イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6


★晴明神社http://www.seimeijinja.jp/ 
★一条戻橋http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9D%A1%E6%88%BB%E6%A9%8B

晴明神社は今出川通りから堀川通りに出ればすぐだ。思ったより小さい。

周囲に人通りはないのだが、境内には参拝者が多いのでちょと驚く、最近の陰陽師ブームのせいらしい。実際、ワカモノばかりだ。奇妙に場違いな感じがしてしまう。

実際、有名なわりには境内が狭いのも意外だ。境内の一方の壁には安部晴明のエピソードが紙芝居のように絵入りでいくつか紹介されている。面白いので全部見てしまった。

ただ、本殿とか建物を見ることはなぜかできないようになっていた。厄除けだという桃のブロンズ?をなでた。境内にはグッズを売る小さい店が出ていてワカモノが入っていた。

一条戻り橋の架け替える前の欄干が置かれていた。キキョウも植えられていて気配りがある。

残念だが神社自体は見るところはない状態なのですぐ出た。こうなったら一条戻り橋だ。神社からは堀川通りをはさんでななめ向かいだ。しかし、これも橋自体が新しくなっているし、特に驚くようなところはない。

だが「戻橋」の文字は、当初は「戻」の字には「点」がついているのだが、この新しいほうには点はない。その証拠に神社に置かれている欄干の「戻」には点はある。これは役所の「誤植」だろう。

そしてこのあと、戻橋の因縁のこわさを体験してしまうのでした。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

◎相国寺(しょうこくじ)http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/

下鴨神社に近い大物は相国寺だ。このお寺も今出川通りや烏丸通りに近いが面しているわけではなく、すこし奥まったところにある。

足利義満が夢窓国師を開山に明徳3年(1392)創建とある。竣工に10年かかったが、その後2年で応仁の乱で焼失したという。その後も2度の再建と焼失。こういうのは多い。再建されればまだいいほうだ。

臨済宗相国寺派の大本山。京五山第二位の名刹で、正しくは萬年山相國承天禅寺(マンネンザンショウコクジョウテンゼンジ)という。同じ臨済宗で天竜寺や南禅寺とよく似た庫裏がある(6日目、天竜寺番外参照)拝観料は800円と高い・・・と思ったが、ガイド付だからだろう。
(参照L: http://blogs.yahoo.co.jp/ttdcx227/41892334.html

先に行く拝観者数人と一緒にガイドの案内について行く。法堂には天井に龍が描かれている。狩野光信によるもの。ススで真っ黒になっていたものを最近修復してきれいにしたものだという。

天井が湾曲していて、手をたたくとその音が戻ってくると言う。拝観者は順番に手をたたかせてくれる。これも拝観料のうちだ。ワシも手をたたいてみたがいまひとつよくわからんかった。

思うのだが、「八方にらみ」だとか、ここのように、またほかでもあるが、手をたたくと反響するだとか聞くが、そんなムリをしなくてもいいのではないかなあ。

珍しいのは浴室が公開用に復元されている。「宣明(せんみょう)」と言って別棟になっている。数人が同時に入れるくらいの大きさ。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

◎下鴨神社 http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

今日はもう京都での最後の日だ。とは言っても特別な日にするつもりはない。なぜならまた来るつもりはあるからだ。

下鴨神社。賀茂川になるのか、かたや高野川との合流する場所にある。もうすぐで着くというところで信号で止まったら対向車線に白バイがいてこっちをにらんでいる。とりあえずなにも違反はしてないなと自信。なにもなくすれちがった。

神社は下鴨本通りから入った。糺の森から行ったほうが面白いかなとは思ったが、歩けないからね、なんでもショートカットだ。結婚式をやっているらしかった。花嫁さんを見た。

面白かったのは干支に分けられた祠があって、参拝者は選ぶようになっている。こういうのは初めてだ。ワシは当然ペガサスを探したのだがなかった。

この神社、正しくは賀茂御祖(かもみおや)神社と言って京都でも最も古い神社のひとつという。名前は上賀茂神社の親という事だ。

御祭神は上賀茂神社の祭神、賀茂別雷(かもわけいかづち)の母である玉依姫(たまよりひめ)と祖父の建角身命(たけつぬみのみこと)。

上賀茂神社の親の祭神というのが面白い。楼門、舞殿、神服殿、中門。本殿、いずれも古そう。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8


★台湾料理・青葉(チンエイ)http://www.leafkyoto.net/s_search/shop.php?sId=214
★京都タワー http://www.kyoto-tower.co.jp/kyototower/

