リトル・プーリームのプラスティック・スリル・ブログ -16ページ目

リトル・プーリームのプラスティック・スリル・ブログ

テレビの低級化に抗し、マジで音楽を憂い、予言蔓延する世に悩み、
焦り多き家庭に困り、後悔伴う仕事に苦しみ、レーザー的に精密な
日本語の駆使に迷う中年男の見込み違いとニガリきった日々のアレコレ。

BSを見がちだ。地デジ、民放がヒドすぎるせいだ。

てなわけで、NHKの『BS歴史館: 大名家の生き残り策(2)「長州藩・毛利家 大リストラからの復活劇」』を鑑賞。



妖しいオレンジの照明を浴び緑色のドレスをまとった美熟女・渡辺真理を司会に、マンネリ・ゲストの童門冬二&磯田道史、そこに意外な江川達也が参入し、全体にイマイチ深みが無いものの、和気藹々としたトークは、江川のざっくばらんな態度のおかげだろう、(榊原英資をゲストとした回では無口だった)磯田も、今回は、生き生きと気楽にしゃべっていた。


関が原の戦い、というテーマも、語りつくされた観がある。どうやったって家康が勝つんだからもういいよ、と思う。


敗軍の将・毛利輝元は、大リストラを経験したものの、その後、合議制と下級武士らの登用が、藩の活性化につながったようだ。いつでも、俺たちの意見が通る可能性があるという雰囲気が、長州の強みだったのだろう。


凄腕の藩主というのが現れなかった点は、島津家との違いだが、それはそれで良かった。

また、貿易で儲けた薩摩藩と異なり、長州は検地を繰り返し、税収増にひたすら取り組んだというのが、いじましい(そこで徹底的な文書による管理が奏功した)。

とにかく内向きの、検地ばかりやっている几帳面さ、チマチマした感じが印象的だった。

しかし、それが長州の爆発力を養ったのだから、歴史は分からないないものだ。

長州人なら誰でも知っているらしい「そうせい侯」毛利敬親(たかちか)の話に、相当時間が割かれ、磯田いわく「幕末の七不思議」のひとつという「そうせい侯」の本質に思いをめぐらせる。

謎といえば謎だが……

やはり、優秀な人材の登用と合議制の併用に、すぐれた組織の秘密がありそうだ。


***


このところ相次ぐ有名ロック・バンドのニュー・アルバムを聴き比べる。
(といってもオレは、元ヒップ・ホップ・マニアなのであるが…)


① Vampire Weekend(ヴァンパイア・ウィークエンド)の"Modern Vampires in the City"が歴史に残る傑作だという評判を目にしたので、じっくり聴いた。

(残念ながら、ほかのアルバムは聴いたことが無いが……奇妙なバンド名は、リーダーのエズラ・クーニグ(Ezra Koenig)が大学生時代に制作していた短編映画「吸血鬼の週末」に由来するらしい)
非常に緻密な音作りで、軽快さとともに、一筋縄ではいかない難しさが潜んでいる。
リーダーの東欧系ユダヤ人であるという側面が、音に反映されているのか?

もう一人の重要人物ロスタム・バトマングリ(Rostam Batmanglij)のイラン系の出自も無関係ではないだろう。
ヨーデル的な歌唱法がときどき挟まれるのも面白い。
明るい爽やかさがあるアルバム、だが、薄暗いモコモコした曇り、というか、翳りも感じられる。
なるほどFun.のような「出来の良さ」もあるが、VWの歌詞はもっと文学的なのかもしれないな。

つまり、Fun.が「美大生」的な表面的な格好良さに秀でているバンドなのに対して、VWはユダヤ人ならではの知性が突出したバンドということだ。


② Deerhunter(ディアハンター)の"Monomania"も、どうやら傑作だという。
これは聴きやすいレトロ感覚のあるギターノイズ系のロック。
(残念ながら、ディアハンターの他のアルバムは聴いたことが無い……)
今回の作品は、リーダー(ブラッドフォード・コックス)らの言によると、偉大な黒人音楽のボー・ディドリーや、電子音楽のピエール・シェフェール、スティーヴ・ライヒに影響された音作りだとのこと。
リズム&ブルース、黒人性に対する憧れが、じっくり聴けば、たしかに、感じられる気がする。
ギターメインのずっしり重厚テンポで着実に展開する若干サイケなロック・サウンドだが、後半はユーモラスな味わいがジワジワ増えてくる構成だ。
ヒップホップ好きのオレには、少々遅めの心地よいテンポで聴きやすかった。


