この方のBLMに関する指摘、全てすごく共感する。

その中でも特に共感できた箇所。


私は手術したときに、病院も同じで手術日も近かった
シカゴ在住のアフリカ系アメリカ人のmtfさんと
仲良くなった縁もあって、アメリカの黒人社会についても
調べたりニュースを読んたりしてる。

BLMの表面的な中身だけでは語れない複雑な事情も
絡まっていることを承知してる。

メディアの話や、日米の人権運動活動家や、
リベラリストたちの動向、
まさに当事者であるアフリカ系アメリカ人で
かつトランスジェンダーの友人の話、

これらを遠く日本から読んでいるだけでは
語る資格なんて無いのは百も承知してる。

だからこそ、共感できるとしか言えない。



しかし、リベラリズムのブームの中で
大きな弊害が起こっていること。
それが同じような文脈で起こっていることを
連想せざるを得ないと感じる。




他にも行き過ぎた自由の果てについても語っています。

その私のアフリカ系アメリカ人のMTFの友人からも
そういう話は聞いている。裏打ちする話。

現状はそういうレベルなんだろう。

だからこそのトランプ現象。
アメリカが2つに割れた。
これでいい人たち、このまま支えられる層。

他方、どうにかしたい層。

その流れの中の先鋭化した層がQanonだろうし、
保守論壇の右傾化、さらにら神真都Qなんだろう。


この過激派層こそかネット界隈の
アンチトランスジェンダリズムのベースになっている、
私はここ数年そう感じてきています。


彼らとの議論も当に「正義のためにお前らは○ね」で
完結させられてしまう。



人権という考え方に世界の潮流だからといって
安直に乗ることを今一度考え直してほしい。

結果どうなっているのか、本当に望む未来がくるのか
SDGsを綺麗事として謳うのはいいが、
本当に持続可能かどうかを考えるのなら
支援の出処や、社会全体の秩序にまで
しっかり目を配らなきゃいけない。

支援してくれと言う人たちが集まり
人権を盾にワガママばかり言ってたら
周りからは可哀想が集まり、やがて避けられる。

本当に人権を獲得したいのなら
共存することこそ大切な要素になっていくだろう。

その一方で本人たちの多くは己の叶わぬ願望に
いつまでもとらわれるばかり。

その現実の中で何をするのか、できるのかには
目を向けようとせず、常に弱者のまま。



つらい気持ちは共感する。
しかし、前を向いてそれでも歩くしかない。

パス度低いからとか、結局女ではないとか、
バカ言ってんじゃないよ。

そんなこと最初からわかっていたことだろう。
その現実の中で善良な人間でいることでしょ、
尊敬される人間でありたいでしょ。

見た目がどんなでも、人として魅力があれば
尊敬され、性別も何も関係なく愛される。



自ら自分たちを貶めるようなことはしないでほしい。

トランスジェンダーや性同一性障害や性別違和は
そんなに可哀想な属性なのか?

今でもこのブログに可哀想な人たちのことを
もっと知りたい、もっと寄り添いたいと人々がやってくる。

もう大分可哀想な人だって価値観が浸透してきた。
そう評される私達自身、自分のことを可哀想だって
決めつけたりはしていないかい?

