皆さんは、右?左?

 

極論、そんなことはどっちでもいい!

国さえ守れるならば。

 

自分の国は自分で守らなければならない。これは左だろうが、右だろうが、少なくとも愛国心を持った人間なら、そうでなければならない。

 

それでも、現状、左翼の思想では日本は

日本らしさをもっては生き延びれない・・・

 

果たして日本は日本として生き残っていけるのか、危惧している。

 

左傾化、そしてそれを許容する社会を

憂う著者の声が聞こえる一冊です。

 

<こんな人に読んでほしい>

・なんだかんだ平和でしょ。戦争なんて起こらない。

・それよりも・・・経済とコロナについてが最優先!

~大まかな流れ~

 

1.日本の中にいる左

1-1.メディア

1-2.学術学会

 

2.国防の現状

2-1.求められる姿勢

2-2.求めれる力

 

3.中国は背水の陣?

 

~詳細(無知医の心境と共に)~

1.日本の中にいる左

左。要は中国寄りの姿勢であることです。

 

親中という言葉に嫌悪感を覚える人は

一定数いますよね?

そんな人達からすると、日本のあらゆる

組織は反中であるべきだ、それが愛国心だ。

との思いが出てきそうです。

 

しかし、そうできない事情があるようです・・

 

1-1.メディア

社会情勢を発信する中核となるメディア

それが共同通信

 

そして、

共同通信傘下の会社はグループ運営費を

稼ぐ役割を担っているという。

その会社が韓国、中国のメディアと提携

している。

 

つまり、中国や韓国のマネーで同社の

運営が支えられている。

 

これじゃあ、give and takeとして

中韓に忖度した情報を流さざるを得ないのは

理解しやすいですね・・・。

 

中国はお金の力をものすごく使う。

 

んー、社の存続を優先するのも仕方ないと思って

良いでしょうか?

 

「けしからん!」

 

なんて声が聞こえてきそうです笑

 

しかし、中国から金だけとって、やんわりとした

左寄りのニュースを流しているようなら強かな

ものですよね。

 

毎日新聞については論客が舐めてます笑

 

経営が苦しい毎日新聞は飛びついたのでしょう。はっきり言って社会的影響力はないですよ。

 

どうです?毎日新聞が影響力が無いことを

理由に、あえて左翼的な情報を流していたら。

 

 

オーストラリアでも同様の事が起こっているようです。

 

これを理解するために本書では

↓を勧めています。

 

 

読んだことなかった・・・ベストセラーらしい・・

 

1-2.学術学会

 

軍事研究を日本だけはしてはならないとする日本学術会議というものがあります。

 

防衛省との共同研究は受け付けない・・・

 

はっきり言えば「反日学術会議」ですね。

 

何故こうなった?

 

学術会議でも戦後、公職追放の対象になった人材が

いたようです。

要はGHQ(アメリカ)に反する思想です。

 

日本の牙を抜かなきゃならない。そうなると

必然、左翼系の思想が業界を占める。

 

唯一変わらなかったのは学会

 

トップが次のトップを任命する。かなり閉鎖的な

人事なのです。

 

僕らの業界でもそうです。

教授が「次回の理事選、皆の票をもらっていいかな?」

 

嫌と言えるわけ、ないでしょう・・・。

 

政府の学術会議推薦メンバーの

任命拒否問題がありましたね。

 

これについては論客の意見に正義を感じます。

 

推薦した全員を会員にしなければ駄目だというのは、ちょっと違うのではないかと思いますね。

 

著者は左翼的な思想が代々受け継がれた

原因を上記の任命制度と指摘します。

 

それが、ひいては国産の軍事力低下につながると

懸念しているのです。made in Japanです。

 

ただ、今の学会会員が中国寄りの思想を持って

いるかどうか、と軍事研究を忌避している伝統は

別問題かもしれません。

左右関係なく、戦後の思想を保守する人々は

いるでしょう。平和を望みつつ、スタンスは反中

という人も多いと思います。

 

2.国防の現状

 

根本として

 

如何なる国にとっても最重要の政府の責任は国民の命と国土を守ることだ。

 

その上で、著者は現状に嘆くスタンス

 

2-1.求められる姿勢

 

これは政府に向けて・・・

 

