茶聖陸羽生誕の地 湖北省天門で考えたこと  その⑤最終章 | 俳茶居

俳茶居

       煌々と唐十郎の夏帽子 (呑亀〉

茶聖陸羽生誕の地 湖北省天門で考えたこと  その⑤最終章

六羨歌が刻まれている古雁橋(2016年5月)

陸羽の恩師と故郷を繋ぐ六羨歌

天門市の西湖湖畔にある古雁橋。その左側面中央に、陸羽がこの街への想いを込めた詩『六羨歌(全唐詩 巻三〇八)』が刻まれている。古雁橋の側に捨てられていた陸羽を養育した、龍蓋寺の智積禅師が亡くなった知らせを聞き、七九〇年に書いた詩とされている。陸羽が育ての親である恩師と天門の町への気持ちを残した言葉は、この詩に託されている。それはこの旅で私が探していた、陸羽と現代の私達を繋ぐ意味ある言葉と思えた。陸羽が拾われた場所古雁橋、その当時の建造物は今は無い。古雁橋は清代に再建され、場所も時代により変わっている。現在の古雁橋は一九八二年に再建され、欄干の内側に「六羨歌」の碑文が加えられたとの事である。

 六羨歌

不羨黄金塁 不羨白玉杯 

不羨朝入省 不羨暮入台

千羨万羨西江水 曽向竟陵城下来

黄金の酒器をもらうのはうらやましくはない

白玉で作った酒盃をもらうことはうらやましくはない

朝役所に行くことはうらやましくはない

暮にお役所に入ることはうらやましくはない

ただ想いを馳せているのは、竟陵城に流れている西江水のことである

<成田重人著『茶聖陸羽』淡交社より>

『四悲詩』と『六羨歌』にある「西江(水)」は筆者にとり疑問の川であった。揚子江の事とか、陸羽と同時代の禅僧馬祖禅師の有名な禅問答「一口吸盡西江水」との関係を長く想像していた。諸岡存『茶経評釈外篇56頁』に、「天門縣の西南方には、昔西江水といつた今は縣河といふ河が流れてゐる。」と書かれていることに最近気づき、長年の謎が解けていく思いであった。

この場を借り、「天門への旅」へお誘い頂いた岩間眞知子先生、同行の諸岡存の孫にあたるK様他ツアーの皆様、天門での中国側各位に感謝の意を伝えたい。又、拙文を現代喫茶人の会会報「喫茶人(NO.69)」に出筆依頼を頂いた川谷眞佐枝先生に謝意を伝えることとする。 (完)

  日本中国茶普及協会 理事  佐藤正夫

青年陸羽が勉学に没頭した火門山