雷と豪雨でSEKAI NO OWARIの野外フェスが中止になったみたいですね
さて、いつもながら自分の思い付きで書かせて頂いておりますこのブログなのですが、他人の評価はふりこのようなものだと自分は思っているのですが、話してるうちに訳わからなくなるかも知れませんので、その際は勘弁してくださいね
まず最初と言いますか、前提に他人の評価が気になるかどうかという話なのですが、仕事やプライベートに限らず他人の種類にもよるかも知れませんが、ほとんどの人が他人の評価が気になるのではないでしょうか
最近の若い人などは、他人の評価が気になるのであまり目立った立ち位置やポジションにされるのを嫌う傾向があるとか聞きますが、それはそれでどうなんでしょうかねぇってのが個人的感想ですけど
他人の評価が、何故ふりこみたいなのかと言いますと他人の評価は今は良くても、ふとした瞬間に悪くなったり逆もまた然りで、今は悪くても、ふとした瞬間に良くなったりするものだからです
他人の評価は、良くも悪くもふりこのように動いていれば何らかの評価はされるんでしょうけど、ふりこが動かなくなった場合に評価はされなくなり、存在自体が忘れ去られるってパターンにもなるかと思います
なので、良い評価だろうと悪い評価だろうと評価を貰い続けるには歩き続けなければならないという、ちょっとハードと言いますか、傍から見てちょっとどうなのと思ってしまいます
言い方を変えれば、良い評価や悪い評価の評価自体に意味はあまりなく、歩き続けることに意味があるんじゃないかなとさえ思えてきますけどね
良い評価も悪い評価も、歩き続けている人にやってきてその評価は良い悪い関係なく、あまり自分自身の救いにはならずに歩き続けているという実感だけが救いになっているんじゃないかなと思います
歩き続けることによって、良い評価や悪い評価をもらって、それをさらなるモチベーションに変えてまた歩き続けるってのがパターンなんでしょうけどね
他人から評価される価値すら自分にはないかも知れませんけどね