物書きの大脳辺縁系~ライター・白土勉のブログ -4ページ目

物書きの大脳辺縁系~ライター・白土勉のブログ

【大脳辺縁系】脳の中で、感情や記憶、本能行動を司る中枢となる部分。
 サラリーマンから転身した脚本家、白土勉の感情(日々思うことや気になるニュース)や記憶(今までの仕事や経験談)、本能行動(執筆に関するあれこれ)などを書こうと思います。

おばんです。白土です。大変ご無沙汰しております<( _ _ )>


ご無沙汰している内に幾年月……は経ってないけど、幾つかの季節が過ぎました。

暑い夏が過ぎ、秋が去り、冬が来て……まぁ~た~春が来て~きみ~は~きれいになった~( ̄〇 ̄*♪


……置いといて\( ̄- ̄\()/ ̄- ̄)/


その幾つかの季節の間に、少しずつ仕込んできたことが、ようやく形になり、世に出ることが決まりました。


それも、一般書籍として店頭に並びます。小説です、はい。


2013年1月25日(金)発売

  『死の鳥』(角川ホラー文庫)  角川書店刊行


そうです。『火の鳥』のマークの出版社から、『死の鳥』が出るんです( ̄m ̄*


ダジャレかよ! と思ったそこのあなた! これは偶然です、偶然。ダジャレで本は出せません。

(でも、タイトルを考えた時に、少しは頭をよぎったかも……)


以前からブログを読んで頂いている方はお察し頂いたかも知れませんが、これは

『GEN-SAKU!』という電子書籍雑誌で連載していた『レイブン―漆黒の悪魔―』

を大幅加筆したものでして、同作とはかなり異なる趣になっています。


それぞれ、別バージョンと言っても差し支えないかと。


因みに、『レイブン―漆黒の悪魔―』も電子単行本化をします。こちらは、何と! 今月末なのです。

告知、遅すぎましたね……ρ(_ _ ;


2012年12月27日(金)発売

  『レイブン―漆黒の悪魔―』(GEN-SAKU!文庫)  ムーブ刊行


内容は、ブログのトップにも書いてございますので改めて繰り返しませんが、ちょっとキャッチっぽく

ご紹介してみます。


邪鳥襲来!

我々は、“隣人”の本当の恐ろしさをまだ知らない――。

突如、人類に牙を剥いた凶暴なカラスの群れに、女性動物学者が今、敢然と立ち向かう!

彼らの豹変の陰には、恐るべき“秘密”が隠されていた……。


どうです? 読みたくなったでしょ?( ̄▽ ̄*


じゃ、是非とも買って下さい!<( _ _ )>


……と、あからさまに宣伝してみる。そうなんです。今日のテーマは、宣伝なんです(汗)


初めての著書が出版できて、もう嬉しくて嬉しくて( ̄∀ ̄*)♪


嬉しさの余り、勢いで書いたキャッチなので、「カラスに牙はねーし」などと突っ込まんといてね。


そんな訳で、角川ホラー文庫版もGEN-SAKU!文庫版も、どちらもよろしくお願いします!


