来られている方に少林寺拳法をされていた方がいらっしゃって、
ちょっとした本も貸してくださり、その本やその方の説明などから、少しずつ興味を持った次第です。
全ての武道の成り立ちに、その武道なりの独特の経緯があり、それは必ず美化されたストーリーのようなものなのですが、
その方もおっしゃっていたのですが、第二次世界大戦後の復興の潮流の中で、それに沿った宗教的哲学、組織化、稽古体系が時代性にマッチして、拡大していったということです。
その本に書かれていて初めて知ったのですが、日本9大武道という言葉があって、その中に入るほどまでになっているということ、、
ちなみに、具体名で言いますと、柔道、剣道、弓道、相撲、合気道、空手道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道、、だそうです、、んー、、、
少し脱線してしまいますが、
それぞれの武道人口がネットにあったので、ここに記してみると、日本では
1位 空手 300万
2位 合気道 100万
3位 柔道 20万
4位 少林寺拳法 4万
ということです。
まー、合気道に関しては、確実に盛ってるなとみているのですが、
意外なのは柔道が20万とオリンピック競技であるにもかかわらず、合気道より少ないのは驚きです。
少林寺拳法ももっと多いような気がしてましたが、思ったより少ないな、、という感じがしました。
これは個人的な感想ですが、打撃(剛法)と関節技や投げ(柔法)の2カテゴリを組み合わせての型の稽古がとても複雑で覚えるのに面倒くさいイメージがあります。
実際全ての型を合わせると600以上あるということで、おそらく組織化されていく中で、そういう仕組みができていき、型も増えていったのだと想像するのです。
これはある意味凄いことであり、そして一方罪作りなことでもあるのです。
"弓と禅"に出てくる阿波師範の言葉を借りれば究極の曲芸師が生まれる可能性もあるのです。
おそらく戦後から今までの間に、さまざまな複雑な型つまり、このように来たらこう対応するという一問一答式の対処の仕方で解決して、やる人の思考を喜ばせてきたに違いありません。
当然そういう時には、必ず本質的なものを求めようというシステムも働くもので、きっと全ての武道と同様に、根幹となるエッセンスを抽出をされている少林寺拳法家も絶対にいらっしゃるのだと想像もできますし、
実際に、いらっしゃるのだと聞きに及んでいます。
それほどまでに多くの型に、その剛法と柔法を体系的に取り入れた武道って他にどのくらいあるのでしょうか、、
思考から抜け出し自在性が出るまでには相当時間がかかりそうですが、やり遂げられれば凄いことになりそうな気がします。
そしてこうも想像するのです。
少林寺拳法の全ての型のプロセスに中心帰納を組み込んでいったら、、と。
ワクワクが止まりません。
しかし、残念ながら私にはもうイチから学んでいく時間がありません。
たまに見る少林寺拳法をやってらっしゃる型を見るととても綺麗で、スピーディーで迫力があり、とても憧れます。
こんなふうに興味を持つきっかけとなったA田さんは、日本最大の国立総合研究機関の研究者で、僕からするととても羨ましい頭脳の持ち主で、そこからうまれる思考の矛盾をひしひしと感じ、認識し、探究されようとしてらっしゃいます。
その作業のひとつのツールとして、中心帰納という言葉と質感を使い、日々試行錯誤されているということなのです。
是非とも科学者の探究心で中心帰納の何かの切り口を確立してもらえたら嬉しいかぎりです。
\(^o^)/