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◎EA-6B

○イントルーダーと言いたいがプラウラーになるんだね。艦載の輸送機や早期警戒機もあるから搭乗員数が多くなるのはわかるが4人とは、いつ見てもすごい。

○A-6も好きな飛行機で、むかし長谷川のプラモデルも作ったことがある。しりもちをつくのでレドームに思い切りおもりを入れる必要があった。

○艦載機でいつも注目するのは脚だが、この機体の3本の脚もごついね、これで甲板につっこんでくるんだ、これくらいごつくないともたんのだ。

○例の機首の受油ブロープが面白い。見物の外人の子もそれを指さして何か言っていた。

★機体は岩国を根拠地にしているらしい。VAQ―141所属。機体に空母ルーズベルトの書き込みがあった。”SAILOR OF THE YEAR”というのもあった。

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◎F―15

○展示は米軍と自衛隊が両方で出していた。似た様な色にしているので遠目では国が違うとは思えない。

○かつて、F―15がF―14と模擬空戦をしたとき、F―15が負けたようなことを聞いたことがある。

○そのときワシは、それはそういう結果なのだからどうしようもないが、F―15の有用性というものを考えるべきだと思った。F―15を実用機としては優れるはずと判断した。

○あんまり細かいことは言わないが、F―15の方が戦力としてコストパフォーマンスはいいはずと思った。

○F―14は実際、最近もう就役をはずされた。あの大型の可変翼は、いかにもやりすぎだと思う。たしかに理屈では可変翼はいいだろうが、実戦では、そんなものが必要な場面なんておそらく皆無だろう。

○F―14の退役を聞いてワシは安心した。F―117もF―22が出たので、早晩退役するだろう、これも安心した。F―117については別の機会でいうつもりだが。

○ようするにF―14はおそらく維持費がかかる割には働いてないと思う。だって可変翼なんて不要なんだから。魅力的だがやっちゃいけない事なんだよね。現在の技術ではね。

○F―14が肥満気味の体形に対してF―15は可変翼でもないしスリムだ。スリムに見えるということは重要で、余分なことはやってないってことだ。軍用機ではそれが大事。

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◎建仁寺・①http://www.kenninji.jp/

摩利支天堂からは道が一通のせいで少し遠回りになったが花見小路通りを下がってつきあたったところから入った。北門だ。境内自由だが方丈の拝観が500円。

寺名のとおり建仁2年(1202)、鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助で、京都における臨済宗の拠点として栄西禅師を開山として建立された。伽藍は宋の百丈山に擬して造営されたという。

日本最初の禅寺で京都五山の第三位。ただし当寺も例のごとく応仁の乱などの兵火に遭い、開創当時の姿はない。

気になるところでは建仁寺建立に幕府を頼ったところからも推察されるが権力に接近するような姿勢は批判を招くこともあったようだ。資料には天台座主慈円は『愚管抄』で栄西を「増上慢の権化」と罵っている。 ・・・というのもある。


方丈内には国宝になる風神雷神図がある。当然複写だが、室内での撮影禁止とかの注意もないようなのであちこち撮った。禅画というのか、○△□の掛け軸もあった。

そして枯山水だが、大雄苑という。これもそうだが、お寺ごとに庭園には表情というものがあると感じる。作庭にはルールはあるだろうが、できあがったものは決して同じにはならないから面白い。

法堂には平成14年の創建800年を記念して描かれた双竜図がある。ここでも撮影禁止ではないようなので、京都へ来て初めて天井画を撮影した。いいねえ、気に入った。

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◎摩利支天堂

六道珍皇寺からは北側の八坂通りを西に進めばすぐに摩利支天堂の門前になる。建仁寺の塔頭の禅居庵の中に摩利支天が祀られている。

禅居庵自体は非公開らしいが、摩利支天堂もイノシシが狭い境内に散在するがこれと言って感心するようなことはない。もうしわけないが。

元(中国)の禅僧、清拙正澄禅師の開山で鎌倉時代末期に創建という。本尊の摩利支尊天とはインドの軍神で、陽炎を神格化した女神で護身・得財・勝利などをつかさどる神。日本では武士の守護神とされていたのだという。猪突猛進ってわけね。