石塀小路を出て昼食。御池通りに出て寺町通りを少し上がったところの台湾料理の青葉(アオバでなくチンエイというらしい)。

小さいビルの2階。1階は洋品店、隣は書店。Bランチのから揚げ定食850円。高い。店内は小さい丸テーブルがいくつか置かれているという奇妙なもの。中島食堂は大形テーブル一つだったが、京都じゃおかしなテーブルがはやりか。

          ★          ★          ★


「青葉」を出てから烏丸通りをひたすら下がる。これはマップを見なくても行き着ける。京都タワーだ。

JR京都駅前だけにバイクでさえ停める所が限られる。京都駅も新しくなってから中に入ったことがないので行きたかったが、雨が心配な天気だったので今回見送った。

1階でタワーの入場券が自販機で売られていた。770円。安くないね。

京都タワーは地面から生えてはいない。ホテルや名店街の入ったビルの屋上にのっかっている。

エレベーターを乗り継いで展望台に上がった。山の峰に三方を囲まれ、峰が途切れたかなたに大阪があるのがわかった。

展望台のガラスには見える方向の名所が表示されていた。伏見桃山城も小さく見えた。京都駅に出入りする新幹線が模型の様である。

塔はときどき風のせいなのかぐらぐらゆれる。ビルにのっているせいだろう。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

◎石塀小路http://www.kyoto-gion.jp/michi/1/ishibei.html

八坂神社から祇園にかけては観光客も多いと思われたので行くについてはなかなか気が重かった。

石塀小路に行った。石畳と石垣に囲まれた路地だ。TVでは紹介されていたのを見たことがあるのだが、実際来てみると思った以上に狭少な感じだった。

そして意外だったのが料理店のようなものが多かったことだ。確かに場所柄、お客を呼べる場所には違いないが、普通の住宅地としては住み難いとも言えるだろう。

景色としても京都案内のいろいろなサイトで「しっとりしている」とか「風情」とか言ってるが、どうなのかなあ。面白いとは言えるが。

TVドラマ「京都迷宮案内」で杉浦サンの下宿は「田舎亭」(写真4枚目)とある店?ということになってる。

舞妓さん風の着物姿の人物は例の貸し衣装と言うことだ。絵葉書風。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

◎知恩院②
◎八坂神社http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/index.html

知恩院の建物は裳階(もこし)の裏部分の枡(ます)組みというのか、これが実に緻密に作られていて頑丈と言うより繊細な感じになっているのが面白い。

今まであちこちの歴史建造物を見てきて思うのは、昔には木の加工の名人がいたと言うことだけでなく、ひとつの建物全体、ひとつの神社、寺院全体が調和良くプロデュースされていると言うことだ。

知恩院の建物を見てもやはりプロデュースが行き届いているのがわかる。そういう見方ができるようになったのは「はしご観光」をしてきた成果だ。

◎お次は知恩院から近いところで八坂神社だ。八坂神社は京都の顔だ。

この神社は明るいという感じがあるが、これがいいね。神様が喜んでいるっていうことだ。そう言えば「ヤサカ」というのは「神様が笑う」とか「神様が喜ぶ」とかいう意味なのだ。

御祭神はスサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱神子神)だ。

創建ははっきりしないらしいが、元慶元年(877年)の疫病払いで御利益があったというから千年以上の歴史はあるのだろう。

門前、市をなすという言葉があるが、四条通の賑わいはこの八坂の神様のおかげであろー。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

◎知恩院①http://www.chion-in.or.jp/

知恩院は東大路通りを行けばいやでも門前を過ぎることになる。ここもしかし、でかいと言う理由であとあとになっていた。

だが、もう旅も終わりに近いので寄っていく。三門は南禅寺や仁和寺と並んでというか世界最大級の木造建築になる。「華頂山」とある。確かにでかいがツクリは細密な感じ。

今日(12/6)たまたまTVで「燃えよ剣」を見てたら智恩院のことを言ってた。幕府は二条城以外にも京都防衛の城として寺院を使う計画があって知恩院と金戒光明寺をあてることにしていたのだと言う。

