小学生の時に「特殊なこと」(子役)をしていたのは、すでに話した通り。

思い出というか、今でも忘れないことです。

 

小学校の卒業をあと1ヶ月と控えたある日、担任の先生に報告に行きました。

内容は、卒業式の時は広島にいる、と。

 

子役の仕事はエキストラから役付きの仕事まで様々。

役付きの仕事になればオーディションもあり、オーディションに合格して仕事をもらうことができました。自分も同じことをしており、オーディションを受けては落ちてを繰り返していました。

 

そんなある日、児童映画のオーディション(児童文学作品)を受けていました。

最初はたくさんの人がオーディション会場に来ていましたが、自分は何度も呼ばれることに。次第に会場に来る人が少なくなり、そして来る人は固定されることに。固定した人が繰り返された時に、オーディションの合格を告げられました。

 

その後はリハーサルを繰り返す日々。台本も覚えました。

一緒に出演する人(当時は友達程度の感覚だったかも知れません)とも仲良くなり、いよいよ撮影となる時に、撮影は全編ロケで行い、原作のモデルとなった広島で撮影することになりました。

 

ところが、撮影期間は春休み中に撮るとのこと。

春休みと言っても自分は6年生だったので卒業生。ここで上がったのが、卒業式はどうするかという問題。もちろん一生に1度のことなので、当時所属していた劇団の人や制作会社とも相談し、卒業式前日に帰郷して卒業式には参加、参加したあと再び広島にトンボ帰りして再び撮影に参加、という流れになりました。

 

で、そのことを担任の先生に報告。理解ある先生だったので、その辺は大丈夫でした。

ただ次はこのことをどうやってクラスに伝えるか。卒業式といえば「呼びかけ」が恒例になっていましたが、当然ながら呼びかけの練習には参加できないので、自分は呼びかけに参加しないことに。でもそのことは他のクラスメートには話さなければいけないので、それをどう話すか。

 

最初は全員の前で「事情があって、広島に行くことに・・・」と話す自分。

すると先生から「ちゃんと話しなさい」と言われ、ありのままに話すことに。その頃には自分が子役の活動をしているのはみんな知っていたので、変に隠すことなく話すべきと先生は考えたのかも知れません。

 

そんな訳で、卒業式の1週間前から映画撮影のロケに出発。

ひたすら撮影をしたあと、卒業式前日まで撮影。前日は終電の新幹線に乗って帰郷し、自宅に戻って来たのは深夜。そして翌朝になり、友達と一緒に最後の登校。卒業式を終えて少し家でゆっくりしたら、再び広島へ向けて出発。流石にこの時はちょっとだけホームシックになりました。

 

と、小学校のときはこんな卒業式を迎えていました。

ただ・・・話はこれで終わりではなく、次の中学校入学までつながります。当初は卒業式はこんな形だけど、入学式はちゃんと出れますという話でした。

 

しかし・・・ロケにはつきもの、天候の影響を受けました。

順調に撮影が進んでいればちゃんと終わっていたのですが、雨による撮影中断が多くなり、撮影のスケジュールも押してくることに。次第に「入学式に出れるのかなぁ・・・」なんて思いがよぎっていましたが、撮影はなかなか進まない状態。

 

そしてその予感が的中・・・入学式、出れないことが決定。

卒業式も一生に1回だけど、入学式も一生に1回のこと。さらに最初のスタートの段階だけに、いきなり欠席はかなりのインパクト。入学式に出られないのは残念だけど、それ以上に考えていたのは「いきなり目立つなぁ・・・」ということ。できればあまり目立ちたくなかったんですけどね。

 

さらに、追い打ちをかける出来事が。

ちょうどこの映画のロケ中に母親が広島に来ることがあったけど、その時に母親がある「みやげ」を持ってくることに。それは・・・夏休みに舞台の仕事が決まったとのこと。自分でも忘れていた舞台のオーディションに合格し、夏休みは丸々舞台の仕事をすることが告げられました。

 

入学式は欠席し、夏休みの舞台の稽古のために1学期から早退の連続。

これ、間違えなく目立つパターン。そんなことは全然想定していませんでした。入学式の日に映画の撮影は終わり、そのまま帰京。翌日の初登校では・・・案の定、注目の的でした。そしてしばらく経ち、担任に報告と証明書の作成(児童福祉法と労働基準法に関わるため、修学に差し支えないことを校長先生に証明してもらう必要がありました)をお願いすることに。当然ながらこの時期には普通に早退をしていたので、自分の素性がバレるのはあっけなかったですね。気がつけば学校中に自分のことは広まる状態。もはや、目立たないほうが無理ですね。

 

まぁ後にも先にもこんな卒業式と入学式はないでしょうね。

今は子役も結構メジャーになっているので、入学式や卒業式に出られないことも普通にあるかも知れません・・・いや、今でも大事な日は出れるかな。やっぱり自分のパターンはレアケースかも知れません。今となっては、若かりし日の思い出ですね。

 

卒業式の思い出

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今の職場に来てから、関係者を招集しての会議を開くようになりました。

いわゆる「個別支援会議」や「ケースカンファレンス」、時には「担当者会議」と言いながら支援の関係者を集めて今後の方針を検討する機会が多くなりました。以前はほとんどそんなことをしなかったので、ある意味職務の「怠慢」だったのですが・・・ようやく今になって最低限の仕事ができるようになっているのかも知れません。

 

もっとも、自分は担当者会議を開くのが苦手でした。

いろんな人を集めて、内容をまとめて、全体をうまく進行させる・・・そんな考えが存在していたので、どこか会議の開催を敬遠していた部分があったかも知れません。でも今はあんまり肩肘張らず、ある意味その場の流れで進めて行くようになりました。また「会議」という言葉にあまり囚われすぎないようになったのも、自分の意識変化に繋がっているかも知れません。

 

そんな中、昨日もケースカンファレンスを開いてきました。

モニタリングに合わせて実施したものですが、当初は早めに開催する予定でした。しかし利用者さんが精神不調で入院してしまったため、月末まで開催が遅れてしまいました。また入院したことで別の問題が生まれてしまいました。