確かに差別もある。無理解で生きにくいこともある。

けど、人として友として恋人としてパートナーとして
支えあえる人は普通に沢山いる。

そこにもっと目を向けて前に進んでほしい。




倉山満氏も仰るが、サイレントマジョリティーが
鍵にならなければならないとの話も理解できる。

しかし、マイノリティそのものである私達自身が
対話することが大切なのではないか。

被害者から脱して善良な社会人であることを
アピールできるよう務めるべきではないか。

その青写真を示せるように前例となることこそ
何よりも大切なことなのではないか。


自由だの権利だの差別だのを掲げることは
対立や分断にしかつながらない。






さらに1つ


生活保護やホームレス支援や自由の結果としての
フィラデルフィアの現状を見ても思う。


生き方として働かない生き方はまだ存在しない。
高度成長からバブルを経た日本で
財を蓄えた人たちが財を失った層を
人為的円高デフレのもとで何とか養っていただけ。

これからの日本でどこまでそのライフモデルが成立するか。

どこかで見放される層にならぬよう
子どもたちにはそれなりの教育が必要だと思う。

その教育は学校教育だとは限らないと思う。
欲を持ちルールの中で自己実現をするための能力。

知識はスマホからでも簡単に呼び起こせる。
それを捌き、組み立てて、生み出すための力と
その原動力の欲こそ大切だと思う。

好きに生きることとか、
嫌いから逃げてるだけでもいいとは思わない。

大切なものに価値を与えたり、
それに気付くためのサポートは
大人の仕事だろう。

人間が本当に理性で気付きを与えられるのなら
フィラデルフィアにはならないだろう。
自由と快楽だけで生きることを覚えた人は
二度と面倒なんて御免被るだろう。


人間らしい営みは心の健康

心の健康はただの自由と快楽ではない。

マズローの5段階欲求で言えば、
より高度な欲求に満たされてこそ
人間らしく幸せになれる。

だからこその教育だと思う。
いろいろ高度な現代社会でその欲求を満たすために
学問のススメなんだろう。


そんなこと言ってこどもに無理させたら可哀想。
そう思うならこういう社会になることも覚悟だ。


子どもに与えるべき教育とは何なのか。
詰め込み型学習や、根性論のような古いものではない。


しかし、確かに伝えなきゃいけないものがある。




そう思うんだ。







本当に難しいんだろうなぁ。


幼い頃からずっと教えてても大変なんだと

この記事を読ませていただいて感じたわけです。

また勝手に引用させてもらいました。

前にリブログしたときすごい沢山の方が

リンク先からやってきて困惑したので…






下の子、小学校高学年で正式委託されたんだけど、
最初から問題行動が多いこと多いこと。

児相はそのすべてを「試し行動だと思いますよ」と
全て試し行動を根拠に耐えろ、受け止めろと
言ってきたんですよね。


私達も素人だったから最初は素直に聞いてたんですけど、
本当に全部試し?何かおかしいぞ?ってのを
気付いて今に至ってるんですけどね。



具体的にはお漏らし平気。
学校の帰り道でうんちして笑顔で帰宅
「うんちしちゃった!パンツちょーだい!」
そして笑顔で遊びに行く。
我慢して我慢して限界で出すのが気持ちいい。
お風呂の浴槽の中でおしっこは勿論、ウンチもする。
トイレ後も手を洗わずお菓子を食べる

トイレ関係だけでもこんな感じ。

歯も磨けない、頭も体も洗えない。
鼻くそもそこら中にネジネジ。



自閉症ではなかった上の子に後になって聞くと
施設のときはお風呂で排便以外は
みんなそんなものだったらしい。

体を洗ったり、鼻くそとか、おもらしとかは
お母さんたちから教わって理解できたし、
気を付けようと思えたって。



でも、下の子の場合はそうもいかない…
排尿は今でも治らない。
鼻くそネジネジも見てないとやっちゃう。
体も洗えない…そのせいで肌荒れがひどいのに…

お漏らしだけは恥ずかしいこと、友達に嫌われるって
わかったみたいでやっとやめてくれたけど。
手洗いもコロナ対策で学校でみんなとやらされて
癖になってくれたから助かった。

そのレベル。



学校でみんなの真似をすることはできる。
言われてることも意味がわからないから
ホントただ真似するだけ。
でも見た目だけの真似だから
実際は何の中身もない、
他人が見たら真似できてないレベル。

本人曰く
「学校ではみんなに嫌われたくないから頑張ってる。
 家はリラックスするところだから頑張らない」

と認識してるから、家ではもっとひどい。

家族の不快だとか迷惑だとか言ってもその感情がわからない。
やり方を説明しても理解に乏しい。
さらにいろいろ不器用な子だし…
まして家で頑張る気はない。
浴槽おしっこも、手の汚れも、鼻くそネジネジも
見えないからいいじゃん。

