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構造塾のブログ

木造住宅の耐震に関する情報発信
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構造計算が難しい、こう思う建築士や建築業者は多いと思います。

しかし、

構造計算(許容応力度計算)は、

詳しく見てみると計算の中身は四則演算(足し算、引き算、掛け算、割り算)なのです。

 

ということは構造計算というのは算数レベルなのです。

算数レベルの計算が難しい事はありません。

ではどうして構造計算は難しいと言われているのか?

これは風評被害なのです。

 

会社の上司、業界関係者に構造計算について聞いてみてください。

皆さん口を揃えて「構造計算は難しい」と言うはずです。

その背景には、

学生時代に構造力学で挫折したのかもしれません。

建築士の学科試験で構造が難しかったのかもしれません。

周囲に構造に詳しい人がいなければ構造計算に触れることはありません。

それが「構造計算は難しい」という言葉になっているのかもしれません。

 

しかし、

上司や業界関係者の言う「構造計算は難しい」の主語は言っている自分自身なのです。

「僕にとって構造計算は難しい」であり、聞いているあなたの難しさではありません。

 

このように、

自分自身の苦手意識を代々伝え続けることで「構造計算は難しい」という風評被害が蔓延しているのです。

 

風評被害を生む原因は、構造設計者にも問題があると思います。

現役の構造設計者が構造計算技術の伝授を上手くできないのです。

例えば、構造計算をどう覚えたら良いのかと質問されると、

構造の本を読め、手計算できるようになれ、それから構造計算ソフトを使えと、

構造計算を効率良く覚えることの真逆の回答をします。

この回答が、正解と思い込んでいるので困ったものなのです。

 

この構造計算の覚え方は、図面を作成する業務に置き換えるとおかしさがわかります。

 

新入社員に図面作成業務を教える際、

まずは建物の納まりを覚えろ、そして手で図面を描け、それからCADを使えという流れです。

いつになっても戦力にはなりません。

 

図面作成業務は、まず道具であるCADを使い「操作」を覚える、

まずは丸写しのトレースレベル。

トレースしているうちに各部の納まりが理解できないと正確な図面が描けないことに気が付き、課題(疑問)が生まれ、納まりなどを勉強しだします。

 

課題(疑問)があることで、学ぶべき事柄が明確になり頭にも入ってきます。

そして正確な図面がCAD出かけるようになります。

最後に、手描きができるようになると良いよねのレベルなのです。

 

構造計算を覚えるプロセスも図面作成と一緒です。

まずは、構造計算ソフトを道具として使い操作を覚えます。

操作しているうちに課題(疑問)が多数出てきます。

課題(疑問)があることでようやく構造の本を読む目的が明確になり、

課題解決により構造の理屈が理解できて来ます。

そして構造計算ができるようになるのです。

最後に、手計算でできると何かと便利だよねのレベルになるのです。

 

このように、

構造計算を取り巻く環境は、難しい、覚えられないという風評被害だらけなのです。

風評被害に負けず構造計算にチャレンジしてください!

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テーゼは、正、アンチテーゼは、正と逆の考え、そしてジンテーゼは、両方の考えを融合することです。

 

この考えを先日、東京大学の前先生から聞きました。

 

最近のSNSを見ていても、最後のジンテーゼには至らないですね・・・。

SNSの場合は、テーゼ(正)とアンチテーゼ(正と逆の考え)は、

永遠に罵倒し合います。ジンテーゼは難しい・・・。

 

では、

ジンテーゼはどのような考えなのか?

ネットで調べてみました。

 

ジンテーゼとは、テーゼとアンチテーゼを統合し、新しい視点や考え方を生み出す手法とあります。

統合とは、対立する2つの意見を取り入れ、双方の良い点を活かす新しいアプローチや解決策を考えることです。

 

そこで考えました。

テーゼとアンチテーゼは、逆から見てもテーゼとアンチテーゼです。

具体的には、テーゼAにとってみたらBの主張はアンチテーゼ、Bから見たら真逆ということ。

 

当たり前の話ですが、

ここを統合するのはかなり厄介な話です。

 

