母体武道 合気道 無元塾(クラニオアイキ)

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成田伝伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。

母体武道 合気道 無元塾
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\(^_^)/

自分に向き合うということは、言葉としては、たまにサラッと口にしたり、耳にしたこともあり、あまり意識はしたことはないのですが、何か引っかかる言葉です。

最近また耳にしたこの言葉について、いろいろと考えてみたいと思いました。

想像なんですが、その言葉の意味をちゃんと考えている人は、ほとんどいないような気がしますが、どうなんでしょうか。

この"自分に向き合う"の主語はなんなのかを考えると、とても不思議に思えます。

おそらく誰もが、"私"が主語であるとわかっていると思うんですけど、


じゃー、私が私に向き合うという構造を具体的に考えているかというと、そこまでは考えていないのです。


でも、こういう風に書けば、自ずと答えは出てくるのです。

つまりそれは、私というものは単一のものではなく、複数の私が内在しているということなのです。


そしてその複数の私をどう表現するかで、さまざまな考え方が出てきて、それぞれの考え方で理解して、それぞれが腑に落としているのだと考えるのです。


例えば、良い私と悪い私を分けて、性善説や性悪説を唱えたり、

大人の私と子供の私を分けてあるセラピー考案したり、

崇高な私とそうでない私を分けて宗教を作ったり、

先天的な私と後天的な私を分けて、心理学をつくったり、、、

つまりは全て方便なんだと思うのですが、


でも、そんな高尚な考え方でなくても、普段の生活の中で、

あれだけ嫌っていた父親の動作、振る舞いをひょんな拍子で自分もやっていて、それを母親に指摘され、自分の中の無意識的な父親に気付いて、ハッとしたりするものなのですが、

大概、そんな時は、なんだかんだ言って親子なんだとあまり深くは考えないものなのです。


つまりそういう色々な切り口で自分の中の複数の自分を見ていく作業だと理解して、自分を見ることなく、

ただ漠然と"自分に向き合え"と言われて、

"はい、わかりました" 


と簡単に向き合うことが出来るようには思えないのです。


なので、先程のように、方便として、自分を様々分類して、思考をめぐらしたり、またはその時に現れる感情を観察するということなどをして、

セラピストや宗教家や瞑想者なんかは、現れる現象を利用して、それぞれのことを行う手段にしているのです。


さて、ここまで来て、また少し疑問が湧いてきます。

仮に、ある意味正しく自分に向き合うことが出来るようになったとして、

そもそも、それが自分にとって何かメリットがあることなのか、、ということです。

別にそんなことしなくても、ただ単に自分以外の"他"に対して上手に対応して、適応していくことをすれば、十分やっていけるのではないか?

という意見も出てきそうです。

確かに、自分の中に一体誰が、何が、どのように存在しているのかを見ていくとき、大概、思い出したく無い、目を背けたい記憶ばかりなので、わざわざ気分の悪くなることをしたくないものです。


しかし、そのうち、その考え方では上手く行かないということがわかってくるのです。

つまり、外側だけを取り繕うだけでは、なにか違和感があり、気分的にシックリいかないのです。

それを解消するために、連動する内側とのバランスを整える必要があるということなのですが、

もう少し具体的に言うと、そういう外での対処、適応を上手くやるために、自分の中にいる複数の他人(自分?)達との折り合いを理解することが重要だということなのです。


そしてそれは、自分と向き合い方にも様々方法があるなかで、

どういう意識の在り方がより顕著に効果を表すかということを習い、そしてその稽古をここの合気道はしているのだということを、

このプログを書いていて、確信している次第です。


それが、まさに"中心帰納"なわけですが、


改めて、ここ最近"中心帰納"について理解していることを書くとすると、

「中心を意識の置き処として感覚し、それを自分の在り方とする。中心から意識が外れた場合は、常に修正し、自分の在り方に戻る、、」

ということになるのです。

このことが、いかに画期的なことなのかということがわかる人は、なかなかいないと思います。


それがわかるためには、無元塾で稽古するのが一番手っ取り早いと思います。

なぜなら、そこをシステム化して稽古をしているからです。

こんなことが武道の稽古になるのかと思われんかもしれませんが、

逆に、心法を軸に稽古をするとき、このことを抜きにしてどうやってやるのか想像ができません。


そのことは、すべてのセラピーやボディーワークに組み入れることが出来るのはもちろんなのですが、

他の武道、格闘技にでも同様なのです。


つまり、自分に深く向き合うことが出来るようになるのです。


\(^o^)/