うちの施設は就労継続支援B型。仕事が中心の場所。

でも仕事ばかりでは、つまらないです。そんなわけで、今日は外出レクで、工場見学。

 

場所は決して遠い場所ではないのですが、楽しんできました。

自分はこんな感じで、楽しみました。

 

もちろん、自分はドライバーなのでノンアルコールです。

でも久しぶりにノンアルコールを飲んで、美味しいと感じました。ノンアルコールビールが出始めた時に一度飲んだのですが、その時はまずくて「もう飲みたくない」と思いました。そんな印象があるので、どうもノンアルコールは・・・って感じでした。

 

でも今日久しぶりに飲んで、美味しいと思いました。

随分と技術が進化したのか、それともこのノンアルが美味しいのか・・・いずれにしても、この味なら十分満足できます。ここ最近アルコールは飲んでいませんが、これなら十分に楽しめます。「飲めないからなぁ・・・」なんて思っていましたが、思わぬ感じで自分も楽しむことができました。

 

それにしても、コロナ禍になって楽しみが少なくなりました。

感染防止が第一になるのでどうして制限のある中でできることをやっていましたが、利用者さんも出かけたいのは山々。なので今日みたいな形で息抜きができたのは良かったです。出来ることなら、もっとレクをやりたいですけどね。

ここで何度か精神医療について触れたことがあります。

前回の内容も少し精神医療のことに触れましたが、今この精神医療のあり方が大きく問われている現状があると思います。

 

参考までに「精神医療を問う」を紹介します。

 

これらの記事は「ルポ・収容所列島」という本が出版されています。

精神保健分野に携わっている自分も、非常に注目すべき内容が色々と書かれています。もちろん全ての精神科医療が悪いとは思いませんが、こう言う実態が存在していることは事実だと思います。

 

だいぶ前にここで書いたこと(どうにかならないものか)も、その1つ。

このことは正直自分にとって「寝耳に水」のことで、本人の意向を完全に無視して家族の意向だけで入院してしまったケース。このケース、まだ今後の流れが全然決まっていません。

 

もちろん、家族の言い分を聞かないわけではありません。

実際のところ、医療につなげたいと思う家族がいるのは事実ですし、本人が通院拒否をするために医療につながらないケースがあるのも事実だと思います。家族が精魂尽きるケースもあると思いますし、そう言う状況下では何とかして入院して治療につなげていきたいと思うのは当然だと思います。

 

ただ、じゃ今の入院医療制度が適切なのかというと、そこも疑問です。

本来的な入院は自発的入院である「任意入院」が基本であると思います。一方で誰が見てもこのままにするのは自傷他害の恐れがある場合は強制的に入院させる「措置入院」で対応をせざるを得ない状況もあると思います。

 

しかしその「間」の対応が、今の日本の場合は課題だと思います。

現状の制度では「医療保護入院」と言う形ですが、最初に紹介した「精神医療を問う」では、この医療保護入院の制度に大きな問題提起をしています。

 

個人的には、医療保護入院のような制度は、状況によっては必要と思います。

一方で恣意的に運用される危険性もあり、その適用は慎重にあるべきだと思います。前述のように、家族が精魂尽きるまで放置していいとは思いません。しかしそれが本当に「入院でなければ対応できない」のかはちゃんと吟味する必要があると思います。要はちゃんと客観性を持った診断・判断をしていく必要があると思います。

 

そのような意味では、医療保護入院も措置入院のように複数の判断が必要かもしれません。

現在の医療保護入院では1人の精神保健指定医の判断で入院が決定できますが、その判断が適切な判断なのかは何らかの形で検証する必要があると思います。他の精神保健指定医が見たら「入院は必要ない」と判断されるケースもあると思います。また医師だけでなく臨床経験の長い看護師や保健師、精神保健福祉士が見て「地域で対応できる」とみなすケースもあるかもしれません。

 

要は「医療の中で縛らない」と言うことも必要なのかなと思います。

当然ながら急性期の状態であれば医療の対応が必要になると思いますが、ある程度症状が落ち着いたら医療だけでなく地域保健・地域福祉の中で支援をして行く方向を考えていくことも重要な視点ではないかと思います。ある意味、医療は「最後の砦」になるくらいの気持ちであってほしいな、と個人的には思います。

 

あ、もちろん医療だけで問題が解決するとは思っていません。

だから地域と連携しながら支援していく必要があるわけで、関係者が協力して支援していくことが今の社会に必要なことなのだと思います。そう言った意味では「できるだけ入院医療を短く」と言うのもあると思います。

 

ただ・・・経営を考える病院の中では、できる限り「効率良く」報酬を取るところも。

それが先日話した「3ヶ月」と言う言葉。「3ヶ月を超えると医療報酬が減る」と言いましたが、厳密には報酬に上乗せできる加算が極端に低くなるのです。

 

国としては、できる限り入院期間を短くすることを目標にしています。

そのため短い期間で退院につなげられるよう、入院期間に合わせて上乗せできる報酬を設定しています。その設定の中で「3ヶ月(90日)」と言うのが大きな境目になっています。

 

診療報酬点数では、精神科の入院について、入院日数で加算できる点数を設定しています。

1番加算をたくさんもらえるのは14日以内の入院。ついで30日以内。その後に90日・180日・1年となっていくのですが、90日と180日には大きな開きがあり、その差は115点。金額にして1日あたり1150円で、入院期間が91日なると1年入院していてもそんなに変わらないんです。だから効率よく3ヶ月ピッタリで退院させる病院も存在しているのではないかと感じています

