皆様、寒い日が続いておりますが、お元気でお過ごしでしょうか?
ご無沙汰しております。白土です<( _ _ )>
……何だか、このご挨拶も定番化してきてしまいました。最近の更新は、
誠に不本意ながら、一週間に一度のベースとなってしまっております。
度々ご来訪を頂いている皆様、なかなか更新せずにごめんなさい。
理想は毎日、最低でも二、三日に一度は更新をしたいところですが……
最近は家庭の事情により都下の某所と横浜の某所を車で行ったり来たり
(片道二時間半前後)してる関係で、中々思うように更新できませぬo(_ _ o
そんな中でも、可能な限り更新はしていきたいと思っておりますので、
どうか引き続きお付き合い頂ければ嬉しく思います♪
そんなこんなで、本日も昨夜の雪による凍結なぞに怯えつつ、横浜某所
に行って来た訳ですが、そんな中で色々と考えたことがありますので、
それを徒然なるままに綴ってみたいと思います。
題して、『横浜への道中でこんなこと考えちゃったもんね!』シリーズ~。
って、まんまやな( ̄∞ ̄; 本当に、シリーズ化するのか? これ。
突然ですが、皆さんは物忘れをすることがありますか? 白土は最近、
若年性アルツハイマーちっくな状態ですので、常に何か忘れてないか
とビクビクしております。以前は、「忘れちゃった。てへっ♪」と舌を出す
と同時に、愛に満ちた叱咤と罵詈雑言が投げつけられてきたのですが、
最近は哀れみの篭った目で見られて、「仕方ないよ。誰でもあることだ」
などと腫れ物にでも触れるようなフォローを受ける状態。「こいつ、絶対
心の中で“このまだらボケが!”なんて罵ってるんだろうな」と思いつつ、
人知れず枕を泣き濡らす日々なのです。
そんな折に、以下のニュースを見かけました。
CNN.co.jp:皮膚がん治療薬がアルツハイマー病に効果 マウス実験で
治るようになるかも知れないんですね。あのアルツハイマーが。偶然に
もこの二ヶ月ほど、アルツハイマー関連のことを調べておりましたので、
とてもタイムリーで、余計に心に響きました。
考えてみますと、唯の物忘れならまだしも、記憶が失われていくという
病は、究極の悲劇と言っても過言ではありません。何故なら、記憶と
いうのは日々積み重ねられていくものであり、言い換えれば、今まで
生きてきたという証でしょうし、そのような記憶があるからこそ、周囲と
の人間関係が築ける訳です。
全く見も知らぬ人、友達、恋人、そして家族。これらを、それぞれ違う
態度(親密さ)で接し分けられるのは、記憶のお陰だと思います。もし、
家族と共に過ごした日々の記憶を失ってしまえば、その人に対する
感情や態度に大きな影響を及ぼすでしょうし、正常な関係を築くこと
が困難になるに違いありません。
そもそも、記憶って何なのでしょうか?