 

一言で言えば、言った・言わないの話。

当然ながら入院すれば治療が行われるのですが、退院が近くなると生活リズムの回復や退院後の生活慣らしのために、入院先から利用体験をすることがあります。これは精神科特有のやり方かも知れません。いわゆる「リハビリ通所」です。退院が近づけばそんなことも念頭にあがります。

 

ところが、この利用者さんから今の時点で「通所したい」との話が。

入院して間もない状態であり、まだ退院の話も出ていない状態。当然ながら先生の判断が必要なのでそのことを確認すると許可をもらったとのこと。とは言え先も話した通り、まだ退院の見通しも経ってないし、そもそも精神的な不調で入院したのにこんなに早く通所しても良いものなのか・・・色々と気になる部分があります。

 

そんなことを親方様(B型の管理者)と相談すると、病院に確認してみるとのこと。

入院中なのでとりあえず相談室のPSWが窓口になるので連絡するも、なかなか繋がらず。そのためデイケアで利用者さんと関わっている作業療法士さんに確認したところ、先生の判断は「通所先から通所を勧められたから、許可した」という主旨の話になっている様子。

 

いや・・・そんなこと、一言も言っていません。

まぁ利用者さんのことなので曲解したり都合の良いように解釈して発言することはあると思うのでその範疇のようにも感じましたが、ただそれはそれとして病院としては通所することが今の病状として良いものなのかは確認したいところ。そんなこともあって再度相談室のPSWに確認したところ、帰ってきた答えは「ご本人が嘘をつくはずがない」とのこと。

 

いやいや・・・そんなことじゃないんですけどね。

それにどうして「嘘をつくはずがない」と断言できるのでしょうかね。話はまだ続くのですがこれ以上話すようなものでもないので、とりあえずカンファレンスで今後の方針をまとめることが必要で、その方向性で進めることになりました。

 

で、入院中の病棟でカンファレンス。

ご本人の他に自分と親方様、病院はデイケアで関わっている作業療法士の方が参加して実施する予定でしたが・・・そこにPSWも登場。出てこないと思ったのですが、出てきてくれたのであればそれはそれで・・・と思っていました。初めて会う方だったので名刺交換をして挨拶をし、改めてこれまでの経緯を確認。また自分たちが把握しているご本人の特徴や生活の様子などについても説明。するとPSWから一言。

 

 

そういうことでしたら、ちゃんと本人から裏どりして、そちらから病棟に確認の電話や調整を行なってください。

 

 

は・・・この人、何を言っているんだろう。

名刺を見た時にある程度の役職がついている人だったのでそれなりの対応があるのかと思ったら、まさかの責任転嫁。そんな話じゃないんですよね。正直、呆れてしまいました。で、隣にいた親方様は・・・明らかに不機嫌オーラ充満。作業療法士の方も思わずPSWに「それを作業所さんに求めるのは難しいと思うわよ」と話すも、自分の立場や正当性を守りたいのか、非はあくまでそちら側にあると言わんとする態度。「この人(PSW)も忙しいから・・・」と作業療法士さんもフォローをしたけど・・・いや、違うよな。忙しいのは関係ないです。自分も親方様も忙しいので。

 

まぁ自分はその場を進める立場なので、そこに立ち止まっていられません。

なので進行の流れや方針を説明し、ご本人にそこを追求しても意味のないことを話して進めようと思ったけど、PSWの人はやっぱり自分の正当性を伝えたいのか「それは本人に確認したほうが良いと思いますよ」と言ってきたので、自分も思わず「はい、分かりました。じゃ確認しましょう。」とサラッと話すことに。

 

で、モニタリングをしながらご本人に通所したいと思った経緯を確認。

するとご本人からは「先生が作業所に行ったほうが良いって言ったから、作業所に通所したくて連絡した」との発言。自分が直接先生に言われたのか確認すると「先生から直接言われた」との発言。PSWとしては発言がひっくり返されたわけで、PSWの人がご本人に何度か確認する始末。心の中で自分は高笑いをしていました。

 

まぁPSWの人がご本人のことを何も知らないわけですよね。

過去のカルテやこちらからの情報なども入っているはずなので、ちゃんと目を通していれば何となく知れると思いますし、その場でご本人の人となりも話しているにも関わらずあくまで言いたいことを主張するだけだから、こういうことが起きるんですよね。単純に先生の話を伝えにきただけなのでしょうが、それはPSWの役割ではありませんよね。PSWはソーシャルワーカーであって、先生の伝書鳩ではありません。それに「そちらで調整」と言う発言も、本来であれば入院中なのだから調整は病院の役目。それを放棄してこちらに責任があるかのように言うのですから、親方様が不機嫌になるのは当然ですし、作業療法士の方が「難しい」と言うのは当然のことです。さも自分が正しいかのように話すのですから、残念ですよね。下らないプライドが邪魔してますよね。

 

別に誰が言った・言わないなんて、自分にはどうでも良いんですよね。

自分が考えるのは、ご本人の「最善の利益」であって、今の時点で通所することがそれに当たるのかどうかを考えているのであり、そのために主治医の見解を求めているのです。本人が言ったから・・・ではなく、医療的見地として通所が適切かどうかを知りたいのであり、適切であればそれなりに対応するだけのことです。適切でないのであれば、方向性の修正をするだけのこと。伝書鳩だから、こんな当たり前のことを見失うんですよね。ソーシャルワーカーであれば、そんなことわかるはずです。

 

ただ、全てのPSWがそんな人ではありませんよ。自分もPSWですから。

それに他のPSWさんはきちんと対応してくれる人もいますし、話がちゃんと通じる人はいます。結局、その人がどう言うスタンスで仕事に取り組んでいるかによって変わってくるのでしょうね。こう言うところで、その人と連携できるかが決まってくるんですよね。

 

PSWは先生の立場を守りたかったのかも知れませんが、守るものが違います。

守るべきは、利用者さんの利益。誰のための支援なのか、誰のための医療なのかをちゃんと見極めて対応することが必要ではないでしょうか。間違ってはいけないところです。

前にも書きましたが、自分の仕事はソーシャルワーカーです。

でも、なぜ今もこの仕事をしているのでしょうか。

 