●精神科病棟への入院に対する、入院日数による加算

・14日以内の入院;465点(金額にして4650円)

・15日位以上30日以内の入院;250点(2500円)

・31日以上90日以内の入院;125点(1250円)

・91日以上180日以内の入院;10点(100円)

・181日以上1年以内の入院;3点(30円)

こう言う形にしたのは、短い入院の方がメリットになるようにしていると思います。

でもこういった加算があるから、逆に必要な医療が終わっているにも関わらずギリギリまで入院をさせる温床が産まれてしまうのかなと感じます。であれば、こんな加算をなくして、入院期間ではなく治療結果や予後で評価できるシステムにしてしまった方がいいのかなと感じます。

 

ただ・・・こうやって言ってしまうと「何もわかっていない」と言われるかもしれません。

でもこれはあくまで「一般的な感情」であり、入院期間や転帰、受け入れ疾患等の治療実績などの情報公開を積極的にやっている病院に対して評価していけばいいのかなと思います。治療実績などの情報公開は病院を選ぶ参考にもなりますし、医療の質を担保するためには必要なことなのかなと感じます。

 

大事なのは、精神医療が「特殊」でなく「普通」になること。

いまだに精神科に受診するハードルは高いと思いますし、精神疾患を世に公表することもハードルが高いと思います。しかし高校の保健体育では精神疾患を教育することになりましたし、精神医療というものが日常当たり前のものになれば、問題のある医療も減っていくのかなと感じています。

自分の職場は就労継続支援B型に併設された相談支援事業所です。

くどいほどここでも書いていますが、相談支援事業1本では経営は成り立ちません。ですので相談支援事業は本体事業に併設しているパターンが多いのかなと思います。

 

自分の場合は相談支援で契約した人が、自分の担当利用者さん。

自分以外の職員は就労継続支援B型の職員。職員はそれぞれ「ケース担当」として、就労継続支援B型の利用契約を結んでいる利用者さんを割り振って、職員の誰がその利用者さんの中心支援者になるかを決めています。

 

なので自分は基本的にケース担当にはなりません。

ただ例外的に1人だけケース担当に。とはいえ、自分の中では「全員担当」という認識を持っています。立場的にケース担当を持たないから、俯瞰的に個々のケースを見れますし、また「相談支援」と言う立場からの見解も必要な支援の視点にもなってくると思っているので、何か問題が起きた時には我が事・自分の担当ケースのようにいつも考えています。

 

日々問題が起きたときは職員全員で色々と考えていきますが・・・

中には対応の難しいケースもあります。そのうちの1つについて、今日市役所の保健師さんに情報提供をしてきました。正直なところ、うちの施設ではやれることをやった感があり、これ以上何をすれば・・・と言う状態です。

 

その利用者さんは、ここでも何度か話題に挙げたことがあります。

一言で言えば、生活が成り立っていない状態。成り立たない理由は、他の利用者さんからの借金。今のところ「悪いところ」からの借金はしていないけど、自分たちが支援していることが正直「暖簾に腕押し」のような状態。

 

現在は一人暮らしをしているけど、元々はグループホームを利用していた人。

グループホームに入居していた時からお金のことについては課題になっており、自己管理ができないことが大きな課題になっていました。その結果、グループホームから地域生活になるときに、地域福祉権利擁護事業(日常生活自立支援事業)を利用することで、何とか維持する方向にしてきました。

 

そうやってまかりなりに地域の中で生活を送ってきましたが、あることをきっかけに綻びが出てきました。

それは、精神科への入院。その入院は自分たちから見たら正直必要性の感じない入院でしたが、本人が「どうしても入院したい」とのことで主治医も認めらため入院することに。

 

ところがその入院中に、他の利用者さんを病院に呼び寄せ、借金をすることに。

この利用者さんは生活保護も受給しているので、別に普通に入院生活を送っていれば生活に何の問題もないのですが、なぜかお金を借りる状態。さらに問題なのは、そのことを病院は関知しながら何もせず、普通に見守っていたこと。

 

さらに入院も当初は1ヶ月程度のはずが、なぜか3ヶ月。

実はこの「3ヶ月」と言うのも意味があり、3ヶ月を超えると医療報酬が減ることに。退院したのは、3ヶ月ピッタリ。なぜこんなピッタリ3ヶ月で退院して来るのか・・・正直、色々と勘ぐってしまいます。

 

あ、言うまでもなく生活保護をもらいながら借金したら、それは収入です。

なのでこのことは市役所にも報告済み。市役所のケースワーカーからも何度となく注意をされているのですが・・・効果がないみたいです。もちろんうちの施設も注意していますが、借金はやめられません。

 

まぁこの借金も半ば確信犯的なところもあるんですよね。

大体借金の判明は年金が入る日の前とか、保護費が入る前とか、工賃支給日の前とか・・・それもその中で返せる金額の借金なんですよね。それで返しちゃうから、貸した利用者さんも戻ってきたと変な錯覚をしてしまうんです。貸す側も借りる側も、お互いに癖になってしまっている状態。

 

自分は貸す側の利用者さんの計画担当なので、その利用者さんにも指導しています。

時には厳しい言葉を書けることがあるのですが・・・でもそもそも、悪いことをしている側ではないのに厳しい言葉ばかりをかける必要性にも疑問を感じる状態。正直自分でも「どっちが悪いんだ?」と誤解をしそうになってしまいます。

 

言うまでもありませんが・・・1回2回程度の借金なら、大きな問題じゃありません。

問題なのは、もう数えきれないほどやっていると言うこと。そう言うことがあれば利用者さんからクレームが来て事実確認をし、貸した側はシラを切りつつも最終的には白状。怪しいことがあればこちらからカマをかけると、最初はシラを切りながらもやっぱり白状。どうせ最後はバレるんだから、だったら最初から言え、って感じです。

 

借金をしないように、色々とやってきても、結果はいつも同じ。

正直自分の中では、入院の一件があってからなし崩し的にダメになっていった印象を受けています。もちろんそれだけでなく、そもそも地域で生活を成り立たせることが無理だったのかもしれません。

 

となると、この利用者さんの行く先は・・・どうなるのかな?