何年もそれで良かった(そう感じてきた)ものを
理屈でも感情論でも教えるのは難しい。

子供だましのエンタメ要素を加えても鼻で笑われる。

口うるさい親になるだけ。
習慣づいたものを変えるのは困難…
まして、ルーティン化したものを
こなすのが好きな自閉症なのにさ。



とにかく耐えながら伝え続けるしかない。

だからこその外部からの支援が必要だった。
この子が直してくれるとしたら
先にも書いたように友達のマネをすること。
同じことして変に思われたくない思いはあるようで
外で見てきて真似してくれたり、
変だって指摘されて直したいって思うまでは
なかなかうまくいかないんだろうなって感じてます。

でも、お家の中のことは直す気ないんだろうなぁ。




もっと早いうちからちゃんとした支援があれば
ここまで苦しむ時間は少なくて済んだんだろうとは
正直なところでは思うけど、

児相の限界なんだろうなって思う。



自閉症だけでも結構苦しい育児なんだろうけど、
いや、見方を変えると可愛い子たちだってのもわかる。

けど、悪癖が染み付いた大きい子供の場合
なかなか苦労が多いです。

春休み

→子どものスポーツの大会

→すぐコロナ

→ゴールデンウイーク


と春からほぼほぼ休みなしでしたが

ゴールデンウイーク明けて少しは落ち着きそうです。


と思ったら、

PTA総会、里親会総会を控えてるので

あまり留まってる暇がないです。


ゴールデンウイークまでの一月半の片付けも

まだまだ終わってないし…


とりあえず片付けの前に総会を

無事に乗り切ることだけ考えて

まずは体休めます。


そのあと月末までに大掃除だな。





久々のプチ旅行も温泉も行けました。


明日は遊び疲れた体をみんなで癒やします。


明後日からまた走り抜けます。






最近見ていた動画。


社会的養護による環境で育ってきた若者たちの生の声を
届けてくれるラジオ番組。最近上がった新作。


本だけではなく当事者の生の声はとても参考になりました。
NINOチャンネル。


沖縄の多彩な才能が誉さんの元に集って
沖縄の魅力も織り交ぜで発信なさってるプロジェクト。
私の大好きなナナイロノートさんの新作。


実は長らくアタオカです。


大河もあって意外と頼朝という男の
イメージが違うという感想をきいたんだけど、
歴史を物語やロマンから入ると間違える。
学問としての歴史はアップデートしたいですね。


そういう意味で歴史っては文化も軍事も社会も
全部「政治経済」がきっかけになると思う。
ロマンで語るより社会情勢、政治経済の背景を
読み取って解読するほうが人々の思いに深みがでますね。

 

 この明治維新への検証はかの親愛なる竜馬かぶれ

武田鉄矢さんが「今朝の三枚おろし」で絶賛なさっていた

新しくもうなずける内容となってます。


歴史ロマンにも今の自分の人生にも

絶対に経済学は大切です。

過去を知り未来を予測しリスクヘッジ。


欲もなくリスクヘッジも適宜できてたら

人生を穏やかに暮らせます。


そう思います。


経世済民です。











こんなニュースあった。


先日この手の議論をしましょうという話が
ニュースになっていましたが、続報。

いよいよ議論が始まった。





個人的な感想、


確かに、大人になった要保護児童には
帰るべき場所も、守ってくれる人も、
後ろ盾になってくれる存在も、
ほとんど存在しないということが実際だろう。

理想的な話のように聞こえるけど、
これってどこまで現実的なんだろう?




