2学期を終える先週の頭のころ、
PTAの役員の仕事で学校に行ったんだけど、
上の子の子の学年主任の先生から褒められた。
転校してきてからずっと見てもらってる先生。
最近あの子は本当に変わりましたね。
最初は好き勝手ばっかり、
ガンを飛ばしたり、
物事に取り組もうって意思がなかった。
去年、お母さんと散々ぶつかりあって
それでも子どもたちとしっかり向かい合ってらして
少しずつ変わってきてる実感はありましたが、
今回クラスで一番優しい人として
表彰されることになりました。
今みんなから本当に信頼されています。
本人もそれが心地よいみたいで、
お母さんがずっと言ってくれてたから
おかげで気付くことができたって前に話してました。
今も夢を持って頑張ってるし、
目も優しく活き活きしてます。
本当に頼もしい子に育ってますね。
中学に入るときに我が家に正式委託された上の子。
本格的な試し行動と、反抗期と、社会性の欠如と、
その違いとか絡み方とか考えても答えがでない
もう本当に難しい時期でした。
詳しくは書けるときに書くつもりですが、
上の子に向かい合う方法が正解だったのかどうか、
ずっと不安で、でも何とかやってきてるって感じてました。
もちろん多感な時期だから
素直にも言葉に出せないだろうに
それが、先生に
「お母さんのおかげで気付けた」
って話していたなんて。
抱きしめてあげることも、
頭を撫でてあげることも断られるのに、
大好きなんだって気持ちを伝える難しさ、
あなたのことを認めているんだって感じてもらうこと、
そして、成長もまた必要なんだって教えること。
育児って本当に奥が深い。
今は成功したようにみえてるけど、
本当に暗中模索。
この中に理論があるなら誰か教えてよ、ホント。
研修さんざん受けてるけど、それでも答えなんてわかんない。
ただこの子達の心を全身で受け止めるしかできない。
でも、結果オーライ。
優しい目に変わって、
夢に目を輝かせたこの子を
ママはこれからも支えるだけ。
の続き。
高校時代
頭は良かったほう。
中学の先生からも高校は地元1の進学校の
それも特進クラスを薦められた。
リーダーシップがある方がもっとカッコいいじゃん
という理由で1年から生徒会役員、2年では生徒会長。
2度ほど高校が地元のテレビや新聞でニュースに取り上げられ
生徒代表ですましてインタビューに応える羽目に。
街を歩いていても知らない人から声をかけられ
警察官にすら認識されるくらい地域の有名人。
バレンタインチョコも沢山。
こんなに漫画通り幸せな男になってるのに
何でまだ満たされないの。
むしろ苦しさが増すの。
エッチをしたらわかるかも!
正直、当時は女の子をとっかえひっかえ、
大人の先輩からも誘われエッチも何度かした。
サイテーな話なんだけどね。
でも残るのは罪悪感。
自分の体がどんどんわけがわからなくなる。
やっぱり股間の異物が失くなれば良いのに…
何度かカッターを持ち出して切ろうとした。
夢でも何度朝起きたら女の子になっている夢をみたことか。
そんな高校時代、残したものが大きすぎた。
家族からの期待、地域からの期待、
名門校の卒業生からの期待を背負い苦しかった。
もう女の子に戻れない…進むしかないのか…。
2年の終わりから荒れはじめた。
また学校に行きたくない。
そんな苦しんでいた時期に優しく見守ってくれたのが
野球部の先輩だった。
カッコよくて、汗が輝いてて、長身で、凛々しくて、
本気で好きになってた。
先輩が卒業してからはもう何も手につかない。
高校3年の一年間はもうダラダラ。
もう男として多方面から期待されてる事実がいやになってた。
大学受験で東京に来た夜、
二丁目の今はないニューハーフバーに立ち寄った。
すべてを捨てて、家族を捨ててニューハーフになりたい。
このまま消えたい。男でいることが苦しい。
ママさんたちもお客さんも温かく迎えてくれた。
私のことを女の子として迎えてくれた。
久々に女の子に戻れた。
あんな心穏やかな時間は初めてじゃないかってくらいの
感覚だったことを覚えている。
お姉さんたちから
「まだ早急に答えを出す必要はないよ、
私達はここにいるから苦しくなったらいつでも遊びにおいで。
じっくり考えてそれでも変わらなきゃいろいろ教えてあげる」
居場所がある事を知った。
もうしばらく自分探しをして頑張ってみよう。
そんな気持ちで受けた受験は全滅。
故郷を離れ関西で浪人。
大学時代
一年勉強した結果、某国立大合格、
新しい生活をすることに。
昔から小さい子の世話をするのが大好きだったから
保育士か学校の先生になりたくて、
教員になれる学科に入った。
しかしすぐに波乱が。
不景気の折り、父がリストラ。
家の中がグチャグチャだったバブルの終わりの頃
父が入り浸ってた飲み屋のママに対して
多額の借金の保証人になっていた。
色んなものを失った。
学費は突如止められ、
生活費も何から何まで自分で賄うことに。
バイト漬けの毎日。
男の子にならなきゃいけなかった理由は
ずっとずっと家族のためだった。
必死に家族を守るために男の子になったのに。
自分の何より大切にしていたものが壊れていった。
9〜20時大学
夕方は家庭教師と塾
21〜27時カラオケ屋
一年以上そんな生活。
大学の実験やゼミでは疲れ切っていて
やるべきことができなくなって