地域の中で生活ができなければ、行く先は施設。医療的な対応は必要ないので、入院という選択肢はないし、仮に入院したところで問題の解決にはならないと思います。ただ・・・環境を大きく変えなければ、この問題は解決しないのかなとも感じています。小手先の環境変化ではあまり意味ないようにも感じ、何より貸す側の利用者さんと接触できる環境がある以上、この利用者さんの借金癖はどうにもならないのかな、と感じています。

 

こんな状態で「一人暮らし」が成り立っているとは・・・言えないよなぁ。

もちろん担当の相談支援専門員さんにも伝えているけど、多分その人もこの問題をどう対処していけばいいのか、かなり悩んでいると思います。ここまで来ると1施設でどうにかなる問題ではなく、役所とかも巻き込んで考えていく必要もある内容です。

 

うーん、支援って難しい。

「困っていたら、支援」って言ったけど、支援者も困った。支援者の困ったは、どうすればいいのでしょうかね。

障害福祉サービスに限らず、介護保険や医療保険などは必ず「国保連請求」と言うのがあり、10日までに前の月の実績をまとめ報酬を請求します。医療なら医療報酬、介護なら介護報酬、障害福祉なら・・・なんだ?なんて言うんだ?

 

いずれにしても、10日までは忙しい日が続くんです。

自分も毎月最初は計画相談の報酬請求のために、請求情報を作っています。で、作るたびに思うのは、結構頑張って仕事していても、月10万円の報酬請求ができることはないんですよね。今月は5万円もいきませんでした、トホホ。

 

計画相談の場合、極端な話報酬としてもらえるのは書類を作ったときだけ。

障害福祉サービスを利用するときに目標などをまとめた「サービス等利用計画書」を作った時と、その計画書をもとに計画の進捗状況や現状把握、課題分析などをまとめた「モニタリング報告書」を作った時が、報酬として請求できるものになります。これらが基本にあった上で、その他の加算が付くのですが・・・そんなに大きなものではありません。

 

特に自分のような「一人職場」は全然報酬がもらえません。

相談支援専門員を常勤で手厚く体制を整えて配置している事業所ほど報酬は高く設定されているのですが、小さな事業所では国の求めるような基準で職員を配置するのはとても困難な話です。

 

もちろん、ただ単に書類を作っているだけならその程度かもしれません。

でも実際には書類を作るためにはご本人から色々とお話を聞かせていただきますし、関係機関から現在の様子を伺うこともあります。これらの書類、自分の独断で書くことなんかできません。作った後はご本人に説明をして同意をもらわないと書類として認められませんし、同意の署名がないと書類として認められません。好き勝手に作れる書類じゃないんですよね。

 

言うまでもありませんが・・・それだけが仕事じゃありません。

その辺はすでにここでもたくさん書いていますので、過去の記事を読まれている方ならもうご存知のことと思います。昨日・今日も色々と動いてきました。

 

昨日は利用者さんの引っ越し作業。

グループホームを転宅することになり、そのための引っ越しを自分を含めたうちの法人の職員3人で行うことに。本来は計画的にやることだけど、色々と事情があるためこのような対応をすることに。半日かけて別のグループホームに転宅し、荷物の運搬や組み立てもすることに。エレベーターのないところだから、キツイキツイ🥵

 

正直な話、別に自分たちがやることじゃないですよ。本業じゃないです。

本来なら自分で引っ越し屋を手配してお金を払ってやるべきものですが・・・でも、いろんな事情があると、うちの法人はやってしまうんですよね。

 

今日はスマホの契約に同行。

利用者さんから同行の依頼を受け、自分が対応。一緒に契約に関する書類を読んだり、どの機種にするか一緒に考えて、必要なところは自分が噛み砕いて説明をして、無事買い替え完了。

 

引っ越しにしろ、スマホの契約にしろ、直接的な報酬にはなりません。

間接的にはモニタリングの時に「こういった支援をしてきました」と言うことにつながりますが、報酬はこれらの行為に評価するものではなく、書類を作成したことに対しての評価。なので、直接的な報酬ではありません。

 

こんなことばっかり書いていたら「やらなきゃいいじゃん」と言われるかも。

確かに「やらない」という選択肢もあります。自立してもらうためにこちらではやらず、自分でやってもらうこともあるでしょう。何でもかんでもやっているわけではありません。

 

でも自分たちが報酬にならないところまでやるのは、何故なのか。

理由は簡単。本人が困っているから。困っている状況は放置できません。

 

相談支援専門員やケアマネさんの中にはドライな人もいるでしょう。

でも自分は、そう言うことができないんですよね。自分がお世話になった、父のケアマネさんも自分が父の対応ができない時に、本来の業務ではないところまでサポートしていただきました。本当に助かりました。

 

困っている人がいたら、助ける。支援する。

サービスや制度の中で対応できればその中で対応するけど、この仕事には必ずサービスや制度の網から抜けてしまう部分があります。今日のスマホ契約もその1つだと思います。判断能力がないわけじゃないけど、1人じゃ不安。かといって家族がいなければ頼る人がいない。それなら、身近にいる人が支援する。それが自分であれば、対処していくのは当然の話です。