例えばうちの子どもたちが施設を離れて2年で
幼少期からお世話になってた職員さんがみんな辞めて
退所直前のスタッフさんが1人、
上役や園長先生など疎遠な3人くらいしか
子どもたちのことを知ってる人がいなくなった。


出身施設に戻るにも戻りにくいと思う。


今でも近く通ったりすると懐かしいとは話すけど
知ってる人少ないし、自分の暮らしてた部屋に
誰かが暮らしてるのとか感じると切ないみたいだし
どこまで施設に戻って有益なのかわかんない。

受け入れる施設も大人が帰ってきて
どこまで対応できるんだろう…
施設の職員さんと同世代の「元子どもたち」が
どのように関わっていくのか。
受け入れる部屋だったりなんだったり
どれだけ来るか来ないかもわからない、
いつ来て出ていくかもわからない彼らを
どう受け入れるのか、難しいような気がする。

これを制度化したときに帰りたいのに
受け入れ不可と言われるとどれだけ切ないか。



でも、帰れる場所は大切だろう。
今でも私の知ってる施設は
卒園生たちが時々戻ってきて
子どもたちと遊んでくれたり
お土産を持ってきてくれる子もいる。

縁のあるスタッフさんがいれば話してたり。
そして帰っていく。

そういう繋がりはある。交流もできる。



古い退職したスタッフさんと個人的につながってる
卒園生もいて、交流してる。
私のような養育里親も似たような立場になるのかな。

遊びに来たり、泊まりに来たりもできる。
ご飯を作ってあげたりお世話もしてあげる。

けれど、そういうつながりを制度にしてしまうのは
正直不安もある。


制度にするということは、行政が介入して
予算がついて、義務と責任が明確化される。

いま時点で里親には心のつながりを求めていながら
その一方で「親ではなく里親」だとして
都合よく「業務」なんだと割り切る覚悟を求めてくる行政。

しかし、「業務終了」後にも心のつながりを期待されてる。
いや、心の繋がりは私も望むところだし、
親ではないと言われても親だと思って
ずっと支えていく覚悟をしている。

しかし、あくまでも大人と大人の関係であるはず。
家族であっても縁を切ることもあれば
死ぬまで同居して支え合う関係もある。

そこに行政が介入して制度にされてしまっては
違和感だらけにならないだろうか。

親である以上は子どもが同居を求めたら
拒否してはならない、そんな話はないだろう。

親にも親の都合もある。
子どもの再出発を支援できる余裕がないかもしれない。

しかし、制度にされてしまったら
里親の元里子受け入れは行政サービス。
これって心のつながりといえるのか?
その責任を死ぬまでま里親は負うのだろうか。

子どもの教育にも精神医療にも
うちの地域だと児相からの注文がかなり入る。

ママ友やカウンセラーからも
もう少し積極的アプローチを取るべきとの
感想をもらうほどの状況でも消極的な児相の影響うける。

児相と喧嘩しないと変えることもできない
そんな不自由な養育環境なのに、

それもこれも社会全体で育てる「社会的養護」を
謳っているから納得しているのに、

あくまでも大人になるまでの責任だと言い
補助金を受けてるんだからという圧も受け
大人になっても親なんだから心があるのかと
暗黙に責任を期待されて。

それがこれからはまた行政サービスになって
明確な責任を定義されてしまう。

はっきり言って、政治・行政の側が
養護施設の現場を理解しているように思えない。

里親という立場を理解しているように思えない。

里親を心の通った親だと思っているのか、
行政による社会的養護の一機能だと思っているのか、

都合よく心の繋がりを根拠に「思いやり」を期待したり、
都合よく委託先福祉施設として「義務」を押し付けたり、




里親さんたちが優しいから
文句も言わず受け入れてるだろうけど、

あたしも子どもたちのために
生涯全力で守っていくつもりだけど、

冷静に話をするなら政治家さん、
綺麗事を言い過ぎですよ。
里親さんたちは優しさで
無限にワガママを聞く機械じゃないです。

それを補助金を積み上げて黙らせるやり方は
どこかで破綻すると思います。

はっきり言って、もうお金はいらないです。

お金を積み上げて納得する制度だと
心の繋がりなんて薄れちゃうと私は思います。

子どものことを思えば取り組んでいたろう行動も
委託され委託金も受け取っていて実親でない以上
社会的養護の立場で議論・相談の上で
より高度な理性を以て方針を決めている。