もし、お近くの本屋さんで無かったら、是非是非、注文して下さいね。

それも、聞こえる程度の小声で「何だよ~、残念すぎる~」とか「今すぐnow!読みたかったのにな~」

などと呟いてくださると、もっと嬉しいでっす♪


つぶやくと言えば、感想などをtwitterやブログなどでつぶやいてくださると、白土は嬉しさの余り踊り狂う

と思いますヾ( ̄- ̄ヾ()ノ ̄- ̄)ノ

さぁ! みんなで白土勉を狂喜乱舞させてみよう!d(゜∀゜*


……ほな、今晩はこの辺で<( _ _  )>





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ご無沙汰しております。白土です。


前回の更新からずいぶん時間が経ったので、「お? ひょっとして死んだのか?」

と思っていた方もいらっしゃるかも知れませんが、ご心配おかけしてごめんなさい。

白土は、しっかりと生きています。大地に根を張って。


春先の出来事で精神的にダメージを受けはしましたが、それが原因で今までの間

ずっと凹んで引きこもって、冬眠に近い状態で過ごしていた訳ではございません。

白土は、そんなやわな生き物ではございません。夜行性小動物のような日々(=

昼夜逆転)を送ってはおりますが。


何をしていたかと言いますと、物書きとして新たな道を模索しておりました。十二年

前にデビューしてから一貫して抱いていたジレンマなのですが、『私のやりたいこと

=予算がかかる=依頼される仕事が殆どで、なかなか自分のやりたい作品を書け

ない』ということがありました。


私は、パニックやアクション、サスペンス、ホラーなどを書きたい人間で、しかも、

アメリカ映画を観て育ったもので、派手な展開を好みます。爆破シーンあり、カー

チェイスもあり、特撮バリバリ使っちゃって……というような作品を考えてしまうの

です。そんな作品をプロデューサーに提案したことも何度となくありますが、プロ

デューサーは大抵の場合、天使のような笑顔を浮かべつつ「ハリウッドに行って

やっておいでよ(=僕は君の妄想には付き合わないよ♪)」と仰います


何度かは、プロデューサーも認めてくれて、某有名監督やメジャー映画会社の

方も加わって、製作費数億円のプロジェクトとして動いたこともあるのですが、

この不況が足かせとなり、頓挫いたしました(泣)。


『こ、このままでは、俺(←私の普段の一人称です)のやりたい作品は実現しない

のではないだらうか?』


そんな不安と焦りを抱えながら、十二年間、物書きとして飯を食ってきました。


けど、色々と勝負できそうな斬新なアイデアは思いつくのだし、それらは観客の

目に触れなければ、単なる妄想で終わってしまう。そう考えた結果、現実的な

予算枠内で出来そうなものは映像で、そうでないものは小説でやっていこうと

考えて、それに向けて色々と模索してきたのです。


そして遂に、私の作品が一般書籍として、某大手出版社から発売される運びと

なりました( ̄ー ̄*v 詳細はまだ何一つ書けないのですが、いずれ情報解禁

になりましたら、こちらでもご案内をさせて頂きます。


これは、物書きとしての新たな道であると同時に、私の人生の新たな岐路にも

なり得るのでは、という感覚を抱いており(これも、ただの妄想かも知れません

が)、それに向けて、日々、色々と動いております。白土は、サメと同じように、

常に動いていないと死んでしまう生き物なのです。


そんな訳で、これからも新たな、より一層面白い作品を生み出していきたいと

思いますので、今後とも白土勉を宜しくお願いします! (って、最後は選挙の

演説みたいになってもうたが、ま、いいか。選挙も近そうだし( ̄_ ̄; )





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ご無沙汰しております。白土です。約二ヶ月ぶりの更新でございます。

皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか?