主権にかかわる事項は絶対に譲ってはいけない。にもかかわらず、どこかに、経済的な協力をしないといけないとか、隣国だからやはり仲良くしないといけないという、なんとなく日本人の人の好さが出てしまっています。

 

中国との柔和な外交姿勢を指摘します。

ここでは「大人の対応」は必要ないと。

 

中国側の反発があるから何もやらないではなくて、そうした摩擦を覚悟の上でもう一歩踏み出さないと

 

まぁ、これはこれで地政学的に緩衝国となる

日本の戦略と捉えても良いかもしれませんが。

 

表向きは笑顔で、かつ裏ではちゃっかり軍事を

強化しているならば良いようにも思います笑

 

表立って摩擦を作る、という案は結構です。

ただ、その摩擦によってどんな問題が生じるか?

という想定も具体的にしてほしいものですね。

 

困る日本の団体、企業があるのかもしれない・・・。

 

―――

中国のやり方として

「力の空白」に入り込む、という。

 

つまり、力が及んでいないエリアに

どんどんと、侵略するという。

 

尖閣も地図上はほとんど台湾に近く、

日本人が常駐しているわけでもない。

そのような場所を「力の空白」と表現します。

 

力の心棒者」に対しては「力の空白」を作ってはならないのです。

 

じゃあ、空白を埋めるためには?

それが次の項で書かれます。

 

2-2.求めれる力

久場島と大正島を使って日米共同訓練を実施することです。

これら島は魚釣島に近い。

 

しかし、すでに上記相当の訓練は

行われているという。

 

日米共同

というところがミソですね。

 

中国がこれに反発するということは

自然、アメリカとも摩擦を起こすことになる。

彼らもそれは避けたいはず・・・。

 

だから、ある程度アメリカにも忖度しないといけない。

難しい外交なんですね・・・。

 

 

海路だけではない、空にも目を向ける必要がある。

 

北東アジアはいま、世界で最もミサイルの密度が高い地域

 

さらにミサイルにはが積まれている

可能性が高いという。

 

その威力は広島原爆の10倍と・・・

 

そんなの打ちまくったら日本人いなくなりそうです。

 

撃たせないことが一番重要です。

 

当たり前だなぁ。

 

それを、迎撃するのがイージス・アショア。

しかし、落下物の点から反対され、

とん挫している。

 

ならば?

 

敵基地攻撃はどうか?

 

という議論が進行中である。

 

ここでも第九条2項が議論の妨げになりそうです。

 

だからこそ、著者も百田尚樹さんのように

 

憲法改正

 

を掲げるのです。

 

3.中国は背水の陣

 

こんな中国ではあるが、実は彼らも

必死なのだと。

 

中小企業の倒産が非常に多い、大手国営企業の改革もほとんど進んでいない、一方で失業者は多い、不動産の価格が落ちている。

外国企業は撤退し、技術の提供も今滞っています。

中国は資源が足りない。石油が足りない。基本的に技術が足りない。

 

何を作るにもその工程で特許が日本や

アメリカにある。0→1を作れない・・・。

 

どうでしょうか。何となく空洞化した中国像が

想像できます。

 

こうなると破れかぶれですね・・・。

 

そして習近平の姿勢はハリボテである。

 

彼はスローガンだけは上手いのですが、内実の伴った政策はおそらく考えていない―――

 

人民を結び付けるためには幸福感、

そして団結感。

 

それが民族意識

 

中華思想、それは漢民族が至上であるとの

ナショナリズムの極みです。

 

これは国内では大義名分となり

 

少数民族は中華民族でない

 

モンゴル・チベット・ウイグル自治区での

虐殺、凌辱、再教育がまかり通るのです。。

この政策は非常に国民に受けがいい

 

海外が避難しても、干渉するなと一点張り。

 

後がないなら何をしたってかまわない・・・。

 

それが漢民族、共産党、中国の文化として

海外に映るから嫌われてしまう・・・。

 

悲しい国のように思います。

 

中身はないのに自分たちは一番の民族だ。

 

まるで中年ニートのような・・・。

 

~感想・今後に向けて~

 

なんとなく、中国の独裁国家的な風土を

嫌う人は日本に多いように思います。

 

ウイグル自治区や香港での出来事。

そこでは到底正当化できないような

共産党のやりかたを目にしてきました。

 

経済の歴史では多くの中国マネーで

恩恵を受けた部分はあります。

 

そこに加え、日本人の穏やかで人道的な

性格がある。

 

その美徳は大切にしつつも、最後の最後は

譲ってはならない。著者のメッセージはそこに

帰着します。

 

どう守るか?

