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M.Tねっとわーく ==ワークショップ開催予定・日程==

*** 子どもの不登校・摂食障害を一緒に考えましょう。***
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チョッパー今日はいろいろな事に気づく1日でした。


昔を思い出したり・・・。


私は、子ども達がたいへんだった時、もう私には無理

だから、結果は神に委ねようって思ったんだった。


子どもが拒食で心肺停止になってしまっても、もうそこは

神に任せよう。


神の領分だって思って、責任転嫁したんだった。


私の育て方が悪いから、こんな風になっちゃったんだって

私が思いたくないから、神様に責任押し付けたんだったわ。


宗教信仰しているわけでもないのに、神様に頼って、

神様に責任取ってもらおうとした私。


でも、それで、どんなに私自身が楽になったことか・・・。


神様が責任取ってくれるんだから、って思ったら、肩の荷が

下りて、「まぁいいかぁ~」って思えるようになった。


誰かに責任押し付けるって、本当に楽。


楽だけど、目の前の問題はそのままなんだよね。


でも、一度肩にズッシリ圧し掛かる荷物下ろすと、ちょっと

自分に余裕ができる。


そしたら、どうしたら今の状態を改善できるかを考える事が

できる。


ただね、無宗教の私が神様に責任転嫁するって事に後ろめたさ

を感じてきたの。


でも、今日気が付いたの。


神様じゃなくて、宇宙に責任転嫁することにしちゃうわ。


なぜって、私たちは宇宙からエネルギーもらって生きてるわけ

だから、宇宙に責任とってもらっちゃう。


って、わけ分からない結論だけど、ハイアーパワーの力を感じた

今日でした。

ミクロの世界「親孝行してあたり前」

 「親の世話してあたり前」

 「親を大切にしてあたり前」


って、感じで「親より偉い者はない」


親至上主義(これ造語なり・・・)の考え方。


いい点は、


親に認めてもらいたくて頑張っちゃう。


親に恥かかせたくないから、真面目に生活、仕事。


天知る、地知る、我知るじゃなくて親知る。


だから、頑張れる。


困った点は、


「親孝行すべし」の考えに囚われて、自分の人生は

二の次。


親の世話が重圧になって、自分が潰れちゃう。


親を大切に思って、親優先しても、もっともっとって

求められちゃう。



今ちょっとした話題のマインド コントロール。


親子間の中でもあるって思う。


私も幼い頃から、親孝行しなさいってすり込まれてきた。


でも、やってもやっても親は満足しない状態だった。


それって、今思えば、私の問題じゃなくて、親自身の問題

なんだよね。


「親孝行」は悪い事じゃない。


年上の人を敬う事は、とっても大切な事だと思う。


ただね、敬えるだけの度量を親にも、持って欲しいと思う。


自分の子どもだから、それだけで敬えって言っても、今の

時代、それって無理かもって思う。


敬って欲しかったら、それだけの人物になってください。


日々、精進してください、って思う。


私は基本的には、親には何かを返さなくていいって思っているの。


私の子ども達に親孝行してもらいたいと思ってないの。


私が親からしてもらったありがたいと思った事を子ども達にして、

それを、また、子ども達が自分の子どもにしていけばいいんじゃ

ないかなって思っているの。


それが、私にとっての、最高の子どもからの親孝行かな。



カラフルここのところカウンセラーさんに出会う事が

続いたので、カウンセリングと家庭内傾聴の違いを

私の感じたままに書かせて頂こうかなって思いました。


傾聴はカウンセリングの手法の中のひとつ。


だけれど・・・。


カウンセリングについては私はカウンセラーでも

臨床心理士でもないので、詳しい事はわからない。


カウンセリングはクライアントになったことがあるので、

クライアントの立場から受けたカウンセリングと家庭内

傾聴の違いについて・・・。


時間が違うよね。


カウンセリングは決まった時間の中だけれど、家庭内

傾聴は、24時間365日、待ったなし。


立場が違うよね。


カウンセリングはカウンセラーとクライアントという立場、

家庭内傾聴は親と子、夫と妻のパターンが多いかな。


大概の場合は、カウンセリングは金銭が発生するけど、

家庭内傾聴は、タダ、フリー オブ チャージ。


そこでね、家庭内で傾聴をする時、上手くいく場合と

上手くいかない場合がある。


人って誰でも自分の話を聴いて欲しい。


自分の事を知って欲しいって思っている。


だから、自分の話を聴いて、自分を知って欲しい。


もっと自分を理解して欲しい。


そして、自分が今の自分でいいんだって言って欲しい。


家庭内傾聴が上手くいくひとつの要素として、

親と子であるって言う前に、ひとりの人間であるって

親が子どもの事をみれるかどうか。


自分の意思を持ったひとつの人格なんだって、親が

子どもの事を見ることができるかどうか。


経験が少ないから、親がそれなりのアドバイスして

あげないとこの子は傷ついてしまうんじゃないかとか、


親として言うべき事は言ってあげるのが親の務めじゃ

ないかとかって思っちゃうと、子どもの話しを半分ぐらい

聴いて、後は自分の価値観を押し付けようとしてしまう。