福祉の仕事をする理由・・・そんな話に職場でなりました。

仕事なんて世の中にたくさんある中で、なぜこの仕事を選んだのか。福祉の仕事を辞めていく人がいる中で、なぜ今も続けているのか。

 

今の仕事に何かを求めているのかというと・・・多分、求めていません。

生活ができるだけのお金は欲しいですが、それは今のところ得られていると思います。もっとも、40代後半に入りながらいまだに独身だから、余計なことを考えていないだけなのかもしれません。

 

職場で話している中で、この仕事をする理由に「感謝されたい」と思って仕事をしている人がいるということを聞きました。

 

感謝されたい・・・まぁそれも1つかもしれませんが・・・

正直、そんなこと思ったこと一度もありません。感謝されたいために福祉の仕事に就こうと思ったことはありませんし、それを期待したこともありません。別に福祉の仕事じゃなくても感謝される仕事はたくさんあると思います。

 

そもそも福祉の仕事を志したきっかけは、母の障害。

それがなかったら福祉の仕事に就くことはなかったと思います。結果的にそれが、自分にとっての一生の仕事になりつつあります。

 

学生時代に同じ志を持った人も、すでに福祉の世界を去った人もいます。

この仕事、決して楽な仕事ではありませんし、肉体的にも精神的にもキツい部分があります。苦労が報われないこともよくあります。それでも続ける理由は、どこにあるのでしょうか。

 

一度だけ「2度とこの仕事はやらない」と思ったことがあります。

それは、精神的に蝕まれた時・・・心身ともに壊れてしまった時です。その時は流石に「この仕事は続けられない」と思い、福祉の仕事から去る決意をしていました。

 

ただその時の状態は心身ともに「異常」な状態だったので、正常な判断ではなかったです。

ちゃんと休養を取ることで正しい考え方ができるようになり、改めて自分を見直したことで再び福祉の仕事に戻ってくることになりました。戻ってきた結果、今の自分がここにいます。

 

改めて考える、自分が福祉の仕事を続ける理由。

こうやって問うとまだよくわからないのですが・・・多分、仕事を面白いと感じているからでしょうね。仕事をしていて、飽きない。常に学びがある。終わりがない。で、今になって福祉の仕事の醍醐味を感じるようになったことも、今もなお福祉の仕事を続ける理由なのかもしれません。

 

結果的に感謝されて、嬉しいですし、仕事のモチベーションにもなります。

でもさっきも話したように、それを求めて仕事はしていません。自分のやっていることなんて、ほんのちょっとしたことで大したことはしていません。ちょっとだけ調整をしたり、話を聞いているだけで、自分がやっているのは些細なことだけです。

 

ただ、誰でもできる仕事かというと・・・多分、できないでしょうね。

極端な話、自分の仕事をしたことがない人が数日で自分の仕事ができるとは思いません。逆に自分も他業種の仕事をすぐできるとは思っていませんし、そんな簡単な話ではないと思います。

 

やっぱり、自分の仕事に誇りを持っています。

若い人に福祉の仕事を知って欲しいと思いますし、一緒に仕事をしたいとも思います。いいことばかりではく、辛いこともあると思います。でも、それを乗り越えると「面白い」と思えるのではないでしょうか。

 

私の職業は

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普段ほとんど映画を見ることのない自分。

見たいと思ってもなかなか行動にならない自分。そんな自分が、行動しました。

 

話題になっている「どうすればよかったか?」

最初は小さな単館上映でしたが、上映が全国に広がりうちの近くでも見れるようになったので、見てきました。(と言っても、東京なのでちょっと足を伸ばせばすぐに見に行けるんですけどね。)

 

色々と話す前提として、藤野知明監督が「前置き」としている・・・

・統合失調症を発症した理由を究明することを目的にしていない

・統合失調症とはどんな病気なのかを説明することが目的ではない

の2点を踏まえながら、自分なりに感じたことを触れていきたいと思います。

 

まずこの映画のタイトル「どうすればよかったか?」に対しての答え。

非常にマイナスな発言になりますが、どうすることもできなかったのかもしれません。最初から最後まで見て、率直に考えた自分のタイトルに対する答えです。ソーシャルワーカーとして、精神保健福祉関係者としては情けない答えかもしれせん。

 

正直なところ、この家庭に介入することは非常に難しいと思います。

介入するポイントになりそうなところや医療に繋がりそうなタイミングはそれなりにあったと思いますが、両親の強固な「鎖」がかかっている状態ではおそらく外部の人は誰も寄せ付けないと思います。アウトリーチをしたとしても、時間は長くかかっていたと思いますし、助言にも納得してもらえないと思います。

 

介入できない大きな理由が「偏見」になると思います。

それは外からの偏見・内なる偏見の両方であると思います。その辺については先日NHKで放送された「クローズアップ現代」でも触れられています。精神疾患の当事者家族を取材した内容で、そこでもやはり「外からの偏見」と共に、自らが持つ「内なる偏見」も家族の中で閉じこもってしまう原因になっているのではないかと検証しています。(詳細はクローズアップ現代をご覧ください。)

 

「どうすればよかったか?」もまさに同じ構造のように感じます。

自らは医学者・研修者でありながら、やはり我が子を外に出すことに対する社会からの偏見と共に、自らも我が子を統合失調症と認められない部分があり、その根本にあったのは偏見だったのではないかと思います。

 

その結果、25年も自分たちだけで抱えて戦うことになってしまいました。

母の認知症というエピソードがあったことで医療につながり、その結果3ヶ月の治療で快方に向かいましたから、やはりもっと早く対処していればこんなにも苦しまなかったのではないかと思います。教訓的に言えば、精神疾患も早期発見・早期治療により回復することはでき、長期間の入院は必要ないことを物語っているのではないかと思います。

 

事実、3ヶ月の入院治療が終わり自宅に戻ると、以前と表情は一変でした。

今まではコミュニケーションが成り立たなかったのが、ちゃんと成り立っていました。やはり適切な治療を受けることは、ご本人にとっては安心できるのではないか、治療を受けられない間はもしかしたらその間は理解できないかもしれないけど、苦しく不安だったのではないかと感じます。

