ここ最近、時間をかけることの多いケースがあります。
自分でもある程度は想像していましたが、今自分が持っているケースの中で指折りのケースです。
支援が始まったのは9月から。別の相談支援事業所からの依頼でした。
相談のあった相談支援事業所が本来サービス提供外地域の方を担当していたため、本来の支援居住地で支援をしてもらえないかというのがきっかけでした。こちらとしても自分のサービス提供地域であれば基本的に断る理由はないので、6月に初回面接をし契約を行いました。
ただ・・・その方は相談の求めが他の契約者に比べて多い方。
就労支援事業所に通所していますが、そこでも頻回の面談要求で職員の方も疲弊しているとのこと。まぁそこに至るにはここでは話しきれないほどの経過があったので、話を聞けば「それは・・・疲弊しますね」と感じるものでした。
そんな状況もあったので、自分が支援に入った時の評価や目標として、
・「丁寧な対応」と「頻回な面談・相談」は違う。
・決めたことはやっていきましょう。
といったことを目標に組み込んで支援を行ってきました。
ただ・・・元々不安を持ちやすい方ので、些細なことがあると不安になってしまいます。もちろんそこには障害特性やご本人の性格もあると思いますが、事業所の職員としては同じことの繰り返しにも疲弊している状態でした。
で、先日自分の支援で初めてのモニタリングを実施してきました。
そこで出てくるのは、他の利用者と比較しての対応の不満。その辺についてはこちらからも何度となく丁寧に話をしているのですが、どうも納得できないのか理解できないのか、同じことの繰り返しになってしまいます。
もちろん、できていることもあります。
自分が支援に入った時に「自分のことは自分で決めましょう」ということを目標に加え、そのために関係者から助言をもらうのは構わないから最終的には自分で決める、ということを確認し、事実それはちゃんと行うことができていました。その点は評価できる部分でありました。
ただ・・・決めたことを覆したい部分はある様子で。
その辺は就労支援事業所でも個別支援計画で盛り込まれていることなのですが、どうしてもそこから外れたい様子があります。そこで出てくるのは「他の人は良いのに、どうして私はダメなの?」ということ。この辺について事業所の職員さんはかなり丁寧に話していますし、過去の経緯も触れて話しています。過去の経緯に触れられる「はい、確かに・・・」となるのですが、どこか納得はできていない部分も感じます。
一応ご本人としては「家から出て自立したい」とは言っているのですが・・・
ここ最近この方の支援を色々と考える中で、何が必要なのかなと思う部分があります。そんな中自分が思ったこと・・・今必要なのは「自立」ではなく「自律」ではないか。
自律・・・いかに自分のことを律することができるか。
先に書いた「決めたことを覆したい」というのは、まさに「自律」ができていない部分でもあります。今まで支援をしてきた中でご本人の言動などを振り返った時、自分の中で「自律」というキーワードが出てきました。
よく支援をする中で「自立」と「自律」を使うことがあります。
障害を持つ方の支援で一般的に思い描きやすいのは「自立」で、よく「自立生活」を目指して・・・なんて言われることもあります。一般的にはこちらの「自立」の方がイメージもしやすく、考えやすいのではないかと思います。
でも支援過程の中で、ふとこっちの「自律」はできているのか、と思うこともあります。
今回のケースはそれが自分の中に湧き上がったもので、どこかでこのことは触れていく必要のあることかなと感じています。
個人的には、「自立」は後からでもなんとかなるものかな、と思います。
自立を目指してグループホームを使ってみる、一人暮らしをしてみる・・・など、アプローチの仕方は色々とあると思います。しかしどんなに頑張っても難しいこともありますし、そもそも第三者の支援が必要なこともあります。身体障害の場合、障害故に誰かの力を借りてご飯を食べさせてもらったり、トイレのサポートをしてもらうことはあると思います。でもそれができないから「自立できない」ということではなく、できない部分を他の方法で代替する(ヘルパーを使って支援を受ける)ことができれば、それはそれで問題のないことだと思います。
一方で「自律」・・・「自らを律する」ことで、「自立」とは違ってきます。
あまりこういう括り方をしたくはないのですが・・・強いて括るとすれば「自立」は肉体的なこと、「自律」は精神的なこと、と考えるとイメージはしやすいのかもしれません。(ただこの括り方も必ずしも適切かと言われると、少し疑問に思う部分はありますが・・あえてイメージしやすくするのであれば、こういう括り方なのかもしれません。)
先の「決めたことを覆す」も、自律とは違っているようにも感じます。
少なくとも共に決めた目標でありながら、それを覆してしまう行為は自律性の低さとも言えるかもしれません。もちろんその事象だけでなく、なぜそのようなことが起きるのかを見た上で判断するのですが、現状では自律性の低さと見ている部分があります。
となった時、今この人に対する支援は「自立」ではなく「自律」ではないか。
もちろん同時並行に支援をすることは普通にありますが、時には分けて考える時も必要です。さらに「自立」は後から追いかけて考えることもできるかもしれませんが、「自律」は日々の暮らしの中から育んでいくことが必要であり、いくら「自立した生活」を求めても「自律」ができていなければ「自立」は弱いものになってしまいます。逆に自律性・自律心が高ければ「自立」は徐々に高めることもできるのではないかと思います。
今度面談するときに、この言葉がどこまで響いてくれるか。
それは自分の伝え方にもあるでしょうね。