 

時にはお金にならないことも誰かがやらなきゃいけない。

相談支援専門員って、そんな役割もあるんじゃないのかなと勝手に思っています。型通りにやっていれば相談支援専門員としての最低限の仕事はしていると思います。でも自分は最低限の仕事で満足できる性分ではありません。手の届かない部分や支援の行き届かない部分があれば、それを補完していく。通所施設で補完できればそれも1つだし、それが難しければ相談支援専門員が補完するのも1つ。相談支援専門員一人で補完するのではなく、関係者全体で補完を目指す。そのリード役は、やはり相談支援専門員になるのかな、と感じています。

 

誤解のないようにしておきたいのですが・・・

結構ここでは「評価されない」とか「報酬にならない」なんてことを多く書いていますが、単なる不満ではありません。こう言うことを何らかの形で問題提起する必要があると思い、厳しい表現で書いています。何でもかんでも「ボランティア精神」に頼るのは違います。小さなことであってもそれらを正当に評価されることがないと、狭間の問題を担う人がいなくなってしまいます。そうなると、いざ本当に困ったことが起きた時に誰も支援しないと言う最悪の状況が訪れます。それを防ぐには、小さなことでもあってもそれを評価する仕組み・システムを作っていく必要があると感じています。

 

まぁ、そんなことを言っても自分は今のスタイルを続けるでしょう。

宮沢賢治ではありませんが、困っている人がいれば支援するのは自分のやり方ですし、時には直接的な支援も行っていく。自分がこの仕事についた時・・・もっと言えば社会福祉士・精神保健福祉士になった時から「何でも屋」との考えを持っていますから、自分のスタンズにブレずにいきたいと思います。

こんなタイトルだと「調子が悪い」と思われそうですが・・・

体の調子は前も書いた通り今ひとつですが、精神の状態は悪くありません。穏やかな状態が続いています。

 

今は精神障害の方の施設に勤務している自分。

作業の支援をしながら、相談支援専門員としての仕事もしていることは、すでにここでも明らかにしていること。相談支援の大部分は自分の施設にいる人で、日々色んな相談を受けています。

 

昨日も作業に参加できなかった利用者さんが泣きながら相談。

その利用者さんの訴えは「できなかった自分」に対しての悔しさを話しており、傾聴して対応していました。

 

まぁ確かに、普通の人でも調子によってはできないこともあります。

自分も精神が壊滅的にダメだったときは、何もかもできませんでした。生活もままならないと考え入院を決めたくらいですから。

 

ここでは調子の悪かった自分を「明らかに異常」と表現しています。

仕事でも日常生活でもできなかったことがたくさんありましたが、自分の中で結構辛かったのは、時間の経過です。時間が過ぎることが耐えられないことでした。

 

今思えばこれも「時間が過ぎることが耐えられない」のかもしれませんが・・・

仕事を休職する前は、自分の席にいることができませんでした。座ってパソコンの前にいるのが苦痛で、苦しくて、耐えられないとトイレに逃げ込んでいました。同時に吐き気もして、本当に最悪な状態でした。

 

同じことで「待つ」こともできませんでした。

例えば病院に行って診察を受けるまでの間は待合室で待ちますが、その待つことが苦痛でした。待つことが苦しく、落ち着かないですよね。貧乏ゆすりをしていたと思いますし、体も動いていたし、とにかく落ち着かなかった。診察が終わって会計を待つのも苦痛。とにかく、苦しく苦痛。

 

薬局で薬を待つのも、苦痛。

順番のカードをもらっていて、先の見通しがあっても待てない。じっとしているのが本当に苦痛でした。今思えば何でそんなこと・・・って思いますが、当時の自分は「そんなこと」ができなかったんですよね。

 

言うまでもありませんが・・・今は全然大丈夫です。

当然ながら、精神の状態が落ち着いているからに他なりません。

 

昨日泣きながら話してきた利用者さんにも言いましたが、作業に参加できなかった、それはそれで仕方ないこと。

心と体はつながっているもので、心の調子が悪ければ行動にも影響するし、その結果「動けない」と言うこともあります。なので利用者さんには気にすることないことを話しましたし、うち(就労継続支援B型)に来ているのは次のステップのために来ているのであり、うちの中でつまづいたり失敗したりするのは全然構わないことを話しました。

 

ちょっと乱暴な言い方ですが、普通にできればうちに来る必要はないです。

まだ不十分であったり、保護的・サポートが必要な人がうちに来ているのであり、完璧は求めていません。別にそれは利用者さんだけでなく、職員も完璧ではありません。そんなに職員は高潔じゃありませんし、所詮人間です。思わず自分の感情が出てしまうこともあります。職員も完璧じゃありません。

 

だから、調子が悪いときはできなくても仕方ないです。

できないのは、調子が悪いから。ちゃんとできている時も確認しているので、能力がないわけではありません。そう言うことを理解・把握しながら支援をしているので、できなかったことに一喜一憂する必要は全然ないんですよね。

 

今ここで話しているのは、精神疾患が前提の話。

なので、身体障害で機能的に難しかったり、知的障害で能力的に困難だったりする場合はまた事情が変わってきますが、この利用者さんの場合はいずれ次に進んでいくと考えています。ただ道のりは・・・うーん、長いかも。今は仕事の話だけど、課題はそれだけじゃないから。ただ今回はそれが話題じゃないから、別の課題は追々対処していきます。

 

 