みんなから迷惑がられることになった。
「バイトが大変で…」
「バイトなんてやってるからだろ」
何も言い返せない。
体が持たなくなった。
過去が重荷となって、未来も見通せない。
自暴自棄になって自殺未遂をしてしまった。
鬱病の診断がされて休学することになった。
大学2回生が終わる春でした。
大学休学
そのときに助けてくれたのが
同じ学科の親友の女の子2人。
全部洗いざらい話した。
必死で守ってきた家なのに、
もうぐちゃぐちゃ。
あるのは負の歴史だけ。
地元のみんなが期待してる
ニューハーフになったなんてみんなの恥。
だから女の子に戻りたいけど戻れない。
もう純粋に女の子だった頃の気持ちもわからない。
友達から
一緒に自分探しをしよう
私達が手伝ってあげるから
休みの日にはカップルのフリして
洋服選びから何から協力してもらった。
服も沢山分けてもらった。
気持ちが悪かった当時の私を嫌な顔せず受け入れてくれて
通行人たちから変な目でみられても笑顔で連れ回してくれた。
いろんなこと一緒にしてくれた。
彼女たちの前では女の子でいられた。
大学でも何とか受け入れてほしいけど…
そんな無茶な願いに一緒になって直談判してくれた。
教授も応援してくれて、一気に受け入れ体制が整った。
男子は奇異の目でみてくるけど、
女の子たちは受け入れてくれて、
トイレも障害者用を使うんだって遠慮する私に
みんなが女子用使えばいいの!って引っ張ってくれて
毎日嬉しくて嬉しくて、涙流してばっかりだった。
やっぱり男でいるの無理…
心療内科の先生からも専門医を紹介された。
そして性同一性障害の診断をもらう。
その少し前にホルモン治療を始める。
まずは疲れた心を直そう。
治療に専念するためアルバイトをしながら
生活費と治療費だけを作る生活。
私が戻れる日のために大学内で
性同一性障害の学生向けに
いろんなルールが整備されていった。
そんな時期からしばらくして後輩男子二人が
女子として通うようになった。
大学3回生の話でした。
このころの体験が私の人生や生き方を作った
大切な時期になりました。
幸せをつかめたのも、この時代の仲間のおかげ。
後に仲間とどうなったのか、18年後の出来事です。
いろいろ中途半端なのに特大ボリューム企画。
何を思い、どう生き抜いてきたのか
書いてみたいと思います。
今更話すのも面倒くさいし、重いし
知ってもらっても私は何も得ないから
最近は誰にも話したくないっておもってた。
でも、私みたいに埋没してるトランスジェンダーが
どう生きてきて、今こう幸せに暮らしているのか。
当事者の方の参考になるかわかんないけど、
それ以外の方にも知ってもらって
考える材料にしてほしいです。
批判も慰めも称賛も侮蔑も何も要りません。
勝手に私のことを評価分析していただいても構いません。
でも、過去のことはそっとしておいてください。
そして、今幸せな人生を送っている様を見てください。
みんなが平凡な幸せを平凡に望めるよう
一緒に考えてください。
弱者を弱者にしているのはみなさんの心。
譲れないものを譲ることではない。
法律を当事者のために好き勝手変えさせることではない。
駄目なものは駄目。
それでいい。
でも、心は寄り添ってくれるだけで
多分多くの弱者は救われます。
幼少期
1980年代初頭、田舎の平凡な家庭の末っ子として生まれる。
幼い頃は運動も大好きで走り回るのも大好きだった。
少し年の離れたお兄ちゃんがいて、
ラジコンをやらせてもらうこともあったけど、
保育園ではままごと好きでママ役が得意だった。
仲良し女友だちと好き好き言い合って、
将来その子のお嫁さんになって
ドレス着ると言う夢を語っていた。
音楽教室に通って歌やピアノが大好きだった。
同い年の従妹や友達のドレス姿が羨ましかった
比較的女の子に囲まれて毎日を楽しんでいた。
小学校
小学校では徐々に女の子から誘われることが減り、
男子ばかりが誘ってくれるように。
運動も好きだったのでサッカーもバスケも
バドミントンもキックベースもやってたけど、
女の子とゴム跳びや一輪車をしてる時が一番楽しかった。
好きなアニメはママレード・ボーイ、
姫ちゃんのリボン、セーラームーン、
漫画はリボンとなかよし派。
兄の読むマガジンも読んでたけど少女漫画大好き。
低学年はまだ意味も分からず
男の子として分類されることに従っていた。
でもどんどん区別がはっきりされることに戸惑い
体育や身体測定など露骨な時間を
体調不良を言い訳に逃れはじめ、
そのまま登校拒否。小3〜中1頃まで。
その頃は親や祖父を悩ませてたから虐待もされた。
気持ちを伝えることができなくて
平日昼間に家の屋根の上に登って
あったなけなしの小遣いで買ってた
スカート穿いてお母さんの口紅つけて、
リボン読みながら6時間悩む毎日。
髪の毛も伸ばしたくて散髪を拒否して
ボサボサだったけど変に伸びた髪をゴムで結ってた。
ヘアピンだったりゴムバンドだったり、隠れて集めてた。
水着も可愛いのが着たくて
お小遣い握りしめてショッピングセンターに行って
何着も試着してた。
でも、何か股間が変なんだよね。
なんで膨れるのかわかんなかった。
怖くて水着だけは買えなかった。
いつになったら普通になるのか知りたかった。
幼馴染の一つ上のお姉ちゃんに
どうしたらおチンチンて無くなるの?