 

安全保障条約にすがることに警鐘を鳴らす人も

多く

「米国が攻撃されても、日本にはわれわれを助ける必要がない。ソニー製のテレビで見るだけだ」

 

トランプ大統領が駐留費をせびってくるのも

わからない話ではない。

 

ただ、アメリカは大統領が何であれ、

本当に有事に日本を見捨てられるのでしょうか?

 

その辺の事情も知りたいものですね。

 

 

アメリカの力を頼みにしても良いが、

自発的な防衛も海外にアピールしなくては

ならない。

自分の国は自分で守らなければならない。これは左だろうが、右だろうが、少なくとも愛国心を持った人間なら、そうでなければならない。

 

これは議論を待たないでしょう。

 

 

中国は土地が欲しい。そこだけは譲らずに

別の形で二国の協力が得られたらいいのですが。

 

我々は中華料理が好きだし、三国志だって、

キングダムだって、彼らの歴史が好きです。

観光地としても人気があります。

 

そんな、国民個人が抱くプラスの中国像も

あると思います。

 

論客も日本人の気質を理解しているのです。

 

隣の人を悪く思うのも罪だという性善説。日本は性善説で行きたい。

 

欧米人にも理解されないでしょうけど。

 

これこそが、世界に誇る日本人の美しさ

だと思うんだけどな。

 

甘いでしょうか?笑

 

 

まだまだ読書は続きます・・・。

 

 

参考・引用 櫻井よしこ 赤い日本 (株)産経新聞出版 2021年5月

 

 

皆さんにとって身近な存在ですか?

それとも、軽蔑する存在?

 

「尻軽な女性がやる仕事」

「そんなに金が欲しいの?」

「若いうちしかできないよ!」

 

・・・

どこまで、彼女らを肯定できるでしょうか?

 

 

この本は色っぽい話ではありません。

 

売春に貧困あり!
 

日本経済の中で犠牲となった彼女たちが

見ている世の中とは??

 

 

※40-50代の男性へ

お気を悪くするかもしれません。著者は

あなた方を徹底的にディスります・・・。

 

~流れ~

タイトルは食いつきの良い、性的な

印象がありますね。

 

しかし!

 

著者は日本の経済、政治、社会の現状を

風俗というフィルターを通して僕らに

訴え、啓発します。

 

社会、政治・経済、裸の女性はトライアングル

彼女たちが社会の現状を投影している

 

そういうことみたいです。

 

本書の流れを以下のように

まとめてみました

 

1.何で裸になる女性が増えた?

1-1.家庭問題

1-2.政策

 

2.彼女らの将来は・・・

 

3.分かり合えない男女

3-1.彼女らの中年男性像

3-2.著者の抱く中年男性像

 

4.どうしたらいいの?

 

~流れの深掘り・無知医の心中

 

1.何で裸になる女性が増えた?

 

大学生の貧困は親世帯の賃金低下や、学費高騰だけでは説明できないようだ。

親との関係と密接につながっている。

 

1-1.家庭問題

 

子の教育に興味がない、あるいは

負担したくない思いが先行している。

「うちにはお金がない」

お母さんはいちいち、教科書代何円かかった?って

俺は中卒だけど、ちゃんと生きている。大学なんて必要ない、みたいなことを言い出した。

 

きっと親も自分が大事な部分があるのだと思います。

何故でしょう?

自分の趣味や物にお金を使いたい。

自分だって疲れている、不幸せ・・・。

 

そうやって

自分>教育

となることが一つの問題のように思います。

 

「親の言うことが聞けないんだったら、自分でやりなさいって意地悪だったと思う。」

自分の思い通りにならないから、仕送りをしない。

気付いたら彼女は裸になってる。

 

1-2.政策

2004年に小泉内閣は学生に学資を貸与する

日本育英会を廃止し、

独立行政法人日本学生支援機構に改編。

 

簡単に言うと

無利子であった奨学金が

利子付きになったのです。

 

学生にとってはだいぶきついです。

 

だいたい年間150万借りて×4年間

これで利息3%程度。

 

著者は学生の貧困と言う目線で

小泉内閣のこの政策を批判しています。

日本育英会の貸与奨学金が独立行政法人化して金融ビジネスになったのは、小さな政府を目指す新自由主義の一環

 

無知医なので政治には疎いですが、2004年って

既に少子化が進行している時代であったはず。

その時期に教育に逆行するような政策を

打ち出したのにはどんな理由があったのか?

