今日、自民党派閥の政治資金パーティー問題に関して参議院の政治倫理審査会で、具体的な審査が行われるみたいで
さて、どうしても変わるはずのないものと、どうにかして努力と時にはお金の力を使って、変えることが出来るものというのがありまして、その変わるはずのないものと変えることが出来るものについて話しをさせて頂きます
まず個人的に思うのですが、変わるはずのないものについて昔に比べまして、ハードルが低くなっておりまして、一昔前は変わるはずのないものだったのが、努力とお金の力で変えることが出来るものになりつつあるような気がします
大雑把に言いますと、自分自身の過去につきまして一昔前は変わるはずのないものだったのが、最近では努力やお金の力で変えることが出来るものになっているような気がしますし、変わるはずのないものを変えることが出来るものにしている気もしますけどね
昔から、学歴コンプレックスという言葉がありまして今でもあるんでしょうけど、学歴によって区別されたりするのですが、一昔前はどうしようもなかったように感じますが、今では大人になって大学に入り直してってことも珍しくないのかなって時代になってます
なかには何かの定数つまり、一定の変わらないものや定まった運命などを努力やお金の力で変えようとしてらっしゃる方がいらっしゃいますが、あれはあれで見ていてどうなのかなって思いますが
変わるはずのないものを、努力やお金の力を使って変えることが良いことなのか悪いことなのかと言われますと、個人的にはそんなに悪いことじゃないとは思いますけどね
ただ、変わるはずのないものを、努力やお金の力を使って変えている様は、第三者から見たらあまり良いものではないかも知れませんので、なるべくなら表立ってやるのはちょっと控えた方が良いのかも知れませんけどね
変わるはずのないものと、努力やお金の力を使って変えることを判断するのも難しく、これはいくら努力やお金の力を使っても変えられないと判断するのと、どうにか努力やお金の力を使って変えることが出来ると棲み分けるのがなかなか難しいとは思いますけど
変わるはずのないものと、努力とお金の力を使って変えることの棲み分けは、ぶっちゃけやってみないと的な要素もありますので、見た目などでは決めない方が良いのかも知れませんけどね
自分自身の独身に関しましては、努力とお金の力を使っても変えられないことだと思っていますけどね