タイトルの『落ちた私』。決して「堕ちた私」ではございません。「堕ちる」

のは、もうとっくに堕ちるところまで堕ちておりますので、はい。


いつもは飽きっぽく、日記といえば三日坊主と相場が決まっていた私が、

何故かこのブログだけは続いておりました。十二月末に始まり、二月末

までですので、二ヶ月間も続いてたんです。これは、一週間しか寿命の

ないセミが百年生きたくらい、とんでもない快挙なんです。怪魚ではあり

ません、念の為(音が似てるだけやん)。


何故、その更新が止まってしまったのかと言いますと、実は三月六日に

実父が亡くなったからです。肺塞栓症を患い、一月末より闘病していた

のですが、最後の更新をした二月末より容態が悪化しておりまして、遂

に帰らぬ人となってしまいました。


私は、一月末より住んでいる家と実家の間を行ったり来たりする毎日を

送っておりました。車で片道二時間~三時間かかります(工事の状況に

より大幅に異なります)ので、行くだけで一苦労です。けれど、家族の為

なら、頑張れるものですね。出来れば、このままずーっと、私がヨボヨボ

になるまででも行ったり来たりして頑張り続けたい、などと思いましたが、

それも三月六日に叶わなくなってしまいました。


そんな訳で、とても「落ちて」いたのです。


亡くなった直後は悲しみに暮れる間もなく、色々なことをやらなければ

なりません。特に、人生で初めての喪主をやることになりましたので、

大変でした。『初めてのお使い』状態です。父はキリスト教を信仰して

おりましたので、今まであまり身近でなかったキリスト教式の葬儀と

いうこともあり、戸惑いや不安も一際でした。周りの人に助けて頂いて、

何とか無事終えることが出来たのだと思います。あまりに不甲斐ない

喪主だったと思います。


喪主の挨拶では、年甲斐もなく、感極まって涙を流してしまいました。

喪主として、毅然と最後まで振る舞いたかったのですが、ダメでした

ね。親の葬式で流す涙の量は、それまでしてきた親不孝の量と比例

するのだと、初めて知りました。四十三年もの間、一体何を見て、何

を学んで生きてきたのかと、自分を恥じる気持ちで一杯でございます。


葬儀を終えて、その後にやらなければならない様々なことも少しずつ

片付けていく中で、悲しみを覚える時間も増えます。そして、ふとした

瞬間に色々なことを考えてしまいます。生まれてからずっと傍にいた

家族が、最も大切であり、居るのが当然と思っていた家族が、この空

の下にもう居ない……考えてみれば、人は年を取り、いつか必ず死ぬ

訳ですし、自分が事故や病気で先立たない限りは、高齢の親に必ず

先に死が訪れるのは、ごく自然なことなのでしょう。それなのに、それ

がまだまだ先のことと、何の根拠もなく思い込んでいた自分は愚か者

ですし、いつかそうしたいと思ってた『親孝行の予定』を、何一つ実現

することもなく、その日を迎えてしまったのですから、親不孝の極致と

言えるでしょう。それだけではありません。


春まだ遠い三月の早朝に、八十二年の生涯を終えた父。最後まで、

家族の楽しい思い出が沢山詰まった、住み慣れた我が家に一日でも

早く帰りたいと願い、その日を楽しみにして病と闘い続けた父。そんな

父に、実は我が家には二度と帰れないんだよ、と本当のことを告げて、

心の準備をする時間を作ってあげられなかった私は、馬鹿息子です。


励ますことなど誰でも出来るかも知れないけど、身を切る思いで本当

のことを告げられるのは、家族にしか出来ないことだと思います。私

には、最後に最大の親不孝をしてしまったように思えてなりません。


親父さん、暖かい春が来ましたよ。この親不孝な息子が、今からでも

出来る親孝行はありますか? あったら、どんな形でもいいですから、

教えてくれると嬉しいです。私は、今までの分を少しでも取り戻すべく、

精一杯の親孝行をするつもりです。親父さん。八重桜が綺麗に咲いて

ますよ。親父さんと一緒に見たかったです。


『孝行したい時に、親はなし』――この言葉を認めたくない私は、今日

も春の空を眺めながら、父に心の中で語りかけます。梅雨が明けて

セミが鳴き、やがて葉が色づいて、再び雪が降り積もっても、私は空

を見上げ、父に語りかけているでしょう。もっともっと父と話をすれば

良かった、父ともっと一緒に過ごせば良かったと後悔しながら。


そんなこんなで、まだ、「落ちて」はいますが、このブログを書ける位

までには「上がって」参りました。まだまだ、本調子ではありませんが、

少しずつ、また以前のように更新していきたいと思っておりますので、

何卒よろしくお願い申し上げます<( _ _ )>




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おばんでやんす。白土だす。毎度見てくれはって、おおきに<( _ _ )>



