M.Tねっとわーく ==ワークショップ開催予定・日程== -49ページ目

M.Tねっとわーく ==ワークショップ開催予定・日程==

*** 子どもの不登校・摂食障害を一緒に考えましょう。***
M.Tねっとわーくhttp://small4mtnetwork.web.fc2.com/

ピエロこの間の中学生の子どもを解体現場で働かせていて

その子が現場の事故で亡くなっちゃった事件があったでしょう。


その会社は不登校の子ども達を20人ぐらい雇っていて、

親も学校も働くことを容認してたって、新聞に載っていた

けれど・・・・。


法律ではダメなことなんだよね、中学生を雇ったら・・・・・。


でも、なんか~分かるなぁ~働かせたかった親の気持ち。


どこでもいいから、子どもの居場所があればって思ったんじゃ

ないのかな~。


その子のそのままを認めてくれて、日当までくれるところがあって、

その子が毎日、イキイキしてたら、学校行かなくたって、違法だって

かまわないって、私なら思って、子どもの為に、ハートのお弁当なんか

作って・・・なんてしちゃうと思う。


学校行かなくて、家でくら~い顔して、将来に不安抱えての子どもを

目の前にしていたら、藁をもつかむ思いで、なにかしら社会と繋がって

ほしって思うんじゃないのかな。


ただ、事故にあったお子さんが亡くなってしまったのは、とっても

残念なこと。


雇った会社がどれだけの安全対策していたのか、私には分からない

けれど、善意で雇っていたとしたら、この会社で働くことで居場所を

見出せた子がいたとしたら、法律で規制しないでほしいなぁ。


なんでテレビに出ている子役の子ども達は、働いてもいいの?


年齢によって、職業の種類が決まっているってこと???


新聞配達は?


大工さんは?


漁師?


お相撲さん?


歌舞伎役者?


ボクサー?


落語家?


お百姓さん?



きっと子どもの権利を守る為にできた法律なんだろうけれど、

今時代は変わって、働くことで自分の居場所を作りたい子にとっては、

それが足かせになってる部分もあるのかもね。


長い間引きこもっていたアスペルガーの40代の男性が、再犯のおそれが

あるうえ、社会に受け皿がないから、求刑以上の判決を裁判所で下した

問題だって


これを期に社会での受け皿作っていかないと、同じような

悲しい思いする人が増えていくよね。


ある人が、今年はいろんなものの考え方、意識を変えていく年

なんだって言ってた。


そうだろうなぁって思う。


領土問題にしても、原発問題にしても、学校教育の問題にしても、

アスペルガーのような発達障害の問題にしても、今まで捉えていた

ものとは違う視点で考えていかないと、よりよい社会にはなって

いかないのかも・・・。


ミニー はーと4月思いもかけないことが起こって、4ヶ月。


生死を考えた、この4ヶ月。


いろんなことを教えてもらった、この4ヶ月。


「なんで痩せてる、太ってるなんて事に拘っていたんだろ。


自分の足で自分の行きたい時に行きたい所に行けること。


お母さん、これって奇跡なんだよね。


あたり前のことじゃない、奇跡なんだよね。


痩せてたって太ってたって、生きてるんだもの、


どっちだっていいことだよね。」


娘が拒食症になって10年が経った。


いろんな彼女の成長の中で、今回のことが教えてくれたこと。


たくさんの葛藤があって、たくさんの苦しみがあって、


まだまだこれからやらなくちゃならないことあるけれど、


今回のことで、人生はいろんなことを教えてくれるって思った。


思いがけないことが起こる。


起きない方がいいとは思うけれど、それが避けられないことであるなら


起きてしまったことから、学んでいかないとって思う。




あなたが生まれたとき、

みなが笑って、あなたは泣いたでしょう。


だから、あなたが死んだとき、

みなが泣き、あなたは笑っているような、


そんな人生を送りなさい。  

          