**ちゃんはどうやって取ったの?
「だって**は男の子でしょ?女の子じゃないから無理だよ」
この時期は自分の性が本当にわからなかった。
仲のいい男の子と一緒にいて
喧嘩するとは悲しくて泣いてた。
男勝りで強くて性格カッコいい女の子のコト憧れてた。
友達からも好きなやつ誰なんだと言われ
女子の中ではその女の子が憧れだったから好きだって答えてた。
今思うと、単純にその女の子が男っぽくてカッコよくて優しくて
男子だったら絶対にカッコいいタイプの子。
女の子からも人気の女子だったんだけどね。
あんな男子いたらいいなって。
それでいて、見た目はちょー可愛くて、
彼女みたいになりたいって服の好みを同じにして
目標にしていただけだと思う。
みんなとはいたいし、
学校行かなきゃ怒られるし、
私のせいで家の中はグチャグチャ
女の子には永遠になれないことも学び
両親の離婚の危機も目前となってきたから、
自分を責めて責めて、
「男の子にならなきゃいけないんだ…」
何で男の子でいることが苦しいんだろう…
男の子の楽しいこといっぱいしたら
ちゃんとした男の子になれるかも。
だから、中学入学で一念発起。
男子の制服に袖を通すときに
全てを諦めようと決意。
中学校
なぜ男子でいるのが苦しい?
そうだ、男子としての幸せを
享受してない!
男の子の楽しいことを少女漫画を中心に勉強。
カッコよくなくちゃ!言葉遣い!
スポーツできなきゃ。
頭も良い方が素敵だよね!
意外な趣味としてピアノ。
頑張って「男の子になろう」とした。
今思うとかなり勘違い。
球技大会運動会で大活躍。
成績は440点前後。学年トップクラス。
委員会の委員長。
悪さもやった。
合唱祭ではピアノ伴奏。
同級生からも後輩からも告白されるような王子様。
そりゃマンガのイケメン目指して
頑張ってたもん…。
でも満たされなくて、
電車で遠くの街に繰り出して
散策してくると言って飛び出し、
旅の恥だと割きり女の子の服を買って
着替えて街を隠れながら歩いていた。
明らかに気持ち悪く怪しかったと今は思う。
家に帰るとは男の子をまた必死に装う。
もっと男にならなきゃ、
こんなこと隠れてやってられない。
高校時代に続く…
始まりましたね。冬休み…。
最初のイベントはクリスマス。
我が家ではケーキと
株主優待のお寿司とピザ生地と
さっきスーパーで特売だったテリーヌ以外は
あたしの手作りです。
25日はがんばります。
予定メニュー
量を少なく数多く。
一番面倒くさいやつ。
これが終われば次はお節料理の支度。
これまたほとんど手作り。
子どもたちにとってはあまり好きではない料理が多い。
煮〆やら田作りやらお生須やお豆やら酢蓮根やら
手作りでもどうしてもお好きではないようで…
まぁ、今の洋食ばかりの子どもたちには
馴染みない味だから仕方ないけど
食育、食育。
真っ先に無くなるのが海老とチャーシューと数の子と焼鰤。
気持ち的に沢山作って上げるようにはするけどさ。
栗金団はお父さんしか食べないお父さんのリクエスト。
これは誰も喜ばないので面倒くさいから買ってきて入れる。
毎年恒例の年末行事も家族の決まった展開があるのが
また家族らしくていいよね。
この一つ一つの日常を大人になったときに
思い出してくれたらそれでいい。
さぁ、今年は特にイベントだらけの
短期集中型地獄の冬休み。
平和な日々は終わった…
明日から戦場!
昨日ママ友と
「頑張ろうママ!冬休み直前決起集会」
(↑このネーミングしたママ…
いつも政治色強いからちょっと警戒してます)
と題したお茶会したからこの冬も乗り切れる!
はず…


