『落ちた私』 | 物書きの大脳辺縁系~ライター・白土勉のブログ

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【大脳辺縁系】脳の中で、感情や記憶、本能行動を司る中枢となる部分。
 サラリーマンから転身した脚本家、白土勉の感情(日々思うことや気になるニュース)や記憶(今までの仕事や経験談)、本能行動(執筆に関するあれこれ)などを書こうと思います。

ご無沙汰しております。白土です。約二ヶ月ぶりの更新でございます。

皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか?


タイトルの『落ちた私』。決して「堕ちた私」ではございません。「堕ちる」

のは、もうとっくに堕ちるところまで堕ちておりますので、はい。


いつもは飽きっぽく、日記といえば三日坊主と相場が決まっていた私が、

何故かこのブログだけは続いておりました。十二月末に始まり、二月末

までですので、二ヶ月間も続いてたんです。これは、一週間しか寿命の

ないセミが百年生きたくらい、とんでもない快挙なんです。怪魚ではあり

ません、念の為(音が似てるだけやん)。


何故、その更新が止まってしまったのかと言いますと、実は三月六日に

実父が亡くなったからです。肺塞栓症を患い、一月末より闘病していた

のですが、最後の更新をした二月末より容態が悪化しておりまして、遂

に帰らぬ人となってしまいました。


私は、一月末より住んでいる家と実家の間を行ったり来たりする毎日を

送っておりました。車で片道二時間~三時間かかります(工事の状況に

より大幅に異なります)ので、行くだけで一苦労です。けれど、家族の為

なら、頑張れるものですね。出来れば、このままずーっと、私がヨボヨボ

になるまででも行ったり来たりして頑張り続けたい、などと思いましたが、

それも三月六日に叶わなくなってしまいました。


そんな訳で、とても「落ちて」いたのです。


亡くなった直後は悲しみに暮れる間もなく、色々なことをやらなければ

なりません。特に、人生で初めての喪主をやることになりましたので、

大変でした。『初めてのお使い』状態です。父はキリスト教を信仰して

おりましたので、今まであまり身近でなかったキリスト教式の葬儀と

いうこともあり、戸惑いや不安も一際でした。周りの人に助けて頂いて、

何とか無事終えることが出来たのだと思います。あまりに不甲斐ない

喪主だったと思います。


喪主の挨拶では、年甲斐もなく、感極まって涙を流してしまいました。

喪主として、毅然と最後まで振る舞いたかったのですが、ダメでした

ね。親の葬式で流す涙の量は、それまでしてきた親不孝の量と比例

するのだと、初めて知りました。四十三年もの間、一体何を見て、何

を学んで生きてきたのかと、自分を恥じる気持ちで一杯でございます。


葬儀を終えて、その後にやらなければならない様々なことも少しずつ

片付けていく中で、悲しみを覚える時間も増えます。そして、ふとした

瞬間に色々なことを考えてしまいます。生まれてからずっと傍にいた

家族が、最も大切であり、居るのが当然と思っていた家族が、この空

の下にもう居ない……考えてみれば、人は年を取り、いつか必ず死ぬ

訳ですし、自分が事故や病気で先立たない限りは、高齢の親に必ず

先に死が訪れるのは、ごく自然なことなのでしょう。それなのに、それ

がまだまだ先のことと、何の根拠もなく思い込んでいた自分は愚か者

ですし、いつかそうしたいと思ってた『親孝行の予定』を、何一つ実現

することもなく、その日を迎えてしまったのですから、親不孝の極致と

言えるでしょう。それだけではありません。


春まだ遠い三月の早朝に、八十二年の生涯を終えた父。最後まで、

家族の楽しい思い出が沢山詰まった、住み慣れた我が家に一日でも

早く帰りたいと願い、その日を楽しみにして病と闘い続けた父。そんな

父に、実は我が家には二度と帰れないんだよ、と本当のことを告げて、

心の準備をする時間を作ってあげられなかった私は、馬鹿息子です。


励ますことなど誰でも出来るかも知れないけど、身を切る思いで本当

のことを告げられるのは、家族にしか出来ないことだと思います。私

には、最後に最大の親不孝をしてしまったように思えてなりません。


親父さん、暖かい春が来ましたよ。この親不孝な息子が、今からでも

出来る親孝行はありますか? あったら、どんな形でもいいですから、

教えてくれると嬉しいです。私は、今までの分を少しでも取り戻すべく、

精一杯の親孝行をするつもりです。親父さん。八重桜が綺麗に咲いて

ますよ。親父さんと一緒に見たかったです。


『孝行したい時に、親はなし』――この言葉を認めたくない私は、今日

も春の空を眺めながら、父に心の中で語りかけます。梅雨が明けて

セミが鳴き、やがて葉が色づいて、再び雪が降り積もっても、私は空

を見上げ、父に語りかけているでしょう。もっともっと父と話をすれば

良かった、父ともっと一緒に過ごせば良かったと後悔しながら。


そんなこんなで、まだ、「落ちて」はいますが、このブログを書ける位

までには「上がって」参りました。まだまだ、本調子ではありませんが、

少しずつ、また以前のように更新していきたいと思っておりますので、

何卒よろしくお願い申し上げます<( _ _ )>




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