……ご挨拶を変えてみました。最近、同じパターンが続いていたもので、関西

弁バージョンでご挨拶してみようかなとf( ̄- ̄* もしも好評だったら、違った

地方のパターンも登場するかも知れません(しないかも知れません)。



何度かブログにも書きましたが、このところ、度々病院に足を運んでおります。

身内の見舞い&付き添いです。あまり詳しいことは書きませんが、家族皆で

ローテーションを組んで、必死に頑張っております。


病院というのは不思議なところで、全く違う地域のタイプが異なる病院でも、

どこか似た雰囲気を持っております。ある病院を見ている時、ふと別の病院

を思い出すことが、結構あります。


今回は、最近病院に行った際、ふと思い出した昔の話を書こうと思います。



突然ですが、私、死にかけたことがあります。


ヤバいことを書いてメ系の人に撃たれたのですが……というのは真っ赤な嘘

でして、ホントは過労とストレスを溜め込んだ余り、不整脈という奴を起こした

のです。心臓発作の一種で、一歩間違うと死んでしまう病気です。


まだ脚本家としてデビューしたての頃、会社の残業を終えた後に殆ど夜通し

で執筆をし、また会社に行っててんこ盛りの業務をこなした後、脚本の直しの

打ち合わせに行くということを繰り返していた時期でした。


その日は、確か土日のどちらかで、決定稿の原稿を送って一段落し、かなり

遅い時間に晩ご飯を食べておりました。久々に過ごすゆったりとした時間を

堪能し、トイレに行こうとして席を立った時のことです。ふいに息苦しくなり、

次第に、まるで全力疾走した後のように荒い息をつき始めたのです。


な、何で興奮してんだ? 俺……いやいや、興奮してねーし。


けど、絶対おかしいよな。息が荒い……ひょっとして、さっき食べたマグロの

刺身で当たったか? 脂乗ってて旨かったが……。


分かった! きっと、ときめきを感じてるだけだ。ほら。よく中学の頃に、好き

な子と目が合うと感じた、あのドキドキ――な訳ないって(。。☆\( ̄∞ ̄#


……じゃあ、何だ? これ。



そんな状態は治まるどころかますます酷くなって、遂には立ってられずに

なってしまいました。布団に横になった私は、家内に病院へ問い合わせを

して欲しいと頼みました。結局、病院の方から救急車を呼んだ方がいいと

アドバイスを頂き、私は生まれて初めて救急車に乗ることになったのです。


遠くから聞こえてくるサイレンが、次第に近づいてきて、自分の家の前で

停まるというのは、非常に緊張するものです。私の心の中で、冷静なもう

一人の私(心理学で『メタ認知』というそうです)が囁いています。


「お前、大げさなんじゃね? ホントはそんなに大したことないだろ?」

「これで病院に行って何でもありませんでしたなんつったら、笑い者だよ」

「あーあ。救急隊員の人に、こんなことで呼ぶな!って怒られっぞ~」


そんなこんなで、救急隊員の方々が家に来て下さり、早速、私の脈拍を

測って下さりました。すると、次第に隊員の方たちが騒然とし始めます。

その時は既に朦朧としていたので、うろ覚えなのですが、確か脳と胸と

腕の鼓動がバラバラだというようなことを仰ってました。


私は救急車に担ぎ込まれながら、「ほれ、みろ。やっぱ、重病じゃんか。

これで堂々と病院に行ける」などと、訳もなく得意げな気持ちになったり

しておりました。朦朧とした意識の底で、です。


病院に着くと、急患として担ぎ込まれた病室で、医師の方が駆けつけて、

胸の辺りに冷たいゼリーのようなものを塗った後、超音波で心臓の動き

を見て下さいました。周りには数人の医師や看護師らしき方々が待機し、

担当医の指示を待っている状態です。


「これは心房細動だね。血栓が出来ている可能性があるから、もしそれ

が脳に飛んだらイチコロだよ。万一のことを考えて、ご家族の方に……」


え? 俺、死ぬの? だって、さっきまでいつもと同じように、遅い晩ご飯

を食べてたじゃん。そんな、急に言われても……。


突然の急展開についていけず、私は現実に進行していることへの違和感

に、ただただ戸惑っている状態です。


だって、脚本家にやっとなれたんですよ? これから、ハリウッド目指して

頑張ろうって時に死ぬなんて、冗談でしょ? 冗談って言って!


私の中で、その違和感は次第に大きくなり、抑え切れなくなっていきます。



……ん? この違和感。足の親指から伝わってきてるんじゃね?



心電図のコードをつけ、超音波の機械で胸の辺りをグリグリされながらも、

私は足の方に視線を向けます。そこには、二十代と思しき白衣の男女が

楽しそうに談笑しています。恐らく、インターンの方たちでしょう。私の足の

親指は、その青年につままれており、前後にクイックイッと動かされてます。


「今度の飲み、誰来るの?」

クイックイッ。

「Aちゃんとぉ、Bちゃんとぉ……」

「Cちゃんは? 勿論来るよね?」

クイックイッ。

「当たり前じゃん。あたし、幹事だから」

「良かったぁ。俺、Cちゃんさえ来てくれれば、それでいいんだ」

クイックイッ。

「やだぁ、D君ったら。皆に同じこと言ってるんでしょ」

「そんな事ないよ。Cちゃんだけだったら」

クイックイッ。



……ナンパじゃね? それ( ̄_ ̄;


おーい、君たち。オジサン、死にかけてるらしいんだけど。

クイックイッ。

こんな状態で、親指動かしても大丈夫か~?

