たまに書くことなのですが、
武道の極意は、カウンセリングの教科書の中に書かれているように感じるのです。
その一つが「自己一致」です。
おそらく合気道の稽古の中で、中心帰納を説明しているとき、僕は下記のようなことを言っているのです。
ほとんの人が、自分の中心(線)と重心(線)が離れていて、余分な筋力をつかっている、、ということをです。
でも大体の人は、まったくそのことに気づいていなくて、自分の中心と重心は合っていると勘違いしているのです。
もし、中心(線)と重心(線)が純粋にちゃんと重なっていて、そこに感覚できていて、意識的でいられるのなら、本当にリラックスしているという状態なのですが、
ほとんどの人は、あたかもリラックスしているかのように見せかけて、リラックスしているからこそ発揮できる絶大なチカラを、結局筋力から発するという矛盾した行為で表現しなければならなくなるのです。
そういうことにならないためには、
自分の中で起きていることを正確に認識する必要があるのです。
それは様々な部位に大小緊張をしているということを感じ、そのことを認識するようにして、
そして、
自分の身体の中心の辺りの感覚を感じるようにするのです。
それは表現としては、外にある意識を中心に戻すというようなことを言うこともありますが、
違う表現を使うとすると、緊張していながらにして、同時に中心は弛緩していて、自由であることを感じるということでもあるのです。
そして、その状態だからこそ感じることのできる地球の中心から万物に向かって直線的に影響を与えている重力に中心を出来るだけ丁寧に厳密に重ね合わせるように動くのです。
そのときに起こっている不安や恐怖や焦りなどの否定的な感情や思考、また葛藤などの状態を感じているのであれば、先ずはそれらを認め、受け入れて、感知、理解できるようにするのです。
無意識の心の動きもしっかりと意識化していくために、
次のような問いを自分に投げかけると、より早く鮮明にそのことを理解することができるかもしれません。
それは、
「自分の中に誰がいますか?」
です。
自分の中の様々な人、つまり自分の様々な状態に気づき、それに共存できている人は、どんな状況でも自然でいられるのです。
すなわち自分を俯瞰的に見ることが出来る状態ということなのです。
そして、ここの合気道はただ自分が質の良い技を体得するだけでは不十分だと考えているのです。
体得した質を、さらに人に伝えていくことができてやっと理解したということにしています。
人に何か伝えるとき、自分の内面にあるブロックに気付いていなければ、外と内のギャップのために、一貫性がなく、矛盾したような違和感を相手に与えてしまうのです。
そうしないための自己一致を促進させるために中心帰納の深い理解が必要だと考えるのです。
そもそも、そういう自己一致していない人が、そのエッセンスとも言える中心帰納を体得することは難しいのではないかとも思うのです。
かくいう私の実情は、不完全である分、そういう自己不一致的な部分も表にさらけ出し、理解してもらいながら、謙虚にやっていくことしか、やりようがないのです。
さて改めて、ここの中心帰納をするときの重要なポイントは、
写し目
中心と重心を合わせる
浮、遊
開き
一体感
受け入れ(覚悟)
陰陽一致(全てにおいてのパランス)
なんですが、
それらをを確認するために様々な技をやり、
その時に起こる違和感を確認して、
鏡である相手とシェアしながら、
自問自答を繰り返すのです。
そしてまた、先程の側面的なポイントを繰り返して検証していくのです。
そこでは良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、そうした評価や判断をするのではなく、
起こったことをそのまま眺め、
無意識にやっていた動きや心のクセを、
意識していく作業となるのです。
かと言って、その無意識的なクセを、無理に治す必要はないのです。
そもそも無意識なんですから、気付くこともなかなか難しく、そんな染み付いたクセを簡単に治せるなんて思わない方が賢明です。
ただそういうクセがあるから技の中で衝突し、上手くいかないのだということを認識するだけでいいのです。
そうしていくうちに、メタ認知能力がついていき、より深く、より繊細に、自分の内面を感じることが出来る様になるのです。
そして、そういう内観力に比例して相手を理解できるようになり、
その内観力を瞬間的に使うことにより、相手の感情、思考、心理状態を瞬間的に理解できるようになるということなのです。
そうしているうちに、自らを信じる力もついて、共感力もついてきて、そういうことの結果、様々なことが改善していくというわけなのです。
武道における"読み"が、どれだけ激しく鋭い攻防の訓練しても到達することが難しいのは、そういう切り口の稽古システムが欠落しているからなのだと思うのです。
そしてそういう稽古システムを遂行するには、そういうことへの、理解の精度が重要になるということなのです。
だから、自分のやっていることを、伝えていくということが自分にとって大切な行為だということになるのです。
カウンセリングの祖であるカール・ロジャーズは、自己一致した状態であることが、人間のパフォーマンスを最も発揮でき、幸福な人生を歩む上で大切だと説いているのですが、
しかし、自己一致した状態というものはそんなに簡単には成れないもので、
その状態を得るように、ここ無元塾では中心帰納という概念を通して稽古しているのです。
そして自分自身のバランス、クセなど、パーソナリティー全体を観ることが出来るように、自己洞察していくのです。
自分の中にある恐怖、不安、焦り、迷いを、"強さ"という幻想で無造作に打ち消すのではなく「あるもの」として認め、受け入れることが大切なのです。
内面において、自分の心の状態を正確に認識し、そして認めることが、中心帰納の条件であり、
その稽古自体が成長のプロセスとなるのです。
\(^o^)/