嘘と正直 | 名前のないブログ〜秋田市のどこかで、独り言を綴っているやつ〜

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妻子とハイブリッド婚生活をしていましたが、同居婚に戻りました。
元RIZ◯Pパーソナルトレーナーでしたが、運動能力も見た目もいたってふつうのアラフォーおじさん。現在は高齢者介護のケアマネージャーをしています。
日々、思いついたことを綴っております。

子どもは、5歳くらいから嘘をつき始めるようになると言われています。


自分を守るための嘘から始まりますが、小さいうちは嘘が下手くそなので、親にすぐバレるわけです。


うちの娘も、例外なく嘘をつくようになり、「へー。順調に発達してるんだな」と感じております。


親や大人って「嘘をついてはいけない」と教えることが多いと思います。


保育園や学校でも、嘘はいけないということを刷り込まれるし、仏教の教えなんかにも「嘘をついてはいけない」みたいなこと書いてたりするわけです。


そんなことをされると、嘘をつけなくなるし、嘘をつくことに罪悪感を覚えてしまいます。



話は変わりますが。

先週末、自宅の玄関先でお隣さんと遭遇しました。


挨拶を交わすと、お隣さんがうちの娘に「お菓子買ってきたからあげるね。どれがいい?」と、数種類のシュークリームを見せてくれました。


うちの娘は、シュークリームを見て「いらない」と言ったのですが、お隣さんは「遠慮しなくていいよ」と笑っています。


うちの妻が、「すみません。気を遣わせてしまって。せっかくだから一個もらおう。ちゃんとありがとうしてね」と話していました。


でも、うちの娘は固まっています。

最終的にシュークリームを2種類もらっていました。


自宅に入ると

妻「お菓子あげるよって言われたら、ありがとうって言ってもらおうね。相手が嫌な気持ちになっちゃうよ」と教えています。


娘「だって、シュークリーム嫌いだもん。お母さんも、シュークリーム嫌いでしょ?」


妻「それはそうだけど、頂き物はありがとうって言ってニコニコ貰う方が、相手も良い気分になるんだよ」


娘「シュークリーム嫌いなのにありがとうっていうの?よくわかんない」


という会話をしていました。



あー。わかるわー。

この矛盾に気づくよねー。



この場合、娘は嘘をつくこともなく自分の気持ちに正直なわけです。


一方で、妻は大人の対応をしていますが、正直ではない。



どっちが正しいのか?

正しいのは、嘘をつかず正直な発言をした娘。


どっちが適切か?

それは、相手にも配慮した対応ができる妻。



私もそうでしたが、大人の矛盾に悩むことはしばしばあるわけです。


思ったことを、そのまま言うと「余計なことを言うな」と怒られてしまいます。



結局のところ、大人として社会で生きていくためには嘘をつき続けなきゃいけないので、正直ではいられないのです。



例えば、自分の気持ちに正直すぎて、人を殴ったりしてはいけないし。


社長や同僚に対して「嫌いだから話しかけないで」と言おうものなら仕事になりません。


お客さんに対して「綺麗ですね結婚してください」とか「気持ち悪いですね。二度と来ないでください」と、思ったことをそのまま伝えるのも問題になります。



嘘をつかない正直者というのは、なぜだか美徳化されますが、社会生活には不適合になります。


結局のところ、人間というのは嘘をつくものなのです。


ただし、自分や相手を傷つけないことに配慮したり、良い気分にさせる配慮が必要なのです。


相手を傷つけないためには、自分の感情をそのまま表現しないことが大切になります。


まずは、自分自身の感情に嘘をつきます。

そして、相手にも嘘をつく。


こうすることで、周囲との摩擦が減らせるわけです。



自然界に生きる動物や昆虫、植物など、あらゆるものは嘘をつくことなんてないでしょう。


野生の世界では、本能のままに生きるわけですから。


人間だけが、生きるために嘘をつき続けるのです。


私は、いまのところ人間なわけです。


本当、考えれば考えるほど、なんとも不思議なものに生まれてきてしまったなぁと。

そして、社会や人付き合いというのは、難しくて生きにくいなぁと思うのです。