去年お世話になった方々に感謝と、今年は更に気合いをいれねばと思いつつ、新年最初のブログです。
ここ無元塾では、平井稔先生から成田新十郎先生に受け継がれた、中心帰納と腰回しと入身を自信を持ってお伝えしております。
その極意は、あまりにも抽象的で、メタファー的なことで、別に隠蔽していたわけではないのでしょうが、
なかなか一般的に理解されず、戦後70年一切普及せず、それどころか、確認していくとその環境にいた人にさえチャント伝わっているとは思えないほどの状況なのです。
ではなぜここ無元塾には伝わったのかという問いが生まれます。
実は違うのです。
今僕が皆さんにお伝えしていることは、平井先生のもの、成田先生のものとも同じものではない可能性もあるのです。
成田先生が表現し、教えて来られたことを模倣して、試行錯誤してきたプロセスで何らかの原理変性が起こっていることだって否めないのです。
僕自身に関してもそうですが、成田先生自身ですら当時からの経年で質が少なからず変容しているはずなのです。
当然オリジンは平井先生の教えです。
でも、当時の成田先生の兄弟弟子の方から聞いた話では、平井先生の質とは違うということをいい意味で評価されてました。
当然、私自身、合気会で習っていた分、またシステマをかじった分、成田先生とは技の質は違って当たり前なのです。
では、質が違う技を習得して、成田伝合気道と言えるのか、、という問いも新たに出てきます。
おそらく平井先生や成田先生は、自分のコピーを作ることだけでは、良しとしてはいなかったのだと思います。
つまり、自分自身を目標にするために教えるのではなく、
自分と同じものを求める方向を教えるために、その考え方や在り方を理解してもらうように伝えていたのだと思うのです。
そういう意味で、平井先生は100人100流だとおっしゃっていて、
そのことを本当の意味で理解するか、しないかで、伝わったか否かが決まるのです。
だから、
ここ無元塾には
私を含め、チャント成田伝合気道が伝わっているのです。
つまり、そこにたどり着くための考え方、在り方をお伝えしているということなのです。
そして皆さん自身が真理を追求するプロセスで、中心帰納や合気や腰回しや入身を自然と身に付けることが出来るのです。
そもそも真理を追求するために、古来行われていたポピュラーな行為は瞑想です。
ということは、正反合のアウフヘーベン的発想として、
ここ合気道 無元塾の稽古は瞑想の質を持っているということなのです。
そのことを理解して、悟りを得るつもりで、絶望的にではなく、出来るという確信の元、自分を観ていくだけでいいのです。
そして稽古をつづけていくのです。
稽古始めは6日から、
16日、30日は諸用でお休みです。
何卒、ご了承のほどお願いいたします。
\(^o^)/