魂レベルの治癒をめざして【人間力を高めるムドラ瞑想】

魂レベルの治癒をめざして【人間力を高めるムドラ瞑想】

古代インダスを起源に発展してきたムドラと瞑想のテクニックと、聖なる力を本質から伝え、今のあなた自身の状態に必要なムドラを使い、人生をよりよく生きるための瞑想テクニックを普及していくことが目的のブログです。

 

 

皆さん、こんにちは。

 

まごころ教育研究家のMasaです。

 

先ほどご紹介しました本の販売が始まりました。

 

本の概要は、以下の通りです。

 

『時の支配からの解放』時間と共鳴する内なる変容:カレスヴァラムドラ瞑想

 

本書は、瞑想と自己探求を通じて、時間の制約から自由になるための道を示すガイドです。「カレスヴァラムドラ瞑想」の実践を通じて、過去への執着や未来への不安から解放され、今この瞬間を豊かに生きる力を養います。瞑想の初心者から、より深い実践を求める方まで、あらゆるレベルの読者に向けた実用的な瞑想法を丁寧に解説しています。

 

本書では、カレスヴァラムドラの基本的な手順、呼吸法、そしてビジュアライゼーションのテクニックを紹介し、心の静けさや明瞭さを得るためのステップを段階的に説明します。さらに、自己の内面を探求し、時間と共鳴することで得られる内的な変容や成長についても深く掘り下げます。

 

瞑想を通じて、自己の可能性を広げ、心の平安を取り戻し、未来に向かって自信を持って歩むための道をこの一冊で見つけてください。

 

 

 

時の支配からの解放: 時間と共鳴する内なる変容:カレスヴァラムドラ瞑想 

 

 

 

 

なお、本日の24時から9/17の23時59分まで無料キャンペーンの予定です。

 

この機会に是非ご購読ください☺

 

よろしくお願いいたしますm(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。


まごころ教育研究家のMasaです。

 

 

今日は、出版間近の本の紹介です。

 

タイトルは「時の支配からの解放

サブタイトルは「時間と共鳴する内なる変容:カレスヴァラムドラ瞑想」です。

 

表紙の絵は奥さんに書いてもらいました。

すごい絵だと感じてます。

 

内容の紹介はまたの機会ですが、メッセージぽく書いた「はじめに」のみ公開します。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

はじめに
現代社会に生きる私たちは、時間に追われ、過去や未来への思いに囚われがちです。過去の出来事を振り返っては後悔し、まだ訪れていない未来に対する不安が心を支配することも少なくありません。しかし、私たちが本当に生きるべき場所は「今」この瞬間です。この一瞬一瞬の積み重ねこそが、私たちの本当の人生なのです。

本書でご紹介するカレスヴァラムドラ瞑想は、時を司る神「カレスヴァラ」の象徴的な力を手にし、時間の流れを超越して自己と向き合うための方法です。カレスヴァラは、ヒンドゥー教の神シヴァの一側面であり、時間を超越し、変容を導く存在として知られています。このムドラを通じて、私たちは時の流れに縛られるのではなく、それを理解し、自分自身の内なる時間を調和させる道を歩むことができます。

本書の目的は、カレスヴァラムドラ瞑想を通じて、読者が自己の内面的な成長と変容を体験し、時間の制約を超えた生き方を見つけるための指針を提供することです。このムドラは、単なる瞑想法ではなく、過去や未来への執着から解き放たれ、現在に生きるための道具です。時間に縛られるのではなく、時間を味方にすることにより、自己の本質に触れることができるでしょう。カレスヴァラの象徴する力と知恵が、私たちの瞑想の中で目覚め、内なる静けさと明晰さを取り戻す手助けをします。

読者の皆さんが、この本を通じて自分自身の内なる時間と宇宙のリズムを調和させる旅に出発することを願っています。宇宙のリズムとシンクロすることで、私たちは時間の流れの中で、単に流されるのではなく、自己の意志と調和した生き方を選び取ることができるのです。カレスヴァラムドラ瞑想を実践することで、心の深い静寂と共鳴し、精神的な安定感と新たな洞察力を得られるでしょう。