 

もう1つ、治療につながるところで感じたのは、今でいう「8050問題」です。

両親が若いうち(と言っても高齢ですが)はまだ何とかやって行こうという思いもあったのかもしれませんが、母の認知症によってその構図は「老老介護」と「8050」の二重構造になったように感じます。これにより父も監督の提案を受け入れ、ようやく医療につながったように感じます。逆を言えば、もし母が認知症にならなかったらもっとこの状況は続いていた可能性もありますし、より深刻な8050になっていたかもしれません。

 

ただ・・・ご両親の対応を責めることも時代背景を考えれば酷な事かもしれません。

医療につながる25年前の状況を考えると、この頃に「宇都宮病院事件」が起き精神保健に関する新たな法律が施行されます。で、両親はその前の精神保健について間違えなく大学で学習していると思います。その時の話題といえば統合失調症ではなく精神分裂病だったこと、ライシャワー事件や私宅監置の歴史、優生保護法など、精神障害に対する差別的な取り扱いを目にしていれば、我が子が精神疾患である事を認めるのは到底できない事だったかもしれません。

 

もしご両親の見識がアップデートされていれば、少しは状況が違ったかもしれません。

一方で宇都宮病院事件に象徴される出来事がもし他の精神科病院で行われているとすれば、そこもご両親としては精神科病院を信頼できないと思っていたかもしれません。精神障害者を取り巻く状況も25年後に医療につながった状況とは違いますから、25年前につながっていれば確実に・・・とは、断言できないかもしれません。逆に25年後につながったから、3ヶ月の入院加療で済んだかもしれません。

 

これらのことを考えると「どうすることもできなかった」なのかもしれません。

誰が良い・悪いという話ではなく、それぞれが迷いながらの選択だったのかもしれません。ただこれは「当時の状況」を考えればということなので、今であればやはり早期発見・早期治療・早期介入によって状況は全然違うと思います。藤野監督がインタビューなどでも「失敗例」と話されていますが、恐縮ながらこれをお手本として、これからどのように対応していけば良いのかを考え、行動できるとこの映画の意味があるのではないかと個人的に感じています。

 

映画の後半では、合う薬が見つかり、社会生活を営む姿にホッとしました。

精神疾患はその人自体が悪いのではなく、脳の病気で、病気が悪さをしているだけのことです。ちゃんと治療して薬が合えば、普通に社会生活はできるのです。そんなこともこの映画から感じ取れました。ぜひ身構えることなく、多くの方にこの映画を見ていただければと思います。

 

 

最近見た映画はこれ

 

Ameba映画部

 

今月は計画相談のラッシュ月。

特に今年は計画更新が例年になく多く、時間が足りない状態。本来ならじっくりと考えながら進めていきたいけど、なかなかそうもいかないのが現状。

 

そんな中、ある利用者のモニタリングに行ってきました。

この方を受けた経緯は、事業所からの相談。その事業所とは何のつながりもないところだったけど、うちの業務が対象とする地域に住んでいる人であったため、インテークから始めて状況をお聞きし、計画相談を受けることになりました。

 

実のところ、自分もちょっとこの方の場合は少し手探り感もありました。

いろんな事業所で計画相談をやっていたので基本的に全障害対応はできるけど、今の事業所では精神障害の方を対象にした事業所。ただこの方は発達障害の方でした。

 

発達障害の方を対応したことはありますが、ちょっと構えてしまいました。

インテークで色々と話を聞いたり、関係者から話を聞く中で「自分でやれるか?」と不安になる部分がありました。さらに今回依頼をいただいた事業所は就労移行支援の事業所。就労移行支援を使っている方の計画相談はやったことがなかったので尚更手探り感もありました。

 

実際に接していても、どこかご本人も恐縮感を持ちながらの感じ。

自分もできるだけフランクな感じで肩の力を抜いてもらいたかったけど、なかなかそうもいかない感じ。色々と気を配りながら支援をしてきました。

 

そんな方のモニタリング訪問。今回は受給者証の更新と計画案の作成も実施。

そのため自分が計画相談として関わってからの中間総括的なモニタリングを実施しました。その中でご本人から出てきた言葉は「ちゃんと福祉サービスを受けている実感ができた」と言うこと。

 

思えば、自分が計画相談に入ってから自分主導の支援もしてきました。

対応の1つは、年金相談。以前年金の相談を市役所でしたものの、内容の複雑さや対応者の雑さ加減でご本人が手続きを諦めてしまったとのこと。そのため改めて色々と事情を聞くと、どうやら受給権は存在している感じがあり、それもうまくいけば書類が整いそうな感じ。そのためもう一度年金を申請するために一緒に市役所に行って話を聞きました。

 

すると今度はご本人も理解できた様子。

その後に一緒に必要な書類や準備の段取りなど確認し、その後はご自身で申請まで漕ぎ着け、最終的には年金が受給できることに。残念ながら遡及しての支給にはならなかったものの、申請段階から受給できることになったので、一安心。

 

もう1つは、グループホームの見学。これは自分が手配をしました。

この方の場合、どちらかというと「ご本人自身でやる」と言う性格の方だったので、基本的にはご本人に任せ、もし支援者からの連絡が必要な場合は自分に振っていいよ、というスタンスで対応をしていたのですが、あるグループホームでの対応はご本人から「これ以上は・・・」とヘルプがあったため、その段階で全部自分が引き取り、見学日程の手配など自分が行い、一緒に見学に行くことに。で、結果として・・・遠慮します、に。

 

いや、これは自分も納得。自分も同行して「ここはちょっと・・・」と思いました。

同行して現地に到着し、地域散策をした後にグループホームに行ったものの、そこで出てきたのは思わず「入居者さん?」と勘違いしてしまいそうな出立ちの職員。スウェット姿で全然職員らしくなく、代表者の人と会うまでは「本当に職員?」と疑ってしまう感じ。応対も職員らしからぬ受け答えで、色々と感じてしまいました。

 

