母の左視床膠芽腫
ご訪問ありがとうございます。
大好きなトフィは、2022年12月12日に永眠しました。可愛がってくださった皆さま、ありがとうございました。

2023年12月末には、母が病気であることが分かりました。年末から年始にかけて様々なことを考え、現在も様々なことに悩み、家族と相談したり、友人に支えられながら、前を向いて母を支援していきたいと思っています。

10万人に1人と言われる珍しい病気のため、闘病の記録がいつか誰かの役に立つことがあるかもしれないと思い、ここに残したいと思いました。何より、毎日、治療を頑張る母を応援したく、日々のことを忘れたくありません。

このブログを開くとトフィとの思い出が蘇り、悲しみが癒されます。タイトルとは関係のない内容のブログで、ご了承ください。
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4月12日土曜日の面会

病院に着き、1階の受付で面会に来たことを伝えてから病棟に向かいました。

 

エレベーター前に椅子が置かれていて、さらに病棟に向かう通路に仕切りがありました。

 

通りかかった看護師さんに声をかけると、

 

医師が病状説明をしてくださるとのことでした。

 

これも、せっかく病院に行くのだから検査結果の説明を受けられないか、兄が連携室の方に相談してくれていて、

 

可能性は半々だけれど、当日返事を頂けるということになっていたのです。

 

土曜日でしたが面会時間に合わせて病棟に来てくださった先生に感謝したい気持ちになりました・・この時までは。

 

面会時間も限られていたので、先に医師から説明を受け、その後母に面会をする、という流れに決めました。

転院先の病院の面会制限

母が大学病院からの転院後、初めて面会に行きました。

 

この病院は面会制限がより厳しく、

 

平日に病棟内で5組まで、事前に予約が必要で、

 

1週間に1回15分。

 

時間は午後。

 

予約が埋まっていると面会の予約は取れないというルールでした・・

 

父と兄が面会に行った時に、私が土日しか面会できないことを相談してくれていて、

 

特別な事情があれば土日でも可能のよう。

 

遠方から面会に来るということはこの対象になるようでした。

 

新幹線で14時頃に駅に着き父と合流し、

 

14時半からの面会予約時間に間に合うように、

 

それほど遠くない距離なので歩いて病院に向かいました。

 

 

4月8日の父の面会。

8日は父が面会に行き、

 

この日は母の状態は良くなく、話しかけても期待するような返答はなかったようでした。

 

看護師さんからは、退院先として考えている施設について、

 

よく検討するように、と言われたそう。

 

唯一治療を継続できる施設だけれど、

 

月に1回、家族が大学病院に診察に連れて行くことになり父のフォローも負担が大きくなることや、金銭的にも負担が大きくなることなどを言われたようでした。

 

兄からのメールでは、父はその施設よりも、もともと検討していた特養を考え始めているような内容だったけれど、

 

父はこの日に母は回復はしないということが分かり、

 

それならばその施設ではなくてもいいのではないかと考えたのかな、と・・・

 

父は、母が食事も摂れるようになったら歩けるようにリハビリをする、ということが頭にあって、抗がん剤治療をしたら、病気が良くなる、という未来を想像していて、

 

そんな父に、薬が効かない癌細胞が増えていったら、もう治療法はないって主治医から言われていたよね、と伝えてはいたけれど、父は治ることを期待していて、その言葉は父には届いていなかったのだと思いました。

 

父を見ていると、

 

病気を治療して治ることを信じる気持ちがすごく伝わってきていたから、

 

この日父は大きなショックを受けたのだと思うと胸が痛みました。

 

病院から退院先を決めるように言われているけれど・・・

 

母の状態を見ずに決めることは難しく、面会をして、それから考えることにしました。

 

同時に、母に会えることは嬉しいけれど、状態が良くないかもしれないことを覚悟しなければいけないと・・・

 

 

 

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