どこか、お互いがリスペクトしている必要があるのかもしれません。

そのリスペクトがない、顔が見えないSNSでは、

ジンテーゼに至らないのかもしれません。

 

もうひとつ言えることは、

テーゼ、アンチテーゼとも程々のレベルで主張するからこそジンテーゼに至るのかもしれません。

そこに、

知識レベルの差がありすぎるとジンテーゼには至らないと思います。

 

木造住宅の場合を考えてみました。

例えば、耐震性能に関してテーゼは耐震等級3が必要、アンチテーゼは耐震等級1で十分とします。

ここには大きな知識レベルの差が存在します。

例えばこのジンテーゼとして間を取って耐震等級2にしよう!これはありません。

もっとわかりやすく車に例えると、

エアバッグがこれだけ必要と主張する人と、車の運転が上手ければ事故を起こさないからエアバッグは不要。

この両脚極端なテーゼとアンチテーゼにジンテーゼを当てはめると、

運転が上手い人も一定数存在するから、エアバッグの取り付け運転者の選択性にしよう!

こんなことになるかもしれません。

これも危険なことです。

 

運転が上手いから事故を起こさない、

これは今までの経験であり、今後も事故を起こさないとは言い切れません。

だから、

ジンテーゼに至るには、お互いの主張が程々のレベルじゃないと難しいだと思います。

 

建築の話しに戻りますが、

耐震等級3が必要と思うテーゼと、そこまでいらない耐震等級1で十分というアンチテーゼ、

この主張には大きな知識レベルの差があるため、

ジンテーゼは難しいと感じました。

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日本人は世界の中でも思いやりのある国民と言われています。

多分、多くの日本人もそう認識していると思います。

でも、本当にそうなのでしょうか?

 

例えば、優先席。

電車やバスなのに優先席があります。

思いやりのある国民ならば、優先席などなくても席を譲るはず。

 

しかし、

見方によっては優先性がないと譲らないのかもしれません。

 

そこで、思ったことは、

思いやりのバランスが悪いのではないか?ということです。

 

本来、思いやりは誰にでも平等であってほしいところですが、

日本人は思いやりのバランスが変動(偏り)しやすいように見えます。

 

例えば、

住宅業界で見える思いやりの偏りは法改正で現れます。

地球環境を考え、木造住宅の断熱化を進めよう。

住む人の健康、無駄なエネルギーロスを考え、木造住宅の断熱化を進めよう。

冷静に考えると反対する余地はありません。

他の国を見ると断熱化による住宅の断熱化は当たり前のものとして基準があります。

 

しかし、

先進国である日本には、人が住む木造住宅に対する断熱の基準が法律で定められていません。

ようやく2025年4月に最低基準の断熱性能が義務化されるレベルなのです。

 

ではなぜ、こんな状況なのか?

ここには思いやりの偏りが影響していると思います。

 

客観的に、地球環境を考え温暖化防止などの観点から、

無駄なエネルギーを消費しないように木造住宅の断熱化を行うことは、

未来の世代にとっても重要なことです。

 

また、

現在の人にとっても、木造住宅の断熱化により、住宅内の温度差が減り、

エネルギーロスもなくなる。

良い事だらけです。

 

断熱化による工事費アップがあるのでは?

そう、工事費はアップしますが、その分、日々の光熱費が下がり、

結果的に断熱化により快適かつ安価になります。

 

そこで、

木造住宅の断熱化に関する法改正が進むと出てくるのが反対派です。

反対派の意見を聞くことも大切なことですが、

断熱化に関する反対派の多くは、断熱化に対応できないという後ろ向きの反対をしてきます。

いわゆるアップデート出来ないことを堂々と主張してくるのです。

 

これはも、

地球環境も、未来の世代も、今住む人も完全に無視した、

他者への思いやりゼロの考えです。

 

それに加え、

この思いやりゼロの反対派が目の前で「法改正は困る」と泣きつくと、

目の前の反対派に思いやりが100%発動し、法改正をやめてしまう。

こんなことが何度も起きています。

 

かなり憶測かもしれませんが、まんざらありえない話ではないと思っています。

 

この、思いやりの偏り、これが日本を発展させない要因なのではと、日々考えています。