そして代表者の方との面接。でもその方も・・・ちょっと、って感じ。

ひっきりなしに電話が鳴っていたけど、その対応はなんか雑。職員らしい人からの電話に対しては、いたわるような様子はなし。一方で面接はあたかも入居前提で話が進む状態。自分の中で「ちょっと、ここはなぁ・・・」と感じている中で、不機嫌な利用者さんが横に・・・挙げ句の果てには利用者さん自ら断りとも思える一言。その様子を察知できない代表者に対して自分から「一度ご本人と相談してからご連絡します」と話す始末。もちろん自分の中では結論は見えており、利用者さんと同じ考えだったので、納得です。

 

そんな対応をしてきた中でのモニタリング。

モニタリングではそんな思い出話もしながら、今の思いやこれからのことについて聞き取りを行い、その内容を事業所の方に伝えると、事業所の担当者からは「こんなに変わるとは思わなかった」との声。それはいい意味で恐縮感がなくなっており、頼るべき時に頼れるようになれたことが大きな変化でした。

 

確かに、自分が最初に関わった時より色々と頼ってもらえている気がします。

いい意味で遠慮もなくなり、自分が信条にしているフランクさも出てくるようになっていました。事業所の方からは「計画相談のおかげです」と言われたけど・・・いえいえ、自分なんかそんな大したことはしていません。やったのは、ほんのちょっとだけ。

 

強いて言えば、ご本人がうまく変われたのだと思います。

いや、変わってはいないのかもしれませんが、ご本人が話した「福祉サービスを受けている実感がした」と言う言葉を借りるのであれば、ちゃんとご本人がそれを活用できるようになったと言った方が正しいのかもしれません。自分は必要な時に必要な支援をしただけのことで、やっていることは大したことありません。

 

でも、やっぱり必要な支援なんですよね、自分のような支援って。

第一は現場で支援をしている人なんだけど、そこだけでカバーできない部分は自分たちのような相談支援専門員がサポートすることでうまく行っているのかもしれません。ただ・・・繰り返し話していますが、自分たちがやっていることは、些細なこと。そこだけです。その「些細」を感謝されることで、自分たちの存在意義が認められるのかなと思います。

 

まだまだ支援は終わりませんが、この方がより良い生活を送れるように支援をしていきたいですね。

長い長いファシリテーターの役割が終わりました。

だいぶ前に現任研修のファシリテーターが終わったことを書きましたが、今日終わったのは初任者研修のファシリテーター。初任者研修は、長かったです。

 

現任研修の時のことはここで書いてあるので、細かいことは省略。

現任研修は既に相談支援(計画相談など)で仕事をしている人のいわば「更新」のための研修でしたが、初任者研修はその名の通り「初めて」の人を対象。これから相談支援に携わる人に対しての研修。相談支援のイロハを伝えていきます。

 

ただこの初任者研修、メチャクチャ長いです。

研修は9月の下旬から開始。一斉に動画研修(講義)を受け、その後演習研修が開始。自分の場合は10月に2日間の演習をした後、次の演習までに受講者は個人ワークを実施。11月に1日演習をし、その場でワークの成果発表。さらにその後受講生は地域で実習指導を受けてきた後、昨日・今日と演習研修を受けることに。実質的な研修期間は7日間だけど、トータルの期間としては4ヶ月。日々の業務を行いながら研修を受けるのは、大変なことです。

 

なので、途中で脱落する人もいます。

最初から来れない人もいれば、個人ワークで脱落する人も。そして地域実習で脱落して昨日・今日の研修に来れない人もいます。また風邪などの不可抗力ながら脱落してしまう人もいるので、結構ハードな研修になります。

 

幸いにも自分が担当したグループでは、脱落者はなし。

心配した人もいたけど、無事に最後まで完走することができました。自分が初任者研修を受けた時はこんなにハードじゃなかったので、もちろん労いました。

 

そんな初任者研修でしたが、正直参加している自分も勉強になりました。

初任者研修でのファシリテーションは初めてで、どうやって進めるか色々と考えたのですが、始まってみると受講する人はみんな熱心に取り組んでいました。最初の頃は「う〜ん、どうするかなぁ・・・」なんて感じることもありましたが、昨日・今日の研修では地域での現場実習成果もしっかりしたものになっており、今日のグループワークも積極的に意見を出し合いながら、グループ発表も受講者全員で準備をしている光景を見て「凄いなぁ」と感じました。

 

またそれはうちのグループだけでなく、他のグループも同じでした。

その勢いは現任研修の時を上回るものであり、現任研修よりも積極的に参加していたのがとても印象的でした。また今日のグループワークでは「地域づくり」を考えてもらったのですが、インフォーマルな内容を多く盛り込んでいるグループが多く、凝り固まった自分の頭にとってはすごく刺激になりました。

 

ファシリテーターの立場だと、どうしても指導的なものになりがち。

でも実際に参加してみると、ファシリテーターも勉強することがたくさんあります。現任研修の時も自分の仕事を振り返るきっかけになりましたが、今回の初任者研修では初心の気持ちを改めて思い返すことになりました。「馴れ」の怖さを実感し、もっと柔軟な発想や考えを持たなければと感じました。自分も色々と準備をして臨んでいますが、自分が持ち帰るものもたくさんあります。

 

初任者研修に参加して純粋に感じたのは、面白かったということ。

受講者の立場では「大変だった」と思いますが、ファシリテーターとしては何者にも染まっていないアイデアは新鮮なものであり、意見や発言を聞いていて楽しかったです。もちろん経験がないに近いので荒削りな部分や不足している部分はあるのですが、それは経験を積めばなんとかなること。いかに積極的なところがあるかが、やはり大事だと思います。

 

これで今年度のファシリテーターは全て終了。

多分来年度もファシリテーターは担うと思いますが、それと共に来年度は自分自身も研修を受ける立場になります。来年度も自分の仕事は、ハードになりそうです。

 

 

(こぼれ話)

今日は研修が終わった後に理事会打ち合わせがあったので、職場戻り。

帰りが遅くなると思い、時間がかかるの理解しながら都心まで車で向かいました。余裕を持って準備はしたのですが・・・事が起こる時は、起きるものです。

 

