よく、「世(間)では自分の妻のことを愚妻などと呼び、それは良くない云々…」って言う人たちがいますよね。主にアメリカナイズされたパブリックトークで。
そういう人はアメリカ式の愛情表現を推奨し、人前で妻を褒めること、愛していることを伝えることが大事だと力説する。
まぁ、確かに一理ある。
でも、なんか、ちょっと違うと思う。
この愚妻という表現は、辞書で調べたら「愚かな自分についてきてくれてる良い妻です」という意味らしい。
同様に愚息も、「愚かな自分」の息子であることを述べている訳で、決して「息子が愚か」であることを述べている訳ではないのだ。
また、たとえ、愚妻を本当に「愚かな妻」という意味で表現したとしても、その背後には「人前で妻を愚妻と呼ばせてるくれる器の大きい素晴らしい奥さんなんだな」と僕は感じとる。
愚息、愚かな息子という意味、バカ息子と言う意味も、「可愛くて仕方ないんだな」と受け取る。
僕は犬を飼う前は「愚妻、愚息、バカ息子」などというべきでないと思っていたけど、犬を飼って、「ウチのバカ犬」という飼い主の表現の中に「そのバカさが可愛いくて仕方ない」という思いを感じ取る様になった。
流石に言葉がわかる人間に「バカ息子」とかは言わない方がいいとは思うけど、日本人は謙虚さの表現の中に、愛情を読み取る能力はちゃんとあると思う。
「優れたパーカッショニストは、一番大事な音は叩かない」
昔、そんなことを聞いた。
一番大事なことは、表現するのはなく、言葉にしない方法で伝えた方が心に響く、ということなんだろう。
行間を読むこと。言葉の表面的なものだけで判断しないこと。
それが大事なんじゃないかと思うのです。
もちろん、言葉にしないと伝わらないこともあるだろう。
でも、それだけじゃないことも、たくさんあることを知ってほしい。