            「ネイティブ アメリカンの教え」


すごくいい言葉だといって、娘が送ってくれた教え。


これも、今回の思いがけないことが巡り合わせてくれた言葉

かもしれないな。



ねこ昨日ある人から電話があって、あまり私得意な人じゃ

ないの。


でもね、昨日はちょっとだけ、今までより気が楽に話せた。


で、気が付いたの。


ま~ある話からなんだけど・・・


「そ~なのよねぇ~私たち姉妹には、そういうところあるのよね」


とか、


「私にもそういうところあって、実は困ってるのよ」


とか、その人は会話の中で言うの。


前はね、


「それはね、仕方ないことなの、だってね・・・・・・」って始まって

長々言い訳。


結局は仕方ないんだからあなた(私)が理解しなくちゃダメでしょう

・・・みたいな言葉で終わる。


結局私は

「理解したくもないし、理解もできないし、理解する必要もない」


って不快な気持ちで話は終わる。


「そ~なのよ~」の彼女のひと言で、私は私の話聴いてくれてるん

だって思えた。


改めて「そ~なんだね」


とか


「そ~なんだ~」


の言葉って大切だなって思った。


彼女にはお姉さんがいてね。


この姉は、私にとっては大の苦手な人。


ここまで苦手な人ってあまりいないんだけど、なんで苦手か

昨日の会話でわかった。


この姉、自慢話しかしないからなの。


本人は自慢話してるって思ってないかもしれない。


なぜなら、自分の思う通りに物事が進まないから。


例えばね


「自分は自分の実の親以上に、結婚相手の親に尽くしてきた。

だから、私が親の面倒みたかったのに、他の兄弟のところで

世話になってるのよ、こんなに私が世話したのに・・・」


って、具合。


それ以外にも、自分が一生懸命世話したのに・・・・の話が多いの。


自分は常に正しくて・・・それなのに自分の思うようにならない状況。


この姉の話を聴いてると

「自分だけの考えが正しいわけじゃないよ、人の数だけ正しさは

あるんじゃないの???」


って言いたくなるし、自分がどれだけ誠心誠意やったかの話も


「自分でやりたくてやってるんじゃないの???なんで、見返り

求めるの???」


って言いたくなる。


感謝を投げれば感謝が返ってくるし

憎しみを投げれば憎しみが返ってくる。


これが宇宙の法則だもの。


感謝というオブラートでラッピングした憎しみでは

返ってくるのは、憎しみだよね。


この姉が投げているのは

正しさというオブラートでラッピングした「頑固さ」


にしか私には思えないのよ。


「頑固さ」

「ねばならないの心」

「こうあるべきの気持ち」


そんなものばかりじゃ、重苦しくて私は苦手だわ。





けむしくん考え過ぎるのってクセになる。


親が、考え過ぎの傾向にあると、当然子どもも考え過ぎの

クセがついちゃう。


幼い時に、これやってみようかなって、ただ単純に好奇心で

やってみようかなって思った時、


「それやって、こんなことあったら、どうするの?」なんて

言葉を親がいうと不安になって、テンション下がって、結局

やらない。


不安煽られるから、その内どうしてもやりたい事は,親に

黙ってやっちゃう。


私はなにをやっても不器用だから、失敗することが多い。


「こんなこといつかやらかすと思ったわ・・・。

やって失敗することも分かってたのよ。」


って、言われる。


やる前に言われるのも、やってから言われるのもイヤだから、

いろんな言い訳考えて、考えて、とことん考えて・・・・


考えてる内に疲れちゃって、


「なにやってもどうせ文句言われるから、やらないでいいや」


って、思うようになっちゃった。


でも、やりたい気持ちがいつまでも、心に残っている。


親との軋轢を取るか自分の心に蓋をして我慢するか???


どっちをとっても、葛藤は生ずるよね。


私の場合は自分に自信がないから、親との軋轢を避けようとする。


失敗する自分に落ち込むのもイヤだし、


それみたことかって、親から嘲笑されるのもイヤ。


思いついたら行動して、失敗しても、成功しても

その行動したことから、何を得ることができたのか、それが大事。


行動した自分を認めて、結果は必要以上には重要視しない。


行動した事が力になるんだって、もっと前に分かっていたら、

私の人生、もうちょっと楽しかったかも・・・。


太陽の光を感じたことないのに、日焼け心配して

外に出ないよりも、太陽の光を体に感じてみる。


太陽の光を熱いと感じたら、長袖着たり、屋内に入ったり

すればいいし・・・


太陽の光をまぶしいって感じたら、サングラスかけたり、

日傘さしたりすればいいし・・・


太陽の光を温かいと感じたら、日向ぼっこしてうとうと

まどろんでもいいし・・・


頭の中で考えているよりも、行動して、体で皮膚で感じて

自分が今感じている素直な感覚を摑んでいく事が大切なのに・・・


考え過ぎちゃうクセ。


あ~あ~イヤなクセだな~。


毎日暑いけれど、よっこらしょって、重い腰動かさないとなぁ~。


行動して新しい自分に出会う。


経験して新しい自分を発見する。


don't think , feel


分かってるのよ、ジャッキー。





ハート花火毎日のように花火大会があるみたいで、花火の姿は

見えないけれど、「ど~ん」って音だけは、すごい!!!


花火の姿見えないから、音で花火を想像する。


これも、なかなかオツナもの・・・。


江戸っ子って感じ・・・。


でも、ここ千葉・・・。


まっ!いいよね。


人ってどうしても、見えるものに意識がいってしまう。


人が存在すること(being)


人が行動すること(doing)


人がなにかを得ること(having)


子どもが学校に行く=doing


成績や出席日数を得る=having


子どもが食事をする=doing


体が成長する、エネルギーを得る=having


doing havingに囚われてしまうと、一番大切なbeingが置き去りに

されてしまう。


一番大切なbeing=存在が、透明なものになってしまう。


あかたも存在していないような感じになってしまう。


もし、自分がそんな存在として扱われたら・・・。


透明で存在していないかもしれないみたいな扱いを受けたら・・・。


being=存在していること、


子どもがそこにいること。


目に見えるものなのに、なぜか意識しない、重要視しない・・・being


もっともっと子どもの存在(being)を認めていけば、


学校に行かない(doing)からどんな事を得る事ができるのか。


食べられない、たくさん食べて嘔吐する(doing)からなにを得る事が

できるのか。


havingを待つことができるかな・・・って思った。


膀胱炎の薬のみながら、こんなことを考えていました。


そしたら、今日完治。


ご心配くださったみなさん、ありがとう!