国を担っていく若者にこそ投資をすべきであった

のではないかと思ってしまいます。

 

学生本人の名義で借りるので、子どもが4年間で500万~800万円の借金を背負うことになる。

 

そもそも、高校出たばかりの大学生に

ローン、金利の知識なんてあるわけない。

高校で奨学金に関する講義を行うべきだと

思うのです。

毒親に良いように搾取されるだけ。

奨学金の一部を親が懐に入れるなんて、

悲しいにもほどがあります。

 

2.彼女らの将来は・・・

夢を叶えるために、覚悟して入った

風俗業界。

 

そこでは避けられない罠が待ち受ける。

 

不特定多数の男性の性行為の相手をしながら、目標や目的が変わってしまうのは良くあることだ。

「教員になりたい夢は薄れたかな。どうしたらもっと稼げるか?みたいなほうに意識が行くようになった。」

 

夢の実現のために裸になる。

圧倒的な効率の良さで金が入る。

そして裸に慣れる。

 

まさに

 

仕組みそのものが女衒。

 

本来の夢であった職業は改めて見たら

労力に見合わない給料・・・

 

彼女たちは風俗が成長の無い産業で

寿命が短い事を気付けない。

自分の価値は「若さ」でしかないことを

どれほど気づいているのだろうか?

 

彼女の価値は若い肉体だけ。それに対価を払って飽きたら捨てられる

 

決して「能力」ではない!

自然、何のキャリアにもならない。

 

意識高くバリキャリのイメージに憧れた彼女は、大学4年間で、結局、中年男性相手の売春的な行為でしか結果が出せなかったことになる。

単体AV女優まで昇りつめて達成感はあり、生活は満たされるようになったとはいえ、5年後、10年後の未来はまったく見えない。

貧困ホストも

ずっと女性と話しているから、全然勉強が追い付かなくて本末転倒なことになってしまっているのが今です

 

一度裸になったら、抜け出せないのでしょうか。

 

3.分かり合えない男女

3-1.彼女らの中年男性像

「好き、大好き、付き合ってほしいとか、その時未成年の私に本気で言ってくるおじさんって、どういう人生歩んだらそうなるのって思いました。」

 

パパ活女子はこう思っているようです。

恋愛感情はまったくないです。相談係。相談おじさんです。好きになる要素がない。

私が自分の話をしていることが多くて、どうして相手がお金を払うのかわからないです。

しかし、パパとなる男性のゴールは

肉体関係。

 

それ以外ありえないと思います、ね。

若い子に数万出して食事で完結できる

男性なんていないと断言できます。

ですよね?

 

3-2.著者の抱く中年男性像

 

年功序列や上下関係、男尊女卑の意識が根付いている

横暴な態度。しかも、しつこい。偉そうに説教。

自分たちはまだまだ若い、女性にもモテると思っている。

 

さんざんな言われようだな・・・笑

 

これが真実ならば、このような40-50代には

なりたくないですねぇ・・・

 

女子たちにモテるどころか、迷惑な存在と思われながら最後の稼ぎにたかられている

勘違いから、

自分ならパパ活女子を抱けるだろう。

風俗では本番ができるだろう、と。

 

そして、思い通りにいかなかったら、

彼女らを罵倒する。

 

もう、どうしようもない。

 

けれども、それが中年男性の性なのでしょう。

否定しても彼ら自身の気質を変えることはできない。

 

4.解決策は?

裸になる女性を減らしたい。

 

これが著者の思いです。

彼なり考えてくれた案があります。

 

現実に即して

学生が普通のアルバイトで稼げるのは頑張って月8万円くらい

 

そこで

支出を減らすことを考える。

「自宅外通学を断念する」

自宅から通える大学に行くしかない。

 

そして親にも警告

「苦学生」が美化された時代に生きた親たちも、月9万4200円を負担できないならば、自宅外通学を断固として認めないべきである。

 

決してスケールの大きい提案ではないですが、

我々の手に届く案ですね。

 

問題は子が反論した場合、でしょうか?