自分の目の前の我が子が生きてきた時代の中で、自分の

子どもは何を得とくして、何に葛藤しているのか、


その子自身が本来持っている人間性と時代や環境の

中で、何を見出そうとしているのか。


親がどれだけ「空の心」で我が子の話を聴けるのか。


そんなところが、家庭内傾聴が上手くいくところと、

ちょっと躓いてしまうところとの違いかなって思ったのでした。


「対等」って事がキーワードかな。



ききらら「カウンセラーってお金もらって私の話聴くんでしょう。

 なんでお金払ってまで、私がその人に話ししなくちゃな

 らないの、絶対カウンセリングなんてやらないから・・」


 って、娘のこの言葉が今でも頭のどこかに、心のどこか

 にある。


 子どもがうつになったり、摂食障害になったり、パニック

 障害になったり、引きこもりになったり、いろいろな問題が

 出てくると、親は、カウンセリング受けて欲しい、心療内科

 精神科に行って欲しい、って思う。


 私もそうだった。


 カウンセリング受けて自分語ってくれたらどうにかなるん

 じゃないか。


 精神科の先生なら、どうにかいい方法知ってるんじゃないか。


 でも、なかなか私の思うように子どもは動いてくれない。


 カウンセリング受けて自分を語るためには、

 医師に自分の辛さ語るためには、

 それだけのエネルギーや勇気がないとできない。


 子ども自身でどうにか今の状態から抜け出そうって思わないと

 思ってくれないと、カウンセリングにも病院にも行ってくれない。


 仮に行ってくれても、成果が上がらないってことになる。


 なので、「家庭内で傾聴」して欲しいって思っているの。


 ただ、家庭内で傾聴するってとってもたいへん。


 我が子が

 「生きてるのが辛い」

 「生きていても意味がない」

 「お母さんの育て方がいけなかったからこんな事になった」

 「お母さんの責任なんだからどうにかしてよ」


 って子どもに言われながら、心冷静ではいられないよね。


 親だって、自分に自信がなくなっちゃう。


 本に子どもを誉めてって書いてあるから、誉めたのに、全然喜んで

 くれないし、声掛けても返事してくれないし・・・・。


 諦めないで子ども誉めて、声かけして・・・・でも改善していかない。


 そんな状態が続くと、もうなにやっても無理なんじゃないかって思っちゃう。


 私は人が回復していくためには、症状がでたまでを潜伏期間って

 思って、その潜伏期間の倍の年数がかかるって思っているの。


 長女は17歳で拒食症になったから、17年間の潜伏期間。


 その倍の期間が回復期間。


 34年間。


 その34年間に私が出来る事をやってみようって思っている。


 今まで誉めなかったお母さんが急に誉めるようになったら、

 子どもだって戸惑うと思う。


 誉めることにお互いが慣れないと。


 なぜ誉めるの?  なぜ誉めることが大切なの?


 「私はあなたを否定しないよ」の気持ちを伝えるため。


 なぜ声かけするの?


 「私はあなたがそこにいること知っているよ」の気持ちを

 伝えるため。


 毎日毎日の積み重ねで、必ず子どもは親の気持ちに

 答えてくれます。


 お母さんは自分を否定しないんだ、

 お母さんに何でも言っていいんだって思ってくれると

 

 たくさん話してくれるようになります。


 

なめこ3月11日、大きな揺れが長く続いて、その後テレビから

流れてくる信じられない津波の映像、夕方には帰宅出来ない

人々の混乱。


我が家の家族もどうにかこうにか、時間はかかったけれど

みんな帰宅出来たことのホッとした。


でもまだまだ、ホッと出来ないことにすぐ気がつく。


数えきれない余震への恐怖。


原発問題。


今年の3月11日、1年が過ぎて遅々として進まない復興。


方向性を示さなきゃならないときに、周りの顔色ばかりみている

ように感じちゃう政治家。


消費税の増税に積極的で、原発を再稼動しようとする政策に

庶民感覚とのギャップを感じる。


人ってひとつの世界にどっぷり浸かっちゃうと、安心を感じてしまうのか

その中での考えしか出来なくなっちゃう。


昨日若い女性をお話させていただく機会があってね。


彼女は、何もかもいやになって、家族、友人、仕事、全てから

逃げ出したくて、中国に行ったそうです。


でも、中国に行ったけれど、なにも変わらなかった。


その頃中国ではサーズが流行していて、帰国した自分を待っていたのは

差別。


中国から帰国と聞くだけで、会おうとしない友人。


快く「おかえり」って言ってくれたのは、家族。


中国に行って、なにも変わらなかったけれど、自分には家族がいる、

いつも自分を待っていてくれる家族がいるって事がわかったって

彼女は話してくれました。


大切な家族を容赦なく奪っていった津波。


天災である津波に対して、今回の教訓を踏まえていろいろな工夫が

されていくと思う。


原発に関しては私は人災だと思っているの。


だから、防げるんじゃないのかな。


日本には52か53基の原発があるのよね。


こんな狭い日本に。


地震国の日本に。


電力会社の方も政治家も私達庶民もみんなでもう二度と

原発事故が起きないように考えていきたいなって思う。


電力会社の方も政治家も「最初に原発ありき」の世界から

一歩出て、いろいろな意見に耳を傾けてほしいな。


便利さが人の幸せではないと思うから・・・・・。