天門西湖湖畔の茶経のモニュメント
茶聖陸羽生誕の地 湖北省天門で考えたこと その④
難民の悲しみを伝える四悲詩
〈詩人陸羽が詠んだ『四悲詩』から、犠牲者3000万人説もある中国史上最大の内乱「安史の乱(755~763年)」の悲惨さが伝わってくる。内乱は陸羽の人生も大きく変えて行く。玄宗皇帝は756年長安の都を棄て蜀(四川)に逃れた。追うように大量の難民が後に続いた。陸羽も難民に紛れ竟陵(天門)に別れを告げたのである。〉
四悲詩
欲悲天失綱 胡塵蔽上調蒼
欲悲地失常 烽煙縦狼虎
欲悲民失所 被駆若犬羊
悲盈五湖山失色 夢魂和涙西江繞
悲しまんと欲す 天綱を失い 胡塵調蒼蔽上するを
悲しまんと欲す 地常を失い 狼煙虎狼を縦つを
悲しまんと欲す 民所を失い 駆らるること犬羊の若くなるを
悲しみは五湖に盈ち山は色を失い 夢魂涙と和して西江に繞る
〈『陸羽「茶経」の研究』 熊倉功夫・程啓坤 編 宮帯出版社 25頁「陸羽その人物業績」姚国坤 著(戸髙留美子訳)より〉*盈ち(みち)、繞る(めぐる)
『四悲詩』は内乱を逃れ、湖州に落ち着いてから書いたとされている。難民として道中に見たことを元に強い悲しみを詩に託している。自伝では「洎至德初,秦人過江,子亦過江/至徳の初(七五六年)に洎(およ)び、秦人(安禄山軍)江を過ぎ、子も江を過ぎる」と短く故郷を離れる様子が触れられているが、内乱で受けた苦難は尋常ではなかったと理解できる。
茶経楼で披露された陸羽時代の茶芸の為の設え