古いけど、このニュースも問題をはらんでる。


社会学としては里子ちゃんや施設入居の子どもたちが

進学率が低いことを問題視している。


社会的立場が弱いこういう子どもたちの

進学率の低さが、社会階層の再生産・固定化に

繋がってしまう懸念。



その心配は私も同感。


ただ、愛着障害だったりトラウマだったり

幼児期の環境の悪魔影響だったり

他の子どもたちとの違いによるストレスだったり

なかなか簡単にテコ入れできるものではない、

そういう性質のものではないことにも

世間の理解がないのも悲しい。


かといって、業界界隈では

様々支援制度があるから「生きてはいける」といった

何もしない、本人の意志に委ねる、穏やかにといった

楽観思想ともみえるやり方も沢山ある。




個人的にはその意義も理解してる。

けど、やっぱり生きる力だったり、

必要な知恵だったり、視点、価値観は

本人の自由意志からは湧いてこない。


押し付けるものではないが

親が多少演出する必要はあると思う。


可能な限り身に着けなければ

常に特別な支援が必要になる。




それでいいのか。

結局社会に出ても苦労してるようにしか見えない。


あまりの無理はさせるべきではないと思うけど

自己実現をすこしでもしやすい生きる力を

身につけさせてあげるには、どうしても

周りからの機会の提供をされたいと私は思う。


階層の再生産を食い止める、

本人の自己実現能力向上、

社会的支援の削減、


これらに直結するんじゃないかって思う。



児童養護、社会的養護という性質上、
保育なんだよね。厚生行政。厚労省だし。

確かに余裕のない子どもたちが多いけど、
将来の余裕は教育から始まること。
教育をもう少し見ようよ。文部行政分野。

私も教育者目指してたし。
学問の楽しさと有益性を信じてる。
こんな個性だからこそ心の健康の大切さも知ってる。

その上で、文化や科学や産業は
伝承があって初めて成立する。

伝承とは教育。

文化的生活の根拠に義務教育から始まる教育がある。

どれだけ福祉界隈が教育より福祉だと言っても
社会は教育を求めている。

明治維新以降の社会が、自由平等の裏には
教育が差をつけると説いた福沢諭吉のように
まだまだ学問なしに富の追求ができない社会。

心の健康のためには幸福感。

幸福感をうるためには自己実現。
自己実現のためには知恵と努力。
知恵と努力のためには教育。
教育のためには心の健康。






これを踏まえて、帰るところの行政介入よりも
教育機会が少なくなりがちな彼らに対しては
自立支援の教育環境整備が肝要だとおもう。

有り余る補助金を使って高いものを買い回り、
豪華な旅行をあちこちでやって、
数多の企業の応援で無料でエンタメに興じ、
豪遊できる育児を受けたあとに18で巣立つ。

そんなの子どもがギャップに潰れるの容易に想定できる。



そう感じるのはバブルに幼少期を過ごして
氷河期に社会に出ていった私の同世代を見ていて
姿を消してしまった友達を見てるからこそ
感じる感覚なんだろうけど。






あと、保証人問題。
里親だからなってやれと言われたらふざけるなと思う。
たぶんそういう話にはならないと思うけど、
家族でも保証人になるかどうかってリスクなわけで
本人の収支計画とか審査したり、
本人の努力なり事情も考慮するもの。

生きる力として与えたかったものを
できる限り与えられたならともかく、
里親の考えだけではなく児相などの意見を
大切にせざるを得ない中で、
その責任だけ万万が一里親に負わせるとなれば
こんな理不尽な話はない。



