台湾紀行(2013年4月14日~18日)その⑥ 『日月潭』逍遥 | 俳茶居

俳茶居

       義仲寺や秋立つ空に塚二つ (呑亀〉

台湾紀行(2013414日~18日)その⑥ 『日月潭 』逍遥


台湾製茶ツアーから帰って一ヶ月が経っていた。旅の酔いから既に醒めてもよい頃である。しかし紀行文を書き繋げていくと、旅の心地よい思い出に舞い戻ってしまうのである。

 日月潭は台湾南投県山中にあり、今は台湾随一の高級リゾート地だ。太陽と三日月が一緒になった形状をしている淡水湖で、1934年(昭和9年)日本統治時代に当時東洋最大級の水力発電所が完成し、日月潭は貯水湖としての役割も担うようになる。その時水量が増し、それまで陸地だったところが小さな島となり現在の景観を作ったとされている。

俳茶居
茶葉改良場魚地分場入り口


 私たちが製茶ツアーの合間を縫って訪れたのは、1936年に出来た現在名「行政院農業委員會茶業改良場魚池分場 (日本統治時代「魚池紅茶試験支所」)だ。

 台湾の人達は、台湾の茶産業特に紅茶の研究・殖産に貢献した日本人研究者、新井耕吉郎 (あらいこうきちろう)博士の遺徳を現在でも語り継ぎ、施設の中に記念碑、銅像そして記念館を作り形として残している。台湾人の恩人に対する気持ちを強く感じることが出来る。分場の玄関前広場から広がる風景は壮大である。目の前に日月潭を見下ろし、それを取り囲むように連なる山々が生み出す景観はまことに雄大だ。景観の素晴らしさだけでなく大切なお茶作りに最適な環境も併せて提供している。ここに日本統治時代の「魚池紅茶試験支所」が出来ていなかったら今の台湾紅茶産業は成り立っていない。標高1000mが農作物殖産の為の上限の高さであったと聞く。まさに限界の高さのところに施設は作られたのだ。この地から1999年に商品化された台茶18号(後に「紅玉」と命名)などの素晴らしい紅茶が誕生したのである。一つの種が誕生しても商品化に至るまでには何十年という時間がかかる。日月潭を眼下に、山々に取り巻かれながら逍遥する私に、いくつかの想いが心の奥から立ち昇って来るのがわかった。




俳茶居
茶葉改良場魚地分場より日月潭を望む

〈竹下貝吉氏のこと〉

 若き竹下貝吉氏の写真を記念館で見ることが出来た。竹下氏は静岡の出身、新井博士の最後の部下の一人。1944年(昭和19年)軍隊に入るため帰国、その時が新井博士との別れになった。現在88歳と聞く。昨年12月H先生の台湾茶セミナーで席を並べる。先生の紹介で事情を知り驚きを隠せなかった。なにか話さなくてはと思い「日月潭はどうして日月潭というのですか。」などと間の抜けた質問をしてしまった。しかし竹下氏はノートにその形状を描き名前の由来を説明してくれた。彼の優しい心根に触れることで私は救われた気がした。(今でもその時のことを思うと冷や汗ものである。)米寿とは思えない強健な身体をお持ちで、小柄だが歩みは早く、耳も滑舌も若者の様にしっかりしている。

その竹下氏の19歳時の写真と対面した。69年前の氏の顔の写真を前に、これもお茶が引き寄せてくれたご縁なのだと彼の人生に思いを寄せた。(512日に行われた日本中国茶普及協会の催事「感茶祭」で竹下老に再会することが出来た。日月潭の新井博士記念館で、19歳の竹下青年の写真にお会いしましたと報告すると顔をしわくちゃにして喜んでくれ、こちらも嬉しくなった。) 

     俳茶居

     昭和19年の記念撮影下段新井博士の右が竹下青年

     写真手前は許文龍(奇美実業創業者)氏寄贈の新井博士の胸像

 

〈台茶18号「紅玉」のこと〉

 紅茶「紅玉」は、1999年の台湾大地震の際、被害を受けた日月潭で復興の象徴として、台茶18号の名で商品化された。誕生から改良を重ねること約半世紀が費やされた。緬甸(ビルマ)大葉種を母に、台湾自生の野生山茶を父として作られた台茶18号は、2003年「紅玉」という愛称が付与される。その品質の高さで台湾の紅茶産業に大きな影響を現在も与えている。(台湾紅茶は、第二次世界大戦前より南投県日月潭で研究を重ねた新井耕吉郎博士の業績が大きく寄与している。博士は戦後も現地に留まり、1946年病で亡くなるまで台湾紅茶の殖産に一生を捧げた。「紅玉」の特徴は、シナモンやミントの香り、水色はしっかりとした琥珀色、渋みを抑えた豊潤な味で、飲んだ後回甘(ホイガン)が喉元にしっかりと残る。



俳茶居
分場内のスリランカ風工場(昭和13年完成今も使われている)



〈周渝の言葉のこと〉

台北の茶館『紫藤蘆 』主人周渝の言葉(注①)を思い出した。お茶はなぜ美味しいのか。そのことを化学的に問いかけることは可能だ。茶葉の成分を検証し、その中に人の五感に愉楽を与える成分を発見出来るからである。しかし私は、日月潭で目の当たりにしている景色が、周渝のお茶の本質についての哲学的な理解の言葉と重なり、静かに心を満たしていたのであった。

(注①周渝の言葉

― 茶葉の奥深さとは、『吸収』することである。〈中略〉つまり、山や丘に育ったお茶の木は、周囲の息吹、そして山水の気質を思いっきり茶葉の中に吸収するのである。あるいは、それこそがお茶の独特な魅力の根源かも知れない。そのことを知っている多くの東洋人は、茶葉一枚を通じて山水の風景と大自然の精神を体得するだろう。―『中国茶と茶館の旅』〈新潮社〉より ―


俳茶居
茶葉改良場魚地分場内の茶畑