余談ですが・・・今日プログラムでスイカ割りをしました。

本当は利用者さんに割って欲しかったけど・・・利用者さんの導きで自分が割ってしまいました。ダメじゃん・・・汗

メンタルの調子は悪くなっていないのですが・・・体の方が。

満身創痍とまでは言いませんが、やっぱり歳なのかもしれません。

 

今調子がよくないのは、右肩と右肘。

右肩は本当に原因がわからず、突然痛くなりました。右肩を下に着いて寝たときにとんでもない激痛が走り、本当に突然のこと。腕が上がらないまではいかないものの、肩を着いて寝ることが困難なほど。

 

最初に通院した病院では、話を聞いただけで四十肩の診断。

でも具体的な対処法が何もなかったので、自分の判断で病院を変更。その病院ではレントゲンとエコー検査をして、腱板を痛めているとの診断。それからというもの、痛みが強い時は注射を打ち、リハビリを続けています。

 

で最近になり、右肘の痛みも強くなることに。

右肘を痛めたのは・・・恥ずかしながら、利用者さんと腕相撲をした時。自分は気乗りしなかったけど、利用者さんからの「どうしても」の声に負けて腕相撲をすることに。その結果・・・右肘を痛めました。原因はわかっていたので安静にしていましたがなかなか良くならず、病院に行ったところ注射で解決。これでよかったと思ったのですが、また痛みがぶり返してきて病院へ。で、この間はとうとうMRIまで撮ることになってしまいました。

 

いやぁ、そんなに酷使した覚えはないんですけどね。

肩もしばらくは良かったけど、リハビリがなくなってからまた痛くなってきているし、肘は普通に痛みを抱えている状態。特に肘に関しては理学療法士さんから「ゴルフ肘も、テニス肘もありますね」とのこと。

 

事実、当初痛かったのは肘の内側だったけど、最近は外側も痛む状態。

仕事で特養の清掃に行った時も、モップがけをしたときにとても痛く、腕を振って誤魔化している状態。なのでこの前はエルボーバンドをして仕事をすることに。バンドをすると多少はいいみたいだけど・・・でも普段はやっぱり痛い。

 

職場でもちょっとだけ工夫。

「パソコンとかするときは、アームレストをするといい」との話を聞き、アームレストを用意することに。キーボードを打つときだけでなく、マウス操作をするときもアームレストを置いて仕事をすることに。

 

もちろん日々のストレッチも欠かしていません。

理学療法士さんから「筋肉が硬い」との指摘を受け、時間があるときは筋肉をほぐすようマッサージしたり、ストレッチをして対処。ただ自分の場合「筋肉が硬い」だけでなく「全てが硬い」状態。肩の筋肉も硬いし、関節も硬いし、どこもかしこも硬い。理学療法士さんから見たらやりがいがある一方で手のかかる体なのかもしれません。

 

まぁ一言で言えば「不健康」なのかもしれません。

少しでも改善できればと思いジムに入会したものの、今は肘と肩の痛みが強いのでストップしている状態。多少なり改善すればまた再開できると思うのですが、強い痛みを感じている以上は、ちょっとやるのは危険かなと思っています。

 

うーん、心が良くなったと思えば、次は身体ですか。

なかなか「心身ともに健康」というにはまだまだ時間がかかりそうです、ハイ。

今月はそんなにモニタリングもないし、そんなに忙しくないはず・・・

 

なのですが、今月事務所にじっくりいる事はありません。

どこかしらに出回っている状態。腰、据えていません。

 

例えば、担当して利用者さんの同行支援が既に2回。

1回は通院同行で高速を運転して往復90キロ。昨日も行政機関から戸籍関係の書類を求められたため、やはり利用者さんを車に乗せ高速を運転してやっぱり往復90キロ。高速代や燃料費などを請求しようと思えばできるのですが・・・すみません、そんな阿漕なことはできません。

 

グループホームの体験利用をしての振り返りも結構多いです。

昨日・今日とそれぞれ体験利用をした利用者さんの振り返りで、グループホームへ訪問。今後に向け色々と話をすることに。

 

会議にも出席。これも、今後の支援について。

ちょっと複雑なケースなので、高齢分野の方も加わっての検討をすることに。自分も把握している情報を提供しながら、今後の方向性を協議することに。

 

あと、新規相談の依頼で訪問も。

今までサービス利用に否定的だった方がその気になったので、一緒に訪問してほしいとのことで訪問。で、いざ訪問すると・・・「サービスは使わない!」とのこと。イヤイヤ、別に無理して導入することはありませんので。ただ「相談はできますよ」ということだけはお話をして、今後に向けて気を配ることに。

 

もちろん、ここに書くまでのないこともあります。

連絡調整をするのは日常茶飯事。やたら電話ばかりして1日が終わることもよくある話です。でもここまで書いたことで報酬に直結することって・・・ないです。ほとんど、報酬になりません。強いて言えば、グループホームの体験利用の振り返りが「モニタリング」につながっているくらい。でも振り返り単体が報酬にはなりません。

 

自分がする仕事で報酬につながる仕事は、計画作成とモニタリング。

計画作成は障害福祉サービスを利用するためのプランを作ったときに報酬がもらえるもの。ただしいきなり計画を作るのではなく、最初に計画案を作り、その計画案が行政に認められて計画書を作ることに。

 

モニタリングは作成した計画書を元に、プランの検証を行うもの。

そのためにご本人や関係機関から話を聞き、その内容を報告書としてまとめ行政へ提出。

 

言葉で書いてしまえば簡単に見えるけど、実際は時間が結構かかっています。

特にモニタリングは聞いてもないことを書くことはできませんし、ありのままに書く必要もあります。同じ相談支援専門員の中にもモニタリングの内容を「できている」「できていない」「○」「×」の一言で済ませている人もいるみたいですが・・・でもそれって、なぜそのような結論になったのかがわからないと意味ないですよね。一言だったら、別に相談支援専門員じゃなくても誰でも書けると思うのは・・・自分だけなのかな?