現実的には行政が保証人を代行する形になるんだろうけど、
そのリスク勘定やヘッジ、アドバイスは
どう行われるのか、しっかり議論はされるべき。












個人的な今の感想です。

私自身またいろいろ変わると思いますが。

でも、まだまだ机上の空論といった印象が強すぎます。



うちの子たちもあと数年で自立を余儀なくされる
だからこそ、他人事ではないんですよね。

早くしっかり議論を重ねてもらいたい限りです。








久々の東京で上の子と一日デートしてきました照れ

下の子はスポーツの観戦で
スポーツならお母さんよりはお父さんということで
パパと二人でデートさせました。


実は二人と東京で遊ぶのは何だかんだはじめて。

というわけでだいぶ大きくなってきた上の子は
ファッションに興味も出てきてるから
ファッションのわからないお父さんに下の子を任せて
あたしと原宿〜表参道〜渋谷と歩き倒しました。



上の子に調べ学習もさせて、

電車の路線とか乗り換えとかも予習させ、

寄りたいお店とか予習させた上で見に行った。


写真はほとんど本人撮影の写真。


喜び方も昔と違って具体的。

それにお母さんが付いているとはいえ

自分の力でいろいろ歩き回ってて

成長をしている喜びに満ちてるようにも見える。


親としてもこういう時って嬉しい。




ファミレスにすらなかなか行かない我が家で

渋谷の専門店のオムライスはとても感動していました。


写真はバエる様に写真を頑張って写そうとしてる

子どもと、その作品です。


「美味しいもの食べると笑うね!」


そうかい、そうかい、そりゃ良かったニヤリ


なかなかお家では栄養重視でつくるから

カロリーやらバランスやら気にすると

こんなハイカロリーはやれないけど、

美味しいよねおねがいわかるよわかるよ


「オムライスがこんな美味しいなんてしらなかった!

 次もまたオムライス屋さんにいこうね!」


はーい、はい、約束ねドキドキ




意味のわからない戦隊の方々と写真撮りたがったり

(何やらホントはイケメンダンスユニットで

今度テレビにも出るんだとか?よくわかんないけど。)

行けるはずもない青山学院大学の前を通って

「もう、青学出身っていえるかな?」

なんて、言えるわけ無いでしょ!w


明治神宮で参拝して


歩き倒しました。


7時間。


へろへろ


明日も少しだけ遊んできます。








昔、私も若い頃、何度も通ってた裏原だけど、
あの当時のブランドも残ってるものと新しいものと
久々の感覚に嬉しくなった。

今はもう裏原系とかいう歳じゃなくなったけど
子どもを着せ替え人形にしてみたり、
「これカワイイ!あ、こっちの方がいい!」
とキャピキャピ騒げるのは幸せ。

小学生まではイオンとかアピタとかヨーカドーでも
喜んでたのにさ。

しまむらで良かったとか、Availでもオシャレとか
そんな時代が終わってカネがかかるなぁ…
そう不安に思ってたけど

でも、子どものファッションを一緒に楽しめるの
めーっちゃ楽しいことに今更気付いちゃった…

上の子も
「お母さん、タダのデブおばさんだと思ってたけど
 ほんとに昔はオシャレとか楽しんでたんだね!
 すごい頼りになる!
 お母さんとこんなに服の話をしたの初めてだよね!」
ともう大喜びでさ。

でも、デブは言うな…w

新しい親子の遊びができたのかな?
いや、目標はお友達と自分たちだけで
安全に行動して都会を楽しめるようになること。

もう歳だからそんなに歩き回れない。
是非経験値積んで一人で楽しんでくださいな。

それまではせっかくだから
死ぬまでの最後の楽しみとして
若者の街を一緒に歩かせてもらうね。
(死に直面するのはちょっと早くないか?)




とにかく、楽しんでくれたようで良かった。



また仲良し親子デート楽しもうね音譜ウインク音譜







にしても、上の子は筋肉痛が出てる。運動不足だよ。


お母さんは平気なのに!情けない!





と言ってたら、

一日経って筋肉痛…


ただの老化したお母さんの現実を突きつけられただけ。

いや、筋肉痛は来ていない!と意地を張る。


認めなければ筋肉痛ではない!


いや、はたからみたら痛いおばさんです。