クイックイッ。

……ま、いいか。好きにしていーよ。死ぬらしいから。

クイックイッ。

どこまでも弄ばれ続ける私(┬_┬)

クイックイッ。

……。




ま、そんなこんなで、結局、血液をさらさらにする薬を点滴して貰った

結果、血栓が脳に飛ぶことはなく、心房細動もその後再発しなかった

ので、何とか生き延びることが出来ました。


でなければ、今頃、このブログは存在しなかったでしょう。


私の命を救って下さった医師や看護師の方々に、心から感謝します。

先生方のお力がなければ、あの時点で私はきっと死んでいました。


そして、クイックイッのインターンの方たちにも、心から感謝致します。

あなたたちが平和な会話をしてくれたお陰で、間近に迫った死の恐怖

を感じずに済みました(別の意味での怖さは感じましたが)。


医療と、それに従事する方たちは偉大だなと、つくづく思います。普段

はあまり意識をしないことですが、病院に行くといつもあの時のことを

思い出し、その度にそう思うのです。


三年後、五年後、今回のこともそう思って笑える日が来るといいなと、

心から願う今日この頃でした。




クイックイッあし




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皆様、寒い日が続いておりますが、お元気でお過ごしでしょうか?

ご無沙汰しております。白土です<( _ _ )>


……何だか、このご挨拶も定番化してきてしまいました。最近の更新は、

誠に不本意ながら、一週間に一度のベースとなってしまっております。

度々ご来訪を頂いている皆様、なかなか更新せずにごめんなさい。


理想は毎日、最低でも二、三日に一度は更新をしたいところですが……

最近は家庭の事情により都下の某所と横浜の某所を車で行ったり来たり

(片道二時間半前後)してる関係で、中々思うように更新できませぬo(_ _ o


そんな中でも、可能な限り更新はしていきたいと思っておりますので、

どうか引き続きお付き合い頂ければ嬉しく思います♪


そんなこんなで、本日も昨夜の雪による凍結なぞに怯えつつ、横浜某所

に行って来た訳ですが、そんな中で色々と考えたことがありますので、

それを徒然なるままに綴ってみたいと思います。



題して、『横浜への道中でこんなこと考えちゃったもんね!』シリーズ~。

って、まんまやな( ̄∞ ̄; 本当に、シリーズ化するのか? これ。



突然ですが、皆さんは物忘れをすることがありますか? 白土は最近、

若年性アルツハイマーちっくな状態ですので、常に何か忘れてないか

とビクビクしております。以前は、「忘れちゃった。てへっ♪」と舌を出す

と同時に、愛に満ちた叱咤と罵詈雑言が投げつけられてきたのですが、

最近は哀れみの篭った目で見られて、「仕方ないよ。誰でもあることだ」

などと腫れ物にでも触れるようなフォローを受ける状態。「こいつ、絶対

心の中で“このまだらボケが!”なんて罵ってるんだろうな」と思いつつ、

人知れず枕を泣き濡らす日々なのです。


そんな折に、以下のニュースを見かけました。


CNN.co.jp:皮膚がん治療薬がアルツハイマー病に効果 マウス実験で


治るようになるかも知れないんですね。あのアルツハイマーが。偶然に
もこの二ヶ月ほど、アルツハイマー関連のことを調べておりましたので、

とてもタイムリーで、余計に心に響きました。


考えてみますと、唯の物忘れならまだしも、記憶が失われていくという

病は、究極の悲劇と言っても過言ではありません。何故なら、記憶と

いうのは日々積み重ねられていくものであり、言い換えれば、今まで

生きてきたという証でしょうし、そのような記憶があるからこそ、周囲と

の人間関係が築ける訳です。


全く見も知らぬ人、友達、恋人、そして家族。これらを、それぞれ違う

態度(親密さ)で接し分けられるのは、記憶のお陰だと思います。もし、

家族と共に過ごした日々の記憶を失ってしまえば、その人に対する

感情や態度に大きな影響を及ぼすでしょうし、正常な関係を築くこと

が困難になるに違いありません。


そもそも、記憶って何なのでしょうか?


『記憶とは、新しい経験を脳内に保存し、後になってその経験を意識

や行動の中に再生する一連の機能をさしています。』

           (東京都神経科学総合研究所 HPより引用)


記憶は、大脳辺縁系の一部である海馬という部位が司っています。

この部位を損傷しますと、新しい事柄を正常に思い出せなくなるそう

です。重度のてんかんを患ったアメリカ人のHM氏が、その治療で

海馬を切除されたことで、手術より十年以前のことは覚えていても、

それ以降のことは全く覚えていないという記憶障害に陥ってしまい

ました。知能指数は正常で、会話も理解出来るにも関わらずです

(興味がある方は東京都神経科学総合研究所 HPをご参照下さい)。


専門的なことにまで言及はしませんが、記憶は人間が生きていく上

で非常に重要なものだということは間違いないでしょう。


記憶というと思い出すのは、取材の時のことです。私はメ系[(▼▼メ]