とにかくイノシシがたくさんいました。

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◎F―16

○F―16もF―15と同様にイラク戦争などのフィルムでさんざん見たが、実際に見るといかにも軽量な感じだ。米軍機らしくないのだが、それでも就役30年になるのかな。

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>◎友好祭風景

○基地内にはかなりの数の露店が出ていた。店員は日本人もいたが基地従業員なのか外人も多くいた。客寄せに盛んに声を出している。

○昼食は持込の弁当。それに屋台の「牛串」600円。写真では「細っこい」がこれは「側面」、平面形はもっと幅がある。

○米軍人と話したわけじゃないが、米軍基地はそれなりにアメリカの匂いがある。基地内の通路には「Mckguire Ave」とか「Cochran Ave」とかの標識があったり、注意書きは当然英語だったり。

○悪い事をしなけりゃ何をやってもいいよという雰囲気がいかにもアメリカだ。むかし、どこだったか他の米軍基地に行った事を思い出した。日本にはない雰囲気だ。

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◎A-10のつづき

○A-10は好きな飛行機のひとつだ。ジェット機らしくない後退角のない主翼と双尾翼。ビヤだるのようなエンジン。カマキリに似ている。

○A-10の面白いところは前脚が機首の30ミリ砲をよけて右寄りに取り付けられていることで、真正面から見るとよくわかった。(大きい写真)

○それと内翼部の気流の処理のためのでかいスラット(本来は可動だったはずだが、現在は固定なんだろうか?)と胴体側の整流板だ(写真4枚目)。アテズッポだが大仰角時に胴体下面側からの気流と主翼の脚収納部のバルジからの気流が内翼に集中して、この部分の失速が問題になったのだろう。そしてエンジンに乱流が吸い込まれるのを防止する役目もあると思う。

○展示されている他の機体もそうだが、エンジンに物を投げ込まれるのを防ぐためだろうインテイクにはカバーがかけられていて、その点つやけしだ。それに後部にもまわりこめないので面白味がない。

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◎横田フレンドシップフェスティバル

○8月25日は米軍横田基地で友好祭があった。文字通り日本住民との友好親善を図るものだろう。ワシとしては単純に飛行機を見たいという理由しかないが行って来た。

○単に飛行機を見てきたと言うだけ。飛行機の展示があったが珍しいような機種はなく、飛行機を知っている人には退屈で、知らない人にはもっと退屈だ。

○しかし、ワシは行って来た。当日の天気予報では最高気温35度ということで、よっぽどやめようかと思ったが、最近は足の調子も良くなってきたこともあり、水分と日照対策を考えて強行。

★バイクで行けないかとネットで見たが、バイクの1台くらいは置けないこともないだろうが、むしろ距離的には電車で行った方が早そうなので電車で行くことにする。ワシの住む松戸市からは、とりあえず御茶ノ水までバイクで行って、そこから基地の最寄駅のJR青梅線、牛浜に電車で行けばよい。

○25日、朝7時50分にバイクで出発。8時半ごろ御茶ノ水着。駅の聖橋側の出入り口近くにバイクを停めた。荷物をバイクのトランクから下ろしたが、500CCペットボトルと、アイスコーヒーを入れた水筒、それに200ミリ望遠付きのカメラを入れたバッグが肩にズッシリと重い。

○牛浜まで690円。立川乗換え。座って行かれた。車中、台湾人だという中年の男に話し掛けられた。富士山に行くと言う。台湾人は初めてだが、なぜかワシは外出するとかなりの確率で外人に道を聞かれたりすることが多い。