・いつもより1時間早く起床。携帯を見ると・・・あれ、充電できてない。

 バッテリー残りは、1%😱 コードを持ってきて、モバイルバッテリーに繋ぎ出発。

  ↓

・首都高速で車線変更が必要だったけど、故障車がいて変更できず😱

 ナビにリルートしてもらった結果、予定よりも20分遅れることに。(一応、織り込み済)

  ↓

・目的地に到着・・・と思ったら、全然違う場所😱

 慌てて研修場所近くの最寄駅に目的地変更。また、時間のロス・・・

  ↓

・満車覚悟で目的地到着・・・あ、空車だ!車止められる🙌

 時間のロスを全て回収。お昼を買う時間もできたから、コンビニに寄ることに。

  ↓

・コンビニでお昼を買って、研修場所へ。

 到着した時、お惣菜を買ったのにお箸をもらうことを忘れるにの気づく😥

 研修前の打ち合わせをした後、急いでコンビニに行ってお箸だけもらってくることに。

 

こんな感じで、研修場所に到着するまでバタバタの連続。

この前書いた通り、普段は車通勤だけど・・・都心に行く時は、やっぱり電車かな。

でも、満員電車は嫌だから、状況によりけりかな・・・やっぱり。

新年最初は、通勤手段の話。今は車で通勤しています。

改めて感じるのは、車通勤の快適さ。

 

社会人になった時は、公共交通機関での通勤。

駐車場がないのが、一番大きな理由。駐車場さえあれば車通勤したかったですが、そもそも車通勤も認められていなかったので、仕方ないですね。

 

本格的に車通勤をするようになったのは、前の前の職場の時から。

その職場では駐車場があったのと、職場まで距離があったこと。その時は車で1時間ぐらいかけて通勤していました。途中職場の引越しで別のところに移りましたが、その時も車通勤は変わらず。

 

その次の職場では駐車場がないので車通勤はできず。

ただこの時点で車通勤を6年以上経験していたので今更公共交通機関に戻ることができず、また市内の交通機関が不便でもあったので小型二輪の免許を取って125ccで通勤していました。

 

ただ・・・車通勤とバイク通勤は全く違うもので、気が休まりませんでした。

その時は体調を崩していった時期でもあったので余計に気が休まらなかったのかもしれませんが、車通勤の時のような快適さは微塵も感じませんでした。夏は暑いし、冬は寒い。雨が降ったら最悪・・・と、あまり自分にはバイク通勤は向いていませんでした。

 

そして今の職場になり、再び車通勤を再開。

今の職場も駐車場はないものの、車通勤はOK。なので自分で職場の近くに駐車場を借りて通勤しています。今の通勤時間は30分。正直、公共交通機関を使うよりも早いです。

 

車通勤の一番のメリットは、自由に動けること。

特に仕事終わりの時間の過ごし方は全然違います。公共交通機関だと家と職場の往復だけ。バイクの時も家と職場の往復。途中でどっかに立ち寄ったり寄り道をすることはありませんでした。でも車だとほぼ毎日寄り道。車通勤だと逆に真っ直ぐ家に帰ることがありません。必ず、どこかしらに寄り道をして帰っています。

 

もう一つ大きことは、自分の時間を作れること。

もちろん自宅でも自分の時間はあるけど、通勤の時間もプライベートを確保されていることはかなり大きなことです。特に今は音楽を聴きながら通勤をしているけど、それが自分の気持ちを整えるのに大きな役割を果たしていますね。以前の職場で車通勤をしていた時はラジオを聴きながら通勤していたけど、それもまた情報収集の時間で有意義な時間でした。周りのことを気にせず過ごせることは、結構大きいですね。

 

今となっては、自分の生活に車は欠かせないもの。

通勤には必要な足で、職場の車が使えない時は自分の車で出かけることも多いので、仕事をする上でも欠かせないものですね。車だからこそフットワーク軽く動くことができますし、車があるから機動的に行動できる部分もあります。車、様様です。

 

そんな車も、なぜか買い換えることにしました。

自分でもこのタイミングで買い換えるとは思っていませんでしたが、ただ色々と気持ちを整理したい部分もあり、結果的にいろんなことが重なっての買い換えに。まだまだ今の車は使える車ですが、これもやっぱりタイミングなのかもしれません。新年度には新しいお供と通勤することになるでしょう。

 

私の通勤手段は

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前回のブログで、今年のすべてを話したような気がします。

なので今さら・・・なのですが、最後の最後に待っていました。

 

今年1度風邪をひいたから終わりと思っていたら、また風邪をひいてしまいました。

しかも、今回はコロナ感染。2度目のコロナ感染です。

 

どうも長い休みは、自分にとっては鬼門です。

前回のコロナ感染も、去年のゴールデンウィークに感染。その時はまだ2類だったので保健所の療養観察もありましたが、今回は先生から「この期間が療養期間ね」と言われただけ。明日で療養期間が終わるのですが、それでも年末年始は自宅引きこもりの生活ですね。

 

年末年始自体も、自分にとってはいい時期ではありません。

小さい時は年末年始の間にリンゴ病(伝染性紅斑)にかかって何もできませんでしたし、年末年始の間に風邪をひいたことは数知れず。とにかく年末年始は「やられやすい」という印象が強く残っています。

 

そして今回も、コロナにやられてしまいました。

職場で職員の1人がコロナに感染したと連絡があったので用心はしていたのですが、自分の体調も良くない状態だったので念のために病院を受診したら、当たりでした。

 

とはいえ、前回コロナに感染したときに比べると、そこまで体調は悪くないです。

病院の待合室で発熱があったのでこれから悪くなるかも・・・と思ったのですが、その後熱は上がらず解熱剤も使わずに済んでいます。いまだに鼻は出ていますが、一時期よりも咳は収まっているので、一応初期対応ができたと考えるのが良いのかもしれません。

 

