石油は、燃料という意味では(石油は工業製品の原料にもなりますが、今は燃料としての石油に絞って書いています)石炭や天然ガスやオイルサンド等と競合する位置付けとなり、もっと悪条件の油田になると、薪や炭を使った方がマシとなるので、石油はいつ枯渇するのか?という問に杓子定規に答えると、枯渇しない、という答えになります。

このように、石油はいつ枯渇するのか?という問は意味が無く、それよりも重要なのは、好条件の油田がどこにどれだけあるのか?そして、手頃な値段で必要十分な量の石油を買うことができるのは、あと何年くらいか?という問題なのです。