本書を通じて、内なる成長と変容の旅へと導かれることを願っています。時の神カレスヴァラが私たちに授けてくれる知恵と力を活用し、自分自身の本質を発見するための鍵を手にしてください。あなたが歩むその道は、今、この瞬間から始まります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 

 

 

皆さん、こんにちは。


まごころ教育研究家のMasaです。

 

 

仏教の原典の「スッタニパータ」を時間をかけて少しずつ詠み解いています。

 

 

スッタニパータは、仏教の古い経典で、パーリ語経典に含まれる仏陀の教えをまとめた詩集です。

 

内容は、倫理的な教えや瞑想、人生の苦しみからの解放についての説法が中心で、仏教の根本的な教義が簡潔に表現されています。

シンプルながらも深い哲学的・宗教的洞察を提供し、多くの仏教徒にとって重要なテキストです。

 

特にここで紹介しているスッタニパータのテキスト構成は、南伝仏教(上座部仏教 、テーラワーダ仏教とも云われています)の伝統に基づいています。

 

この学派と伝統は、原始仏教の教えを忠実に守り、仏陀の教えをそのまま後世に伝えることを重視しているため、非常に古典的かつ実践的な教えが多く含まれています。

 

今日は、第1編 ウルガ・ヴァッガ(蛇の章)の第4節カマ・スッタ(欲経)です。

 

カマ・スッタ(欲経)

欲望は人をつかみ、心を縛る。

 

欲望によって人は、絶え間なく新たな苦しみを求め、満足を得られぬまま、さらに多くを追い求める。

 

賢者は欲望を離れ、心の自由を得る。

 

欲望の鎖から解き放たれた者は、真の安らぎを見出す。

 

現代の自然科学、特に心理学の観点から見ると、欲望は人間の動機付けに深く関わっています。

 

人は、ドーパミンなどの神経伝達物質によって快楽や満足感を追い求めますが、これにはしばしば「報酬系」と呼ばれる脳のメカニズムが関わっています。

カマ・スッタで述べられているように、欲望を追求し続けると、最終的に心の不安や苦しみを招くことが多いです。

 

これは、常にさらなる刺激や報酬を求め続ける「欲の連鎖」が脳に強く刻まれるからです。人間の脳は、持続的な快楽よりも、一時的な報酬を求め続ける性質があるため、欲望を手放すことが心の安定をもたらすという仏教の教えは、科学的な視点からも理解できます。

 

カバラでは、欲望(カマ)は「クリパ(Qlipoth)」という、破壊的なエネルギーに関連するとされています。

これは、人が物質的な欲望に縛られることで、精神的な進化が阻害されることを意味します。

 

カバラの教えでは、物質的な欲望を克服し、神聖な知恵(ホクマ)を求めることが人間の使命であり、これが「解放」として理解されます。

カマ・スッタが説く「欲望の鎖から解き放たれること」は、カバラにおける物質世界の執着を超え、精神的な成長に至る過程と一致します。

 

カバラの視点から見ると、この欲望の克服は、神聖な光への帰還を意味し、真の安らぎはそのプロセスの中で得られると考えられます。

 

神道では、欲望そのものが悪とされるわけではありませんが、自然との調和や、清浄な心を保つことが強調されます。

欲望が強すぎると、心が曇り、「清き明き心」を失ってしまうとされています。

カマ・スッタで説かれているように、欲望を捨てることが安らぎに至る道であるという教えは、神道の価値観とも一致します。神道においても、欲望に囚われることなく、自然や周囲と調和し、心を純粋に保つことが、神々との関係を保つために重要です。

欲望を抑えることで、心が澄み、神々との調和を取り戻し、内なる安らぎが得られると考えられます。

ヴェーダでは、欲望は「マーヤー(幻影)」の一部とされ、輪廻の束縛から解放されるためには欲望を克服する必要があるとされています。

ヒンドゥー教のバガヴァッド・ギーターでも、欲望が人間を自己から遠ざけ、真実から目をそらせるものとして描かれています。

カマ・スッタの教えは、まさにこの欲望の克服が魂の自由への道であることを示しており、ヴェーダの教えと調和しています。

ヨガの実践を通じて欲望を制御し、精神的な自由を得ることが、ヴェーダの伝統では重要視されます。カマ・スッタの教えは、この「内なる解放」の道として、欲望を超越することを強調しています。