そんなわけで、年末年始は療養生活です。

療養が明けるとすぐ仕事。仕事を休まないで済むのはよさそうですが、なんだかなぁ・・・って感じです。で、来年もやることはたくさんです。法人としての将来設計も本格的に考えていく年になると思いますし、自分の法人だけでなく市の相談支援全体も考えて行動をしていく年にもなりそう。そこには市に根回しをしながらやっていくこともあるし、いよいよ「自分の仕事だけをすればよい」という立場ではなくなりそうです。

 

これも東京都の研修に参加したために、そのルートに乗ってしまった形。

あくまで淡々と仕事をしていくつもりだったのですが、ちゃんと東京都の考える相談支援専門員のキャリアプランに乗っかってしまったので、もうこのまま乗っかるしかないのかな・・・

事実、それに合ったような行動もしちゃっていますからね・・・

(ちなみに、東京都の示すキャリアプランは、これ。)

 

何はともあれ、来年は悲しみから癒えることのできる年にしたいですね。

 

年末のごあいさつ

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今年の私の漢字は「別」です。「去」「永」「遠」かもしれません。

 

どう考えても、今年の出来事として1番になるもの。

最愛の母との別れです。

 

母が亡くなった時に1度だけここで書き、それ以来は書いていませんでした。

やっぱりどうしても母のことを思い出すと、泣けてきます。

 

少しずつ自分の気持ちが整理できつつありますが、それでも気持ちは揺らぎます。

精神科の通院でも母が亡くなってしばらくの間は、その話が中心でした。

 

大動脈解離の時に一度は覚悟をしました。

それでもなんとか持ち直したので一時は希望もありましたが、最終的には透析に耐えられない状態になり、最期は安らかに旅立っていきました。

 

母がいなくなって半年以上経ちますが、やはり寂しさは消えません。

普段は仕事をしているので何も考えることもなく、最近は家にいても他に気を紛らわせられるようになりましたが、母のことを思い出すと寂しくなります。入院していた時から考えれば1年以上も母と離れていたので、母のいない生活には十分に慣れてはいるのですが、実体として「母がいない」ことに直面すると、気持ちはどうしても揺らいでしまいます。

 

事実、今こうやって書いている中でも、思い出すだけで涙が出てきます。

そんな自分もわかっていたので、あえてここでも話題にしなかったところがあります。

 

夏には納骨も終え、一応は全てのことが終わっています。

でも未だに母の墓前の前には行けない自分。母には申し訳ないんだけど・・・やっぱり、辛いんですよね。まだ完全には現実を直視できていないんですよね。

 

母がいなくなって改めて実感したこと。それは自分の生活軸が「母」だったこと。

仕事を休むのも母のこと、どこか出かけるのも母を連れて、日常生活も母のことを考えて・・・と、あらゆることが「母」を軸に物事を進めていたんですよね。有休や夏休みも母親に関係することで取っていることがほとんど。自分のことや自分の都合で取ることはほぼなかったので、今年の夏休みは初めて自分の意思だけで取りました。もちろん休んでも何もすることはなし。かえって休まない方が良かったと思うくらいでした。

 

そんな「母中心」の生活から脱却していくのが、できないんですよね。

脱却できないから、自分中心のことがわからない。もう1人だから、好きにやればいいんだけど、今までの生活からすぐに変えることができないんでよね。俗に言う「趣味を持てば」と言う話になると思うのですが、持っているつもりでも実際には何もしていないんですよね。

 

交友関係も今や薄いもの。そうそう会っている訳ではありません。

自宅にもすぐ帰らずに一息してから帰宅。でもそう簡単に自分の生活が変えられるわけありませんよね。

 

だから、まだまだ自分は母のことを引きずると思います。

日常生活こそはまさに「日常」に戻っていると思いますが、心の奥底はまだまだ母への想いが燻り続けると思います。精神科の先生ともそんな会話がまだまだ続くと思います。先生と話しながら、自分の中でも整理をしているのかもしれません。

 

別に母のことを忘れるつもりはありません。むしろ、忘れられません。

でもどこかで気持ちの整理をつけて、気持ちを揺らがせずに良い思い出として話せる日を迎えられるようにしたいです。今の自分はまだ悲しみの方が強く、母とのことを笑って話すことができません。笑って話せるようになれば、気持ちの整理ができたと言えると思います。

 

それには、まだまだ時間がかかると思います。

1人で処理をするには、あまりにも大き過ぎるので時間をかけて整理していきます。

 

今年の私の漢字

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たくさん計画相談支援をしている人からすれば、大したことないかもしれませんが・・・

計画相談の契約数が30件になりました。すでに終了しているものを含めればもっとありますが、現在有効な契約数は30になりました。

 

何が言いたいのか・・・いわゆる「標準件数」に近づいています。

介護保険の場合、1人の介護支援専門員(ケアマネージャー)が受け持てる件数は35件までとなっていますが、障害福祉の場合は厳格な規定はありません。ただ報酬請求をする時は相談支援専門員1人つき1ヶ月39件まで請求できます。それ以上の請求もできるのですが、40件を超えると超えた分に関しては減算(報酬が半額)となります。なので障害福祉での計画相談支援は39件が標準的な受け持ち件数とされています。

 

普通の感覚なら「まだまだですね」という感じだと思います。

でも正直自分はその感覚を疑いたいです。自分も初めて計画相談支援を始めた時は1事業所で最大180件程度契約を結んでいました。その時の相談支援専門員の数は3名。なので単純計算で1人60人程度を受け持っていたことになります。

 

でもこの時の状況を今の請求ルールに当てはめても「1ヶ月39件」にはなりません。

実際のところ「1ヶ月で39件の請求」というのは相当な数であり、すごく平たく言ってしまえば1ヶ月30日として、1日1件以上の計画書あるいはモニタリング報告書を作成して署名をもらっていることになります。当然、行政にも提出をすることは言うまでもありません。1ヶ月30日としても土日もありますから、実際には20日と少し。その中で39件やっていくのは、個人的には相当大変なことだと思っています。

 

180件の契約・受け持ちをしながら、今の請求ルールでも問題ない。

標準件数として「39件」としていても実際にはそれ以上に受け持ちをしていないと、1ヶ月で39件の報酬請求にはなりません。結局のところこの標準件数ってあまり意味ないんですよね。

