せめて、真崎らしく。 -23ページ目

せめて、真崎らしく。

そんな感じです。


「私が〇〇を辞めた理由」


みたいな記事
いっぱい読んだことある


〇〇に入るのは大手各社

どこがあったっけ


電通
博報堂
P&G
マッキンゼー
とかとかとかとか


「博報堂を辞めました」

みたいなのとか読んだ



スゲー会社を辞める人は

辞める理由もなんか高尚でスゲーもんなんだな


その人に会う前にその記事読んでて
そんなことを思っていた記憶がある






そんな私も

2か月半前に会社を辞めた

ちゃんちゃん





理由に高尚さの欠片もない


なんでもブログに書きなぐってきた自分が会社を辞めたことをはっきりと明言してこなかったのは

非難されるのが怖かったから
失望されるのが怖かったから



私が辞めたことに対して
誰々がホニャララと言っていた

みたいな事はいろいろ聞いた
聞いて凹んで縮こまってた



会社を辞めた私の"弱さ"を
許せないという人もいるみたい

なぜあなたが?って感じなんだけど


人の"弱さ"を責めて
相対的に自分の"強さっぽいもの"を誇示する行為になんの意味があるのって

自己擁護がてら
全力でツッコミ入れたくなるんだけど




年納めだし

備忘録がてら
そろそろ書いとこうかと思う


今も動いている組織の事だから
曖昧に濁して濁して濁して書く







人のこころに

がっつりと関わる仕事をしていた




人ってのは
ここでは「子ども」と「親」


自分がやりたいと思っていたような仕事であり、関わりたいと思っていたような人たちだった




なのに、たった2か月で辞めた




理由は、今でも上手く説明できない

でもどうしようもなく"無理"だった




無理だったのは

「中の空気」




2か月でなにが分かるの?

そんなのこれからどうにかしていくもんなんじゃないの?

自分でどうにかすればいいんじゃないの?