実際、金戒光明寺は会津藩本陣として使われた。知恩院も城の替わりにされるところだったのだ。

本堂には左甚五郎の忘れ傘を見た・・・と思うが、遠くてよくわからず、あれだったのかなってとこ。修学旅行でここに来たことを思い出した。

拝観者もさすがに多く、休憩所もある。しばし休憩した。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

◎南禅寺②

拝観料500円。臨済宗南禅寺派大本山。正しくは瑞龍山太平興国南禅禅寺。ここも庫裏は同じ臨済宗の天竜寺と同じデザインの庫裏だ。相国寺とも同じってことだ。

これは知られざる豆知識じゃないの。はっきり言ってこれを指摘した案内を見たことは無い。(6日目・天竜寺番外、参照)

方丈庭園は枯れ山水。この方丈の広縁の欄間の彫刻は左甚五郎の作だという。ワシが「なるほどこれかあ」なんてながめてたら、後ろのほうで「どこにあるのかと思って」とオジサンが係りの人間を連れて来て、ワシが見ている欄間を係員に指さされて「ああ、これですかいったいどこにあるかと・・・」ととぼけたことを言ってた。しっかりしてよね、だれでもわかるよ。

枯山水もあちこちで見て来たわけだが、いちいち考えさせられるね。なぜ石と砂と言う現実の世界で最も面白くないものが珍重されているのか。

宗教上のことをなにも知らないワシのような人間にもそういう風に強烈な印象を与えるのが実に不思議。そしてその取り合わせ、材質になんの希少性も無い石と砂が哲学を表現すると言う皮肉が面白い。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9


★南禅寺①http://nanzenji.com/
★水路閣http://web.kyoto-inet.or.jp/org/jimin/anounce/suirokaku.html

金戒光明寺からは丸太町通りに出て東山方向に突き当たるまで行くと鹿ケ谷通り。それを南へ下って、また突き当たったあたりが南禅寺。

ここは拝観者が多かった。駐車場には警備員が何人もいて整理をしている。バイクを道路わきに止めようとしたら呼ばれた。中にはいれるというご忠告。

豪壮な三門を見上げた。ここの三門はホントに立派。重量感がすごい。「絶景かな絶景かな」だね。中に上がれるようになっているが行かない。

さらに法堂をながめて、右手に水路閣。京都でミステリードラマと言えば水路閣だ。片平なぎさ、船越英一郎、山村紅葉、彼らも飽きるほど来たのだろう。

TVに出る部分が水路閣のらしいところで、規模も驚くようなものじゃないのはわかってたが、TVに映らない根本の部分や肝心の水路がどうなっているか見たかった。

水路沿いに坂道があって登っていくと水路の上面が見渡せた。疎水の水が水路を流れていた。水路閣自体が古いものだから、おそらく水道の鉄管でものっているのではないかと思ったが正直に水路は流れを見せていた。(44)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

◎金戒光明寺②

金戒光明寺は拝観自由はいいが寺宝の公開はないようだ。場所柄、北側に吉田山をひかえて、寺内は高低差のある土地になっていて、なだらかにひろびろと石段が組まれている。

三門をくぐると幅の広い長い石段がある。ワシとしては厳しい前途が思いやられた。だが、これは序の口であったのだよ。アケチクン。

阿弥陀堂、御影堂、観音堂など、建物は寄り集まっていて拝観するのに都合はいい。枝を低く広くのばした松は熊谷次郎直実が出家するにあたって鎧をかけたという伝説の松だ。

当寺は幕末期には会津藩本陣が置かれたと言うからやはり新選組と関係があり、近藤勇、土方歳三も出入りしたのだ。

そしてここは重文である三重塔を拝まなくてはならない。これがあなた、とんでもないのよ。墓地が野球場の観覧席のように丘を作って、塔はその頂上にある。

これも修行する身であれば仏様のおみちびき、なんじゃそれ。いや、大変だった。

三重塔は文殊塔というらしい。周辺の墓地も著名な人が入っている。やっとのことで登ったが、京の町並みが少しだが見渡せる。

塔の丘を下ると用意よろしく自販機があった。ポカリスウェット500CCを一気のみした。

三門を裏からあらためて眺めてお寺を出た。

この黒谷さんはたしか城の機能を考えていたと聞いた。それで会津藩が本陣としていたと思うが、あとで他のお寺を見るに付け、思い出すと黒谷さんはずいぶん男性的だったなということだ。

例えば曼殊院なんかと比べれば好対照だ。ここを近藤勇や土方歳三が歩いても違和感がなく、よく似合うのだ、そして雰囲気もカラッとしていて湿潤なところがない。

そうそう、それに熊谷直実の逸話もあってサムライとは縁がある。「サムライの寺」と言っていいだろう。好きだなあ。