台湾紀行〈2013年4月14日~18日〉その⑤ 味蕾全開「奇古堂」の朝 | 俳茶居

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台湾紀行〈2013414日~18日〉 その⑤ 味蕾 全開「奇古堂」の朝




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奇古堂の茶席


午後の帰国便に乗る朝、『奇古堂(チークータン) 』に出かけた。ガイド役のT君に前日、明朝『奇古堂』に行きたいと告げた。その朝彼は東京から来た友人の為に、間違いなく店が開いているか確認の為『奇古堂』に電話を入れた。電話のむこうで沈甫翰 先生が対応してくれたと後でわかった。T君は沈先生に会った事は無い。どういう人なのか興味も無かったかもしれない。そして、「東京からお茶好きの友人が来ている。これから伺いたい。」のようなことを伝えた。T君になんの悪気もないが、少し気恥ずかしい思いがした。「お待ちしていますとのことです。さあ参りましょう。」とT君は事務的口調で告げた。早く出かけた方が良いと言いたげだった。

 台湾の茶人にして高名な文人、『奇古堂』主人沈甫翰先生はひとりで我々を厚く遇した。帰るまで他の客は来なかった。私は挨拶をし、T君を紹介した。先生はにこやかに私たちを店に招き入れた。(2005年に一度『奇古堂』に来ていた。観光客が沢山いて買い物も大変だった。その時先生は不在であったが、『奇古堂』は何か他のお茶専門店とは違うと感じた。中国茶の入り口にまだ立ってもいなかった頃である。)

 「よくいらっしゃいました。ところで、時間はどの位大丈夫ですか。」お店の茶席テーブルに通され、椅子に座った私に問いかけた。「腕時計をみて100分です。」と答えると、「わかりました。五つのお茶をご案内いたします。」と先生は間合いを計算し呈茶を始めた。




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奇古堂の茶器「蔡榮祐ー不流茶組」


「凍頂」、「阿里山」、「梨山」、「大禹嶺」の高山茶と「陳年(1989年産)凍頂烏龍茶」の五種を頂いた。(先生の考え方・流儀は「 」として確立している。文献も探すことは可能だ。興味のある方は是非検索してみて頂きたい。)100分の間先生から淀みなく発せられる言葉は、明朗で滑舌が良い。とても80歳とは思えない元気さだ。平日の午前、突然の客に泰然と振る舞う姿は清々しかった。お茶をいただきだしてすぐ大切なものが目の前にある事に気付いた。それは昨日鶯歌陶器博物館で見た『蔡榮祐-不流茶組』の茶器であった。先生の話の切りの良い所で質問してみた。「そうです。これは蔡榮祐の作品です。デザインは私です。」との共同作品であることが分かった。台湾の高名な二人の芸術家は、茶によって繋がれていたのだ。 今は無き西荻窪『常淡茶荘』の壁の茶器と鶯歌陶器博物館の作品、そして奇古堂の茶器が繋がった。知恵の輪が解けた時のように良い気持ちになった。      

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沈甫翰先生の呈茶


 茶席の間、言われるままに背筋を伸ばし、瞑想するが如くそれぞれのお茶の香りを鼻腔に送り、味蕾を全開にしてその味を蓄積して行った。静かな茶席が宇宙となり、他に何も存在しない空間となった。そしてお茶への感覚がさらに敏感になっていった。

至福の時間は瞬く間に過ぎてしまう。やがて茶席が終了し、いくつか茶葉を求め、主人との別れの挨拶もそこそこに、私たちはタクシーに乗った。濃密な時間を鎮めるのに、私とT君はしばし無言だった。



沈甫翰先生の話の中で大切に感じた事(あくまで私が感じたこと)。

良質の茶葉は、煎を重ねて行くと徐々に力は弱くなるが、香りや味(甘味、うま味、渋み、苦味など)のバランスは崩れない―


味を感じる味蕾は、カメラの露光調節のように、濃い味が来れば入り口を狭くし、薄い場合は開く習性がある。薄く弱い味は解放された味蕾に蓄積され、煎を重ねれば、味は強くなっていく。―


―バランスの良い良質な茶葉は、弱く淹れても五感が開かれ敏感であ

 れば美味しさは感受できる。―


―バランスの良い良質な茶葉は、淹れるお湯の温度が高い場合でも低

 くても味に乱れは無い。―



台湾國立臺灣工藝研究發展中心HP には以下の説明があった。

「蔡榮祐-不流茶組」作品名稱:不流茶組作者:蔡榮祐材質、技法:陶瓷尺寸(長寬高:cm: 特色: 本套茶具組造型係由沈甫翰先生設計,並由蔡榮祐先生燒製。此茶具組適合泡高山茶,其清香茶韻方能盡情釋放。