③ The Strokes(ストロークス)の"Comedown Machine"は、Youtubeで聴いてみた。

話題のバンドの素敵なジャケット。
だが、最初タワーレコードで試聴した瞬間、なんだこりゃ?サカナクションのアルバムか?と、焦るようなキモチワルさ、しげしげ再生装置を確認したほどだ。
ファルセット歌唱法が乱用され、どうもチグハグでバラバラな構成の、ダサい印象を与えるアルバムである。
U2が、かつてエレクトロ路線に方向転換した(ダメな)時期があり、なんとなく、それを思い起こさせる失敗作だろう。
レディオヘッドを意識した部分もあるのだろうか?アルバム・タイトルはどことなく「OKコンピューター」を思わせるし、カルマ(karma)という語を含む曲名もあるが、チープ感満載のシンセがピコピコと幅を利かせ、ギターがおとなしく、サカナクション風の弱弱しいボーカル・アルバムなのである。

要するに、悪い意味でのレトロ。
1作目と2作目のアルバムは心地よく聴いた記憶があるが、今回、ボーカル(ジュリアン・カサブランカス)の声からは、色気とやる気が消えうせていた。
ちなみに、ストロークスは、さっそく6月から再びレコーディングだという。

心を入れ替えて、仕事のやり直しか?


ほかにも、要チェックのアルバムがあるが、つづきは、また……



バナナ不足、バナナの価格高騰。

にもかかわらず、オレのバナナ好きは、オレの手をついついバナナへと伸びさせる。

貴婦人にその点をそしられ、オレは身を縮める。

そんなにバナナばかり買ってどーするつもりなの!


だが、バナナ蓄積術をオレはマスターしているのだ。

しかし、話は甘くない。

オレ流バナナ蓄積法に要する冷蔵庫スペースの問題が、

さらなるトラブルのタネになりうるのである。


かとおもいきや、髪型の悩みもあるのだ。

横に膨らみやすいオレの頭髪、毛髪、剛毛、長髪。

これがまた彼女に見咎められる。

避けようもなく、オレは身を縮め、頭頂部に毛髪を盛り上げる。


買い物に随行する義務は当然あるとして、

断じて貴婦人を、せかしてはならない。

ドレスの吟味にゆっくりと時間をとらせる心構えが必要だ。

そうだ、貴婦人の飲み物を切らしてはならない。

ときどき退屈をかこつ彼女のなだめにも、心を砕かなけらばならない。

あまり、オレ自身がのんびりしていてはいけない。

配慮が行き届かないと、ただちに責められるであろう。


そしてオレがブログを書くとなれば、貴婦人の退屈度は増し、限界点に達し、

彼女の猛る炎のそばで、オレは小さくなり、

それでも文章を綴ることになるのだった。


けれども、そこには、いわば谷崎潤一郎的な、従属する悦びというものがあり、
反対に、そんなオレをとがめだてる愉しみというものもあるのだろう、

と、想像をめぐらせるのもまた、

小さな悦びなのだ。



世界的に、今、ニュースが無いのだろう。

久しぶりに見た報道ステーション。


TPPによる訴訟リスクの有無について、元官僚の古賀茂明に延々と語らせる退屈な構成。その歯切れの悪い官僚的なひとり語りの長いこと、長いこと……


ダメな番組である。


***


教養番組を、ついつい見てしまう。


NHKの『歴史秘話ヒストリア:戦国武将・石田三成 “悪役”伝説の真実』を鑑賞する。


関が原で斬首され、家康から悪人のイメージを押し付けられたため、現存する資料・史跡が乏しいらしい石田三成のエピソードは、これといって面白いものがなかった。


伝説として有名な、豊臣秀吉への3杯の茶の提供の話も、おなじみの内容で、意外性がなかった。


オレとしては、三成が、はたして秀吉から可愛がられていたのか、嫌われていたのか、その点が気にかかる。
というのも、出身地である軍事上の要所・近江の所領から、九州北部の大きな所領への栄転(?)を固辞し、政権の中心に近い場所にとどまろうとした経緯は、どうなんだろうか。
また、関東征伐の際に、秀吉から、関東平野の真ん中にある城を「水責め」せよ、と命じられたのも、無理難題、という印象があった。