先の例のように責任を放棄することは簡単です。

しかし、それでは子供があらぬ方向に

進んでしまいうる・・・。

 

世間知らずな子供をいかに説得させられるか、

教育の正念場でしょう。

 

~感想・今後に向けて~

性行為

「別に減るもんじゃない。」

 

ほんとでしょうか?

確かに物質的な損失はありません。

 

差別や偏見の的になる、違法の可能性、男尊女卑が業界に浸透してるので搾取される、性暴力を受ける、情報遮断される、恋愛や金銭感覚がおかしくなるなどなど、

 

こと、若い女性が多感な時期に

金銭感覚と恋愛感覚がおかしくなることは

大きな損失でしょう。

 

パートナーに対してこんな思いを抱くそう。

なんでこの人、無料で自分に会っていて、かつこんな扱いをなんだろうって。

お金払って会っているお客さんは、その時間に喧嘩なんて絶対しない。

悲しすぎる・・・

 

風俗で、一旦は金銭的問題は解決できる。

 

が、その代償は果てしなく。

 

貧困学生を憂う著者の思いが詰まった一冊

でした。

大前提として、彼女たちは見知らぬ中年男性の性的欲望の受け皿になることをやめて、平穏で楽しい学生生活に戻るべきだ。風俗嬢という職業の是非はここでは関係なく、その時間や精神的疲弊、学業やサークル活動や恋愛に注いだほうがいいということだ。

 

繰り返しますが、僕は高校の時期に

学生自身に奨学金に対するリテラシーを

育ませることが重要だと考えます。

 

ローンを組むとはどういうことか?

きっと知識ある人間が利用すれば、

貸与型奨学金も大きな社会問題に

ならずに済んだのだと思います。

 

そして、決して返済義務のない親の

思うようにさせない。現金が親に渡らないような

仕組みにしてしまえばよいはずです。

 

 

後味の悪い内容でした、が

これが現実なのですね。

 

まだまだ、読書は続きます。

 

 

参考・引用:中村淳彦 女子大生風俗嬢 性とコロナ貧困の告白 (株)宝島社 2021年5月

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

末期がんと医者に言われました。

 

どうしましょうか・・・?

 

だいたい、帰ってくる言葉は

 

とりわけ、日本人は死を逃避している傾向が

強いと言います。

 

世界中の「死」に関連した文化・伝統。

死生観を考えさせられる一冊でした。

 

 

<こんな人、読んでみては?>

・自分の死を想像したことはある、

けれども死んだ後の処理なんて

考えたことない。

・大事な人が死んだとき、自分は

どんな気持ちになるんだろう?

どうやって受け入れていくんだろう?

~流れ~

父親の死を受け、著者の頭に

疑問が浮かぶ。

 

人間はどのように仲間を見送るのか

有限な命の存在である自らにどのように向き合うのか

 

世界を巡りつつ、様々な「死」の

文化と出会います。

 

9か国を巡りますが、

ここではいくつかをピックアップしてみます。

 

  1. 泣くとは?悲しみとは?(イラン)
  2. 燃えるパレード(バリ)
  3. クレイジーな棺(ガーナ)
  4. 銀紙のテレビ(中国)
  5. 遺るもの、それは骨(チェコ)

 

~あらすじの深掘り・無知医の心中~

1.泣くとは?悲しみとは?(イラン)

 

大切な人が亡くなれば、悲しいです。

ではなぜ、涙が出るのか?

 

古代から、泣くことは精神の浄化作用と考えられた。

ダーウィンは、泣くことは苦しみを軽減する方法であると結論付けた。

 

この考え方は今日にも生きており、

 

「泣くことは有益か?」と名付けられた研究において、60-70%の回答者が、緊張の緩和から安堵感にいたるまで、有益な効果が得られたと報告している。

 

そんな科学的な見方があるとは・・・

とはいえ、涙は当事者にとって感情面でしか

語ることはできません。

 

そして

この感情は政治利用されることもあり・・・

 

例えば、著者がイランを旅した際の出来事。

 

預言者ムハンマドの孫、フサインの死を

追悼するアシュラというイベント。

 

フサインの死はシーア派とスンニ派の

分裂を決定づける事件となった。

 