 

もちろん無駄にダラダラ書くのもどうだろうと思います。

自分でも「内容、くどいかな・・・」と思うこともあるのですが、一方で聞いた内容をちゃんと書かなければ何のために書いたのかわからないですし、聞いた話を一言で済ませることはできません。お話を伺った相手に失礼ですし。そのバランスは難しいところです。

 

少なくとも自分の場合、内容には手間をかけています。

作成が終わって行政に提出した後はお話を伺った関係機関に書類も送付しています。当たり前のことなのですが、どうもうちの事業所(就労継続支援B型)には計画書やモニタリング報告書が他の相談支援事業所から届かないんですよね、どういうことなのかな・・・

 

こういった作業をしてもらえる報酬は・・・計画で約1万6000円。

モニタリングの場合は約1万3000円。これを高いとみるか、安いとみるか。ちなみに介護保険の場合はモニタリングが最低月1回が義務付けられているけど、障害福祉の場合は大体6ヶ月ないし3ヶ月に1回。毎月モニタリングというのは、なかなか行政も出しません。実際問題として計画相談対象者全員が毎月モニタリングになったら・・・いや、今の自分ではできません。時間が足りないです。

 

これ以外の業務は、報酬に反映されません。

その辺は介護保険も同じ。でもケアマネさんも必要があれば通院同行することがあるし、サポートすることもある。でも報酬に反映はほとんどされていません。障害福祉には最近「集中支援加算」というものが出来ましたが、算定条件として「利用者本人から面談を求められた場合」となっているので、現実として算定されることはほとんどありません。仮に算定できたとしても、その金額は約3000円。

 

これらの金額、時給換算したら・・・結構安いですよね。

東京都の最低賃金は1041円。でも計画作成やモニタリングにかかる時間って結構かかっていると感じています。それ以外に報酬に反映されない仕事もしているので、それを加味すると・・・うーん、やっぱり見合っているのかちょっと疑問になります。ケアマネさんはどうやって経営を成り立たせているのかなぁ・・・

 

全体を通せば1つの仕事につながっています。

でも1つ1つを検証すると、それが必ずしも評価されているのかなと思うことがあります。今は計画相談支援で話しましたが、それは就労継続支援B型も同じ。作業に対しては評価するものの、生活支援は一切評価されず。でもうちの利用者さんは生活支援を必要とする利用者さんが多いので、その部分が何となく歯痒く思います。

 

財源に限りがあることは、十分に承知しています。

でも何らかの形で評価しないと、それこそ福祉の仕事が「底辺の仕事」と言われてしまいますし、そのような間違った認識を持たせる原因になってしまうと思います。自分達の仕事は専門性の必要な仕事で、誰でもできる仕事じゃありません。逆に、誰でもできる仕事と思われないにしないといけないところもあるでしょう。だからこそ、些細なことでもちゃんと正当に評価されることが必要なんじゃないかな、と思うのです。

 

今の思わぬ忙しさに、ちょっとこんなことを思ってしまいました。

自分達の仕事は、底辺の仕事ではありません。真似のできない仕事です。頭を使う仕事です。面白い仕事だと思いますけどね。

先日グループホームの利用の話題を話しました。

あれから結果が出ました。というか、今日結論がほぼ固まりました。

 

なぜ固まったかというと・・・体験が打ち切りになったから。終了です。

実は今日、その調整をしていました。後日今回の振り返りを行いますが、ある程度は方向性が出ています。

 

正直なところ、ある程度結果は想定できていました。

実際に先日の記事の通りの考え通りでしたし、ご本人が一人暮らしに対しての気持ちの醸成が整っていないというのもありました。ただもう1日早く終わるかなぁと思っていたのですが、そこは自分のシナリオと外れた部分であります。

 

結果は想定できたとは言え、やってみないことには何も言えません。

もしかしたら自分の想像と違うことが起きる可能性も否定はできなかったので、物事をやらずして「できない」という結論づけはしたくありませんでした。なので利用者(保護者)・事業所双方が「やってみる」というのであれば反対する理由は基本的にはありません。

 

ただ結果が分かったことで、どんな支援が必要が明確になったのも事実です。

今の時点で自分が1番感じたことは「一人暮らし」の考え方。自分が見立てていた以上に一人暮らしの意味が浸透していなかったということ。浸透していなかったというより、一人で暮らすということが全く頭の中にないと言った方が正しいかもしれません。

 

別にこれは支援不足などいう話ではなく、根源的な課題。

今回はたまたまこの利用者さんがこの課題に直面したけど、決してこの利用者さんだけではない問題と感じています。一人暮らしを想像することは、自分達が考えている以上に難しい問題と痛感しました。

 

特に強く感じたのは、複合的な設定が必要なこと。

よく「一人暮らしの体験の場」を作るなんて話があるけど、あくまでそれは一人暮らしをしたいという明確な意思がある人の話。まだそこまでの意思や気持ちが整っていないと、そのスタートラインにも立てません。今回の場合、お母様はスタートラインに立たせたくご本人と話して立たせたものの、やってみたら全く違う方向に走ってしまった状態。お母様の思いとご本人の思いが一致していない状態。

