DQX主人公は何故勇者ではないのか2 -双子の勇者- | アストルティアぶらり旅日記

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ドラクエ10旅芸人のブログです。毎日書くわけでもなく、時系列もバラバラで思い出しながらまとめて書いたり色々。
ネタバレ配慮してません。ありまくり!

 

前回のおさらい
アストルティアの滅びを回避するために、主人公の人生に介入した存在を「国津神X」と仮定するよ!
(1行で済んでしまった…)

はい、第2回です。

国津神Xは最終的なアストルティアの滅び回避のために、「勇者と同等の力を持つが、勇者ではない」者を生み出すことを画策しました。
しかし、神とはいえ「正史」を閲覧できる他には大した力のない弱い神。勇者を生み出すにも神としての力が必要です。
ルティアナの血を引かないXが力を得ようとして必要なのは何か。

それはやはり人々の信仰心だろうと思います。
そこで目をつけたのが人間という種族。

そもそも、「勇者」はなぜ「人間」から生まれたのでしょうか。
「アストルティア」を救うなら他の5種族でも良かったはずです。

人間の神グランゼニスはと言うと、ナドラガとの戦いで力を失い、その行方は杳として知れません。他の5種族神が肉体を失い意識だけの存在になったのに対し、グランゼニスの現状は全くの不明です。(多分ね!見落としあったらごめん!)
そして神が消息不明でも人間にはそんなことは分からず、神の声がなくとも人間の信仰は続いていきます。

国津神Xは不在である人間の神、グランゼニスに成りすましたのではないでしょうか。

勿論グランゼニスのふりをして信仰を受けたとしても、勇者を生み出せるような力まではXにはありません。
そのような力があるとすればそれは、グランゼニスの遺した「神の緋石」でしょう。それを勇者誕生に使ったと思われます。それを使うために信仰を集めた部分もあるかと思います。

これで双子の勇者の誕生、大魔王がアストルティアに侵入すると勇者が生まれるシステム、ここまでを作り、そしてグランゼニスに成り代わり、得た信仰の力で巫女に神託を下します。
「大魔王討伐後、双子の勇者の片割れの「勇者の称号」は剥奪すること」

考えてみれば、Ver.6で明かされたダフィアの言動は、一片の躊躇いも逡巡もありません。それは私利私欲ではなく「神託」だったからではないでしょうか。
巫女であるからこそ、神託は絶対であり、個人の感情は切り離した、とも考えられます。

ともあれ、こうして「勇者」ではないが、勇者の力を持つ「盟友」が誕生し、盟友は勇者システムから切り離されることになります。
そして「勇者」は「グランゼニスの血である神の緋石」から誕生したので、以降は勇者の血筋から誕生し、盟友は、システムにより勇者が存在する時代の「勇者の血筋の中で、当代勇者以外に最も資質の高く、近しい者」から出現するのではないでしょうか。
勇者の直系の子孫である必要はなく、だからこそ2代目勇者の盟友が石化の解かれた初代勇者レオーネでも問題なかったのではないでしょうか。

盟友に関しての諸々はまたの機会に。

次回はエテーネ王国、「何故主人公が5000年の時を超えなければ成らなかったのか」辺りを書いていこうと思います。
合言葉は、「考察」ではなく「二次創作」の精神だ!(毎回言うのかコレ…?)