カマ・スッタ(欲経)は、欲望が人間に苦しみをもたらし、その欲望を克服することで真の平安を得ることができると教えています。

この教えは、自然科学、カバラ、神道、ヴェーダといった多様な視点から見ても普遍的なテーマを持ちます。

欲望は一時的な満足をもたらすかもしれませんが、最終的には心の不安定さや苦しみを招くため、それを手放し、心の内側で安定を見出すことが真の幸福への道です。

この普遍的な教えは、さまざまな宗教や哲学の中で共通して見られるテーマであり、心の平安を追求するための大切な指針となります。

 

 

 

皆さん、こんにちは。


まごころ教育研究家のMasaです。

 

現存している日本最古の書物と云われる『古事記』を様々な視点で詠みとっていきます。

 

今回は、「スサノオの追放とヤマタノオロチ退治」です。

 

 

スサノオの追放とヤマタノオロチ退治

写本による原文:
爾、速須佐之男命、逐賜高天原者、降到出雲國之肥河上、上湯山之者也。爾、行到其處時、有箸流来。此而怪之、行上河而問者、爾有老夫、老女、佐美多良之娘立泣。
 
爾問「汝達者誰也」答曰「吾者國神、名脚摩乳、此吾妻名手摩乳、此吾女名曰奇稻田姫。
 
初、吾有八女、然、八岐大蛇年毎来而喫盡、今爲將來、故泣。」爾、問「其大蛇者、如何之形也。」答曰「其目如赤酸醤、身一身有八頭八尾、而其身之長谷八谷八尾、其腹常爲血爛而八塩垂也。」爾、速須佐之男命、即詔「汝達之女、我欲娶、然後、我者將退其蛇。」爾答曰「然。」故、速須佐之男命、即所生奇稻田姫爲湯津爪櫛、插其髮上而見立。
 
詔其脚摩乳、手摩乳、而令取酒八塩折之酘、造八檮之門、毎門作一桶、其桶満盛八酘酒而置。爾八岐大蛇者、果如言而来、入每檮之桶中而飲酘酒醉臥。
 
時、速須佐之男命、拔其腰之十握劒而斬之、其於斬八頭時、其劒之刄少缺。故於此所斬尾折剖見者、中有利劒。
 
故取其劒、以奏天照大御神。是所謂草薙劒也。
 
現代語訳:
スサノオノミコトは高天原を追放され、出雲の肥の河の上流にある上湯山に降り立ちました。そこで、川を歩いていると、箸が流れてくるのを見つけ、不思議に思い川の上流へ進みました。そこには、老夫婦とその娘が泣いている姿がありました。

スサノオは彼らに尋ねました。「あなたたちは誰ですか?」老夫婦は答えました。「私は脚摩乳(あしなづち)、これは私の妻の手摩乳(てなづち)、そしてこれが私たちの娘の奇稻田姫(くしなだひめ)です。
 
私たちには八人の娘がいましたが、毎年ヤマタノオロチが来て娘を一人ずつ食べてしまいました。今、この娘しか残っていません。今年もヤマタノオロチがやってくるので、悲しんでいるのです。」

スサノオは言いました。「この娘を私の妻にくれるなら、私がその大蛇を退治しましょう。」老夫婦は「はい」と答えました。スサノオは奇稻田姫を櫛に変えて自分の髪に挿し、老夫婦に命じて八塩折の酒を用意させ、八つの門を建て、それぞれの前に大きな酒桶を置きました。

やがてヤマタノオロチが現れ、酒桶に頭を突っ込み酒を飲んで酔い、眠り込みました。
スサノオはその瞬間を捉え、腰の剣を抜き、大蛇の頭を次々と斬り落としていきました。
しかし、八つ目の尾を斬ったとき、剣の刃が少し欠けました。
怪しんで尾を裂いてみると、中に一本の鋭い剣がありました。
 
スサノオはその剣を天照大御神に献上しました。この剣が「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」です。

 


自然科学、スピリチュアル、神道、カバラ的考察

スサノオの追放とヤマタノオロチ退治の物語は、混沌から秩序を取り戻すという深いテーマを持っています。

このテーマを神道やカバラ、自然科学、スピリチュアルの視点から融合して考察していきます。

 

