合気道の世界標準は合気会だというのは言い過ぎでしょうか?
養神館、心身統一、と比べてもシェアは圧倒的です。
それぞれの土地で、新たに広めようとする先生の情熱が強かったからなのか、
マーケティング力があったのか、
それ以外の何かシステムが働いたのだと考えるのです。
そうとしか思えない状況が九州という土地で起こったことを知っています。
それは九州はもともと、合気道といえば砂泊諴秀先生の万生館だったと聞いています。
そしてその万生館は熊本から始まったということです。
ところが、現在は一変して、合気会が一大勢力となっているような感じです。
その要因を分析することはしません。
それこそ様々な理由が重なったのです。
おそらく合気会だって、場合によっては、万生館と同じ状況になる可能性もあるのです。
システムとは森羅万象の関係性の中で働く力そのものなので、環境によって如何様にでも変わるのです。
合気道がなければ柔道人口はもっと多かったかもしれませんし、システマ人口が増える分合気道人口は変化して、ブラジリアン柔術が流行るほど柔道は見直されていくのだと想います。
もし、流派というものを会社組織に見立てるなら、現状のままでいようとするのならそれは衰退の一途を辿るのです。
つまり何らかのイノベーションを図らなければならないのです。
でも、型を重んずる武道は、なかなかそのイノベーションを起こしにくいのだと思います。
では、ここの合気道 無元塾はどうなのかと聞かれそうです。
ここは光輪洞合気道でもなく、当然ながら合気会でもなく、システマでもない、、また組織として何らかの活動を目標としているわけでもないのです。
成田先生のやられていた腰の回り、中心帰納を再現性高く、表現して、それがなくならないような仕組みを作ろうとしているのです。
つまり、単に"中心帰納"という言葉が世に浸透するように活動しているだけなのです。
だからその点においては全く考える必要はないのです。
そのまま上手く広がって、広辞苑に中心帰納という言葉が載れば大成功という考え方なのです。
もし"中心帰納"という言葉が浸透して、言葉として独り歩きし始めて、
合気という言葉のように、幅広い解釈で、ただ身体操作的に表現する人がいたとしてもそれは仕方のないことなのです。
しかし、ある質感が伴っていなければ、使い方として全く意味のない中心帰納なのだという意味で、、そこのところは、無元塾に接した方々にはちゃんと説明していきたいと想います。
つまり、ここの母体武道 合気道 無元塾は、中心帰納という言葉に張り付いた質感がミームとして伝播して、あらゆる武道に浸透していくことを目論んでいるというわけです。
中心帰納を深掘りしていくと、目に見えない、ハタラキとしてのシステムが見えてくる、
つまり俯瞰的な視点が備わってくるような気がします。
そういうことも含めて、熊本の講習会ではお伝えできればなと思ったりしています。