『記憶とは、新しい経験を脳内に保存し、後になってその経験を意識
や行動の中に再生する一連の機能をさしています。』
(東京都神経科学総合研究所 HPより引用)
記憶は、大脳辺縁系の一部である海馬という部位が司っています。
この部位を損傷しますと、新しい事柄を正常に思い出せなくなるそう
です。重度のてんかんを患ったアメリカ人のHM氏が、その治療で
海馬を切除されたことで、手術より十年以前のことは覚えていても、
それ以降のことは全く覚えていないという記憶障害に陥ってしまい
ました。知能指数は正常で、会話も理解出来るにも関わらずです
(興味がある方は東京都神経科学総合研究所 HPをご参照下さい)。
専門的なことにまで言及はしませんが、記憶は人間が生きていく上
で非常に重要なものだということは間違いないでしょう。
記憶というと思い出すのは、取材の時のことです。私はメ系[(▼▼メ]
の人々の作品をよく書いておりましたが、実録と言われる実在の人や
出来事を扱った作品を書く際に、よく色々な関係者に取材をしました。
白 土 「◎◎事件について教えて頂きたいのですが……」
関係者A氏「あ~。よく覚えとるよ。あれは確か、ワシの舎弟XがZ会
のYっちゅう小僧に絡まれて…・・・」
白 土 「◎◎事件について教えて頂きたいのですが……」
関係者B氏「ありゃ、お前、ワシの舎弟のYがAんところのXとかいう
ガキに喧嘩売られたんで……」
白 土 「◎◎事件について教えて頂きたいのですが……」
関係者C氏「ああ、あれね。あれは、うちの若い奴でWってぇ奴が、
V組のXとZ会のYに絡まれてな……」
もう、訳が分かりません。皆が皆、全く違うことを言っていて、まるで
「羅生門」状態です。事ほど左様に、記憶というのは当てにならない
ものなんです。
けれど、よくよく考えてみれば、それは至極当たり前のことでしょう。
記憶というのは「主観」であり、自分の感覚というフィルターを通して
見たもの、感じたものを蓄積していくこと。必ずしも事実とは限らない
んですね。それに対して記録というのは「客観」でして、事実をありの
ままに記述することであり、新聞記事などを見れば、事実を知ること
が出来ます。
けれど、事実が即ち真実とは限らないということも言えると思います。
一見、矛盾しているように思いますが、真実という言葉の意味を考え
て頂ければ、ご納得頂けるかと思うのです。
しん‐じつ【真実】 [名・形動]
1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。
「―を述べる」「―な気持ち」
2 仏語。絶対の真理。真如。
(goo辞書より)
つまり、新聞記事などで事実を調べれば、何が起きたのか、誰が
その中心となったのか、など、物事の表面を知ることは出来ます。
けれど、物事の本質、即ち真実は、むしろ「主観」を通して語られる
記憶の中に、含まれていると言えるのです。勿論、一人の記憶だけ
では偏りがあるので、複数の、それも出来るだけ多くの人々に取材
をすることで、当時の様々な人間関係や、その間に横たわっていた
葛藤、更にその頃の関係者の間に漂っていた空気などを感じ取り、
掬い上げて、作品に反映させていくのが、私の創作のやり方です。
話が少し逸れましたが、記憶が「主観」であり、その中にこそ様々
な真実が含まれていることを考えると、それが失われるということ
は、想像以上に大事なものが消えてなくなることに他なりません。
その人自身にとってもそうですし、周囲にとっても同じです。
私は、仕事を通してそのようなことを知ってながらも、プライベート、
特に家族に対して、そうすることを怠っていました。日々の多忙さ
を言い訳にして、きちんと向き合ってこなかったのです。
幸いにも、家族で記憶障害を患った人はいませんが、いつ何時、
そうなるとも限りません。それに、記憶が失われるのは記憶障害
だけではないのです。もしも、家族に永遠の別れを告げねばなら
なくなった時、その家族が見て、感じ、過ごしてきた人生、大事な
その人の記憶は永遠に失われてしまうでしょう。そうなった時に、
「あの時何故耳を傾けなかったんだろう」と後悔しても遅いのです。
アルバムを見たり、学校や会社で発行された新聞等に掲載されて
いる事柄を見たり、様々な「記録」に触れれば、その人を知ること
は出来ます。けれど、その人の本質――「主観」の中に隠された
真実を知るには、その人自身の言葉に耳を傾けるしかないでしょう。
マウス君たちの頑張りもあって、偉大なる発見がなされて、究極の
悲劇から救われる人々も出て来るかも知れません。それはとても
素晴らしいことだと思います。ですが、そのような素晴らしいこと
だけに頼らず、日々、自分に対して語られる様々な記憶に触れて、
それをしっかり心に刻むことにより、周囲の人々の「主観」、その中
に隠れた真実に触れていこうと決意を新たにする今日この頃です。
「まだ間に合う」「もう遅い」「いやいや、ひょっとして……」――様々
な思いが交錯する中、四十を少し越えた私の人生観、そして生き
方が、ほんの少しではありますが、変わったような気がします。
それを変えてくれたある人――今も病室のベッドの上で頑張って
いるその人に、心からの感謝を捧げます。
ありがとう、親父。