 

でもこのことをお母様の責任にはできないと感じています。

今回の場合、それであってもスタートラインに立つ必要があったと感じています。それはお母様自身もスタートラインに立つ必要があったから。

 

以前の記事でも書きましたが、「やってみた」ことが1つの収穫。

お母様も今回の体験利用にかなり悩んで結論を出しました。それはお母様の英断だったと思いますし、結果はどうあれ一歩踏み出したことは事実です。その一歩の中には課題もありますが発見できたこともあります。それらの成果物を元に次につなげていけばいいのかなと思います。

 

自分は今回のことが「一人で暮らせない」という結論ではないと思います。

今回の事業所ではできなかったけど、ご本人に必要な支援を展開する事業所があれば可能だと思いますし、それを明らかにするのが今回の体験だったと思います。正直な話、ご本人に「一人暮らし」の意思や気持ちを作り上げるには相当の時間がかかるかもしれません。もしかしたら親御さんがいなくなって初めて実感するかもしれません。ひょっとしたら、親御さんがいなくなっても実感しないことも考えられます。

 

ただお母様としては「待ったなし」の状態。

自分が元気なうちに、まだ力があるうちに子どもの将来の道筋をつけてあげたいと思うのは当然の話です。特に我が子に障害があるならその思いはなおのことだと思います。それを阻む事は、誰もできません。その部分も自分が今回の体験を反対しなかった理由の1つです。

 

ご本人一人で物事を考え、行動することができれば話は簡単かもしれません。

でもそれが難しい場合、どうしても周囲の人も考えることになります。そうするとご本人と周囲の考えが相反することも出てくると思います。で、相反する状況が許容できる場合はそのまま待つという選択肢を選ぶことで時間の経過を見守ることもできるでしょう。

 

しかしそれが許容できる環境でなくなった時、どうしていくか。

相反する状況になっても現実がそう言ってられなくなってしまった場合、決断を下さなければいけないでしょう。その時のために「意思決定支援」というのがあるのですが、そのためには準備もしておく必要があるでしょう。

 

一人暮らしをするというのは、とても難しい問題。

やっぱり体験を重ねて身をもって実感することも必要なのかなぁ。でも気持ちの醸成も必要だし。一般的には短期入所の積み重ねという話もあるけど、短期入所の環境や支援によっても意味合いは全然違ってしまいます。難しい問題であることを改めて実感しています。

先日、武尊選手がパニック障害とうつ病を公表しました。

この公表に対して、色んな思いを持った人がいると思います。正直自分は、公表することが今の社会にとって普通な出来事のように感じています。一昔前は公表することが阻まれるような風潮がありましたが、以前よりその風潮は柔らかなものになったのかなと感じます。

 

とはいえ、「公表するか悩んだ」のも事実だと思います。

少しずつ社会の中で精神疾患を受け入れる空気が醸成されてきているとはいえ、偏見の目を持つ人がいるのも事実ですし、理解されない社会が存在しているのも事実です。

 

一部のヤフコメには「普通に生活してるじゃん」みたいなコメもありました。

うん、これもやっぱり偏見ですよね。障害があったらそんなことできないみたいなことを言いたいのでしょうか。

 

でも、疾患や障害を持ちながら普通に生活している人はたくさんいます。

自分もパニック障害であり、ちょっと前はうつ状態でしたが、今は普通に仕事をしていますし、大きな問題なく過ごしています。あくまで、日常の生活の話。ただそれは決して何不自由なくいるのではなく、自分の疾患・障害とうまく付き合いながらやっているだけのこと。薬がなかったら、どうなんでしょうね。

 

東京都の話。

東京都で精神保健福祉手帳(精神障害があり、日常生活を営むのに支障がある状態で、何らかの支援を求めて手帳を求めている人)の交付件数は令和元年度から令和2年度にかけての累積交付数で13万2625件。これに対して精神通院自立支援医療(精神科の通院をする際に医療費の助成を求めている人)の承認件数は令和元年度で23万4989件。

 

手帳の交付を受けている数より、自立支援医療の承認件数が多い。

この数はどう言うことなのか・・・単純に、精神医療を受けている人が多いと言うことですよね。手帳の交付は本人からの申請によって決められることで、自立支援医療についても本人からの申請によって決められるもの。この中には「手帳はいらないけど、医療の支援は受けたい」と言う人もいるし、「手帳を交付してもらうまでではないけど、医療の支援は必要」と言う人もいます。

 

つまり医療の支援を受ければ生活ができる人というのもたくさんいると言うこと。

精神障害・精神疾患になるとあたかも社会生活を送るのが難しいかのように考える人がいる見たいですが、そうではなく精神疾患を持っていても社会生活は十分に送ることができるのです。その上で障害を公表したのは、自分が障害を受け止め向き合っていく姿勢を表明したのではないかと考えています。

 

ただですね・・・精神疾患の公表は、かなり勇気のいることです。

でも同時に、障害のこと・疾患のことをしっかりと受け止めていないと公表することができないと思います。不安な気持ちや疾患を受け止められていないと公表なんてことは決してできないこと。公表することに自分の心が体えられないからです。

 

自分も自分の障害のことを話せるようになったのは、気持ちが落ち着いたから。

不安定な気持ちの中ではとてもじゃないけど話すことはできません。話すことで悪いことしか考えられませんから。公表のステップは自分自身が障害と向き合い、受容したことで進めるステップではないかと思います。

 

そう言う自分も、かつて一時期は精神保健福祉手帳を持っていました。

そのことはここでも公表していました。手帳を持とうと思ったきっかけは、普通に仕事ができなくなったから。自分でも「これ、ダメだなぁ・・・」と考え、先生と相談したら診断書が書けるとのことで申請しました。