自然界の混沌と秩序の回復

ヤマタノオロチは、自然の破壊的な力や、制御できない混沌の象徴です。

八つの頭や尾は洪水や地震など、自然界の大規模な現象を示唆しているとも解釈できます。スサノオがヤマタノオロチを退治するという物語は、自然の力を制御し、混沌を鎮めて秩序を取り戻すことを表しています。

神道の視点では、スサノオはこの行為を通じて、失われた秩序を回復する役割を担っています。

ヤマタノオロチの退治は、自然界の秩序と調和が神々の力によってもたらされることを象徴し、神聖な秩序の回復を表しています。

 

破壊と再生のサイクル

カバラの視点では、ヤマタノオロチの退治は「ゲブラー(厳格さ)」と「ケセド(慈悲)」のバランスを象徴しています。ゲブラーの力は破壊や厳しさを表し、これが制御されないと混沌が広がります。

 

しかし、スサノオがヤマタノオロチを倒し、その中から草薙剣を発見するという物語は、破壊の中に創造が含まれていること、混沌の中に秩序が隠れていることを示しています。

 

これは、カバラにおける「ティクン(自分自身の是正)」の概念に通じ、破壊の後には再生があり、新たな秩序が生まれるという霊的なプロセスを示唆しています。

 

スピリチュアルな試練と自己の浄化

スサノオはヤマタノオロチを退治することで、高天原での過ちを償い、自身の霊的成長を遂げます。

 

これは、試練を乗り越えることで霊的な浄化と成長を遂げるというスピリチュアルな教えに繋がります。

 

ヤマタノオロチの退治は、スサノオが自己の内なる混沌を克服し、霊的な成熟を果たす象徴的な行為です。

 

スサノオの追放とヤマタノオロチ退治は、自然界の混沌を制御し、霊的な試練を乗り越え、秩序と平和を取り戻す物語です。

神道では秩序の回復が神聖な行為として描かれ、カバラでは破壊と再生のサイクルを示唆し、スピリチュアルな成長の過程が表現されています。

この物語は、私たちが内的な混沌や外的な試練をどう乗り越えるかを教え、自然や霊的な世界との調和を取り戻すための示唆を与えてくれます。

 
 

 

 

皆さん、こんにちは。

 

まごころ教育研究家のMasaです。

 

随分前に古代インドの正統派六派哲学のひとつ「ヴァイシェーシカスートラ」を研究していました。

 

形而上学に論理的な補完する立ち位置となる古代インドの物理学「ヴァイシェーシカスートラ」は古代インドの哲学体系の一つで、特に物理的な現実とその構造に焦点を当てています。

 

今日は、第1章21節から~30節です。

ヴァイシェーシカ・スートラ 第一章

第21節

原文: उत्पादः संयोगः।
翻訳: 生産(ウッパーダ)は、結合(サンヨガ)によって生じる。

第22節

原文: संयोगादुत्पादनं कार्यं च।
翻訳: 結合(サンヨガ)は、生産(ウッパーダ)と結果(カリヤ)をもたらす。

第23節

原文: संयोगो युगपद्विनाशिनः।
翻訳: 結合(サンヨガ)は、同時に消滅しうるもの(ヴィナシン)である。

第24節

原文: असंयोगः कर्मणोऽन्यतमं कर्मणोऽन्यतमं च।
翻訳: 非結合(アサンヨガ)は、行為(カルマ)の一側面であり、また行為の別の側面でもある。

第25節

原文: असंयोगात्कर्मणः।
翻訳: 非結合(アサンヨガ)は、行為(カルマ)から生じる。

第26節

原文: संयोगः कर्मणः कृत्स्नस्य।
翻訳: 結合(サンヨガ)は、行為(カルマ)のすべてに関与している。

第27節

原文: संयोगोऽसंयोगो हेतुकारणं च।
翻訳: 結合(サンヨガ)と非結合(アサンヨガ)は、原因(ヘトゥ)と道具(カラナ)である。

第28節

原文: हेतुसंबन्धात्संयोगो हेतुसंबन्धाच्च।
翻訳: 因果関係(ヘトゥサンバンダ)により、結合(サンヨガ)が生じ、因果関係により結果が生じる。