○駅からは歩くが、降りた乗客の大半は基地に行くのでついて行けばよい、と、あらかじめネットで見ていたのでぞろぞろと人の行列について行く。人出は多い。人気があるようだ。道中、屋台が出て誘っている。五日市街道であり、臨時の駐車場も呼び込んでいる。やがて基地到着。

○基地のゲートには一応セキュリティーがあって、米軍人らしい白人女性担当官の金属探知機の検査があり、反応があった場合は荷物検査がある。ワシは金属反応があり検査対象。バッグの中身を見せてパス。グロックの9ミリや時限爆弾には気づかれなかった。

○基地に入るとすぐに牽引車にカートを5~6台つないだ「汽車ポッポ」と名付けられたお猿の電車のようなのが走っていた。運賃100円とあった。

○出入り口に近いハンガーには室内展示があって米軍の活動をアピールしていた。ここらへんは文字ばかりなので面白くなし。

○ただし、なんの説明もなかったが輸送機の基地らしく整備中なのかC―130のエンジンとプロペラが置いてあったがワシなどはこちらのほうが面白い。

○次のハンガーではヨサコイ踊りが真っ最中。そこを出ていよいよエプロン。やっと見えた。A-10にF―15やF―18。

○とりあえずはAー10を見る。

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◎六道珍皇寺(地獄の入り口)http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/rokudou-tinnou-ji2.htm

六波羅蜜寺からは松原通りを挟んで近い。拝観自由。門前に石標があり「六道の辻」とある。「六道」とか「辻」というのはなにかしら因縁深い印象。

このあたりから東山にかけて鳥辺野と言われていた頃は葬送の地であって、「六道」とはその弔いのための冥土への入り口だと言う。今でも「六道詣り」として8月に行事がある。

「小野篁卿舊跡(おのたかむらきょうきゅうせき)」と刻まれた石標がある。小野篁のゆかりの地ということだ。小野篁という人も伝説があるが、お寺自体も創建についてははっきりしないようだ。それだけ古いということもある。

立札の説明でも開基については説が分かれると言っている。古くは宝皇寺(ほうこうじ)の後身説がある。 宝皇寺とは、東山阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)山麗一帯に住んでいた鳥部氏が建立した氏寺で鳥部寺とも呼ばれていたというもの。

また、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都が平安前期の延暦年間(783~805)の開創というのが知られている。

現在のものは 南北朝期の貞治3年(1364)建仁寺の住持であった聞溪良聰(もんけいりょうそう)の再興・改宗したものだという。

当寺には「迎鐘(むかえがね?)」という梵鐘があって(写真3枚目)、六道まいりには十万億土のかなたの冥土まで響いて亡者を案内する。 鐘はオープンではなく堂内にあって、ひき綱?(写真4枚目)を引くようになっている。

そして閻魔堂(写真5枚目)には小野篁像(大きい写真)と閻魔像(写真6枚目)がある。特に断りもないので障子の拝観穴(自称)から拝ませていただいた。閻魔様は「伝 小野篁御作」とあった。

そして小野篁が地獄へ通ったと言う井戸。井戸自体は本堂横の奥にあるが、半公開?。写真では手すりのある階段を上がって木戸のすきまからのぞける。(写真7、8枚目)

たしかに10メートルほど向こうの木陰にそれらしきものが見える。竹製のふたがあるようだ。地獄からの帰りは嵯峨野・福生寺(大覚寺門前六道町辺り。今は廃寺)の井戸という。

今回小野篁のことを知ることになったが、なかなかに面白い人物であったようで、当時としては自由闊達な行状から閻魔様との伝説などが生まれたものだろう。

この小野姓は、あの小野妹子の血筋であるという。頭がいいはずだ。

PS・・・あまりわざとらしいことは言いたくないが、この最後の写真、光が差し込んでいるような写真、なにか普通でないような気もする、だからなんだと言われても困るが。