 

ただ自分は標準件数の考え方を大事にしたいです。

60件も受け持ちをしていた時、十分な相談支援はできていなかったと思います。本当に機械的にやっていた感じで、とにかく書類を作ることに必死でそのために残業も多くしていました。当然ながら利用者さんとの面談も実施していますし、事業所に訪問して様子を確認したり担当者から話を聞くこともしてきました。それらのことをしながら丁寧な支援ができていたかと言われると・・・正直、疑問です。

 

今もちょっと大変だなぁ・・・と思うことがあります。

でも丁寧な対応はできているかなと思います。話をしたいと言われれば聞きますし、必要なことがあれば同行支援も行う。計画が始まる前からの調整も行いますし、呼ばれれば会議にも出席する。地域の相談支援事業所としての活動も含めながら丁寧な対応ができるようになっています。

 

ただ今後この件数が増えていったら、今みたいな対応ができるかはわかりません。

決して時間があるわけではないのですが、様々な業務がある中で色々とやりくりができているのが今の状態。でも件数が増えれば対応することも多くなるので、さらにその中でやりくりをしていかなければいけない状態。そうなると仕事はタイトになり、自分自身の余裕もなくなってしまう。結果的に丁寧な対応ができなくなり、抜けのある支援になってしまうことに危惧しています。

 

だからこそ、自分の中で「標準件数」は意識していきたいところです。

実際のところ、標準件数だけでは収支としては赤字です。たくさんやらなければ黒字収支になりません。いや、計画相談支援単体で黒字収支になっている事業所なんてあるのでしょうか。ただ少しでも赤字幅を縮めていくためには、できる範囲の中で支援を行なっていくことも必要だと思います。その見極めがこれからは必要になっていくと思います。

 

まだ地域の中で相談支援のニーズは存在していると思います。

今の時点でも2件の支援依頼があり、多分契約して支援を行うことになると思います。そう言った話が次から次にやってきた時、どこまで自分が引き受けるかになると思います。現在の全体の状況から自分自身のキャパシティまで、色んなことを総合的に判断していかなければいけないと思います。

 

少し話が逸れますが、最近契約した方で、他事業所から移管がありました。

以前からその相談支援事業所から話があったのですが、こちらからは「本人が同意して、ご本人の意思で希望があること」と「現在の支援を目処をしっかりとして下さい」と言うことを伝えていました。その結果ご本人から契約の希望があり契約に至ったわけですが、それと前後してその事業所からその方の情報が送られてきました。その中には当然ですがサービス等利用計画書とモニタリング報告書も入っていました。

 

で、そのモニタリング報告書を見て「なんじゃ、こりゃ」と思いました。

大変申し訳ないのですが、モニタリングになっていない内容。モニタリングには事業所から今の状況の聞き取り項目があるのですが、そこに書いてあった内容が到底聞き取ったとは思えないような内容がありました。思わず親方様(B型の管理者)に「⚪︎⚪︎さんのモニタリング、聞き取りがありました?」と聞いた上で、そのモニタリング報告書を見せたところ、親方様ですら「この内容は・・・なんだ?」とこぼすくらいのものでした。実際のところ聞き取りはされてなく、単純に通所しているうちの事業所名と通所している期間が書いてあるだけでした。これをモニタリングといい、これでモニタリングの報酬を請求するのかぁ・・・と感じました。

 

計画相談支援を「テキトー」にやるのであれば、いくらでもできると思います。

このモニタリング報告書のように、事業所に話を聞かずコメントも一言で済ませるような内容で良いのであれば、1ヶ月39件の請求は可能だと思います。しかし・・・それって相談支援なのでしょうか。そんなモニタリング、研修では教わりません。研修のモデル事例にもそんなモニタリング報告書はありません。別に自分のやり方や報告書の書き方が正しいとは思っていませんが、やるべきことをやっていないものを「モニタリング」と言うのは如何なものかと思います。

 

また無理な件数は自分の体を壊します。

すでに体を壊した経験があるから、無理をしない仕事をしようと思っています。一方で収支のことも意識しなければいけないので、様々なバランスをとりながら行なっていくことが必要だと思っています。そう言ったことから「標準件数」を意識しながら支援を行なっていきたいと考えています。

 

そして・・・相談支援の仕事を大事に、丁寧にやっていきたい。

これは相談支援の仕事じゃないと言われるかもしれないけど、あるご家庭から自立支援医療と精神保健福祉手帳の申請・更新手続きの依頼を受けました。以前はご家族がされていたのですが役所までが遠く、交通も不便なところ住んでおり、さらに高齢になり大変苦労していると話を聞いていたので、必要であれば自分が対応することを伝え、書類等を預かって手続きの代行をしてきました。手続きが済んでご家族のところに申請した書類をお返しすると、ものすごく喜ばれ感謝されました。自分としては「支援業務の一環」として行なったに過ぎないのですが、ご家族の方がものすごく嬉しそうな表情をされ感謝されたのがとても印象的でした。

 

自分の中ではごく当たり前の仕事と思っている内容。

でも当事者にとってはそのことによって精神的にも救われることがあり、些細なこと・当たり前のことを大切に仕事をして行くことも大事であることを実感しました。こういったことの積み重ねが次の支援につながり、支援が点と線で結びついてのかなと感じています。

 

丁寧な支援を行うためには、受け持ちを持ち過ぎないことが大事だと思います。

今はあんまりいないと思いますが、一時期はたくさん受け持ちを持っていること・たくさん契約していることを自慢している相談支援専門員の存在がいましたが、自分からしたらどうでもいいことです。大事なのはいかに寄り添った支援を行い、丁寧な支援を行なっていくこと。それができなければ、いくら受け持ちがたくさんあっても良い支援とは思いません。

 

だからこそ、介護支援専門員のように受け持ち数を決めた方が良いと思います。

尚且つ、その件数で職員1人が生活できるだけの収入が得られる報酬体系にしなければ、誰もその仕事をしなくなと思います。大事な仕事と考えているのであれば、きちんと国も手当をして欲しいものです。