「まさに運命的なピアノだったんです。」
僅か10平米(6畳)にも満たないピアノ工房を持った2年前の冬の夜。一組の熟年夫婦が扉を開けて入ってきた。
「こちらに1972年のYAMAHA G2E があると聞いて…」おずおずと奥さんが尋ねてきた。
工房にはボロボロのグランドピアノがあり、大掛かりな修理をするための工具や機械がまだなくて、ほぼ現状販売だった。
それでも、このピアノを欲しいと、販売価格の35万円の入った封筒を握りしめていた。
1972年。高校1年生になって初めて買ってもらったピアノがYAMAHA G2E 。
その後事情があって手放してしまったけど、定年を迎えて、もう一度、手にいれたい、弾きたいと思うようになったと言う。
黒のビニールテープで留めた化粧板。
アクリル絵の具で塗った譜面台。
それでも、このままでいいから、売って欲しいと言ってくださった。
あれから、2年。今では簡単な塗装も、剥がれた外装の直しも、響板の直しも、弦の張り替えも、ハンマーの交換もできる。
そのかわり、100万円の売値となる。
夏の夕方の風に揺れる秋桜(コスモス)を見ながら、
僕も、遠い昔に置き去りにしてきたもの、失ってしまったもの、手放してしまったもの、奪われてしまったものを、
もう一度探しに行かないと、と思いながら、
その「運命的なピアノ」の調律をした。