て感じかもだけど

そうじゃなかった



上手く伝われこの感じ

そうじゃなかったんだって





そしてなにより


そういうのを理由にして
ずっと悩みが頭をぐるぐるして
こころがどんどん閉塞感でいっぱいになってく自分がなにより嫌だった



それでも毎日仕事はあるわけで
親や子どもと出会うわけで



こころ、絶賛不健康


働いていた時は
起きた瞬間からずっと溜め息



そんな人が

人のこころと向き合うような
人のこころを軽くするような

そんな関わりをするわけ




自分が相談する側だったら
絶対嫌だっつーの
そんな奴に相談すんの





言い訳していても仕方ない
自分が変わるしかない


「あなたは自己欺瞞のカタマリだから、今までの成功体験も一度全部忘れて自己認識し直して欺瞞を外していかないといけない。」


そんな言葉を毎日聞いて
変わらなきゃ変わらなきゃって



思えば思うほど

頑張ろうとすればするほど

前向きに考えようとすればするほど




自分のこころに嘘ついて

押し殺そうとしてるのが分かりすぎて



こころ大切にっつってる立場で

その矛盾がとにかく無理で





仕事の空き時間に
勝手に涙が出てくるようなって


「こら、もうアカン。」


ってことで、辞めた







そんな感じ



「なんで辞めた?」


って聞かれたら

あんまり上手く説明できないけど
概要はこんな感じ




なにひとつ
ポジティブなものの見つからない

今改めて書いてみても
弱さとワガママ満載な理由




この時辞めたことを
今となっては肯定的に受け止めてる


理由は2つ



1つ目

あの時あのタイミングで
辞めることを決めていなかったら
今の会社には絶対来れていなくて
そこの人たちと出逢えていなかったから

ほんと、ありがたいことでした



2つ目

facebookで
初めて辞めたこと公開した時に
たくさんメッセージが来たこと



励ましとかじゃなくて



会社で悩んでる人

人間関係に疲弊してる人

辞めて心折れてる人

仕事なくて先が見えないって言う人



から


「なんか、ありがとう」


ってメッセージを
わりといただいた




「ありがとう」


って変かもしれへんけど

感謝されることなんもしてへんけど
むしろ情けない姿晒しただやけど




「ありがとう」


って言ってくれる気持ちは

なんとなく、分かる気がした





最近やたらアウトプット推奨すんのは
たぶんこの出来事があったから



誰かが抱えてるその気持ち
その弱さ


知ってる人がいるよーて
知りたい人がいるよーて


そんな感じ






てことで


社会人1年目
8カ月経過時点で3社目っていう
履歴書黒歴史状態なんですけども


今はまた

横浜でいろいろやらせてもろてます








書いた書いた

書いたもん勝ち



あースッキリ

今年の毒は今年のうちに



真崎




「バトルロワイヤル」


という映画を観たのは
確か自分が13歳の時だったと思う
完全なる「怖いもん見たさ」で



映倫でR-15指定だけど
観ちゃダメな年齢だけど

そういう意味では
WOWOWって無法地帯ですから


中3の時に
女子友達数人で家に集まって
DVD借りて観たりもしてた



こういうのって

「あんま良くない」のかもだけど


フツ―の女子中学生の集まり

私も含め5教科の成績オール5みたいな
"真面目"で"優等生"な女子中学生の集まりで


「バトルロワイヤル」観た

そんなもん




藤原竜也と山本太郎がかっこいい
柴咲コウがかわいい

ということ以外は
ただただ不快な気持ちになった映画

作者のメッセージは分からないけど
最後の「走れ」はこあまりにもこじつけだろう


なんて偉そうに思ったりしてた

残ったのは不快感と恐怖感のみ




そういや

あの映画の公開当初
随分テレビで話題になった気がする

放映していいのか
年齢指定つけるのかどうか
云々




そして

私の中に強烈に残ってるのが



どこかの"未成年"
中学生だったか高校生だったか



殺人事件を起こした


っていうニュース



ワイドショーで長い時間を取って
「少年になにが?」みたいなことを特集組んでやってて

そん中で


「少年は、事件を起こす数日前に、近くのレンタルショップでこの作品を借りていた」

というナレーションと共に
黒い背景に置かれライトをあてられたDVDパッケージが浮かぶ



それが

『バトルロワイヤル』

だったって話




上手く言えないけど

これ、未だにすごい違和感がある



このワイドショー観た時

すげー不快感あった気がする

なんでだろ
未だによく分かんない




「少年になにが?」



「バトルロワイヤル」


比例させちゃ駄目だと思うんだけど





少年を擁護したいとか
バトロワを擁護したいとか
そんなんじゃなくて





あの頃


私の学校にはいじめがありまして



いじめというか

いわゆる"ハブ"のこと




一緒にバトロワ見てた子で
そこに絡んでた子もいたわけで




例えば

テレビで騒がれたみたいに
いじめが世間に露呈するような事がもしあったなら


ワイドショーの特集組まれて


「加害者の少女Aは、数日前学校の友人と共に、このDVDを観ていた」


というナレーションと共に
黒い背景に置かれライトをあてられたDVDパッケージが浮かぶ





そんな映像が

なんだか容易に想像できて




容易すぎて

なんかやるせない







今日は
なぜかそのことを思い出した

なんでだろ




真崎





読書が好きで

小説が好きで

文章が好きで

文章にふれた時に自分の感性が反応する感じが好きで



だから

「国語ってなんやねんな」

て言ってた時期があった



大学時代に突如訪れた反抗期

もう国語とか勉強してたの遠い昔
国語にキレてる暇があるなら
手に持った文化人類学のレジュメの内容早く頭に詰め込めよって状況(テスト前)


「1次関数って人生の中で使う時あるんですかあ?」

の次ぐらいに
これ思った人結構いるんじゃないかと


「国語ってなんで答え決まってるんですかあ?」



え、いる?いるよね?揺




物語文の人物描写

感情

時には説明文の筆者の主張すら




そこに「正解」があるなんて
超ナンセンスなんじゃないか


唇かみしめて走り去る雅夫(今つくった)の抱える感情は

A.悔しさ
B.悲しさ
C.怒り

どれでしょうって
まじ雅夫に失礼だわって


『答え「A」:唇かみしめてるから』


えー


(この解答と解説は実際にあった)



この解答は相変わらず??だけど






でも、やー、幼かった


大人になった24歳クリスマスの夜





「国語ってなんで答え決まってるんですかあ?」



最近生徒に国語を教えながら
私と同じ疑問にふれる生徒もいて
なんだか嬉しい気持ちも感じながら




でも、思うようになったことは


そこに「正解」はあるってこと




一番"平均的"な感じのもの、じゃなく


もう絶対的な「正解」が、ある





読む側からすれば
無数の「解釈」が存在したとしても


筆者がこの文章を通して
心から伝えたいメッセージは
腹から叫びたい主張は


作者がこの人物描写を通して
そこに吹きこんだ感情は
その姿を通して表現した気持ちは



その人たちが大切にしている

その人たちが抱いている



確かな「事実」だよ、って思う






人それぞれの感性があるんだから
1つの作品に対していろんな解釈が出るのは仕方ないこと



でも、自分自身

ブログ書いてて思うのは


書いてる人は
創り出してる人は


「好きなように解釈してね」


なんて思っては、たぶん書いてない

ある程度開き直ってはいるけども





でも、できれば

ボクが、ワタシが


発したメッセージを、ちゃんと受け取ってほしい




それはきっと


文章や創作にかぎった事じゃない








人って違うから

ほんと分かりにくい



分かるなんて無理

分かろうとするか否かしかない



「分かりたい」という気持ちは大切

これは私の中のひとつの"正しさ"






国語を勉強する意味は


「分かろうとする練習」


なんじゃないか、って思った






ということで

絶賛勉強好きになってるなう

意識高いわー



真崎