第29節

原文: संयोगे हेतुसंबन्धः।
翻訳: 結合(サンヨガ)において、因果関係(ヘトゥサンバンダ)が存在する。

第30節

原文: असंयोगे हेतुसंबन्धः।
翻訳: 非結合(アサンヨガ)においても、因果関係(ヘトゥサンバンダ)が存在する。

 

 

結合と非結合の概念が強調されており、物質の変化や行為の結果がどのように生じるかについて議論されています。

 

結合(サンヨガ)と非結合(アサンヨガ)の両方が、宇宙の現象を説明する上で重要な役割を果たしていることが示されています。

 

ヴァイシェーシカ・スートラの第21節から30節は、物質や行為、結合や非結合に関する概念を深めながら、宇宙の根本的な仕組みを説明しています。

これらの節を自然科学的、スピリチュアル的、詩的な視点を分けずに一体的に考察することで、物質の構造とその働きに関する深い洞察が生まれます。

 

まず、これらの節では「結合(サンヨガ)」と「非結合(アサンヨガ)」という対立する概念が中心となっています。

 

物質や現象は、結合することによって新しい形を生み出し、非結合することで変化や消滅が生じます。

このプロセスは、科学的な観点からは、分子や原子の結合と分離、さらには物質の形成と分解と対応しています。

 

たとえば、物質が結合することで化学反応が起こり、新しい物質が生成される一方で、非結合することでエネルギーが放出されたり、物質が別の形態に変わったりします。

 

これらの現象は、物質の性質や構造に基づいた自然の法則に従っています。

 

 

スピリチュアルな視点では、結合と非結合は生命や宇宙のサイクルの一部とみなされます。

魂やエネルギーが結合することによって、生命が生まれ、成長し、発展しますが、最終的には非結合し、再び宇宙の一部として還っていく。

このプロセスは、輪廻転生や宇宙全体との調和といったスピリチュアルなテーマとも結びついています。

結合によって個々の存在は成り立ちますが、非結合はその存在を解消し、より大きな全体へと戻るプロセスを象徴しています。

 

 

詩的な視点では、結合と非結合のプロセスは、宇宙のリズムや生命のサイクルを描写する美しいメタファーとして見ることができます。

例えば、植物が種から成長し、花を咲かせ、そして散り、また新たな種を生む様子は、結合と非結合の詩的な表現と言えるでしょう。

 

すべてのものが絶え間なく変化し、結合と分離を繰り返す中で、宇宙全体の調和が保たれているのです。

 

このようにして、結合と非結合は、宇宙の絶え間ない創造と破壊のサイクルを表し、生命そのものの本質を語る詩的なテーマとなります。

また、因果関係の概念もこの節において重要です。結合や非結合が生じる際には、必ずその原因と結果が存在します。

 

科学的には、これを因果律と呼び、すべての現象には何らかの原因があり、その原因が結果を生むという法則に従っています。

 

例えば、物質の結合はエネルギーや外部の影響によって引き起こされ、その結果として新しい物質が生成されます。

こうした因果関係は、物理学や化学、さらには生物学の根本原理として機能しています。

 

 

スピリチュアルな面では、因果関係はカルマの法則として現れます。すべての行為にはその結果が伴い、それが未来の出来事や運命に影響を与えるという考えです。

 

この因果関係は、個々の魂の成長や霊的な進化にも関わっており、過去の行為が現在の状態を形作り、現在の行為が未来を決定するとされています。

 

 

詩的に言えば、因果関係は生命の織物の中で、一つの糸が他の糸と結びついて大きな模様を作り出すようなものです。

一つ一つの行為が無数の影響を与え、その影響がさらに別の結果を生むという連鎖が、宇宙の壮大な物語を形成しています。

 

この連鎖的なプロセスは、まるで音楽の旋律のように、個々の音が全体として調和し、美しいメロディーを奏でる様子にたとえられるでしょう。

 

このように、第21節から30節までのヴァイシェーシカ・スートラの考察は、自然界の物理的現象、霊的成長、そして詩的な美しさのすべてが織り交ぜられた豊かな洞察をもたらします。

 

結合と非結合、因果関係と結果は、宇宙の本質を理解するための鍵であり、それらがどのように相互作用するかを考えることで、生命と宇宙の深い神秘を探ることができるのです。