毎年、国をあげての大イベントです。

 

全ての人びとを結び付け、悲しみとともに共通の敵に対する怒りを共有させる。

これほどまでに強固かつ極端なものは他に存在しない

もはや教育レベル・・・

いや、宗教の一体感のためには

必要なイベントなのでしょう。

 

 

当然、逆もあり、

それがキリスト教圏

 

公然と荒々しく感情を表現することは、権力側にとっては社会に動揺をもたらすと考えられたのである。

棺にすがる女性を鞭で追い払うことまでしてみせた。

 

 

感情が制限され、利用される社会が

あるとは・・・日本では想像しがたいです・・・。

 

 

様々な感情による乗り越え方がある中、

著者は次のようなヘブライ語の古い

ことわざを好む。

亡くなったことを嘆くよりも、生前に個人がしてくれたことに感謝して生きる

先立たれたものは「厳粛さや悲しみを無理に装ってはならない」、そうではなく「ともに笑いあったような小さな冗談に、変わらず同じように笑うべきであろう」

 

死に対して、陽気に受け入れるというのも

素敵な考え方ですね。

 

2.燃えるパレード(バリ)

 

日本の葬式って、粛々と進行する

厳かなものです。

 

ただ、バリでは違うようです。

 

バリ人のいちばんの楽しみと言えば火葬儀礼である

バリ島の葬式が旅行客を集めている

死は要するに、大人気の客寄せである

 

不謹慎、という思いが浮かぶのは日本人の

ものさしで考えるからでしょう。

 

ただ、死してなお収入に寄与できるなら

自分だったら悪くないかな笑

 

彼らは葬式を幸せなものと解釈する。

 

大きな神輿の中に遺体が納まり、

それを観衆の中で盛大に燃やすという

儀式です。

 

例えていうなら・・・ねぶた祭とか、

ディズニーのパレードが火事になっているような

感じですかね笑

 

魂を天上のパラダイスへと―――栄光ある始まりへと―――送り届ける

 

ヒンドゥー教の「輪廻転生」を表現している

のだそうです。

 

死を祝福してすらいるのです。

 

3.クレイジーな棺(ガーナ)

 

棺って、何でしょうか?

私かは、これまで遺体を入れるものとしか

考えてきませんでした。

 

ところが、

ガーナでは違うようです。

 

世界一クレイジーな棺を作る

 

ベンツ、鍵、ビールのボトル・・・・

 

んん??

 

一番の変わり種は、ある医者のために作った巨大な子宮だ。

 

・・・いかれている。

 

多くの場合、それは、彼らの人生と結びついたもの

この世でやってきたことを死後に続ける

 

やはり、これも死後の世界に何かを期待した

表れでしょう。

 

 

そして、著者は自分の棺を作りました。

 

エンパイアステートビル

僕は・・・ガンダムにしようかなぁ。

 

4.銀紙のテレビ(中国)

 

おおかたの人は、死んでしまえば何一つあの世に持っていくことはできない。

 

ごもっとも・・・。

 

しかし、中国では何でも持っていけて

しまうようです。

ここでもまた死後の世界を期待することで

死と向き合うのでしょう。

 

ここは祭祀用品店。テレビやリモコンをはじめとして、すべて中国人が亡き親族に手向けるために用意されている。

燃やされ、黒い灰となって先祖の魂を楽しませるためにあの世へと―――

 

始皇帝の兵馬俑も同じ発想です。

 

始皇帝は永遠に生きたいと切望していた。

 

僕らも、墓参りの時に飲み物とか、おはぎとか

手向けます。お供え物って、やっぱり死後の

世界ありきの文化だと思います。

 

5.遺るもの、それは骨(チェコ)

 

著者が、母親とこれから遺灰を

撒きに行くシーン

 

はたして父がどれほどまで、骨壺の中身である厚手ビニール袋に詰められた、白みがかった灰色の粒子のうちに認められるのだろうか。

そこに彼の魂があるとは考えていない

 

これは著者がチェコのセドレツ納骨堂

でおびただしい骨の芸術作品を

見た時の感想と共通する。

作品となった無数の骨は生前の

人物を手繰る証拠を持たない。

 

 

誰も答えてくれない疑問が

あるのですが・・・

なんで、骨や髪の毛のように

死んで長い月日が経っても

残ってしまうもの

があるんでしょうかね?

