国語を勉強する意味 | せめて、真崎らしく。

せめて、真崎らしく。

そんな感じです。



読書が好きで

小説が好きで

文章が好きで

文章にふれた時に自分の感性が反応する感じが好きで



だから

「国語ってなんやねんな」

て言ってた時期があった



大学時代に突如訪れた反抗期

もう国語とか勉強してたの遠い昔
国語にキレてる暇があるなら
手に持った文化人類学のレジュメの内容早く頭に詰め込めよって状況(テスト前)


「1次関数って人生の中で使う時あるんですかあ?」

の次ぐらいに
これ思った人結構いるんじゃないかと


「国語ってなんで答え決まってるんですかあ?」



え、いる?いるよね?揺




物語文の人物描写

感情

時には説明文の筆者の主張すら




そこに「正解」があるなんて
超ナンセンスなんじゃないか


唇かみしめて走り去る雅夫(今つくった)の抱える感情は

A.悔しさ
B.悲しさ
C.怒り

どれでしょうって
まじ雅夫に失礼だわって


『答え「A」:唇かみしめてるから』


えー


(この解答と解説は実際にあった)



この解答は相変わらず??だけど






でも、やー、幼かった


大人になった24歳クリスマスの夜





「国語ってなんで答え決まってるんですかあ?」



最近生徒に国語を教えながら
私と同じ疑問にふれる生徒もいて
なんだか嬉しい気持ちも感じながら




でも、思うようになったことは


そこに「正解」はあるってこと




一番"平均的"な感じのもの、じゃなく


もう絶対的な「正解」が、ある





読む側からすれば
無数の「解釈」が存在したとしても


筆者がこの文章を通して
心から伝えたいメッセージは
腹から叫びたい主張は


作者がこの人物描写を通して
そこに吹きこんだ感情は
その姿を通して表現した気持ちは



その人たちが大切にしている

その人たちが抱いている



確かな「事実」だよ、って思う






人それぞれの感性があるんだから
1つの作品に対していろんな解釈が出るのは仕方ないこと



でも、自分自身

ブログ書いてて思うのは


書いてる人は
創り出してる人は


「好きなように解釈してね」


なんて思っては、たぶん書いてない

ある程度開き直ってはいるけども





でも、できれば

ボクが、ワタシが


発したメッセージを、ちゃんと受け取ってほしい




それはきっと


文章や創作にかぎった事じゃない








人って違うから

ほんと分かりにくい



分かるなんて無理

分かろうとするか否かしかない



「分かりたい」という気持ちは大切

これは私の中のひとつの"正しさ"






国語を勉強する意味は


「分かろうとする練習」


なんじゃないか、って思った






ということで

絶賛勉強好きになってるなう

意識高いわー



真崎