が、番組は、秀吉との関係についてほとんど触れなかったのである。


今回の番組内部で用いられた出典は、幕末の『名将言行録』や江戸中期の『常山紀談』に、『太閤記』、2通ほどの書簡があったが、全体に断片的で、イマイチふくらみがなく、信憑性も……


そして、どういうわけだか、太閤検地や惣無事令、喧嘩停止令などの秀吉の重要施策が、すべて三成の立案実行であるかのような描写で、これには奇異な印象を受けた。

つまり、秀吉はバカ殿で、石田三成がブレーンだったということか?そのへんの説明がまったく無いので、不満が残った。


どういう意図があるのか、朝鮮出兵についても触れられなかった。


NHKならではの締めくくりとして、津軽に生き延びた石田の子孫の紹介があったのは、息抜きになる。杉山と改名し、「成」の文字を代々名前に受け継いできたという末裔。オレとしては、とくに感想はないが、先祖が有名すぎるのも困ったものだろう。


***


ついでに、2013年5月24日(金)、Eテレで放送された、NHKの『ソウル白熱教室 第3回 名前をなくした女性たちへ』を鑑賞する。


韓国の女性は大学進学率が70%ほどと、たいへん結構なことだ。

しかし、ドメスティック・バイオレンスの件数が非常に多いという統計(ソウルだけで日本と同数)には、困ってしまう。
もちろん被害者は女性たちだが、そういう悩める女性たちへ向けて、人気教授キム・ナンドの穏やかな慰めが抽象的に流されつづける番組。


先週の予告で、「韓国の女性は1日に2度働きに出なければならない、昼は職場へ、夜は家庭へ」というインパクトのあるキャッチフレーズ(?)が、ココロに響いたので、なんとなく期待を持って眺めたが、結局、「日々、自分を成長させましょう」という話だった。


そして「世の中を良くしよう、という気持ちが大事だ」というキム教授だったが、どうも具体性がなく、不安な女性たちへの曖昧な応援に終始していた。


「大人とは何か?」というテーマで、34か35歳で教授になったという自慢話(?)がこぼれ出たのも、ちょっと問題かもしれない。なんとなく信頼しきれない。思わぬ名声から自慢話に流れがちな人間というのは多い。斎藤孝や茂木健一郎などに感じるうさんくささに近いものが全く無いとはいえない。


最後のほうで、親兄弟から見捨てられた不幸な少年との文通の話をもちだした教授は、高い地位にある知人の人脈を存分に駆使して(ここにも少し自慢の匂いがある)、少年に行政的な援助が及ぶよう取り計らったという。
その後、ニーチェの「アモール・ファティ(Amor fati)=運命愛」という言葉を、少年への励ましとして送ったそうだ。

が、すぐに「悲惨な少年に対して残酷な言葉だったかもしれない」と反省したというが、少年は熟慮の後「自分にしか自分の運命を愛してやれないのだ」と解釈し、教授に感謝したという。


そこで、オレは、ニーチェの「運命愛」と「永劫回帰」について調べてみたくなった。


ネットを手がかりに確認した基本情報:
『悦ばしき知識』(第276章)、『この人を見よ』(「なぜ私はこんなに賢いのか」の第10章)に「アモール・ファティ(運命愛)」という語があり、また、これと直結する「永劫回帰」の思想は、『悦ばしき知識』(第341章)や『ツァラトゥストラ』(第3部の「回復しつつある者」の章)にある。


簡単に言うと、自分の人生にうんざりして絶望したり、「こうじゃなければいいのに」と考えて投げ出そうとするのではなく、何度でもまったく同じ人生を受け止められる強さ、すべての瞬間をいとおしむ肯定的姿勢・自己肯定の人生観が「運命愛」であり「永劫回帰思想」である。


たしかに、何かにつけ「まったく、どうしてこうなんだろう」「こうじゃなけりゃイイのに」と思いがちだが、そう思っても仕方がない。

毎日、アレコレ悔やんだり、恨めしく過ごしてばかりいても、しょうがない。

「運命愛」というのは大事だとおもう。


しかし、世の中を良くしようとするには運命愛だけでは足りないだろう。またニーチェは欲望を全面肯定する(問題は複雑だ)。そのあたりを具体的に、キム教授に語って欲しいところだった。


ただし、教授は消費社会の専門家である。


それなのに、心の持ちようが大事だという話や、哲学に流れがちな番組なのかもしれない。そこが、どうも感心しない。