 

バカみたいな考えですが、今後多くの

骨を持った生物が死んでいけば地中は

骨だらけになるのでしょうかね?笑

 

こんな説があるようです。

 

「湿った」遺体は腐敗に伴って共同体の一員としての資格を失い、世界の狭間を漂う存在になる。肉体が徐々に骨から分離してゆく期間における霊魂は、死者の世界との中間領域を足止めされ彷徨う存在である。やがて肉が削げて「乾いた」骨の状態になることで、霊魂は「拘束」段階を終えて死者の世界に入ることができる

 

まぁ・・・スピリチュアルな理由を

こじつけるしかないでしょうが。

 

ただ、こんな見方もあります。

 

1970年に起きたエルサルバドルの

内戦で多くの死体が見つからなかった

一件を受け

 

遺骨があったということは、ついに彼らの葬儀をあげることができることを意味する

「死亡したと推定」することは「死亡したと確認される」こととは全く異なる。確証を得ていないのにもかかわらず別れを告げることは、死者を見捨てたとの罪悪感を遺族に抱かせるのだ。

 

物質として「死」の証拠があることで

改めて「死」を実感できるんでしょうか。

 

よく、幼女が行方不明になる事件

ありますよね。

 

捜索中って不確定な時間が流れて、

家族にとっては地獄のような時間

なんじゃないでしょうか。

 

3日たっても見つからない。

生きてはいないだろう、けれど・・。

 

そう、死んだことにもできない。

 

遺体で発見された時、それは絶望が

現実となる時。

けれど、その中に何とも言えない

安堵もあるのではないでしょうか。

 

お疲れ様、頑張ったね、と。

 

~感想・今後に向けて~

 

様々な国が、様々な形で「死」を受け入れる

様子を教わりました。

 

共通することが、

死後の世界

 

この世界の存在を肯定することが、

死を受け入れる一つの手段になったのです。

 

19世紀のドイツ貴族のコメント

「来世への望みなしには、この世で朝起きて服を着る意味すら失せてしまう」

んー、悲観的過ぎるような笑

きっと時代背景が悪かったのかもしれません。

 

とは言え、儒教のように死後の世界は

存在しないという考え方もあります。

 

しかし、この世界で行ったことは、死んだら

リセットです。

ゲームみたいに強くなった状態で

2周目なんてできませんよね笑

 

だから、例え死後の世界を肯定しても

今の人生は大切にしたいものです。

不幸でも、理不尽でも・・。

 

人間存在の中心には死に対する潜在的な不安があり、文化や遺産、行動の多くを動機づけている。

人間行動の背景には士への意識が大きな原動力としてある

 

終わりあるから、こそ行動している。

 

どれほど熱望したものであっても無制限に供給されるとなるや魅力を失う。

終わりがあることで、すべてはいっそうに美味になる。人生は限りがあるからこそ、いっそうかけがえがない!

 

沁みるなぁ。

 

 

―――

話は変わりますが、

職業柄、多くの人を看取ります。

 

 

誰も身内がおらず、誰もいない部屋で

死者に向かって死亡確認を告げたこと。

 

 

「なんで行っちゃうの!

ずっと一緒だったじゃない。」

と叫ぶ奥様に対して死亡確認を

したことも。

 

 

「親父、ありがとう!」

「おとうさんありがとうね」という言葉の中、

自分も泣きながら看取ったことも

ありましたね。

 

 

色んな最期を見ていると、こんな感じが

いいなーとか思うことがあります。

別れを惜しまれるよりかは、

感謝されながら去りたいな、と。

 

 

高齢者の人口はまだまだ増えてゆきます。

思うのですが、医者の仕事は、病気を

治すだけでなく、死が迫った人、そしてその家族が

受け入れられる準備を手伝うことでもあると

思うようになりました。

 

そんなときって、薬に頼れないので、言葉が

重要なんです。

 

人は死にます。

けれど、受け入れられない。

そして、治らないと医療のせいにされることもある。

 

 

この矛盾を、ギャップを合わせていけるような

医者になりたいものです。

 

 

まだまだ、読書は続きます・・・

 

 

 

参考・引用 サラ・マレー 死者を弔うということ 2017年10月 株式会社 草思社