ここで仕事での出来事を色々と書いている自分。
それなりに上手くいったパターンや良かったことを書くことが多いですが、上手くいかないこともたくさんあります。
上手くいかない理由・・・様々です。
本人が理由であったり、取り巻きの家族が理由であったり・・・時に「困難ケース」と呼ばれるパターンもありますが、それも様々です。その中で「支援に乗れない」というケースも一定数あります。
支援はしたい。でもご本人が支援を受けない。
受けないというか、都合の良い部分は受けつつ、自分にとって不本意だったり思い通りにならないことに関しては受け入れない。結果、既存の枠組みだけでは対応できなかったり、対応に限界があるケース。自分の力ではどうしようもないパターンです。
例えばあるケースでは、自分で決めたグループホームが気に入らないという人。
色々と話を聞いていても「まぁ、確かに大変だよなぁ・・・」と思いながらも最終的に入居を決めたのは自分自身。それでありながら「もう、ここには居たくない!」と言い出す状態。で、また自分で他のグループホームを見つけて「ここに行きたい!」となり、体験利用をして「ここがいい!」となり、転宅。しばらくは嫌なグループホームから出たことで安心するも、結局このホームも嫌になる始末。そして「このホームから出たい!」と言い出す状態。こちらはどうすれば良いのか、って感じですよね。
一方で緊急的に対応するケースも。
当初は市から「何とかならないか」と相談を受け、うちの法人で支援を実施。好ましくないけど、計画相談も、B型も、グループホームもうちの法人の事業所で対応。というか、他の事業所が合わなかった結果、うちの法人が運営するものが一番良かった形に。とはいえ、そもそものサービス利用も決してご本人の動機があったわけではなく、全て周囲の支援で決まったもの。最終的な決断はしてもらったものの、ご本人的には「どっちでもいいよ」程度の感じ。嫌なものは嫌というが、そうじゃなければ「別に」の感じで、グループホームの利用も何か目標や目的があって利用しているわけではありませんでした。あくまで「緊急的」な対応。
当然ながら退居期限が目前になっても、ご本人に緊迫感なし。
挙げ句の果てには「ほっといて」で、周囲からの支援をご本人から切り離す状態。当然ながらこうなっても、支援ができません。一方で親族としては心配するのは当然の話。本人支援は終わっても、親族支援は必要な形。でもその親族もご本人がこの先どのようになってもそれを受け入れる覚悟された様子でした。
計画相談で作成するサービス等利用計画。作成するにあたっての前提は、本人主体です。
こちらもご本人の意向を尊重して計画の作成や様々な調整を行なっていきますが、一方で何でもかんでも話が聞けるかというと、それはまた違うような気がします。本人主体は尊重するけど、わがままは許容して良いのか。またどこまでを「本人主体」とみなし、どこからを「わがまま」と線引きをするのか・・・難しい問題です。でもこの2事例はどちらかというと「わがまま」になるかも知れません。
となった時、支援者はどこまでご本人の思いに付き合っていくか。
もちろん「できること」と「できないこと」はあるので、そこはご本人に理解していただく必要はあります。一方で厚労省が出している「本人意思決定支援ガイドライン」ではこんなことも書かれています。
職員等の価値観においては不合理と思われる決定でも、他者への権利を侵害しないのであれば、その選択を尊重するよう努める姿勢が求められる。
また、本人が意思決定した結果、本人に不利益が及ぶことが考えられる場合は、意思決定した結果については最大限尊重しつつも、それに対して生ずるリスクについて、どのようなことが予測できるか考え、対応について検討しておくことが必要である。(中略)
リスク管理のためには、事業所全体で取り組む体制を構築することが重要である。また、リスク管理を強調するあまり、本人の意思決定に対して制約的になり過ぎないよう注意することが必要である。
(厚生労働省 障害福祉サービス等の提供に係る意思決定支援ガイドライン)
理屈はわかりますが、それを実践するのは正直難しいと思うこともあります。
「リスクに対して対応を検討しておく」とありますが、関係者はどこまでのリスクに対応しなければいけないのでしょうか。支援を受け入れず糸の切れた凧のようになっても、それはどこまで対応するのでしょうか。ましてやそれを親族が受け入れなさいなんて、正直言えません。散々ご本人のことで苦労して、また同じ苦労を味わうことは絶対に避けていくべきと考えており、親族に対するリスク対応は考えています。でも自由勝手な本人のリスク対応をどこまで求められるのでしょうか。
関係者で対応できるリスクであれば、それは考えるべきだと思います。
しかし関係者の手が及ばないところまでリスクは考えるのでしょうか。きっと厚労省もこんなケースは想定していないと思います。多分厚労省の想定は重度障害者で自分の意思表明が難しい人に対してのものだと思います。ただ軽度障害者やいわゆる「ボーダー」(障害になるかならないかの境界線上)の場合はあまり考えていないのかなと感じることもあります。
もちろん自分たちは可能な限りのことを考えますし、やれることはやります。
でもどんなに頑張っても本人が「No」といえばそれまでですし、ましてや支援の手を解かれたら支援はできません。決して自分たちから握った手を話すことはしませんが、相手が無理しても解く手はいつまで握れるのか。明確に「離してほしい」と言っているのに「離しません」というのも、ある意味本人意思に反することになるのかなと感じてしまいます。
支援はいつもうまくいくわけではありません。
修正で何とかなることもありますが、修正しても難しいこともあります。どんなに頑張ってもできないこともあります。そして支援に乗れない人の支援は、とても難しいです。何をすれば良かったのか・・・考えてもわからないこともあります。そんな悩みを持ちながらも、目の前の仕事を1つ1つこなしています。