 

手帳をもらった結果、受けた恩恵は失業給付の長期給付。

手帳がなかったら90日程度しかもらえなかった失業給付が、手帳を持っていたことで300日まで支給がもらえることに。また普通なら給付制限がつくところが「正当な理由のある自己都合退職」が認められ、すぐに失業給付をもらうことができました。さらに就職した後も就職したことに対する手当も受けることができ、本当に手帳のおかげで社会復帰することができました。

 

なので今は手帳はありませんが、自立支援医療は継続して受けています。

医療の支援はまだまだ必要なので、通院が不要になるまで受けると思います。でも、その支援があるだけで違うんですよね。障害を持っていても社会生活を営める人が世の中にたくさんいますし、極端な話、今の世の中は街中で石を投げれば精神科に通院したことがある人に当たるのも普通かもしれません。それだけ、ありふれたことだと思います。

 

精神疾患があるからできない・・・のではなく、うまくお付き合いしているのです。

それは精神疾患に限らず、普通の疾患でもうまく付き合いながら生活をしているのと同じことです。だから、特別なことではないのです。精神疾患というと仰々しく感じるのかもしれませんが、もっとフランクに普通の話になる世の中になるといいなぁと感じています。

今日は1人の利用者さんのことでほぼ終わりました。

元から予定をしていたことではありますが、忙しかったです。

 

この利用者さん、一応計画相談を担当している人。

契約こそはしているものの、自分が本格的に計画相談として入るのは来月から。今月までは別の事業所が担当。今日はその事業所が担う最後のモニタリングで、そこに引き継ぎを兼ねて同席ました。

 

ただ、既に支援は始まっています。

というか、計画相談の契約前から既にご本人からの話は連日聞いています。そこで今1番課題になっているのは、グループホームに居れないと言うこと。

 

本来「居住の場」であるはずのグループホーム。

しかし今のご本人にとってこのグループホームは安住の地ではない状態。色々と理由はあるのですが・・・一言で言えば、マッチングの問題。支援云々の問題ではなく、相性の問題。細かいことを言えば支援に納得いかない部分があるのですが、自分の立場からはそれだけの問題ではないと認識しています。

 

でもこの利用者さん、ここが初めてのグループホームではありません。

ここが3ヶ所目のグループホーム。その前はうちの法人のグループホームにおり、その前はまた別のグループホーム。で、本人の希望は「別のグループホームに移りたい」とのこと。

 

結論から言うと、その要望を聞くつもりです。

で、多分うまくいかないかもしれません。でも、それでいいんです。別にダメでもいいんです。この利用者さんの場合は「経験」をしないことには始まらないからです。

 

生育歴もちょっと特別なこの利用者さん。

元々は一人暮らしをすることも念頭にあったのですが、色々とありグループホームを利用することに。その間自立生活にも挑戦するものの、うまくいかず。まぁそれがうまくいかなかったから今に至っているのですが。

 

ただその「うまくいかなかった」ことの経験が、今のご本人を作り上げています。

うちの法人のグループホームに入居する際、自分も入居判定でご本人に会いましたが、その時は「他所行き」の姿。実際に入居してみると非常に脆弱な姿が露わに。うまくいかなかった経験、たくさん経験しています。グループホームの中でもかなり支援に手をかけた利用者さんでした。

 

裏を返せば、当時は相当の支援が必要な利用者さん。

かなり手厚い支援をしていました。自分たちから見ても「そこまでするの?」と言うような支援もありましたが・・・それはうちの法人の特色でもあり支援理念でもあるので、ずっと見守りました。その中でご本人も「自分一人じゃ無理」と言う結論に。

 

その結論を持って今のグループホームに移ったわけですが・・・

まぁ、うまくいきませんでしたね。でも、しょうがない。うちの法人の手厚い支援を知ってしまったら、そんな思いにもなってしまうのかもしれません。

 

とはいえ、これもまた1つの経験。

自分にとってどんなグループホームがいいのかを知るきっかけになったことも事実ですし、改めてご自身がどんな支援を求めるのかを考えることにも繋がりましたので、一応の収穫があったといえば、あった形になります。

 

さぁ、ここからが自分の出番。既にマウンドには上がっていますが・・・

ご本人には「今日のモニタリングが終わったら(他のグループホームに)連絡するね」と話していましたが、実は既に連絡済み。今日の会議の終わりをもって、改めてご本人が希望するグループホームに連絡することに。ただすぐに入居できるわけではなく、入居できない可能性の方が高いです。理由は、既に希望されている人がいるから。

 

なので、グループホームを移ると言っても、何時になるかは不明。

ご本人はすぐにも物事が動くような気持ちでいそうなのですが、現実はそう言うわけではないので、その辺は改めてご本人にも話をしました。言葉では理解しているものの、実際頭の中ではどこまで納得できているかは不明。頭でわかっていても、気持ちがついていかないタイプなので、どこまで気持ちが持つかは自分もわかりません。

 

正直この利用者さん、何度転んだことでしょう。多分数え切れません。

でも、それでいいんです。転んだら立ち上がればいいんです。転んでもそばには支援者がいますから、支援者に頼ればいいんです。頼って、立ち上がって、また前に進めばいいんです。支援してもらいながら、最終的に自分の足でしっかりと歩けるようになればいいんです。支援者への頼り方も、この中で学べばいいんです。その経験が自分を作りますから。

 

さぁ、明日も忙しいぞ、きっと。