の人々の作品をよく書いておりましたが、実録と言われる実在の人や

出来事を扱った作品を書く際に、よく色々な関係者に取材をしました。


白 土   「◎◎事件について教えて頂きたいのですが……」

関係者A氏「あ~。よく覚えとるよ。あれは確か、ワシの舎弟XがZ会

        のYっちゅう小僧に絡まれて…・・・」


白 土   「◎◎事件について教えて頂きたいのですが……」

関係者B氏「ありゃ、お前、ワシの舎弟のYがAんところのXとかいう

        ガキに喧嘩売られたんで……」


白 土   「◎◎事件について教えて頂きたいのですが……」

関係者C氏「ああ、あれね。あれは、うちの若い奴でWってぇ奴が、

        V組のXとZ会のYに絡まれてな……」


もう、訳が分かりません。皆が皆、全く違うことを言っていて、まるで

「羅生門」状態です。事ほど左様に、記憶というのは当てにならない

ものなんです。


けれど、よくよく考えてみれば、それは至極当たり前のことでしょう。

記憶というのは「主観」であり、自分の感覚というフィルターを通して

見たもの、感じたものを蓄積していくこと。必ずしも事実とは限らない

んですね。それに対して記録というのは「客観」でして、事実をありの

ままに記述することであり、新聞記事などを見れば、事実を知ること

が出来ます。


けれど、事実が即ち真実とは限らないということも言えると思います。

一見、矛盾しているように思いますが、真実という言葉の意味を考え

て頂ければ、ご納得頂けるかと思うのです。


しん‐じつ【真実】 [名・形動]


1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。

  「―を述べる」「―な気持ち」

2 仏語。絶対の真理。真如。

                     (goo辞書より)


つまり、新聞記事などで事実を調べれば、何が起きたのか、誰が

その中心となったのか、など、物事の表面を知ることは出来ます。

けれど、物事の本質、即ち真実は、むしろ「主観」を通して語られる

記憶の中に、含まれていると言えるのです。勿論、一人の記憶だけ

では偏りがあるので、複数の、それも出来るだけ多くの人々に取材

をすることで、当時の様々な人間関係や、その間に横たわっていた

葛藤、更にその頃の関係者の間に漂っていた空気などを感じ取り、

掬い上げて、作品に反映させていくのが、私の創作のやり方です。


話が少し逸れましたが、記憶が「主観」であり、その中にこそ様々

な真実が含まれていることを考えると、それが失われるということ

は、想像以上に大事なものが消えてなくなることに他なりません。

その人自身にとってもそうですし、周囲にとっても同じです。


私は、仕事を通してそのようなことを知ってながらも、プライベート、

特に家族に対して、そうすることを怠っていました。日々の多忙さ

を言い訳にして、きちんと向き合ってこなかったのです。


幸いにも、家族で記憶障害を患った人はいませんが、いつ何時、

そうなるとも限りません。それに、記憶が失われるのは記憶障害

だけではないのです。もしも、家族に永遠の別れを告げねばなら

なくなった時、その家族が見て、感じ、過ごしてきた人生、大事な

その人の記憶は永遠に失われてしまうでしょう。そうなった時に、

「あの時何故耳を傾けなかったんだろう」と後悔しても遅いのです。


アルバムを見たり、学校や会社で発行された新聞等に掲載されて

いる事柄を見たり、様々な「記録」に触れれば、その人を知ること

は出来ます。けれど、その人の本質――「主観」の中に隠された

真実を知るには、その人自身の言葉に耳を傾けるしかないでしょう。


マウス君たちの頑張りもあって、偉大なる発見がなされて、究極の

悲劇から救われる人々も出て来るかも知れません。それはとても

素晴らしいことだと思います。ですが、そのような素晴らしいこと

だけに頼らず、日々、自分に対して語られる様々な記憶に触れて、

それをしっかり心に刻むことにより、周囲の人々の「主観」、その中

に隠れた真実に触れていこうと決意を新たにする今日この頃です。


「まだ間に合う」「もう遅い」「いやいや、ひょっとして……」――様々

な思いが交錯する中、四十を少し越えた私の人生観、そして生き

方が、ほんの少しではありますが、変わったような気がします。

それを変えてくれたある人――今も病室のベッドの上で頑張って

いるその人に、心からの感謝を捧げます。








ありがとう、親父。




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